18 :ひゅうが:2013/11/16(土) 04:29:33
※ 前スレ 916-919 965-969 の続きです。まだ戦闘はじまってません(泣

 

ネタ――大陸日本の日露戦争 その3

5、 旅順要塞火力戦 承前

旅順要塞。
1901年から構築が開始された旅順軍港周辺を囲む永久堡塁の集合体である。
繭型の旅順軍港を囲むように存在した二つの山塊とその間をつなぐ高地、そして岬の上に築かれた大量のコンクリート製陣地と大口径砲の数々、そして無数の機関銃で武装されたこの要塞には、開戦時6万5千名ほどの兵士が駐留。
開戦前後の突貫工事によってほぼ完成に近い状態(進捗率99パーセント以上)状態にあったのである。
「死角はほぼなし。」
海上から接近すれば黄金山砲台と老弧山砲台という二つの砲台から放たれるドイツ製28センチ臼砲、およびその他火砲200門(重砲・軽砲合計)。
陸上正面には200門以上の重砲とその倍近い390門もの軽砲、および機関銃76門が存在している。
これらはほとんどが鉄筋コンクリート製の永久陣地に守られており、正面突撃を行えば、日清戦争における北京会戦(直隷決戦)で甚大な被害を受けた「盧溝橋の戦い」のごとくバタバタと兵士が失われることは十分考えられた。
さらに、この要塞は10万人以上の兵士を収容可能とさえいわれ、ここが持久するうちに後方から続々と送られてくるロシア側の大軍が日本側をまるで「槌と金床」のように押しつぶすことさえ考えられた。
実際、開戦時の作戦計画ではロシア軍は朝鮮半島南端から進撃してくる日本軍を漸減し、疲労のピークに達したところで旅順要塞にとりつかせ、そこで一気に満州配備の軍団によって遼東半島へ押し出し、要塞との間で挟み撃ちにする作戦を考えていたことがのちに明らかとなっている。
(もっともそれは最善の状態で迎撃がかなった場合であり、これが成立しなかった場合は旅順は可能な限り持久しつつ「艦隊を保有する」ことで敵の後背へ脅威を与え、陸軍の主力は奉天付近で迎撃戦を開始、哈爾浜までの縦深をもって誘因戦を戦うことになっていた。そしてそれが実行に移された。)

日本側は、海軍は当然に、陸軍はあまりの工事の規模から類推されたこの難攻不落の要塞を警戒した。
後方に、いつでも敵が出撃できる拠点とともに10万もの大兵力と巨大な艦隊が張り付くなど、「兵站上の」悪夢でしかない。
しかも…


19 :ひゅうが:2013/11/16(土) 04:30:04
「あの要塞を正面攻撃で攻略しようとすれば、裾野に10万人の血と魂を溶かし、直隷に投じた鉄火を投げつけても外堀が半壊というのがせいぜいであろう。」

という山縣有朋元帥の言葉に代表されるように、繰り返すがあまりにあの要塞は堅い。
ならばどうすべきか?


日本側が出した結論は、「火力による圧殺」と「正攻法」、そして「邪道」の合わせ技だった。
――第一に、いかなる堅固な要塞といえども重火力の集中投射によって機能を損ねることはできる。
全体に攻勢をかけるには兵力と火力が不足?
要塞戦に戦列は必要ない。相手は動けず、こちらは「機動」できる。場所を選んでそこに火力と兵力を集中できるのだ。
この優位を生かし、かつ大口径砲の集中運用によって一点突破を図り要塞のもっとも肝心な部分を破壊してしまえばよいのだ。
兵力が逆に送り込まれ防御が厚くなる?
ならば、来た兵力を押しつぶすだけの大火力と、増援を困難ならしめるだけの面制圧力を持つ火力を投入すればよい。
こうして、日本側はあの有名な兵器たちを急速に整備していく。

「35式24センチ榴弾砲」「33式30センチ榴弾砲」「29式長28センチ榴弾砲」「28式27センチ加農砲」「22式15センチ加農砲」「33式重迫撃砲」「35式迫撃砲」。
そして――「29式多連装(24連装)噴進砲」「35式30センチ列車砲(通称:陸上戦艦)」。

榴弾砲はもともと本土の要塞用に開発されたものたちを攻城用に改装し、加農砲は陸上運用限界ギリギリのものを徹底的な試験発射を行うという荒業で最適化。
北海道の放棄された建造途中の星形城塞を改装した実験場での成果を踏まえて臼砲とも呼ばれる巨大な迫撃砲を建造。
さらには面制圧力を重視して火薬の大量使用をも無視してまで製造が簡単な多連装ロケット(噴進)砲を製造。
とどめには、これらの重火力を配備するために、「開戦に間に合わない」と計画段階で6隻が削られた新型戦艦用に開発されていた艦載30センチ砲を列車砲化した。


20 :ひゅうが:2013/11/16(土) 04:30:40
これら合計2000門にも達する(うち1000門は多連装噴進砲であるが)重火力を運用するため、日本陸軍は「攻城砲兵軍団」という前代未聞の組織まで作っている。
しかも、その砲を守るためだけに「野戦砲兵軍団」という砲火力を高めた重師団を3つも付属としてつけて。
この高価な玩具を維持すするため、日本陸軍は相模原や北九州に専門の弾薬製造工場まで作っている。
開発されたばかりのアンモニア合成法(ハーバー・ボッシュ法)を用いた生産ラインをわざわざ稼働安定性が低いことまで計算に入れて余分に作ってまで。
まさに狂気の火力主義といってよいだろう。
陸軍はこれらの重火力を効果的に運用すべく、大砲運用の専門家として名を馳せつつあった伊地知孝介をわざわざ特例で中将に昇進させることまでして実地演習を実行。
伊地知は伊地知で、開発されたばかりの航空機に加えて気球を用いた弾着観測手段を構築していたのである。

