744 :第三帝国:2013/11/14(木) 22:20:24

・ネタです、超ネタです。
・専門は法学でひゅうが様のように古代史は得意でなく、誠意勉強中。
・繰り返します、ネタです、ワロスワロスと皆で考察し合って楽しみましょう

大陸日本史:銀髪美少女のための考察――――解説と古代編

これから銀髪美少女が日本にいる可能性について語ろう。
まずはモンゴロイドでそれは不可能なので、コーカソイド系民族を大陸日本に移住させる必要がある。
幸いなことにお困りの大陸、ならぬお隣の大陸では幾度もそうした民族が辿りついているので後は簡単に時間犯罪を実行すればいいだけだ。

中国にコーカソイド民族?と思われるが、現在の新疆ウイグル自治区の楼蘭で発見された女性のミイラ、今から3800年前に生存していた通称「楼蘭の美女」は中央アジア系の白人種であることが判明している。

さらに歴代のそもそも歴代の中華の王朝の半分くらいは異民族に支配されたもので、時代が進むごとに漢化が進行したとはいえ、古代の中国は「漢民族の中国」というよりも、「多人種が入り組んだの大陸」と捉えなおすことが可能ではないかと自分は考える。

また、実際に中国にいた経験として言語の地方差が酷い点、我々が日本語と称するように自らの言語を『漢語』または『普通語』と称していることを考えると、そもそも漢民族とは「単に漢字を解する民族」というくくりでしかないのではないだろうか?

閑話休題

例えば隋の文帝の父、楊忠は身長2メートルに達し彫が深い美男子と記録に残されており、出身が鮮卑系の遊牧民でコーカソイドの血が混ざっている可能性がある。

また、唐の時代にはソグド人、中央アジアのコーカソイドがシルクロード交易の主役を担い長安に訪れたのは歴史的事実だ。
記録によると人種的に彼らは「紅毛碧眼」で白皙、蒼い瞳に深目、高鼻、濃い髭、亜麻色あるいは栗毛であることが知られている。

大陸日本まで海を渡らせる必要がありますが、唐なら日本から遣唐使が派遣されています。
規模を史実の5倍とした上に、史実より目立つ存在となれば人の流れがより大きくなるはずです。
また、あちらから単独で渡らせる場合、特に遊牧民の場合はアムール河⇒樺太⇒北海道で渡らせます。
いきなり日本海を横断することは無理でも、海流の問題があっても狭い海峡を横断するだけですし。
史実でも元が樺太に上陸してアイヌに攻撃を行っているので、問題は少ないかと。

近代史も憂鬱本編でアナスタシア皇女殿下を救出していますから、
ここでさらにロシアの白軍、バイカル湖の悲劇を回避させて亡命させてしまいます。
史実白系ロシア人は日本本土よりも第三国か満州に定住しましたけど、皇女殿下が日本にいるとなればそこそこの数が定住するはずです。

以上をもってこれより時間犯罪を行いたいと思います。


紀元前約4世紀ごろ、ちょうど大陸が戦国時代でその余波で渡来人として人々が日本大陸にきたと同時期に、一体どのような指導者によって率いられたのか不明だが、残された遺構から分るのはこのころに樺太、ならびに北海道の中央までに中原から見て北狄、もしくはスキタイの一派かもしれないが、とにかく遊牧民的特徴を有する人々が居住していたのは明らかである。

恐らく、何らかの理由でシベリアに入って後にロシアのコサックもしたように深いシベリアの森林の中、アムール河に沿って移動を続けた末かと考えられる。
そして、視界の先にある島、一番狭くて7キロ程度先にある樺太に上陸してからさらに南下をつづけた。

規模は古代ゆえに記録が残っていないが、たしかにわかることは纏まって移住してきたのは確かであり、この時期を境に西日本で発見される馬とはやや違う馬が急に増えている。
また、当時碌に人がおらず居ても摩擦文化程度でしかなかった北海道をまたたく間にその勢力を伸ばしていったのは間違いない。

そして、遊牧民的遺構以外に炭化した麦。さらには中華世界的遺物が発掘されたことから、元々いた住民を中華世界からの人狩で連れて来た人々の指導のもとで麦の生産活動に従事、縄文後期から始まり弥生時代で爆発的に広がった稲作とはやや遅れる形で農業がおこなわれたと推測できた。

これが次の段階、人口の増加による国家の形成を促した。

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最終更新:2014年01月25日 21:52