801 :598:2013/12/05(木) 12:21:45

「あれが日本人の言う『青天の霹靂』というやつなんでしょう。」

そう言いながら当時を振り返るヨーハン・クロイツァー氏。ドイツ軍の青年将校だった氏は日本軍の青島攻略により捕虜となり、板東俘虜収容所で1920年まで生活することになる

「帰還後、政府が日本についての研究してるという話をかつての仲間から聞いて、何かの役にたてばと思って、捕虜時代に書いていた日記を送ったんです。まさか2日後にミュンヘン大学から講義の依頼が来るとは思ってもいませんでしたよ。」

そういって苦笑するヨーハン氏。ミュンヘン大学の客員教授となった彼は自身の捕虜時代の体験を「日本大陸学」を作り上げようとする学者たちに語っていったという。

「研究者たちが特に驚いたのは我々が収容所でオーケストラを作り、第九を演奏したという話でした。祖国の唄を歌う、合唱するというのは捕虜たちの団結心を強めて脱走等の可能性が上がる。捕虜に対して理論的な対応とは言えないと首を傾げていましたよ。」

自身の体験だけでなく捕虜時代の仲間を集めて、日本文化をドイツに伝えるためのフォーラムなども行っていたヨーハン氏。その中には彼の姿もあったという。

「ええ、彼はとても熱心な生徒でした。特に書道と水墨画について尋ねるために忙しい合間を縫ってはここに訪れていました。なんでもパリで同僚となった日本軍の中佐が余暇に書いた書を見て、自分の進む道が見えたとか。もっとも、彼がその道に進むのは当分先になるでしょうが…」

そう言ってヨーハン氏はサイドボードの写真立てに目を向ける。そこには鋭く、それでいてどこか墨との葛藤を楽しむような眼光で、濃淡だけで郷愁に溢れるミュンヘンの町並みを描ききろう筆をはしらせる、若き日のドイツ宰相の姿があった。

ドテラ撫子さん「これがもうすぐ放送されるらしいんですが…」
小人さん「信じて! 僕らは何もやってない!」

598です【水墨画家ヒットラー】でビビっとくるものがあったので書いてみました
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最終更新:2014年01月26日 16:32