200 :長月:2013/05/16(木) 22:32:16
   辻正信

辻正信(18○○年○月○日 ~ 19××年×月×日)は日本の大蔵官僚、政治家である。大蔵大臣、日本銀行総裁などを歴任した。



概観

昭和初期は大蔵官僚として、中期は大蔵大臣として日本経済の発展に尽力し、昭和後期は日本を含めたアジア圏の経済発展に貢献した。その卓越した手腕から「予算の神様」と呼ばれる。
一方で女子教育の拡充に力を注いだことでも知られ、「女性教育の父」とも呼ばれる。



生い立ち

石川県江沼郡東谷奥村今立(現在の加賀市山中温泉)で4人兄弟の3男として生まれた。父の亀吉は炭焼きで生計を立てており、集落の中でも比較的裕福な家庭であった。
幼い頃から秀才として知られ、山中高等小学校、大聖寺中等学校を経て、奨学金を得て東京帝国大学へ進学。これを首席で卒業し、恩賜の銀時計を拝領している。
大学卒業後は、大蔵省に入省した。



第一次世界大戦

第一次世界大戦の勃発すると、日本は日英同盟に基づき連合国側に立って参戦。青島や南洋諸島のドイツ植民地を攻略・占領する一方で、他の参戦国に軍需品等を輸出し、日本は大戦景気に沸いた。その中で辻は大蔵大臣高橋是清により、この特需を利用した経済政策の担当者に抜擢される。辻は積極的に軍縮を行い国内の開発に投資をすることで経済の再編を推し進める方針を定め、第一次五か年計画、弾丸列車計画、道路整備5ヵ年計画、港湾整備5ヵ年計画、千円自動車計画、帝国統一規格の制定などを立案・実行。この時期に行われたほぼ全ての経済政策に携わっている。
その辣腕ぶりから「予算の神様」とあだ名されるようになり、一方で他者、特に軍との衝突を意に介することなく、強引なまでに政策を推し進めていくことから「大蔵省の魔王」という悪名も付くことになる。

201 :長月:2013/05/16(木) 22:33:03
世界恐慌と第二次五か年計画

1929年10月24日のアメリカの株価大暴落をきっかけに世界恐慌が巻き起こる。世界各国で生産縮小、企業の倒産が相次ぐ中、辻は金融政策、経済政策を主導し、巧みにその打撃を最小限に抑えるばかりか、巨額の利益を上げることに成功する。
この利益に加え、ロンドン軍縮条約による軍縮で浮いた予算を資金源に、日本は第二次五か年計画を開始。不況にあえぐアメリカをはじめとする各国から、設備や特許、あるいは企業そのものを買収し、日本の工業力を向上させる一方で、日本独自の技術開発や高速鉄道、発電所、港湾施設、製鉄所、下水道の整備、満州、樺太の油田開発などを推し進め、軽工業国家から重工業国家への脱皮を図った。この計画による投資金額は当時の貨幣価値にして20億円以上に上った。
この功績により、辻は大蔵省事務次官に就任した。



大蔵大臣就任と第二次世界大戦、太平洋戦争

近衛内閣の内閣改造により、高橋是清の後を継ぎ大蔵大臣に就任。なお、この内閣改造により嶋田繁太郎が海軍大臣に就任しており、この時を実質的な「嶋田・辻体制」の成立とする説もある。
同時期に欧州で勃発した第二次世界大戦に対して、当初日本は非参戦の方針を取りつつ、劣勢に立たされたイギリスに対し物資を売却し大きな利益を得たが、イギリス、アメリカの度重なる要請に応じて連合国側に立って参戦。嶋田の主導する海軍を中心に枢軸国と戦火を交える一方で、辻の主導のもと軍需物資の輸出を拡大し、また海援隊を中心に植民地防衛、インド洋航路の防衛を行った。この際に築いた各地の人脈が、後の植民地大解放の際に活きることになる。

第二次世界大戦が停戦へと向かうと、一方で第二次満州事変が起こり、日中、日米関係が急速に悪化。対米戦争が不可避の情勢となると、大規模な海戦が想定される状況を睨み近衛首相が退陣、嶋田内閣が成立する。

