234 :yukikaze:2013/12/01(日) 02:34:14

神はおっしゃった。英国を救えと。

英国戦艦史ー弩級戦艦以降

世界帝国たる英国にとって何より重要なのは、制海権の確保であった事は多少でも国際政治を齧った物ならば誰しもが理解している事実であった。
何しろ英国は、海洋国家として発展したことにより世界帝国へと変貌したのである。
ならば海洋国家として衰退を迎えれば、世界帝国の座から陥落するのは自明の利であった。

そう考えた場合、ドレットノートをイギリスが就役させたのは、ある意味イギリスにとっては致命的な失策であったとは言えた。なにしろ同級の就役によって、これまでの戦艦の存在は無に帰したのである。
弩級戦艦が複数就役したのならともかく、わずか1隻であったのは、他国からすれば英国に建艦競争で勝てるのではという幻想を植え付けるのに十分であったし、何よりそういった妄執に半ば本気で付き合おうとした国が1国だけあったのである。

この空気という物が欠片も読めないドイツの行動に対し、イギリスはある意味大人の行動をとっていた。
彼らは従来重視していた二国標準主義をあっさりと捨てて、ドイツに対して質的に上回る戦艦の保有を心掛けるようにしたのである。
これは、新たに同盟国となった大日本帝国が、英国に対して完璧に同盟国としての立場を順守していた事からアジア方面での防衛を日本に肩代わりできたことへの余裕から生み出されたものではあるが、彼らは超弩級戦艦であるオライオン級とその改良型であるアイアンデューク級を合計8隻作った後、ドイツを圧倒するべく、クイーンエリザベス級8隻と、フッド級4隻を就役させたのである。
未だ大口径砲が作れなかったドイツ海軍は、QE級以降の12隻の大火力並びに援兵に来た日本海軍の攻撃によりユトランド沖海戦で無残な最期を遂げることになる。
なお、フッド級は日本との共同開発で建造された金剛級の設計が参考にされており、史実加賀型に匹敵する防御構造(ただし水平防御は史実のイギリス戦艦と同レベル)を有しており、天城型巡洋戦艦が就役されるまでは、最強の巡洋戦艦といっていい代物であった。
それはさておき、第一次大戦を乗り切った事でますます日英同盟の重要さを確信したイギリス海軍であったが、彼らには大きな試練が待ち構えていたのである。1921年のワシントン海軍軍縮条約交渉である。
後に「海軍祭」と呼ばれる建艦競争に、イギリス海軍は翻弄されることになる。

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最終更新:2014年02月06日 21:41