552 :グアンタナモの人:2013/02/14(木) 21:59:06
○とある整備兵の日記

 :1995/3/30

 酒保で新しい日記帳を買ってきたので、日記を再会しようと思う。
 ちなみに途中まで書いていた前の日記帳は生憎、クラード基地の部屋の何処かに置きっ放しだ。
 いや、もしかしたら今頃は灰になっているかもしれない。
 基地から逃げ出す直前、隣の兵舎が爆弾で吹き飛ばされていたのが見えたし。

 急ぎの撤収作業だったせいで、兵舎に取りに戻る余裕がなかったことが悔やまれる。
 尤もオーシア軍が基地の間近に迫っていたのだから、仕方がないといえば仕方がないだろう。
 日記を取りに戻って死んだり、捕虜になったりしたら洒落にならない。
 とりあえず無事にティオンビル基地に辿りつけたことを感謝しよう。

 書きたいことはまだあるが、今日は疲れたので筆を置く。
 とりあえずクソッタレオーシア兵の連中が燃え残った俺の日記を見つけるようなことが無いよう祈りたい。


 :1995/4/3

 ここ数日は殺人的に忙しかった。
 押し寄せるオーシア軍相手に陸空軍合同で昼夜を問わない遅滞戦闘が行われたからだ。
 戦闘機や攻撃機が引っ切り無しに基地へとやってきては飛び立つため、俺達整備兵も総力体制だった。
 今こうして日記を書けているのは、オーシア軍の進撃が遅滞戦闘のお陰で鈍ったためだ。
 連中は一気に南ベルカを通過して、バルトライヒの麓に行きたかったらしいが、俺達はその出鼻を挫くことに成功したようだ。

 さて、今の戦線はかなり歪だ。
 五大湖方面……南部戦線は意外にも海軍が頑張ったらしく、オーシア軍の突破を許さなかった。ちなみに艦隊もほとんど健在らしい。
 しかし北部戦線はかなり切り込まれており、幾つもの街が占領されてしまった。
 北部にはハイエルラークや俺達が居たクラードといった大きな空軍基地が存在していたせいで、雪崩れ込んできたオーシア軍も大量だったし、爆撃も綿密だった。
 おそらく、こちらが連中の定める主戦線なのだろう。
 今更ながら、よく生き残れたものだと思わざるを得ない。


 :1995/4/5

 今日、基地に援軍のワイエルバキア軍機が到着した。
 この基地で初めて受け入れる外国軍機らしく、皆興味津々で飛来した彼らを眺めていた。
 ちなみに到着したのはグリペンで構成された飛行隊で、増設されたばかりの特設格納庫を根城にするようだ。
 そしてなんでも彼ら自前の整備班の到着が遅れるらしく、俺達クラード基地の生き残りで構成される整備班が臨時で宛がわれるとのお達しがあった。

 他所の機体をいきなり整備できるのか、と思う奴が居るかもしれないが、そこは心配ご無用。
 何故なら、ワイエルバキア軍の機体は慣れ親しんだ国営兵器産業廠の再設計機だからだ。
 この国営兵器産業廠の再設計機というのは、本来、機種ごとに違うはずの部品を極限まで共通化。
 製造コストを下げて二機の予算で三機製造できるようにした上、機体性能は元の機体からまったく低下していないという実に反則じみたものである。
 尤も俺がそれを反則じみていると気付けたのは、ディレクタス条約に基づく支援の一環でラティオ空軍に再設計機の整備指導へ出向した時なのだが。
 従来機と再設計機の勝手があそこまで違うとは思わなかった。
 再設計機の安価な輸出に踏み切り、条約機構諸国の従来機と再設計機の置換を進めた当時の政府の行動はまさしく英断だっただろう。

 閑話休題。
 そうした理由で俺達は整備を恙無く終え、ワイエルバキアのパイロットには腕の良い整備員で助かった、と感謝された。
 とりあえず、これくらいは当然、と言い返しておいた。彼らのような援軍で助かってるのはこちらなのだから。

553 :グアンタナモの人:2013/02/14(木) 22:00:18
 :1995/4/6

 久し振りにノートパソコンをインターネットに繋いだ。
 崩壊するクラード基地から唯一持ち出せた私物である。
 メーリングシステムを確認すると、メールが二通が届いていた。
 どちらも送り主は親友のグスタフ。確か今は遠く、ユージア大陸のアルトゥーラ砲台に居たはずだ。
 ユリシーズの落着で最大の被害が生じる予想されているユージア大陸では聖杯計画に基づき、ベルカ主導でユリシーズ迎撃用の巨大レールガンが大陸上の三地点で建造されつつある。
 ユージア大陸では武装平和という名の冷戦が長年続いていたようだが、それはベルカが間に入ることでかなり緩和されたらしく、レールガンの建造は大陸全体で力を合わせているらしい。
 グスタフはそのレールガン建造を支援するために、現地へ派遣されたベルカ軍部隊に属しているのだ。

 そういえば在ユージア=ベルカ軍はどうなったのだろうか、と思いながら一通目のメールを開いてみると、まさしくそれに関した話が綴られていた。
 どうやらグスタフ達、在ユージア=ベルカ軍は本国へ帰還しないようだ。どうも上層部が建造を優先するように指示したらしい。
 初めは動揺が走ったらしいが、そこはベルカ軍人。与えられた任務を黙って遂行するようだ。

 続いて二通目のメールを開いてみる。
 無事か、無事なら返信しろ、とのことだ。
 メールの日付を確認してみると、クラード基地が落ちた翌日だった。
 勿論、慌てて返信した。すると十分くらいでその返信が返ってきた。
 短く、心配させんなボケナス、と書かれていた。
 すまなかったな、親友よ。でもボケナスはないだろう。


 :1995/4/7

 二日前にワイエルヴァキアの援軍が到着したと話したが、今日も新たに援軍が到着した。
 到着した機体の尾翼にはリボンのような飛行隊マークが描かれていた。メビウスの輪、というらしい。
 なんでもノースポイントからの義勇軍、とのことだ。
 エルジアやエストバキアの義勇軍が来たという話は聞いていたが、遥々ノースポイントからも来るとは思わなかった。
 しかも最新鋭のラプターが一個中隊である。
 話によるとパイロットが機体を買い上げて馳せ参じたとのことだが、ノースポイントのパイロットはラプターをポンと買えるほど高給取りなのだろうか、と不躾な質問をしてはいけない。

 ところでエルジアからビルネハイムの基地に入ったらしい義勇軍。
 その写真を見る機会があったのだが、俺を含めたティオンビル基地の面々は初め、ティオンビル基地が誇るエース部隊、ゲルプ隊の分遣隊かと思ってしまった。
 偶然にも両者の塗装が似通っていた。それも物凄く。
 今後実際に見るようなことがあれば、絶対に見間違えないよう注意したいところだ。

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最終更新:2013年02月16日 21:26