話を戻そう。
――第二に、近代戦争における要塞攻略戦はいまだに成立していない。
であるならば、要塞攻略戦が一般的であった時代における攻略法を用いるべきだ。
一点に集中された火力をもって敵要塞の一部分を無力化し、その空隙に向けて歩兵を突っ込ませるべきか?
否である。
クリミア戦争や北京会戦で明らかになったように、中途半端な陣地に対してでも人体はもろすぎる。堅固な陣地に対してなど、もはや自明であろう。
ならば、人体の脆弱点を補いつつ攻撃をしかけるべきだ。
「塹壕戦」と「坑道戦」。それが第二の解答であった。
幸い、攻撃側はこちらである。敵の重火力は固定式であり、こちらと違い開戦後の再配置は極めて困難となろう。
かつて星形城塞を作り上げたヴォーダンの攻城法にならい、敵の砲撃により大きな被害を受けにくくするジグザグの塹壕を目標に向かって掘る。
そうして要塞地帯の「殺し間(キリングフィールド)」を突破し安全に兵士を要塞直下まで届ける。
また、地下からは敵陣地の真下にまで坑道を掘り進め、堅固な陣地の爆破や敵要塞直下からの逆進行を図る。

――第三に、こうした方針に敵が対抗策を見つけていたり、兵力移動を図ろうとすることを抑止すべく、「あえて歩兵を突っ込ませる」。
屍山血河をもって敵要塞に肉薄し、少しでも多くの敵兵を道連れにしつつ血路を開くのだ。
これによって、敵の対処能力を飽和状態にしつつも第一方針で述べた重火力によって敵を圧迫。要塞自体を火力で殴り続けるのである。
敵が出撃して占領した堡塁の奪回に動けばしめたもの。日本側の保有する機関銃群で今度は逆に敵兵を殺しの間にご案内する。
そうやって消耗をさそえば、いかな要塞といえども包囲下にあるため兵力が激減していく。
そして要塞の運用側の頭数が減れば減るほどこちらは攻撃の選択肢が増え攻略が行いやすくなる。
要塞という穴倉で敵を失血死させるのだ。
「損害比が敵側の方が高ければ、補充能力のあるわが方が最終的に勝利できる」
この考えは、のちの第一次世界大戦における消耗抑制ドクトリンに通じている。
(補充がきくのが片方だけであることから日本陸軍はこの方針を採用した。しかし大戦では独仏双方がこれを行ったために大惨事となったといえよう。)


――これら、三つの方針の大前提として、敵の増援を阻止し要塞の頭数をできるだけ減らすこと、そして旅順要塞の詳細な地形と配置の把握こそが重要となる。
だからこそ、第1軍は釜山ではなく仁川に上陸してから危険な速攻で鴨緑江を渡り、第2軍はわざわざ危険な敵前上陸を行ってまで遼東半島の付け根を遮断したのである。


5月2日、満を持して日本陸軍第3軍集団は遼東半島に上陸。
北上する第2軍集団と交代で旅順要塞攻略に着手する。
このとき、海軍の積極的な機雷戦といやがらせのような32センチカネー砲による艦砲射撃は継続しており、また封鎖艦隊が戦艦4、装甲巡洋艦2の連合艦隊第1ないし第2艦隊であるために旅順艦隊は未だに港湾内に逼塞を余儀なくされていた…


21 :ひゅうが:2013/11/16(土) 04:34:32
【あとがき】――「現下の問題は鉄と血をもって決するものです」と偉い人がいったと聞きました。
ですので可能な限り強化を試みました。
なお、ロシア側が日本側を警戒しましたので旅順要塞の堡塁は史実の倍、火力は1.5倍(火砲)~2倍(機関銃)となっております。
加えて配備兵力も2万名ほど増えております。
本来は倍くらいになる予定でしたが、アレクセーエフ総督の脱出や日本軍の予想以上の進撃速度に伴い7割~8割ほどに減少していました。

22 :ひゅうが:2013/11/16(土) 04:40:59
山形でなく山縣でした。失礼しました。…1週間ぶりくらいに頑張れたのでちょっと横になります。

二十八糎榴弾砲は有名な28センチ榴弾砲のコピー元になったクルップ製のものらしいです。途中送信失礼しました。
多分臼砲の方が正しいかなと思います。

今回の火力は第一次大戦でドイツ軍やフランス軍が戦線突破のために一戦線に集中したものを参考にしました。
ただし瞬間的な面制圧力を重視し、ロケット弾が多数を占めています。
1918年レベルとはいかずとも1916年から1917年レベルの火力はありますし、狭い集中面を考えれば硫黄島やセヴァストポリくらいには火力密度は高いでしょう

※wiki転載者による追記
・「山形」を「山縣」に修正。
・旅順要塞備砲の「ドイツ製28センチ榴弾砲」を「ドイツ製28センチ臼砲」に修正。

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最終更新:2014年01月11日 17:26