916 :ひゅうが:2013/11/15(金) 19:33:24
ネタ――大陸日本の日露戦争 その1

 

――西暦1904(明治37)年2月8日、日本帝国とロシア帝国は交戦状態に突入した。
世界史に残る「日露戦争」の勃発である。
この戦争の結末は誰もが知ることであるが、今回はこの大戦争の推移について簡単にまとめてみよう。


0、 対決前夜

日本帝国とロシアの間で戦端が開かれた理由は、簡単に言ってしまえばロシアの太平洋とアジアへの野心、そしてその拡張方針と近代国家として走り出したばかりの日本との国防線の接触にある。
国防線とは、通常の国境線を防衛するためにその外側に引かれる軍事力の展開を想定した進出ラインである。
多分に観念的な概念であるが、その引き直しは国家の意思に直結しているために日本側はロシア側の日本本土周辺へのロシア勢力圏拡張方針を認識。
これに対し対抗を図ったのだ。
一方のロシア側も政策変更の必要性は考えず、ここに日本側にとっては防衛戦争となる国境外周での戦闘が決意される。
よく言われるような中国大陸への領土拡張方針は日本側はとっていなかったことは特筆すべきであろう。
この大方針にのっとり日本側は日英同盟締結・日土修好通商条約締結・米国やフランスドイツなどとの関税協定締結など次々に外交攻勢をかけていく。
しかし一方で模索された日露協商交渉は完全な失敗に終わり、1903年末には日露協議は破たん。翌1904年1月に日本政府はロシア帝国に対し最後通牒を手交。
2月8日早朝、ついに宣戦布告へと至ったのであった。


1、 初動奇襲と大陸への展開

2月8日午前8時、日本海軍連合艦隊は旅順のロシア太平洋艦隊を奇襲攻撃。
攻撃は湾外に遊弋していたロシア戦艦「ツェザレビーチ」(太平洋艦隊旗艦)「ペレスヴェード」「ペトロパブロフスク」を中心とする艦隊に向けて連合艦隊第一艦隊所属の駆逐艦隊群が近接雷撃を試みることによってはじまった。
採用されたばかりのジャイロ安定式魚雷を用いた距離7000にまで接近しての近接雷撃戦は成功をおさめ、駆逐艦「朧」沈没の代償として「ペレスヴェード」大破後沈没、「ペトロパブロフスク」大破炎上、防護巡洋艦「パルラーダ」轟沈、「ツェザレビーチ」大傾斜という大戦果を挙げる。
続いて連合艦隊は特務砲艦「津田」級4隻(史実の松島型にあたるモニター艦。命名由来は津田の松原から)を用いての旅順要塞艦砲射撃を開始。
大仰角をもって発射される32センチ砲弾は港湾施設に大きな被害を与え、ことに味方艦により曳航中であった「ツェザレビーチ」の後部砲塔天蓋を打ち抜いたことにより生じた爆発は非常に大きく朝の旅順港を震撼させたという。


917 :ひゅうが:2013/11/15(金) 19:34:04
しかし、日本側の開戦準備を警戒して要塞が大幅に増強されていたために予想以上に旅順湾口の要塞地帯に配されていた要塞砲(老虎山砲台・黄金山砲台)の射程は長く、「津田」型は港湾内に艦砲射撃を行える距離から離脱を余儀なくされた。
しかし、連合艦隊は旅順要塞の主力をなす東鶏冠山堡塁と白銀山堡塁に対する艦砲射撃に目標を変更。
せっせと機雷を散布しつつ旅順湾口を封鎖状態においた。
事前偵察の通り大連港にロシア主力艦はおらず、日本側は初動でロシア太平洋艦隊の戦艦8隻のうち3隻を無力化するという大戦果を挙げた。

同じころ、宣戦布告を待って仁川港に停泊中の巡洋艦「ワリヤーグ」は連合艦隊第4艦隊より分派された装甲巡洋艦「浅間」と「常磐」と交戦。
日本側がこれを撃沈する。
とりあえずはであるが、日本海軍は黄海の制海権を確保し、日本本土から大陸へ展開する満州総軍の輸送ルートを確保したのであった。


