694 :名無しさん:2013/08/09(金) 23:05:20


1944年 ローマ

 その日ファシスト政権幹部による会議は、親愛なるドゥーチェのその一言から始まった。

「ミッレミレアだ!」

「ミッレミレア?」
「そうだ!」

 思わずオウム返しに呟いたバルボ空軍大臣に、ムッソリーニは力強く頷く。

 ミッレミレア。
 イタリア語で「1000マイル」

 その名の通り、イタリア北部のブレシアを出発して南下しフェラーラを経てローマへ。さらにローマから北上してブレシアへと戻ってくるイタリア最大の公道耐久レース。
 1927年に始まり、ムッソリーニやヒトラーが国威発揚に利用し――そして第二次世界大戦の開戦に伴い中止され、その後の大西洋津波や食糧危機・その他諸々の事情で中止されたままの公道レース。

「パンとサーカスという訳かね?」

 察しの良いパドリオ元帥がやや呆れを含んだ声で苦笑する。
 モーターレースで国民の人気取り。確かに第二次大戦で戦勝国の側に立っているイタリア王国ファシスト党の国民向け国内政策としては間違いではない。

 しかし、あまりにも露骨過ぎる。

 現在の枢軸陣営でまともな自動車産業があるのはナチスドイツ・ヴィシーフランスそしてイタリア王国。
 大西洋大津波、異常気象による食糧不足、北米分割、そしてそれらに伴い蠢き始めた不景気の影・・・
 この苦しい経済状況で、枢軸のメーカーがイタリア主催の自動車レースに参加し、枢軸の団結と優越性を称え合う。
 イタリア国民はバカではないのだ、そこまであからさまだと引いてしまう。

 かといって国内メーカーだけでやるとしたら、あの総統がヘソを曲げるだろう。

 そんな幹部たちの無言の反論に、偉大なるドゥーチェは無駄に渋い声で言い放った。


「わたしに良い考えがある」

695 :名無しさん:2013/08/09(金) 23:07:40
1951年 ローマ


 陽気な地中海の日差しを弾きながら、伝統の街並みの中を軽快なエンジン音が駆け抜けていく。

「――どうやら先頭はアルファロメオのようですね」
「倉崎や三菱でなくて残念ですか?」

 双眼鏡を覗き込みながら声を弾ませる東洋の皇太子の姿に、ムッソリーニは思わず意地悪な質問をしていた。

「とんでもない。流石はイタリアのスポーツカーだと、感心しています」
「お国の技術者との切磋琢磨があればこそ、ですよアキヒト殿下」

 ムッソリーニは祖父と孫程に年齢の離れた青年の素朴な称賛の言葉へ穏やかに頷いた。


 ムッソリーニの「良い考え」とはこれだった。


 陣営など関係なく、ミッレミレアに海外メーカーを招待する――特に日本メーカーを。

 古代オリンピックのようにミッレミレアを緊張緩和の為のデモンストレーションにしてしまえば、ただの「サーカス」以上の効果があると考えたのだ。
 オリンピックと異なり工業力と経験が試されるモータースポーツ、しかも自動車ならばそこから輸出も見込んでいける。
 そして日本との工業製品の輸出入があれば、日本の異常な技術を学び取っていくことも可能だろう。
 枢軸内の独自外交・外貨獲得・技術取得。東洋のことわざでいう一石三鳥。

 もちろん実施には多大な困難を極めた。

 最初の年は枢軸以外には無視された。次の年は空気の読めないカエル食いがジョンブルと掴み合い、3年目からは何故か大喜びで参加してきた日本人達のHENTAI自動車に上位を独占されそうになった。

 そして、ようやく。

 こうして外遊中の日本の皇太子を招待できる程度の親密さを日本と確保できた。
 もちろん日本の技術を取得するのはまだまだ先、輸出も外貨獲得も目立ったほどではない。

 それでも。

 隣で双眼鏡を覗き込む皇太子を見ながら、ムッソリーニは充実した笑みを漏らす。

 そこには己の外交政策が成功した事以上の満足感があった。
 それは同じ自動車を愛する者と出会えた喜びに他ならなかった。

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最終更新:2013年09月02日 22:14