350 :ひゅうが:2013/12/01(日) 20:48:35

大陸日本世界ネタSS――第1次世界大戦前の日本 ~日米協調と変事~

【日本経済の発展】

日露戦争後の日本には、対外債務はほぼ存在していなかった。
せいぜいが、日英同盟に伴って結ばれた石油借款という形式的な(しかし決して少なくはない)借款のみであろう。
これは日本政府が国内開発資金の一部という扱いで大英帝国から借款を受け、2次防(第二次防衛力整備計画)によって後回しにされた国内のインフラ整備に投じた資金であるがそれらの大半は主として北海道から採掘される高品位石油と四国から算出される白金によって支払われていた。簡単に言ってしまえば英国の東アジア駐留における艦艇用燃料と銀行兌換用の金を日本国内にストックしておくための方便でしかなかったのだ。

したがって、日本は日露戦争後には動員解除を勧めつつ拡大した日本太平洋圏の整備と国内の開発を同時進行で進めていった。
六六六艦隊計画に基づき整備された各地の鎮守府群に対し整備が後回しになっていた日本広軌(2100ミリ)標準軌併用三本軌道と旧街道の再整備を行う「国土交通軸構想」は内務省の強い後押しのもとで建設が再開され輸送量がパンク寸前であった東海道線に一息をつかせていたし、江戸時代の整備から基本的にはそのままとなっていた帝都東京の玄関口竹芝港や鹿島港などの後回しにされていた各地の港湾の再整備もはじまっていた。
都市部の開発計画が相次いで持ち上がっており、明治維新以後に新興資本家として頭角を現しつつあった各地の企業群は「それが経済家のつとめ」として自ら事業に携わりつつささやかな利益誘導を試みていた。
何と言っても日本はまだまだ若かった。
とりあえずの周辺の不穏な状態を解消して世界と繋がったために生まれた「解放的な楽天主義」が全土に蔓延しており、この時期の世相を彩っていた。

「もっと日本を飾り立てたい。そして自分たちも豊かになりたい。」という願望を彼らは満たそうとしていたのである。
この時期に進行していたプロジェクトは、のちの列島改造計画には劣るもののそれでも驚くべき数に及ぶ。
列島改造計画が基本的にはこの時期に構想された計画の発展系であることからすると驚くべきことであろう。
象徴的であったのが、1910年に北海道を除く本州と中国四国が連絡船を介した鉄道網ですべて繋がったことであろう。
それまでも近海航路を用いれば移動は容易であったのだが、これによってほぼすべての日本人が安価に列島を往来できるようになったこと、そしてわずか2日で本州の端から端まで大都市間を往来できるようになったことは流通に革命的な影響を与えていった。
30年前にアメリカ合衆国でみられたような光景が日本には出現し始めていたのである。
すなわち、広域流通網の一体化・高速化。
膨大な需要の存在と官民一体で行われつつあった基礎的インフラの拡大発展は、明治初期から営々と築き上げられてきた国内の生産設備をフル稼働させつつあり、それがまたさらなる需要を生むという良好なサイクルが生まれていた。
蓄積された富は、さらに投資を生む。
この頃から生まれつつあった科学技術上の新発見や新発明の増大もこれを後押しし、この時期にいわゆる新財閥といわれる昭和期にかけて旧来の財閥群と肩を並べる企業グループを生んでいく。
代表的なところでは、鈴木財閥、理研財閥、日産財閥などが有名であろう。
明治政府もこの傾向を後押しした。
後世に政商に阿ったと批判されることも多い政策ではあったが、彼らは海軍の6隻の藤型戦艦を予備艦に指定し、かつ緊急購入した日進や春日などの主力艦をアルゼンチン海軍へ売却(ある意味では返還)することによって軍事費を圧縮する政策をとったのだ。
既に弩級戦艦建造方針を打ち出していたとはいえ、周辺に敵国がほぼ存在しなくなったがためにできたことだった。

とはいえ技術開発への投資を怠ることがなかったのはさすがである。
ドレッドノートショックを彼らは忘れていなかったのだ。
閑話休題。


351 :ひゅうが:2013/12/01(日) 20:49:52

こうして、日本経済はこの時期に年率平均15パーセント以上という右肩上がりの成長を遂げていく。
折よく明治時代の医療制度や技術の進歩に伴う人口爆発も発生しつつあり、需要はさらなる増大が予想された。
総人口が2億5000万を突破したのもこの時期である。
1925年までに3億を突破する見通しで人口は増大を続けており、政府はそうした人々を積極的に北方や太平洋上へ送り出していた。
経済規模も1910年にはフランスを抜いて世界第3位にまで拡大しており、まさに右肩上がりというに相応しい。
この時期から1918年の大戦終結までの間を近代日本経済の「第一次高度経済成長期」と称することも多い。
その象徴となったのは、1908年の日英同盟第1次改訂にともない行われた金輸出の解禁であろう。
巨大に成長していた日本経済との活発な取引は、同盟国であった大英帝国との間で巨万の富を生み出した。
列強諸国はこの新たな参加者を歓迎し、世界は好景気に沸いた。
ボーア戦争後の不況に苦しんでいた英国においてこれは顕著で、満州という新たなフロンティアを得たことによる米英の経済的拡大は世界大戦前の好景気期を彩ることとなった。

