919 :68:2013/05/02(木) 21:27:35



ネタSS「停戦」



E.U.領シベリア、イルクーツク。二人の歩哨が、見張り塔の上からバイカル湖の向こう、遠く霞む
対岸の「大清連邦領シベリア」を監視している。

「…静かだな」

「だよねー」

大清連邦がそのほぼ総力を上げて「四大列強」の一角たるE.U.(ユーロ・ユニバース)に挑んだ
「シベリア紛争」終結から数ヶ月を経ても、住民がこの町に戻る様子は無い。それもそうだろう。
この都市は今、復興とは名ばかりの大改造を経て、対岸からの攻撃に備えた要塞都市へと
生まれ変わろうとしていた。

「しっかし、なんでボクらこんなとこにいるんだろね?出立前に聞かされた話だと、今頃はもう
とっくに国境線なんか越えちゃってさ、玉無し連中の喉元に銃剣突きつけてなきゃおかしいはず
なんだがなぁ…」

飄々とぼやく片割れの言葉に、もう一人の歩哨がこめかみに青筋を浮かべた。

「…なにヒトゴト口調で語ってやがる、それもこれもお前んとこの州政府が土壇場でヘタれたのが
悪いんだろうが!ったく、たかが何個師団か潰されたぐらいでビビりやがってあの腰抜けども…」

「ははは、さすがにちょっと酷いなぁ、それは……あとさ、連中が実際強いってのを忘れてない?
でなきゃボクらがこうしてピリピリして警戒してる理由の説明がつかないと思うんだけど」

「ぐ…くそう、あんなバケモノさえいなけりゃ…」

ぎりぎりと歯軋りしつつ、論破された方が対岸にうっすら見えている敵新鋭陸上戦艦の魁偉な姿を
悔しげに睨みつける。

…そう、数ヶ月前に正式な休戦協定が取り結ばれた「シベリア紛争」が、あくまでも“休戦”という
中途半端な形で幕を下ろした直接的な原因は、清の強力な反撃もさることながらもう一つ、
イギリス州政府で発せられた「連合離脱」発言が挙げられる。

紛争末期、虎の子の地上戦艦竜胆をE.U.軍の空爆で撃破された清軍は、それでも残された兵力
を糾合し、清国初の純自国製KMF夏候、新型陸上戦艦芳珠、加工サクラダイトを利用した気化爆弾
搭載のミサイルなど、強力な新鋭兵器を多数配備してキャフタ奪還を狙うE.U.軍に対する逆反攻に
打って出た。俗に「高亥の賭け」と称される軍事行動である。投入された兵力は70万。E.U.軍の
総兵力を考えれば頭数では半分程度でしかなく、これで反撃を図るなど普通に考えれば集団自殺と
同義だろう。だが、このときの高亥には勝算があった。強力な新兵器の存在もさることながら、
彼はE.U.の内部に対立があることをも最大限に利用して、可能な限り自国優位での講和に持ち込む
ことを画策していた。

高亥が下した命令は、「イギリス州軍の認識票を付けた敵を優先的に狙え」というものだった。
もともと戦争にあまり乗り気でなく、ただでさえ士気が低いイギリス兵を狙うことで被害を抑え、
かつイギリスの民意を動揺させてE.U.内部に混乱を呼び起こすことで、休戦交渉に持ち込もう
としたのだ。

…結果的に、高亥は賭けに勝利した。ただでさえ元々E.U.内部でも財政が特に不健全なうちの一つ
として数えられるのに、政治的理由(旧王家が国外に脱出し、ブリタニアというE.U.仮想敵筆頭格
の大国を築き上げているため)からE.U.内部では相応以上の「責任」を求められ、イギリス州の
金庫はこの頃まさに危機的状況だった。必然州民の不満は彼らに過剰な負担を強いるE.U.の“大陸側”
各州、わけても比較的経済が好調なフランス、ドイツ、ロシアに向けられていた。その傾向は
紛争が始まって以後更に強まることになる。なにしろこの戦いでは「ロシア」が侵略を受けて、
盟主気取りの「フランス」が音頭をとり、それを煽るように「ドイツ」がなにやら小細工を弄して
いる。しかも、彼らは口をそろえて「E.U.防衛のために、お前たちも協力しろ」と迫ってくるのだ。
イギリス人からしてみれば、冗談ではないと言いたいところだった。それでも渋々兵力を送り、
軍資金を負担していたが、ただでさえ限界に近かったところにこの作戦である。いたるところで
イギリス兵の損害が突出して積みあがり、酷い所になると、キレンスクなどでは一度にイギリス
州軍だけで3個師団相当の死傷者を出したほどだった。激怒した市民は戦争に協力し、州民を戦地に
送った州政府を悪し様に罵って街頭を行進、物心両面で追い詰められたイギリス州政府はついに
「E.U.政府がこれ以上戦争を続け、我が州に負担を強いると言うのであれば、我々は連合を離脱
することも辞さないであろう」という趣旨の発表を行うことになる。

