652 :ひゅうが:2013/11/22(金) 15:47:41

大陸世界の第2次大戦の構図を考えてみました。
以下、ネタです。

――西暦1945(昭和20)年12月8日 大ドイツ帝国 帝都ベルリン

「閣下!閣下!」
大理石の廊下を駆け抜ける男が叫んでいる。
「騒々しいぞ。執務室ではなるべく静かにしてくれたまえ。」
勢い込んで駆け込んできた男性に向けて、書類の山の前で小休止をしていた壮年男性は少しわずらわしそうに言った。
「閣下。単刀直入に申し上げます。――日本が参戦しました。」
その瞬間、大ドイツ帝国(第二帝国)宰相 アドルフ・ヒトラーは手にしていたチョコレートとコーヒーカップを床に落とした。
「・・・どちら側でだ。」
「は?」
ええいこいつ、使えぬやつめ!
と叫びだしたいところを我慢しながらヒトラーは男性――秘書官のひとりに言った。
「どちら側でだと聞いている!」
「わ・・・わが軍の方にたって、です!!」
3度も瞬きをして、彼はようやく深いため息をついた。
「勝った、な。」
「閣下?」
「彼らが我々についた。これで米ソ連合の勝ち目はなくなった。」
「閣下。」
米国は中立国です、というところを片手で制したヒトラーはこれまでの経緯を思いかえした。

――1941年末、国連自治領満州とモンゴル人民共和国の国境紛争をきっかけとして、ソ連と日本の間では大規模な会戦を経験していた。
同時期に西ウクライナ付近で発生していた第15次ドニエプル紛争はドイツ・ドナウ連合軍の勝利に決しており、ソ連としては失点挽回をはかったのである。
会戦自体は互いの痛み分けといったところで終了した。
しかしそれを機に、米ソが急接近。親米国家でありながらも政情不安定であった中華民国とともににわかに関係強化の動きを見せ始めると事態は大きく変わる。

米国ローズヴェルト政権はソ連への経済進出を加速しつつ、太平洋における日英同盟陣営勢力圏への露骨な圧力を加えはじめ、かつソ連軍と中華民国軍は急速な近代化を果たしはじめていった。
そして、今年9月1日、東欧で響いた銃声とともにソ連軍は大挙してポーランド国境を越えた。
ヴィスワ河の手前で停止したソ連の鋼鉄の大軍団は大きく主力を旋回させ、今度は南部へと転進。
ウクライナの脆弱な腹部を突いたのである。
強固なドニエプル防衛線が崩壊するのに、1か月もかからなかった。
ソ連軍はそのままルーマニア、ブルガリアを下し、同時期に参戦した第1共産制下フランスが脆弱なイタリア軍を文字通り粉砕したのを見届けたかのようにバルカン半島を南下。
ギリシアにおいて「赤い連合軍」が固い握手を交わしていたのだった。

この間、わずか3か月。
そして今、ヴィスワ河防衛線は猛烈な火砲の嵐にさらされており、さらにはドナウ連邦軍が必死の防衛戦を展開するハンガリー戦線や南オーストリア戦線は今にも鉄量に押しつぶされようとしていたのだった。

こうした中で、参戦はしていないながらも自称「民主主義の兵器廠」として仏ソへ大量の物資を供給する米国は硬軟織り交ぜた策で太平洋において日本に圧力をかけていた。
日英同盟の破棄と日米同盟の締結要請、世界新秩序構想への責任ある大国としての参加要請。そして太平洋艦隊の大増強と航空戦力の西海岸への大移動や中華民国中央政府軍への大規模軍事援助――

基本的には戦争を非難し即時の停戦を仲介しようとしている日本側と米国側の方針は一致しているかに見え、しかし日英同盟に基づいた共同参戦を要望する声もある。
しかも、米国内では世界の新秩序を太平洋を挟んだ両大国がけん引するのだという楽観的な見方のもとでバラ色の未来を新聞各社が(それまでさんざん日本の閉鎖的な市場について罵っていたことをころりと忘れて)語りはじめており、あまりに具体的な話からともすれば日本人が米国側にたって参戦するという観測すら一部では語られ始めていた。
かくて、世界は固唾をのんで日本政府の動きを見つめていたのだった。

「ドイツは、とりあえずは救われた。」
かつて曹長待遇の軍曹として終戦を迎えたヒトラーはかつて相対した男たちを思い出す。
「さあ。反撃開始だ。」

――続く?

653 :ひゅうが:2013/11/22(金) 15:52:30

一応、「民主主義の兵器廠」ですから、お米の国が援助している(儲けてる)のは民主国家のみですw
ええ。赤くても民主国家なんです(苦笑)

+ タグ編集
  • タグ:
  • 第2次世界大戦

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2014年01月31日 21:50