1942年8月16日、大日本帝国がアメリカ合衆国に宣戦布告し、太平洋戦争が勃発すると、日本は総力戦体制に移行する。辻はそれまでの軍縮路線を翻し、陸海軍の要求する予算を全て承認、調達した。これにより、日本軍の前線には常に潤沢な補給が送られることとなった。陸軍総司令官として大陸戦線を指揮した東条英機は、補給を最適化する手法を編み出した兵站構築の第一人者である久野村桃代と辻を称賛し、「大陸戦線の勲一等は久野村と辻」と大本営に報告している。
潤沢な補給で前線を支える一方で、新兵器の開発や艦船の建造にも予算を割き、日本は常にアメリカに対し優位に立った。特に核兵器の開発には「連合艦隊をもう1セット作れるほど」の巨額の資金を要したが、辻が育て上げた日本経済はこの負担に耐えきった。

202 :長月:2013/05/16(木) 22:33:37
戦後秩序の確立

1939年以降の戦乱が独ソ停戦により終結、サンタモニカ会談にて戦後秩序の決定が図られた。この会談によって、旧アメリカ西海岸、アラスカ、東南アジア、南洋諸島といった環太平洋地域全域が日本の勢力圏として認められた。
これにより日本は勢力圏を急拡大し、列強筆頭の地位に躍り出た。一方で急激な勢力圏の拡張は財政を圧迫した。辻は財政改善のため、軍縮を推し進め、タイ、トルコ、フィンランド、福建、南米の友好国、カナダ、さらに第三国経由でイギリスなどへ余剰となった艦艇等の兵器の売却を行った。同時に勢力圏の各国への経済援助を行い、各国の自立を促した。
当初は国民のドイツへの不信感や軍事力への依存心が軍縮への強力なブレーキとなったが、勢力圏の国家群、特に旧アメリカ西海岸の三ヶ国や、戦後に独立した東南アジアの各国が自立し、自国の軍備を負担できるようになると、日本の財政は急速に好転した。
日本勢力圏の経済が安定成長期に入るのを見届けると、辻は大蔵大臣を辞任した。



日本銀行総裁就任

大蔵大臣を辞任した辻は日本銀行総裁に就任。基軸通貨となった「円」の安定に力を注ぎ、「円の守護者」とあだ名された。



評価

20世紀最高の財政家として名高い。20世紀末から21世紀前半にかけて相次いだ戦争での功績から軍部の発言権が増す中、真っ向から軍事費の増大に反対し、逆に軍事費の削減、インフラ等の国内投資を促進し、産業を育成した。それが結果的には日本の生産力・技術力を向上させ、ひいては軍事力の強化に繋がった。後世の歴史家には、太平洋戦争最大の功労者に辻を上げる者も少なくない。

一方で21世紀前半に日本は世界中から富、人材、技術等を吸い上げたため、それによって欧米が経済的に追い詰められ、第二次世界大戦や独ソ戦争、太平洋戦争を招いたとの批判もある。



嶋田繁太郎との関係

海軍出身で後に総理大臣となる嶋田繁太郎とは、軍事予算を巡って激しく対立し、しばしば激論を交わした。一方で互いに相手の能力に敬意を持ち、また国益最優先という政治姿勢においては共通していたため、対立が政争に発展することはなかった。
詳細は「嶋田・辻体制」を参照。



人物

卓越した手腕を誇る財政家であり、日本の国益のためにはあらゆる手段を用いる謀略家でもある。大蔵省の生え抜きだが、内務省、経済産業省、文部科学省にも強い影響力を持っていた。

一方で弱者救済や女性の権利拡大、障碍者や女性の教育の拡充など、数々の開明的な政策を行った。
平時には強硬なまでに軍縮を推し進める一方で、戦時下においては惜しみなく軍事費に予算を回し、補給面から前線を支えた。その際、「武器弾薬など人命に比べれば安いものだ」という旨の発言をしたと伝えられている。
これらのことから、「真の人道主義者」と評されることもあり、今日に残される発言の多くは独特の偽悪趣味によるものと考えられる。

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最終更新:2013年05月29日 21:47