920 :68:2013/05/02(木) 21:28:51

この発表を受け、四十人委員会は紛糾した…というより、パニックに陥った。なにしろ、もし
イギリスがE.U.を脱退した後にブリタニアに接近するようなことがあれば、E.U.の目と鼻の先に、
シーランド王国などとは比べ物にならないほど強固なブリタニアの橋頭堡が出現するのだ。
さらに、下手をすれば最悪、イギリスがブリタニアから適当な皇族を王として迎える事態も
考えられた。なにしろE.U.の国是は共和主義というかなりイデオロギー寄りの思想である。
その側面から言えば共和制国家が王制にその政治体制を変えるなど、許しがたい政治的退行
であり、なんとしても阻止すべき愚行であった。

…ゆえに、E.U.政府はイギリスの離脱を防ぐため、清との休戦を選択したのだった。それに、
どの道E.U.のほかの州もそろそろ財政に無理が出てきているため、これ以上の戦争は勢いが
ないと出来ない側面もあった。そして、清の強力な反撃を前にしてE.U.は純軍事的にも、民意の
面でも勢いを失いつつあった。清軍の進撃がバイカル南岸で止まったのも、“魔王”ルーデル
率いる空軍攻撃隊が長躯阻止爆撃を繰り返して敵の補給戦を再び幾重にも寸断し、清がそれ以上
の進撃を諦めて防衛線構築に力を入れたこと、中華連邦が清との国境線に突如大挙して軍事力
を動員し、大規模な演習を開始したこと、大日本帝国が「わが国の隣国たる2カ国が悲惨かつ
無為でしかない戦争を長期にわたって行っている現状は、誠に遺憾といわざるを得ない」と
して両国に講和の仲介を申し出たこと、そして何よりも清がすでに当初目標としていた地域の
確保に一定レベルで成功していたことなどが原因である。

休戦協議の会場となったのは、講和を仲介した大日本帝国の古都、京都だったが、ここで
決められた「暫定軍事境界線」は、おおよそバイカル湖~アルダイ高原~シャンタル諸島
を結ぶラインとして取り決められた。だが当然ながら両国とも率直に言ってこの決定に
はなはだ不満であり(特にE.U.側。清はある程度予定通りに近い占領地を得、サクラダイトも
手に入れたため、それほどでもない)、以後しばらく「史実」の印パ停戦ラインを思わせる
ような睨み合いが続くことになる。


再び、バイカル湖岸。先ほどの二人が、気まずくなった空気を変えようと、別の話題について
話している。

「そういえば、例の“変人博士”、クレマン女史をお茶に呼んで問題になったんだっけ?」

「あー…そういえば独立寄りのメディアにずいぶん叩かれてたっけ。『イギリスの財政を悪化させる
戦争に協力して兵器を開発したばかりか、あまつさえ我々イギリス人を踏みつけにして自州の繁栄を
図る大陸人とつるむ売国奴』とか言って」

「しっかしシュート技官も無謀だよなぁ…当人は優秀なエンジニアとはいえ、美男でもないただの
一般人。それで相手はクレマン・ファクトリーの令嬢サマだ。同僚だからまだしも、普通だったら
お近づきになるのも難しいヒトじゃねーの?」

