61 :ひゅうが:2013/11/29(金) 22:38:11

――「聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな かつておられ、今おられ、やがて来られる方」ヨハネの黙示録より

大陸世界の日本海軍――ネタ設定――戦艦「大和」型

全長:359.2メートル
全幅:49メートル
喫水:13・2メートル
基準排水量:15万8650トン
満載排水量:17万2350トン
機関:艦本式ニ‐5号缶・艦本式3号過給機付ディーゼルおよび艦本式タービン8基4軸
出力:28万4800馬力+主ターボ発電機8000kw補助ディーゼル発電機13500kw
速力:30ノット

主兵装:47口径56センチ(22インチ)砲3連装4基
60口径12.7センチ両用砲 連装24基
60口径12.7センチ両用砲 単装18基
30ミリ重ガトリング対空機関砲 連装10基
40ミリ機関砲 20ミリ機関砲など

同型艦:「大和」「武蔵」「信濃」「播磨」「越後」「出雲(45年3月就役予定)」



【概説】――日本海軍が条約明けを待って建造を実施した「超超弩級戦艦(ウルトラ=ドレッドノートクラス・バトルシップ)」。
その主眼は、「アメリカ海軍が建造してくるであろう20インチ砲艦を圧倒的な打撃力で叩きのめす」こと、そして「アメリカ海軍が量産してくるであろう大量の航空機による攻撃に対する抗甚性をもって主力である戦略兵器 空母機動部隊の盾となる」ことであった。
同時に、米軍の両洋艦隊計画により完全に入れ替えられるであろう米海軍の戦艦部隊同様に扶桑型や練習戦艦となっていた金剛型の代替、そして八八八艦隊計画艦初期艦(長門型)の補強戦力である。
この目的のため、20インチを上回る56センチ(22インチ)砲を12門搭載し、最新の対空戦闘用装備で身を固めている。
これにより、ヴィンソン案で量産が開始された米戦艦に対抗すべく臨時に第1艦隊所属となっていた比叡型は当初の計画通り空母機動部隊の直俺兼水雷戦隊旗艦という本来の「超甲巡的戦艦」として第3艦隊所属となっている。
おそるべきことに日本海軍としては、戦艦部隊の補強戦力&空母機動部隊の盾として本級を建造したのであり、よくいわれるような「核攻撃にも対抗できる戦艦として」計画されたわけではない。それでも航空攻撃への対抗は最初から考慮されている。


62 :ひゅうが:2013/11/29(金) 22:38:44

【建造経緯】――当初、大和型は9~11万トン程度の51センチ砲戦艦として建造予定だった。
数も、日英同盟下における遠洋での分散行動を考えて最低8隻が量産予定であった。
これは、関東大震災以降の経済発展と復興のために作られた大規模ドックや掘り込み式港湾を用いれば余裕をもって運用できるものと考えられており日本側としては特に問題としてはいない。(事実、現代でも50万トン級タンカーが各地の港湾に余裕をもって停泊できるようになっており過剰計画とさえいわれた復興計画の先見性を示している。)
だが1935年、ローマ会議、ハーグ会議に続き第二次ロンドン会議までもが流産し海軍休日が終了したことで米海軍が戦艦の大量建造を不況対策として開始したことから計画は肥大化。
最終的に20隻近くにもなった米海軍の両洋艦隊計画における戦艦部隊「新規建設計画」を受けて各国は「海軍祭日(ネーバル・カーニバル)」といわれる海軍再整備時代へと突入することとなり日本海軍も当然ながら対策を求められた。
そのため1935年9月、帝国議会は「第4次海軍軍備補充計画(通称④計画)」といわれる海軍大拡張計画を可決。
その目玉として「大和」型は建造されることになった。第一目的は「米海軍が建造するであろう20インチ砲戦艦を上回る戦闘力を持った戦艦をもって八八八艦隊計画を代替する」こと。
数と性能を両立させるため、当時開発中であった新型砲の中でも試作・運用経験が豊富な最大の口径となる56センチ砲が採用された。
この計画に基づき、日本海軍は当初は8隻の「大鳳」型超大型空母と8隻の「大和」型戦艦を中心とした艦艇120隻の新造を予定していた。
しかしながら、米海軍の新造計画が予想を超える速度で進行したうえ、ソ連海軍やフランス海軍などの米国の友好国も大海軍の建設を開始したために日本海軍はさらなる質的な増強をめざし7番艦以降の建造計画を白紙とし、さらなる巨大戦艦「常陸」型の計画を開始する。
ともあれ、1937年に本級は3番艦までが一斉に起工、1939年までに残る3隻の建造が開始された。


【概要】――本級の目玉は、1発3トンに達する超大重量砲弾を40キロ彼方へ投射する56センチ砲である。最大射程についてはアウトレンジ砲撃を行ってもその間に転舵によって回避が可能であるとされたために46センチ砲同様の4万3千メートルで妥協し、その分を砲弾の大重量化と装填発射速度の上昇で補うという「中距離打撃砲戦ドクトリン」に基づいて計画された。
このため、装甲は耐56センチ砲装甲としては若干過剰とされる。
とりわけ戦闘指揮室が設けられた中央司令塔(CIC司令塔)は、厚さ1000ミリの重装甲で覆われている。
また、大重量の砲弾や航空爆撃や雷撃対策のために水平装甲と水線下防御については当時過剰といわれる細密化や対弾装甲が張り巡らされており、当時の1トン級航空魚雷では片舷に30本以上が命中しない限り戦闘力が維持できるように三重底と大型バルジが設けられた。
航空攻撃に対するために、制式化されたばかりの大型レーダー連動対空砲や長射程大型機関砲群が舷側に設けられ、これらの装備を動かすために紀伊型の10倍以上の発電能力が設けられた。

建造所は呉(大和)・横須賀(信濃)・大神(播磨)・室蘭(越後)の各海軍工廠および三菱長崎(武蔵)、川崎神戸造船所(出雲)。
1941年12月から1945年1月にかけて全艦が就役し、艦隊に配備された。


63 :ひゅうが:2013/11/29(金) 22:40:38

【あとがき】――大陸世界における「量産型大和」です。量産型の方が試作品より性能がいいらしいですからなんの問題もありません(爆)
あるいは量産型「播磨」?

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最終更新:2014年02月17日 22:07