330 :ひゅうが:2013/11/25(月) 23:28:37

※投下します。

大陸日本ネタSS――「大陸世界の欧州大戦俯瞰~説明文~」

――「野戦の陥穽」~いわゆるシュリーフェン・プランと17号計画、その影響~

第一次世界大戦、実質的には1915年から1918年5月までの3年5か月の間行われた国家総力戦において有名であるのは、塹壕戦への銃剣突撃であろう。
だが、ドイツ114万人、英国80万人、フランス152万人の戦死者を出した西部戦線が固定化するのは1915年3月のことであり、その塹壕線を構築するまでの3か月間は両軍が敵野戦軍の撃滅をめざして運動戦を行っていたのである。
この結果、「ソンム川からムーズ川を経てラインへ至る」と俗にいわれる西部戦線が出現したのであるが、この影響(特に三国の軍をさまざまな意味で最後まで悩ませ続けた「アミアン突出部」を含む「北東の脅威」について)についてはひとまず置いておこう。
今回は第一次世界大戦初期の両軍の作戦計画と、それが後世に与えた影響についてみていこう。


1、 作戦構想 ―作戦正面と低地地方を巡って―

独仏両軍は、有事の際に互いの野戦軍撃滅を目的とした計画を立案していた。
有名なシュリーフェン・プランと17号計画である。
ドイツ側のシュリーフェン・プランは簡単に言ってしまえば「オランダ・ベルギーを道路として北方からパリへ回り込み、パリごと敵野戦軍を撃滅してしまう」計画である。
対する17号計画は、「攻勢正面となるロレーヌ方面では決戦を避けつつ持久しベルギーの救援要請を待ってベルギー領内に展開し、遅滞防御を行いつつ逆にアルザス地方においては南部から攻勢を起こして主力軍でできた『金床』へ敵南部軍を叩きつけて撃滅、戦力バランスを崩して各個撃破する」という計画であった。
面白いことに、独仏両軍は正反対の正面攻勢方面を構想している。

ドイツ側はベルギーから英仏海峡沿岸を一気に南下してパリを中心に軍を旋回させる「北方正面」であるのに対し、フランス側は南部アルザス地方からライン川沿いに北上する「南方正面」である。
この違いが独仏両軍の命運に大きく左右したのであるが、これもまたひとまず置いておく。

またこれも一致しているのが、「ベルギーの中立を考慮していない」ことであろう。
事実、大戦勃発直前にベルギーは「中立維持のために」英仏両軍への進駐を要請し明確に英仏側にたっておりこれが実質的な大戦の引き金となったのであるが、この点に大国の都合によって命運を決せられた低地諸国の特殊な地政学的立場をみてとれるだろう。

しかも、この想定を強化する事態が1908年に発生していた。
ベルギー領コンゴにおいて次々に有力な鉱山――ダイヤモンド・ボーキサイト・鉄鉱石・石炭その他――を巡ってイギリス・ベルギーとドイツ間であわや戦争になりかけたいわゆる「タンガニーガ問題」である。

(註:神の視点からみれば、日本大陸において実用化されていたボーリング式探鉱法が普及したために発見が早まっていた)

ややこしいことにこの鉱物資源遅滞はドイツ領東アフリカや英国領ローデシア(北ローデシア)との国境地帯に位置しており、とりわけ植民地獲得に熱心であったドイツ摂政皇太子ヴィルヘルム(のちのヴィルヘルム)がコンゴにおけるベルギーの圧政を理由にタンガニーガ湖西岸地区へ進駐して以来、ベルギーとの間の懸案であり続けていたのだった。
そのため、1910年、1912年1月と5月と3次にわたる「タンガニーガ事件(別名ルワンダ事件)」が発生したのであるが、この結果ドイツはアメリカの調停の結果「フィラデルフィア議定書」によってベルギーから鉱物資源地帯の38パーセントを奪取することに成功していたのである。
さらには仲介料とばかりに英国も29パーセントを手に入れている。
この恨みを計算に入れた結果として独仏両国はベルギーを「限りなくフランス側に近い」とみていたのであった。


331 :ひゅうが:2013/11/25(月) 23:29:11

一方のオランダは微妙な立場にあった。
ドイツに最も近いうえ、日英同盟を結ぶ極東の列強日本帝国と長年にわたり友好関係にあったこの国は、普通に考えれば英国側やフランス側と思うかもしれない。
しかしながら、英蘭戦争以来、オランダは英国との関係は良好とはいえないことはよく知られている。
しかも、オランダはいわゆる南シナ海問題において南シナ海島嶼の帰属や航路の管轄権について仏領インドシナを有するフランスと対立しており、海南島ならびに周辺島嶼を割譲された日本と組んで対仏外交攻勢に出ていたのである。
これに、中国大陸における利権問題(主として遼東半島利権の機会均等を求める仏側と、利権を有する蘭側)もあわさり、仏蘭関係は最悪の一歩手前という状態であったのだ。