「それで呼ばれて付いてった女史も相当だけどね…まあ、あの人たちのおかげで例の“大砲”が完成
したんだから、これ以上はやめとこうか」

そう言った片割れが、湖のこちら側に間隔をあけて鎮座する巨大な構造物を眺めやる。E.U.軍が鹵獲
した竜胆の主砲を解析・コピーし、チューンアップを加えたものを架台にすえつけた超重自走砲、
「1号型機動重砲」だ。清が対岸に配備した芳珠に対抗すべく、現在は4門(それぞれコードネームで
「アリョーナ」「ベアトリス」「コンスタンツァ」「ドーラ」と呼称される)が、多数の自走対空砲
を伴ってイルクーツク周辺に配置されている。

余談だが、ネヴィル・シュートがアンナ・クレマンに接近しているという情報を手にした夢幻会の
一部ではにわかに「アンナたんの純潔を変態紳士の魔の手から守る会」なるものが結成されるなどと
いった狂態が演じられ、嶋田が胃を痛めるといった光景も見られた。これも、紛争終盤で重要な役目を
果たしたとはいえ結局日本が平和だったことの証といえるかもしれない。

だが、日本とは違ってE.U.・清両国の憂鬱な日々はこれで終わりを迎えたわけではなかった。戦争を
主導した者たちに不満を抱く様々な勢力が、このどさくさに紛れて自らの要求を通すべく蠢動を始めた
からだ。その最たるものの一つはロンドンにおいて過激な独立派集団「イギリス愛国党(B.P.P.)」
が起こした“ウェストミンスター占拠事件”、もう一つが清で勃発した、高亥と対立する宦官達
による“9.1クーデター”だった。

921 :68:2013/05/02(木) 21:30:03

   *   *


大清連邦首都、哈爾浜。

このところの激務に伴うストレスで眠りが浅くなっていた高亥は、殺気を感じて目を覚ますと
同時に豪奢な寝台から転がり出た。直後に消音器で抑制された銃声が立て続けに数発響き、
寝台の布団や枕で着弾の鈍い音を立てる。とっさに先ほど寝台を飛び出す前に枕の下から
引っ張り出していた拳銃を当てずっぽうで乱射すると、どこかに当たったらしく夜明け前の
闇の中で押し殺した悲鳴が聞こえた。その隙に執務机の裏に飛び込む。

(おのれ、早くも仕掛けてきたか…!)

下手人の主が誰であるかなど、容易に想像がつく。おそらくは彼以外の七人の大宦官のうちの
誰か…ことによってはその全員だろう。七人のうちいずれも、この戦争で清が完全な勝ちを
得られなかったことを高亥のせいとして激しく糾弾していた。それを口実にして動いたと考えても、
なんらおかしいことは無い。こんなことなら先延ばしにせず、さっさと粛清も終わらせてしまえば
よかったと歯噛みするが、今となってはもう遅かった。

(それにしても、まさか本当にコレを撃つことになろうとはの)

机の向こう側を警戒しつつ、高亥はその重みを確かめるように手の中にある拳銃を握りなおした。
欧州系の有名な銃器メーカーに特注して作らせた、豪奢な一品だ。闇の中で金メッキと彫刻が
施されたスライドが、鈍い光を放つ。もともとはただのステータスシンボル、装飾品のつもりで
誂えて飾ってあったのだが、最近同僚たちの動きが怪しくなってからは、万が一を考えて枕の
下に移しておいたのだ。それも半ば「お守り」のようなものであり、今回ここまで死なずに
済んでいるのはもはや僥倖といえた。

(ええと、確か…そう、弾数の確認が必要なのだったか)

この手のものの扱いには疎い高亥だが、なにしろ今回は命がけである。必死に頭を回転させ、
購入時に教わったうろ覚えの注意事項を脳内から引っ張り出す。

(…先ほど撃ったのは…いかん、慌てていたから少々怪しいな。3発か4発ほどか?)

これも記憶がおぼろげだが、確かこの銃の装弾数は12発。4発撃ったと考えて、残りは8発
といったところだろうか。敵の人数がわからない現状では、いささか心もとない戦力である。

ふいに部屋の入り口付近から聞こえた物音に、高亥は身を硬くした。足音が慎重にこちらへ
忍び寄ってくる。突然死の危険を肌で実感し、高亥は戦慄した。助けが間に合わなければ、
十中八九自分はこの場で殺害される。そうなれば―――

(…?待て、私は殺されるのが…死ぬこと自体が怖いわけではないのか?)