一方、ロシア側の動きは混乱を極めた。
ロシア帝室にとって予想外の開戦であり、また極東総監府のエウゲーニイ・アレクセーエフ総督は日本側から戦端を開かれることを予想しておらず、攻撃の規模や宣戦布告の有無などで情勢把握が混乱したのである。
そのため、一時極東総監府から「宣戦布告をせずに行われた卑劣な攻撃」とする文書が全世界に配信され赤恥をかくことになるのであるがそれは余談である。
だが、そうした混乱の中で、ウラジオストクに展開するロシア側巡洋艦部隊へ日本本土周辺での通商破壊戦が指令された。
総督は自らに赤恥をかかせた日本人へ一矢を報い、かつ大陸に送られる日本陸軍部隊を少しでも阻止することを望んでいたのであった。
このように、初期の作戦はアレクセーエフ総督による強い影響を受けていた。

 


2、 津軽海峡海戦

日本は巨大な島嶼国家である。
そのため、古来沿海航路をもって大規模輸送網を形成してきた。
明維持維新前後には、世界有数の難所である日本近海を航行する洋式船舶に蒸気機関が取り付けられ、また鋼製竜骨の広範な普及を経てスエズ運河なみに頻繁に近海船舶が往来するに至っている。
そのため、幕府水軍時代から日本海軍は敵艦隊の来寇阻止とあわせてこうした海上航路網の護持を最大の戦略目標としていた。
当然であろう。いくら鉄道網が整備されたとはいえ、大量輸送に関して船舶にならぶものはないのだ。
こうして、初期の日本海軍は近海航路防衛用の「海防艦」や「駆逐艦」「防護巡洋艦」といった船舶護衛用の軍艦多数と、日清戦争前夜に整備が進んだ敵海上艦隊との水上戦闘用艦艇少数で構成されていた。

この基本的な状況は日露戦争でもまったく変わっていない。
それどころか、日清戦争において発生した輸送船「対馬丸」遭難事件(清国海軍の通商破壊戦によって沖縄航路を航行していた貨客船対馬丸が撃沈され、海上で多くの民間人と海軍士官が海の藻屑となった事件)や陸軍徴用船「羽田丸」遭難事件)(同上)を経てさらに強化されていたといえる。
その成果が、宣戦布告直後に大本営に「海上護衛本部」が設置され大船団を護衛艦で囲みつつ大陸との輸送路を維持する、また日本近海でも極力船団を大規模化して護衛をつけるという当時としては先進的な海上護衛態勢であったのだ。

こうした方針に加え、日本海軍は遠洋独航船のうち高速性に優れた船舶を徴用し海上において接近する敵艦隊を監視する「特設哨戒艦隊」を編成。
主として明治以後に量産され始めた優良な遠洋漁業船舶、中型の輸送船で構成された監視部隊は日本周辺をすっぽり取り囲むように配置され、相互に十数海里から数十海里を隔てて警戒監視活動に従事していた。


918 :ひゅうが:2013/11/15(金) 19:35:52
――2月18日早朝、日本海北部、津軽海峡入口付近で活動中の特設哨戒艇133号より「敵艦隊発見」の報告あり。
同日午前9時12分、宗谷海峡で監視活動に従事していた特設哨戒艦第282号より「敵ウラジオ艦隊発見、濃霧にまぎれ太平洋に向かうものの如し」との報告が入った。
同10時、港湾待機中であった陸奥湾鎮守府の第5艦隊第1巡洋艦戦隊は緊急出港。
室蘭警備府からも第2巡洋艦戦隊が出撃。
ウラジオ艦隊撃滅に向けて動き出したのであった。
こうした行動ができたのは、日本側が世界の海軍に先駆けて無線電信網を国土周辺か海上艦隊に構築し得たことに由来する。
こうして、ウラジオ通商破壊戦部隊迎撃戦と呼ばれる日露戦争最初期の海上戦闘は開始されたのである。