このことを考慮した結果、オランダに対しては最悪でも南部突出部(マースリヒト周辺)領域の侵犯のみにとどまり、結果として国土の大半は末期まで戦火にさらされるのが避けられたのであった。


334 :ひゅうが:2013/11/25(月) 23:32:03

2、ドイツ参謀本部、東部と西部の「誤算」―

ここで目をドイツ東部に転じてみよう。
ドイツ参謀本部は、ロシア側の早期参戦をまずないものと考えていた。
日露戦争において受けたあまりにも大きな痛手がその理由である。
この予測は半分正しく、半分が間違っていたことは1917年の結末がよく示している。
誰だって国政担当者の急な意向変更まで考慮には入れないだろう。
そして土壇場でのイタリアの変節も。

とまれ、ドイツ軍はロシア軍を牽制しつつ、その全力をフランス正面へ投入することにしていた。
というのも、ドイツ側の想定ではロシア軍は動員こそ行うだろうが実際に侵攻を行うには2か月あまりの時間を要するものと思われていたためである。
それは、独露国境地帯(ロシア領ポーランド)における貧弱なインフラと鉄道網から輸送能力を低めに見積もっていたことが理由であった。
実際は、フランス資本により整備された鉄道網を利用し、日露戦争の教訓をいかして極めて短期間(12日)に東プロイセン前面に3個軍団が展開してのけたことでドイツ軍はあわてて対応を迫られ、西部方面へ「肝心な時に」予備兵力を投入しそこない、1915年中の勝利の機会を逸したことはあまりにも有名であろう。

しかしながら、ロシア側の大動員可能兵員をポーランドやウクライナにおける反ロシア感情を考慮して見積もった数字はほぼ的中。
皮肉なことにこの想定があったからこそ1917年にドイツ軍はタンネンベルグにおいてロシア軍70万あまりを包囲殲滅してのけ、続く一連の戦闘で120万もの犠牲をロシア側に強要することができたのであった。

さらにドイツ側の誤算は、参戦してくるであろう英国軍の展開速度にもあった。
作戦計画においてドイツ参謀本部は主攻勢正面となるパリ北方アルトワ丘陵からセーヌ川にかけての北フランス ピカルディー地方における英国軍の兵站能力に一定の限界があるものと考えていた。
というのも、当時この地方は港湾都市ルアーブルからパリまでを結ぶ大動脈であり、パリへ向かう英国からの物資の大半が狭いセーヌ川を通っていたためである。
となれば、ここを守るべく英国大陸派遣軍が展開するのは自明であるのだが、ここから目を北へ転じれば、ほとんど交通網らしき交通網は存在していない。
あまりに便利なセーヌ川が南方にあるため、そこを中心にしてしか交通が発達しなかったのだ。
つまり、奇襲効果によって混乱する仏軍を打通し、ルアーブルやセーヌ川沿いのルーアンに達してしまえばもはや英国軍は策源地をパリに求めるしかなくなってしまう。
大包囲の目標である「パリへの敵軍の集中」がかなうのだ。

こうした目算の元、可能な限りの速度をもってドイツ軍は英仏海峡沿岸のほぼ無人の野を全力で機動する予定であった。
そしてそれは実際に成功したのであるが、彼らは英国が海洋国家であることを失念していた。
そのため、後方の港湾都市ディエップにわずかな兵力を張り付けるのみで重大な隙をさらすことになったのであった。
このため、肝心なパリへの機動の段階になって英国1個軍に背後を突かれ、「アミアンの包囲戦」という決定的な敗北を喫することになるのである。

そして、このとき投入できるはずであった予備兵力が東部に拘置されていたためにドイツは当初の戦争を行うことができなかった。
速度を優先したために、彼らの補給は断絶寸前であったのだった。
かくて、最悪の形でドイツ軍はアミアンの包囲戦において25万もの犠牲を出すことになるのである。


335 :ひゅうが:2013/11/25(月) 23:32:48

3、 犠牲―フランス軍の「誤算」―

フランス軍の誤算は、上記のドイツ側の作戦計画を見誤り、しかも中途半端にベルギー方面へ兵を出すという計画をたててしまったことにあった。
17号計画の初期の想定によれば、ドイツ軍の攻勢正面はロレーヌ方面であった。
そのため、フランス軍はストラスブール方面へ兵力を集めており、かつ南部に大軍を集中させていた。
そのため、ベルギー領内に中途半端に軍勢を集中してしまっていたのである。
この結果、最短距離でベルギーを道路に替えたドイツ軍の手で退路を断たれ、国境の町リールで屈辱的な2個軍団降伏という結末を迎えてしまった。
そして、がら空きになっていたアミアンからパリの後方への進撃を許してしまったのである。
しかも、あわてたフランス軍は戦力の逐次投入を結果的に行ってしまった。
余剰戦力が南部にいるためであるが、長距離の移動ののちに会戦に参加させられた将兵は各個撃破され、まさにひき肉にかえられつつパリまでの道を血で埋めることになったのであった。
ここで英国軍によるディエップ・ルアーブル強襲がなければ、フランス軍は戦わぬままにパリを失うことになっていたであろうというのは専門家の一致した意見である。