自問する高亥。じっくり考えて、突如彼は笑い出したい衝動に駆られた。馬鹿馬鹿しい話だ。
たった今自分は何を考えた?「自分が消えれば、あの愚か者たちが国を破滅させる」だと?
「この国を滅ぼしたくは無い」だと?笑わせるな。そもそも自分は、ただ自らが贅を尽くす
ためにこの大清連邦を作ったはずではなかったのか。その自分が―――「国を守りたい」?

(ふん、私もまだまだ未熟者よの)

自嘲しつつも、なぜか悪い気分はしなかった。ここまでの様々な出来事――多少苦労してでも
より大きな目標を掴もうと決意した日に始まって、謝罪行脚に歩いてこの目で見た民の姿、
夜遅くまでわき目も振らず計画に頭をめぐらせた日々、自分を信頼して忠実に従う部下たち、
独立後の視察で感じた自分の行動の「成果」――が走馬灯のように眼前をよぎる。

(…たとえ道具でも手を掛ければ、それなりに情も移る、か)

そう、せっかくここまで手間暇掛けて作ったものが、思慮のかけらも無い愚かな連中の手の上で
弄ばれ、泥まみれで朽ち果てるとなれば誰しも平静ではいられない。それも苦労して使いこなす
うち、ようやく自分の手になじんできた道具だ。正直に言って、馬鹿の思い通りにさせるには
あまりに惜しい。むしろ出来ることならいっそ、自分がかつて確かにこの世に存在したことの証左
となるような、一種記念碑のようなものにしたかった。そして、他者との間に子を成せない高亥の
場合、そういう「存在証明」に対する願望は人一倍強かった。単に、これまでは自覚がなかった
に過ぎない。

922 :68:2013/05/02(木) 21:31:12

(なればこそ…ここで、このようなところで死ぬわけにはいかぬ)

決意を固めつつも、高亥はここまでの自分のやけに速い頭の回転が、実のところいわゆる
“人生の走馬灯”のようなものであることぐらいは理解している。状況は絶望的だった。
慎重に執務机を回り込んでくる2つの足音は、いまや机の真横に至っている。もう数歩も
動けば、机の裏側に無様に潜り込んだ彼の姿が、敵の視界に入るはずだ。そうなったらもう
御終いである。鉛弾が全身を貫き、希望も目標も願望も、全ては果たせぬうちに夢と終わる。

(努力するだけ無駄か…否、こうなればいっそ最期の瞬間まで抗ってみせる!)

体を静かに執務机の片一方の奥に寄せ、敵がやってくる方向を局限する。一つでも多く、敵に
確実に損害を与える構えだ。もっとも素人考えだし、今更このような小細工が役立つ相手とも
思えなかったが、何もしないよりはマシだろう。夜明け前の薄闇の中、目を凝らして必死に
相手方の動きを探る。自分の吐く息の音が耳についた。

張り詰めた緊張を破るように突如として扉付近が騒々しくなったのは、このときだった。
弾けるような銃声が連続し、悲鳴があちらこちらで上がる。それらが収まったとき、照明が
点けられて血染めの部屋を白々と照らし出した。高亥が何気なく横を見やると、すぐ脇に
敵が一人倒れている。ぎょっとして彼は後ずさり、机の背板に体をぶつけた。やはり、先ほど
は本当に危なかったのだと今更ながらに認識する。

「高亥様!ご無事ですか!曹でございます、曹が参りました!」

曹将軍の聞きなれた胴間声が聞こえる。警戒しながらも机の上に顔を出すと、屈強な兵士を
十数人従え、自らも突撃銃を構えた曹がこちらの姿を確認してほっとしたという顔で「そこに
おられましたか、お怪我などございませんか!」と問いかけてきた。

