383 :ひゅうが:2013/11/04(月) 13:41:04

ネタ――大陸日本海軍計画 その2

【八八艦隊計画】

そもそも日本海軍は、開国以来国土周辺の防衛を主にもってその艦隊計画を立案していた。
日本本土へ侵攻するならばどうしても海を押し渡る船がいる。
これを海上で撃破し、かつ本土へ脅威を与える敵海上艦艇を海上撃破することこそが日本海軍の設立目的であった。
言い換えるのなら、輸送船団を護衛してくる清国海軍やロシア海軍への対抗のために明治日本の海軍は作り上げられたのである。
しかし、日清日露の両戦争を経て日本海軍は質的増大を果たし、新たな敵を迎えることになる。

アメリカ合衆国海軍。

当時フィリピンを植民地化していたこの国は、その強大な国力をもって巨大な海軍を作り上げ、なおかつ太平洋上に展開させようとしていた。
その脅威をまざまざと見せつけられたのは、1907年の白色艦隊(グレートホワイトフリート)による世界周遊である。
大半が10年以内に新造された新鋭戦艦、22隻もの大艦隊は、それを整備できた国力への驚嘆とともに日本海軍を震え上がらせた。
いざ戦争となって日本海海戦を再現したとしても、アメリカはもう1,2セット艦隊を揃えてきかねないのである。
こうした恐怖感は、日本海軍に自らの足元を見つめなおさせることになった。
アメリカのように自らも戦力を補充し続ける能力はあるのか?
こうした疑問から、日本海軍は海軍工廠設備の大拡張を決断。
結果として弩級戦艦の整備は遅れ「金剛」型の海外発注へと至るのであるがひとまずこれは結果的にいい効果を生んだ。
「金剛」型の3隻と「扶桑」型2隻ずつの同時建造という一昔前の日本では考えられなかったようなことができたのは、この時期の設備拡張が理由であったのだ。
第1次世界大戦中もこの拡張は継続されていたが、主力艦を「陸軍かわりに」欧州に派遣するにおよび日本海軍は中立国でありフィリピンを領有する潜在的脅威である米国に対抗すべく最初の「八八艦隊計画」を開始するに至った。
当初は、ドイツとの戦争を受けた戦時建艦計画とされていたものの実際は米国への対抗が意図されていたことはその主力として戦艦が挙げられていたことからも確かだろう。


384 :ひゅうが:2013/11/04(月) 13:41:50

この計画は、欧州へ派遣されている4隻の「金剛」型と2隻の「扶桑」型の穴を埋め、かつ旧式戦艦を一気に代替するために合計12隻の新型戦艦を建造するというもので、完成したのならば1922年には欧州に派遣されているものをあわせて20隻の戦艦・巡洋戦艦がそろう予定となっていた。
計画の中には「扶桑」型も含められておりこれが八八艦隊の名の由来でもある。
が、この計画は大きくつまずく。
前述したユトランド沖海戦の結果、日本海軍の新型戦艦群が一気に失われてしまったためである。

幸いにも、中長距離砲戦によって水平装甲に向けて降り注ぐ徹甲弾への対策は日本海軍が先鞭をつけていたために改設計は限定的で済んだものの、20隻の予定のうち6隻が長期的に失われたことは大問題となった。
しかも追い打ちをかけるかのように、アメリカ海軍は「三年計画」といわれる大艦隊建造計画を開始していた。
日露戦争後の不況を脱するべく実施されていた積極財政と第1次世界大戦を契機として質的増大を果たしつつあった日本経済とはいえアメリカなみの大規模建艦を果たすにはまだまだ不足であり、日本海軍はイヤイヤ議会の声に付き合うことになる。
こうして、「八八八艦隊計画」は始動した。

1916年から10年計画で24隻(すでに就役しつつあった長門型や加賀型戦艦を除けば16隻)もの戦艦を整備するという艦隊建造計画は、完成時には国家予算の15パーセントがこの艦隊のために消えていき、陸軍とあわせれば50パーセントにも達するという半ば財政的狂気であった。
しかし、ユトランド沖海戦の結果大量喪失した戦艦というショックとアメリカの大艦隊という現実的な脅威を重視する声は大きい。
財政担当者と海軍の一部はこれに現実的な対処を行った。
ただ艦を揃えるのではなく、できるだけ強力な戦艦を、時間をかけて建造しようというのである。
アメリカ海軍が保有するような41センチ砲ではなく46センチ砲を搭載した新型戦艦。
開発に時間をかけ議会が冷めるのを待つ、もしできたとしてもその頃には戦争は終わっているから24隻も作る必要はない。何より船台やドックも限られるため一気に整備できないだろう。
この発想は強力な戦艦を求める海軍と、財政当局者の賛同を受け、こうして「紀伊」型戦艦と「白根」型巡洋戦艦の要目は決定されたのであった。

「紀伊」型の主砲は46センチ砲3連装3基、基準排水量は6万8500トン。速力は28ノットとこの時点で諸外国の巡洋戦艦なみ。
「白根」型は同じ武装でありながら基準排水量7万5000トン、速力31ノットという韋駄天ぶりを発揮する。
改訂された八八艦隊計画の最初の8隻が41センチ砲戦艦量産計画であったとすれば、次なる8隻は46センチ砲搭載戦艦の量産計画であったといえるだろう。
そしてこれに続き、51センチ砲を搭載した新型戦艦や新型巡洋戦艦の計画が報告されるにおよび、議会はとりあえず満足したようだった。

そして財務当局者と外交当局者が睨んだ通り、開発は難航した。
1922年のワシントン海軍軍縮会議はアメリカ側の盗聴発覚や深刻な意見対立によって流産するというハプニングこそあったものの、結果として1924年初頭のジュネーヴ海軍軍縮条約の締結に至る。
この時点で就役していたのは「長門」型2隻「加賀」型2隻「天城」型4隻に加え「紀伊」型2隻であった。
よく知られている通り、ジュネーヴ条約の結果「白根」型2隻(「白根」「早池峰」)は建造中で空母へ改造されることが決定され、起工されたばかりの「紀伊」型3番艦と4番艦は船台上で解体された。
それでも41センチ砲搭載戦艦8隻と46センチ砲搭載戦艦2隻が艦隊に加わっていたが、計画の通り24隻が加わることはなく財政当局者は胸をなでおろしたという。

もっとも、この年9月に関東大震災が発生したことによりその安堵は悲鳴に変わるのであるが、震災復興に伴う高度経済成長の開始を考えればそれでも財務当局者の判断は正解であったといえるだろう。


386 :ひゅうが:2013/11/04(月) 13:44:12

【あとがき】――「紀伊」と「尾張」は日本の誇り(キリッ!)
というわけで大陸日本版八八艦隊とその結末でした。
なお、陸軍予算が異常に多いのは、欧州派兵を控えて大動員が行われているからです。
ただこの軍事予算の割合でも欧州諸国から見たら「何甘えているんだ」といわれそうですがw


387 :ひゅうが:2013/11/04(月) 13:48:50

補足――「早池峰」が大震災の影響を受けて解体され3番艦「鞍馬」が空母に改装、って自衛隊ネタも考えてましたが、40艦隊からお借りした艦名のため没にしました(汗
なお、改造の結果「早池峰」の方が早く就役したために「早池峰」型空母という名前になっていることをここに付記させていただきます。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2014年01月24日 21:53