そして、さらなる誤算は、英国軍が日露戦争の教訓を生かした軍の装備や特に兵站改革に取り組んでいたのに対し、フランス軍は旧態依然とした決戦主義・野戦主義に凝り固まっていたことだろう。
このため、「アミアンの包囲戦」の成功を受けてソンム川方面に塹壕線が構築されたあともドイツ側塹壕線に対し無謀な突撃を繰り返し、いたずらに兵力を消耗していったのであった。
さらに、ドイツ軍が予想以上に北東部において押し込み、パリ前面のソンム川を挟んだ前線を構築してしまったことも彼らの人命浪費に拍車をかけた。
初期の塹壕戦において50万余りが失われたのは、実にこのソンム前面なのである。
これに加え、パリ正面、通称「ヴェルダンのギロチン台」においてさらに70万が失われたために、哈爾浜会戦における中央突破を「無謀な正面攻撃」と笑ったというフォシュ元帥はそれに20倍以上する犠牲の果てについにドイツ側の兵力払底を待たずに息切れした。
このことによる戦力の払底は、大戦の結末に大きく影響したのであった。
米軍参戦時に彼らはパリ方面におく戦力をほとんど彼らに頼っており、決定的な敗北を防ぎ得なかったのである。
総括してしまえば、当初の作戦計画の誤り――「自分は中立のベルギーへ兵を進めておきながら、敵がこちらを攻勢正面とするとは考えていなかった」こと、そして幾度も機会があったにもかかわらず「野戦の決戦にこだわり、ドイツ側のように消耗抑制戦略への転換に失敗した」こそが彼らの敗北を生んだといえるだろう。


336 :ひゅうが:2013/11/25(月) 23:33:32

4、 結末――ドイツ軍の誤算

初期段階における攻勢は、ほぼドイツ参謀本部の想定通りに推移した。
北東部において大突破を行い、もう少しでパリを包囲する寸前にまでいったのである。
だが、彼らはそこから包囲に移るまで、近代戦がいかに鉄量を必要とするかを思い知らされた。
結果、ドイツ軍主力はアミアンにおいて25万の兵力を失い、前線において塹壕で対峙する消耗戦へ移行せざるを得なくなってしまった。
さらに、ここで得られた前線の後方にあるアルトワ丘陵からフランドルにかけての英仏海峡沿岸地帯が彼らに重くのしかかった。
ドイツ軍は、常に英国軍による後方への強襲上陸を警戒せざるを得なくなってしまったのである。
このことは、のちにイタリア・ロシア参戦により予備兵力が払底したために行われたオランダ侵攻作戦の泥縄ぶりがよく表している。
結果的にではあるがロシア側野戦軍の衝撃吸収に成功したドイツ軍は、フィルケンハイン将軍による消耗抑制戦略への転換に成功する。
ロシア革命という僥倖の間、西部戦線におけるフランス軍の攻勢を耐え抜けたことは彼らの適応能力がいかに優れていたかの証であろう。

しかし、満を持して臨んだ最終攻勢において、自分たちが攻勢のために要した物資見積もりから、日本帝国遣欧総軍によるベルギー方面への大突破を不可能であると彼らは結論付けた。
この結果、英仏海峡沿岸に配備されていたドイツ側警戒部隊は各個撃破され続け、ベルギー領内までの大突破を許すことになってしまった。
これも、「初期攻勢を兵站軽視によって失敗し、余計な土地を抱え込んで警戒してしまった」ためであると総括できよう。

結果、ドイツ軍はパリに王手をかけたカウンターパンチを受けるかのように国境のアーヘンを抜かれ、ケルン前面にまで押し込まれた状況で停戦を迎えた。

最初から最後まで、ドイツ軍は兵站に泣かされ続けたのである。


337 :ひゅうが:2013/11/25(月) 23:40:12

【あとがき】――というわけで、大陸世界における欧州大戦の推移などを作戦計画を中心に書いてみました。
主な時間犯罪は以下の点。
・「ベルギーがコンゴの鉱物資源を史実以上に早く見つけ、先代皇帝の存命から登場が遅れて焦っていたウィルヘルム2世に目をつけられたため、フランス寄りになってしまったこと」
・「1914年から交渉中に結果的に半年間の準備期間があったためにベルギーが自国のお粗末な現状に気付くきっかけができたこと」
・「ロシア軍が日露の結果疲弊しているため、シュリーフェンプランが当初通り実行され、北東部が主攻方面とされて史実以上に占領地を拡大させたこと」
・「英国軍が当初から効果的な兵站のもと日露戦争型の火力機動戦を行えたこと」
・「パリ前面にさえぎるもののない北東突出部が新たに加わったことで、フランス軍の損害がさらに拡大したこと」
・「補給の遅れから大敗北を喫したドイツ側で、英国本土からの圧力にさらされたために消耗抑制論者のフィルケンハイン将軍が史実より早く主導権を握れたこと」

これらですね。
ちゃんとした説明になっていれば幸いです。

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最終更新:2014年02月04日 23:35