「ああ、大事無い。それより、状況はどうなっておる?」

「現在のところ、宮城で動いている敵はせいぜい中隊規模かと。目下のところ、鎮圧に当たって
おります」

高亥は目の前で息を弾ませている部下をとくと眺め、つくづくこの男を放逐しないでよかったと
密かにため息をついた。緒戦での陸軍の暴走について、詳しい事情をもう一度洗ってみたのは
やはり間違いではなかったのだ。もし偏見にとらわれたまま何もしなければ、暴走が七宦官の
手の者によるものだとは気づけなかったかもしれない。危うく優秀な部下を一人失うところだった
と気づいたときは、背筋に震えが走ったものだ。

「…“客人”は、どうした?」

「すでに移動させ、事が済むまでは部屋に閉じ込めておくよう、取り計らってございます。…
高亥様の下に参上するのが遅れましたこと、重ね重ね申し訳ございませぬ」

「よい、構うな」

“客人”…高麗政府が内外には「民族の誇りを胸に壮絶な戦死を遂げた」と発表し、先日のE.U.
との捕虜交換に姿を見せた彼らを「英雄の名を騙る卑劣な偽者」と一方的に弾劾、その後も一貫
してその生存を強く否定し続けている集団…高麗義勇軍に参加し、E.U.軍最精鋭部隊とまともに
激突して死闘の果てに捕虜となった高麗陸軍首都防衛隊、その生き残りである。祖国への入国を
拒否され、行き場を失った彼らを高亥は保護していた。高麗製のポンコツ機でE.U.軍のエースが駆る
KMFと互角の戦いを演じた指揮官をはじめ、清国の精鋭部隊と比較してもなんら遜色ない技量、統率
を誇る彼らなら、必ずや有用な駒となりうると踏んでのことである。指揮官の少佐の性格から考えて
七宦官の側に付くことはしないだろうが(E.U.の反攻時に彼らを“捨石”にしようとした司令官は
七宦官の子飼いの部下の一人だった)、万が一のことを考えると敵と接触させるのは避けたかった。

923 :68:2013/05/02(木) 21:32:06

「それより高亥様、ここではさすがに不安でございますから速やかにご移動をお願いしたく…」

「ふむ、それもそうじゃな。案内せよ」

「はッ」

曹らの先導で足早に歩き出そうとした高亥だったが、ふいに顔をしかめて軽くよろめいた。

「高亥様!?」

慌てる曹らには「心配要らぬ、ただの立ちくらみじゃ」と手を振ったものの、その実高亥は
全身の節々に痛みを覚えていた。おそらく先ほどの無理な動きが原因だろう。

(やはり、歳には勝てぬな…)

歩きながらちらりと自分の皺の増えた手を眺めやる高亥。今のところ政治的な判断を誤る
ようなことは無いが、おそらくこれからどんどん不自由が増えていくのだろう。自らの目的
がただの贅沢のみであったころなら、自らの苦痛を和らげること以外は考えずに済んだだろうが
自分のもう一つの目標に気づいた今となっては、この国をいかに腐らせずに後世に残すかが
重要となってくる。そしておそらくそれは、この先老いていく自分ひとりでは到底達せられない
難事業となるだろう。

(“道具”を安心して引き継がせることができるような者を、今のうちに探すべきかもしれん)


…この事件後、高亥は自らの後継者問題について真剣に考えるようになる。だが、彼が満足できる
ような人物はそうそうおらず、彼の頭痛の種はまた一つ増えたのだった。


   *   *


スペイン、マドリード。群集の地響きのような喝采を背に、舞台袖へと一人の男が入ってくる。髭
が印象的なその男に、柔和な顔立ちのもう一人が労いの声を掛けた。

「演説お疲れ様です、総統」

「…シュペーア、その呼び方はよさないか?今の我輩の肩書きはあくまで“E.U.共和主義労働者党代表”
だ。人が聞いたら何のことかと疑るぞ」

「それもそうですね、失礼しました“代表”。見事な演説でしたよ」

髭の男…アドルフ・ヒトラーは「うまく行っていたか」と会心の笑みを浮かべつつ。籠からチョコレート
を取った。

「“反有色人種的な宣伝のせいで前線での暴走が増えている”と聞いたときには、それなら何を民衆に
“敵”として示したものかと考えあぐねたものだが…そういう意味では、ジョンブルどもが馬鹿をやって
くれたのは僥倖だったな」