2月19日、特設哨戒艇133号撃沈。同日、津軽海峡より退避中の輸送船「第72報徳丸」撃沈。宗谷海峡にて樺太航路の輸送船「第112太郎丸」撃沈。
いずれも生存者はなし。
ロシア艦がかつての清国艦隊のように海上に脱出した船員に射撃を加えたという話があるが真偽のほどは不明である(真冬の海水のため数分で凍死するため救助が行われても無駄という現実はあったが)。
ただしこのことがのちに新聞を通じて各国に配信されロシア側が少なからず釈明に追われることになったことを付け加えておく。
日本側監視船は敵艦隊が津軽海峡および日本本土北部太平洋側へ向かう様子を監視し続けていた。

2月20日早朝4時30分、室蘭警備府所属の監視船が海上を先行する偵察巡洋艦2隻を発見。
室蘭要塞に戦闘態勢が下命された。
地球岬砲台に配備された長砲身28センチ榴弾砲をはじめ、室蘭要塞は330発を発射。
これを受けてウラジオ艦隊の太平洋方面通商破壊戦部隊(第2群)は港湾襲撃を断念した。
同6時、津軽海峡要塞白神岬砲台は敵艦隊発見を報告し咄嗟射撃を開始。
予想よりも津軽海峡から出てくる日本側船舶が少ないことに業を煮やしたウラジオ艦隊巡洋艦隊(第1群)は津軽海峡に突入・強行突破を図る。
しかし、日本側が敷設していた定置機雷と、第5艦隊が放った連繋機雷により巡洋艦「ニジニノヴゴロド」が轟沈。「レナ」が大破炎上。巡洋艦「バイカル」「アイグン」をはじめとする8隻が脱出を図るが、待ち構えていた日本艦隊の装甲巡洋艦「日進」「春日」と海峡に配備されていた水雷艇32隻による波状攻撃を受け文字通りたこなぐりにされ全滅してしまう。
同10時、津軽海峡沖太平洋側に達していたウラジオ艦隊第2群は濃霧の中で第6艦隊所属の偵察巡洋艦「畝傍」に発見され、直ちに砲戦を開始。
10分もたたずに「香久」「耳成」を中心とした第6艦隊の巡洋艦群と装甲巡洋艦「道後」「湯殿」(註:旧アルゼンチン海軍巡洋艦ガリバルディ級7番艦「ヘネラル・ドレーゴ」同8番艦「ヘネラレル・リベラ」)が戦場に乱入。
急造艦隊とは思えない速度で砲撃を加えられたウラジオ艦隊は戦闘継続を断念。
しかし防護巡洋艦「アイグン」を除き脱出に失敗し降伏するという結末に至った。
ここに、ウラジオストクに存在していたロシア巡洋艦隊は壊滅したのである。

「津軽海峡海戦」と呼称されるこの海戦によって日本海軍は日本海の制海権を確立し、大陸にほぼ安全に兵力を送れることになった。
同時に、日本沿岸の通商航路の安全も確保され、巨大な戦争機械は名実ともにフル稼働を開始する。
しかしそれでも、無謀と知りながら時折ウラジオ艦隊残存艦艇は通商破壊戦に出動してゆき、日本海軍は最後までその動向に神経をすり減らすことになるのである。


919 :ひゅうが:2013/11/15(金) 19:39:14
【あとがき】――というわけで投下いたしました。
作中の「ガリバルディ」級7番艦と8番艦は実は日本側がアルゼンチン側と裏取引を交わしており、戦後に格安で売却。
ついでに「富士」型も売却されるということになっていたのですが、弩級戦艦の出現に伴ってアルゼンチン側が弩級艦を希望。
結局英国と一緒に日本初の海外向け輸出用戦艦が作られるのですがそれは別の話…

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最終更新:2014年01月11日 17:27