486 :ひゅうが:2013/11/17(日) 17:45:11

>>479 >>481-482 の続きです。付け忘れてました(汗


ネタ――大陸日本の日露戦争 その9

12、樺太・神坂作戦

日露両国の大軍が哈爾浜前面で対峙する中、活発な動きはないはずだった。
沿海州ではバルチック艦隊を待ちつつシベリア鉄道で石炭や弾薬などを備蓄しつつあり、当の哈爾浜では大軍団がはるか欧州から送られはじめていた。
だが、日本側は強引な動きに出る。
樺太・神坂作戦と呼ばれる秋季着上陸作戦である。

これは、開戦直後にロシアが武力制圧していた樺太(雑居地とされていた)に対して行われた海軍主導での制圧作戦である。
本来は黒溝台会戦と同時期に行われるはずの作戦であったのだが、投入を予定されていた戦力の錬成のために繰り延べされ、冬に突入する寸前に僻地を一気に制圧してしまおうという強襲作戦へと変化した。

当時、日本陸軍第13軍(第13方面軍)は日本領である新須賀を守備する任務についていたが、気候が厳しいことを考慮して編成された第130師団以外は北海道に配され、交代で北方での着上陸訓練に明け暮れていた。
そして、前線で雪が降り始める10月半ばは、実はカムチャッカ半島と樺太においてはまだ冬ではない。
ハバロフスクや哈爾浜に位置する極東総督府はこの時間差を認識しているとは言い難いのだ。
だからこそ、ロシア軍は極東の根こそぎ動員を行いつつも樺太駐留の1個師団、カムチャッカには1個連隊を配備するのみで増強を行っていなかったのである。


――海上機動は、日本軍のお家芸であった。
10月12日、荒須賀を発し、北海道の部隊と交代すると思われた陸軍第130師団と、交代要員と思われた第131師団は、第1艦隊の護衛のもとで樺太大泊湾に上陸。
翌日、室蘭を発した第132師団から抽出された「郡司兵団」はカムチャッカ半島のペトロパブロフスク=カムチャッキー市に上陸。
いずれも上陸への抵抗はほとんどなく、1か月ほどの戦闘の末に樺太とカムチャッカ半島は完全制圧された。
増援を送るまでもなく、最終的には樺太は3個師団および1個独立混成旅団で固められ、はるか遠方カムチャッカ半島は1個師団および1個兵団が駐留するに至っていた。

法的にロシア領土となっていた国土が日本軍に占領されるのは、これがはじめてのことである。そして、雪がすべてを閉ざす。
以後小競り合いは続くものの、1904年の戦闘はこうして終結したのであった。


487 :ひゅうが:2013/11/17(日) 17:45:45

【あとがき】――すいません忘れてました(汗

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最終更新:2014年01月11日 17:21