「ええ、これでE.U.の中央集権化計画にも明確な説得力が出ます。反対派も“内からの崩壊”という
危機を前にすれば、それ以上は追求できないでしょう」

ウェストミンスター占拠事件。イギリス州でにわかに活発化した独立運動勢力のうち、もっとも過激な
一派である「イギリス愛国党(The British Patoriot Party)」が突如として州議会議事堂(旧ウェスト
ミンスター宮殿)を始めとしたウェストミンスター地域一帯を武力制圧、市街にカルチェ・ラタンよろしく
バリケードを張り巡らしてイギリス「解放」を叫んだ事件である。鎮圧に当たったイギリス州軍部隊にも
寝返って愛国党側に合流する者が多発し、最終的には空からドイツ陸軍降下猟兵、海からフランス陸軍
海兵隊が突入して制圧したのだが、この事件後E.U.共和主義労働者党は、攻撃の矛先を「外からの敵」
つまり清ではなく、「内からの敵」すなわちイギリス愛国党のようなE.U.内部の“独立勢力”に向け、
E.U.を強力な政府によって統制することこそが唯一の解決策であると説くようになる。

「ああ、方針を変えてもゲッベルスはよくやってくれている…ところでシュペーア、例の計画は何処まで
進んでいる?」

「“欧州統合軍計画”のことでしたら、残念ながら難航していますね。各州ごとの制度にずれがありすぎる」

「やはり、一気には進まないか…」

「とりあえず、指揮系統の統一のために統合参謀本部を設置する案は出してありますが、正直各州の反発が
酷すぎます。何とか、搦め手からも説得を進めてはいますが…やはり、政権を獲ってからが勝負かと」

924 :68:2013/05/02(木) 21:33:00

「…選挙まで、後1ヶ月だな」

E.U.共和主義労働者党の党勢は、日々拡大していた。現状ではほぼイギリスを除くヨーロッパ全体と、
アフリカの2/3で強力に支持されている。これらはヒトラーやゲッベルス、ムッソリーニらの見事な宣伝
だけでなく、大きな曲がり角にさしかかったE.U.という斜陽国家が、強力に民衆を率いるリーダーの
登場を待ち望んでいたためでもあった。そう、既存の体制ではもはやE.U.は限界だったのだ。ゆえに、
ヒトラー一派が説く中央集権、全体主義的思想は、民主主義の壁を打ち破るものとして多くの面で歓迎
されていた。そして、E.U.大統領選挙前の世論調査では、E.U.共和主義労働者党の候補者の支持率が
他を抑えて圧倒的だった。

「さあ総統、いったんドイツに戻って“会合”に出席しないと」

「そうだな…それに、エヴァもそろそろ我輩の帰りを待ちくたびれているだろう」

この世界でも再び出会えた愛する妻(なお、この世界ではすでに式を挙げている)の顔を思い浮かべて
ほほを緩めつつ、ヒトラーは空港に向かった。

(最近家に戻っておらんからな、怒っているといかんし何か手土産でも買っていこうか)

…ほどなくして、過密スケジュールの合間を縫ってドイツの我が家に戻ったヒトラーは、なんとエヴァが
身ごもっていることを彼女の口から聞かされて狂喜乱舞するのだが…それはまた、別の話である。


蛇足だが、ヒトラー、シュペーアを始めE.U.の一部にはある一つの疑念があった。

(今回の叛乱は、仕組まれたものではないのか?)

イギリス愛国党の運営資金はとうてい潤沢とは言えないうえに、事件当時の彼らは銃火器等で武装していた。
当人たちは「自分たちで密造したものだ」と主張しているが、それにしては彼らの隠し工場と称するものの
規模が小さすぎる。何者かの援助を受けたと見るのが自然だった。

だが、その「何者か」は少なくとも不注意ではないらしく、残された僅かな痕跡から正体にたどり着くのは
到底無理だった。ゆえに、彼らは警戒しつつも結局、今回は追跡を諦めたのだ。


   *   *


こうして、ユーラシアの半分を巻き込んだ燃え上がった紛争はいったん、その終わりを告げたのだった。
…数々の火種と、次なる嵐の予兆を残して。



To Be Continue To The Next Warfare...?

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最終更新:2013年05月17日 22:07