379 :yukikaze:2013/12/01(日) 23:46:38

英国戦艦史その2

第一次大戦において、日英同盟はほぼ完璧という形で機能をした。
日本は、陸海軍の精鋭部隊をはるばる欧州に派遣し、資金面や兵站の面でも英国に対して協力を惜しまなかった。
勿論、アジアにおける欧州権益を火事場泥棒しようなどとする姿勢は片時もみせなかった。むしろオーストラリアが、ニューギニア地域にちょっかいを出そうとし、激怒したロイド=ジョージの手によって、オーストラリア首相が政界から追放された程であった。
当時の日英主要マスコミは「日英の友好は今後も永遠に続くであろう」と高らかに謳っていたが、それは世界各国共通の認識でもあった。

そしてこの状況に危機感を抱いていたのがアメリカであった。
第一次大戦中、アメリカは参戦することなく、連合・同盟両勢力相手に商売をすることで莫大な利益を上げていた。
しかしながら、それは連合国の怒りと軽蔑を買うことになり、ヴェルサイユ条約において参加を拒絶させられるほど国際的地位は悪かった。(満州での火事場泥棒騒ぎも嫌悪感を助長した)
その為、アメリカとしては日英同盟が両大洋から攻め込んでくるというシナリオが真剣に取りざたされており、それが三ヶ年計画という一大艦隊建造プロジェクトへと発展していった。

こうした事態に日本海軍も敏感に反応し、艦隊リニューアルとして計画された八八艦隊計画を前倒しする方針を固め、まるでそれが戦時急造計画であるかのような速さで建造が進められていた。
それを象徴するのが、1917年半ばに起工された長門級戦艦4隻が、1920年暮れには全艦竣工していたという事実であり、更に長門級を高速化した天城級巡洋戦艦も着々と完成し始めていた。

一方イギリス海軍は、この両国の建艦競争に1歩引いた状態であった。
これは、当時のイギリス海軍が、QE級戦艦8隻(憂鬱版扶桑級戦艦の主砲が15インチ砲8門になったもの)とフッド級4隻(37,000t 15インチ砲8門 29kt 防御構造は史実加賀型準拠)を主力とし、これにオライオン級・アイアンデューク級計8隻と、ライオン級2隻、タイガー級2隻(大陸版金剛と準同型艦。砲だけ13.5インチ)の4隻が控えているのである。
その戦力は、八八艦隊や三ヶ年艦隊で計画された艦を除けば最大最強の勢力であり、英国国民にしてみれば、大戦で予算を費やしすぎた以上、建艦競争に付き合う必要がないと判断しても仕方がないものであった。
また、三ヶ年艦隊の建造費用に、米国財務官僚が悲鳴を上げ、議会からも軍縮条約を結ぶべきではという意見が強くなっていたのも、英国国民の楽観論を補強させる要因となっていた。

だが、その楽観論は、ワシントンでの海軍軍縮条約の予備交渉で無残に吹き飛んだ。
徹底的に自国本位での条約を締結することに拘ったアメリカは、保有比率を日英合算の数値まで認めるか、あるいは個艦制限として「35,000t以上の艦はすべて廃棄すること」を条件に掲げたのである。
これを認めた場合、アメリカはコロラド級の保有は認められるが、日英は長門級とフッド級を破棄しないといけないのである。
当然のことながら会議は紛糾し、遂にはアメリカ代表が日英を罵って退場するという醜態をさらすことになる。
ここに、1930年のロンドン軍縮条約が締結されるまでの間、海軍祭と呼ばれる建艦競争の時代へと突入するのである。

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最終更新:2014年02月06日 21:42