612 :yukikaze:2013/11/27(水) 20:46:12

いよいよアメリカ赤化もラストに。
戦闘描写は苦手なのです。

1948年5月
2年半にも及ぶ「アメリカ赤化戦争」は、南部連合の敗北によって終わりを告げた。
彼らの敗北の原因は色々とあるが、最大の要因は、皮肉にもマッカーサーが優秀すぎたことであろう。
卓越した戦略家である彼は、序盤の劣勢を跳ね返すことに成功し、一時はかつての南部連合の領域のみならず、西海岸の州政府とも秘密裏に手を結び、彼らの積極的中立を勝ち取ることにも成功していた。多くの軍事アナリストが、「マッカーサーによる統一は近い」という予想をたて、列強の政治家や高級官僚も同じ意見を抱いていた。

しかしながら、マッカーサーのこの八面六臂の活躍は、翻ればマッカーサー以外に碌な人材がいないという事の証でもあった。
陸戦においてはパットン中将がおり、海軍もニミッツ中将が同じようにマッカーサーを補佐していた(もっとも、マッカーサーとパットンはともに我が強く、ニミッツはいつも苦労していた)のだが、政治面や外交面で彼を補佐しうる人間がいなかった。
ここら辺は、度重なる不況とモンロー主義により、国際的視野を持つ人間が育つ環境が潰されていたことが大きいのだが(数少ない人材は、軒並み国外に出たか共産主義かぶれであった)、これによりマッカーサーは政治と外交を一手に引き受けざるを得ず、必然的に彼の処理能力を超えることになった。
しかもマッカーサー自身が、実績を積み上げている事と、自負心が高い事から、権限委譲をなかなか認めようとせず、南部の領域が拡大すれば拡大する程、政府の動きは鈍重になってしまった。

こうした状況に対し、ロングは、自身が大統領に就任して以降編制した連邦軍師団の準備を整えると共に、かつてのロシア内戦で傭兵部隊として名を馳せ、アメリカに亡命以降はロングの軍事顧問となっていたミハエル・トハチェフスキーを陸軍総司令官に任命。
トハチェフスキーは、子飼いの将帥に命じて、未だ去就定かではない西海岸に侵攻させ、彼らを物理的に屈服。政治的要求からマッカーサーが援軍として派遣した4個師団を後手の一撃によって粉砕し、序盤の劣勢を大きく取り戻すことに成功している。

それでもなお2年半も持ちこたえたのは、マッカーサーとパットンの優秀さによるものだが、パットンが前線で暗殺された後、陸軍の作戦までマッカーサーが引き受けることになり、これ以降、全てが後手後手にまわることになった。
まさにナポレオンと同じ道をたどったと言えよう。

南部連合首都であるヒューストンが、共産アメリカ軍の猛砲撃によって廃墟となる中、マッカーサーは、首都救援をしようとしたアイゼンハワーの二個師団に対し、最後の命令を出す。

「南部の人間を一人でも多く脱出させよ。古き良きアメリカを復活させるために」

自らを囮にして、民間人を一人でも多く救おうと命令したマッカーサーは、確かに当代の英雄であったと言えよう。
そしてヒューストンの陥落によって、アメリカ合衆国は名実ともに終わりを迎えたのであった。


613 :yukikaze:2013/11/27(水) 20:52:12

今回はこれまで。
内戦が非常にやっつけでしたが、正直南部の準備があまりにもなさ過ぎてどれだけ戦術的勝利を重ねてもどうにもならない状況でした。
マッカーサーとしても、連邦軍が寝返ることを期待していましたが、基本的に連邦軍上層部が監禁されていた(忠誠心がしっかりしているもの除く)のと、州兵部隊も意図的に旧式兵器しか回しておらず、碌な戦力になっていなかったことで、南部の兵力不足は最後まで解消されませんでした。
大陸日本が、第二次大戦後の国力回復と、アジア地域の面倒に注力していたのもマッカーサーの誤算でした。

さて・・・一応、後はエピローグ的なものだけが残っていますが、これ以降は
マーシャル沖海戦か、半島危機のどちらかになるでしょうかねえ。

タグ:

赤いシリーズ
+ タグ編集
  • タグ:
  • 赤いシリーズ

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2014年01月28日 21:19