――これらの結果として、世界大戦前の10年を「ペル・エポック(よき時代)」として世界の人々は回顧することになるのである。

【日米建艦競争と異変】

1910年、ハレー彗星が世界の話題をさらい、のちに世界を震撼させる公式とともに物理学に革命が起きた年…日本に加わる新たな牙が海へ滑り出した。
金剛型巡洋戦艦。
世界初の高速戦艦といわれる、新型の超弩級戦艦である。
日英共同で行われた設計の結果、36センチ砲8門を搭載し28ノットで海を駆ける強力な戦艦が誕生し、同型艦4隻とその発展型が一斉に起工されるにおよび、日本政府はひとつの声明を発表した。

「わが国は、日露戦争時における海軍力を上回る冒険的な軍拡を欲しない。ただその能力的な維持を望むものである。この目的を達するために今後10年をかけて海軍の近代化を実施する。繰り返すが我が国は冒険的軍拡を欲しない。」

前年に日米の間で「ルーズヴェルト・伊藤協定」と呼ばれるアジア太平洋地域における日米間の地位協定が結ばれており、日本側はこれに最大限配慮したのである。
第4次伊藤内閣と第3次ルーズヴェルト政権(初の三選政権である)の間で交わされた約定においては「日本はアメリカ合衆国が有する極東アジア利権について配慮し尊重する」かわりとして「アメリカ合衆国は日本帝国の領域とその周辺の平和維持についてこれを尊重する」ことが取り決められていた。
ワシントンD.Cにおいて記念樹として送られた八重桜(日露戦争後に協力を感謝して皇室から贈られていた)の木の下で両雄は握手を交わし、互いの領域を尊重することを誓った。
その際、軍拡などにおいては両国の自由とされたのだが、日本側は義理を通したのである。

アメリカ政府はこれを尊重するとしたものの、議会内からはドレッドノート級時代に対応しようとする日本海軍に脅威論交じりの対応論が出始める。
これを受け、海軍拡張には賛成の立場にあるセオドア・ローズヴェルト大統領は日本海軍同様にアメリカ海軍も弩級戦艦建造を行うという計画を提案。
試作を行うとともに、3年間予算を積み立て、一気に大海軍を建造するいわゆる「3年計画案」が俎上に上る。
そう。日米建艦競争は、当初は個人的な友誼に結ばれた二人の指導者のもとで「協調軍拡」として開始されたのである。
だが、一度動き始めるとことは大きく変わっていく。日英同盟に基づき発注を行えた日本側が36センチ砲搭載戦艦であることを問題視した海軍の一派や議会の少なからぬ人々の危惧、そして焦りが計画の肥大化を生んでいった。
彼らを冷静にさせるには、あまりにも日本海軍が保有していた「当初の主力艦部隊」は強大であった。ことにアジアの海を日英同盟という強大な海洋勢力が支配し始める現状では。
そのため、アメリカ議会には唯一日本と関係が悪化しつつあったドイツ帝国との協調を目指す一派が台頭。結果としてではあったが、のちの欧州での戦時において日英側にたっての参戦を躊躇させる結果となったのである。


352 :ひゅうが:2013/12/01(日) 20:50:25

1912年の大統領選の結果、日本と一定の距離を置き、どちらかといえばモンロー主義的に、悪く言えば「アメリカのみが独立独歩でアジアへ進出する」ことを考えるウィリアム・タフトが新たな大統領となったことはこの傾向を強めた。
三選後に後を託し勇退しようとしていたルーズヴェルトが激怒し、弾劾を目論むほどに変化は劇的であった。
だがタフト政権は民主党からもそのアジア政策での支持を受けるにおよび安定政権を確立。

「共和党出身の民主党大統領時代」といわれる短い4年間は、不和の中で疑心が拡大し、そして軍拡の準備が開始される時代となった。
しかしながら、1907年のグレート・ホワイトフリート以来続いていた日米海軍の相互訪問は継続されており、かつ「偉大なる」ルーズヴェルト時代に生まれた友好の種は大きな花を咲かせ始めていた。
だが、そんな時代において安定しつつあったアジア情勢は、大きな激動を迎えることとなる。

1912年、清国武昌において、米国東部財閥群による資金提供と訓練支援を受けた中国革命同志会による蜂起が発生。蜂起はまたたくまに全土に拡大していった。
――世に云う、辛亥革命の発生である。


353 :ひゅうが:2013/12/01(日) 20:51:26

【あとがき】――というわけで、前に投下した「日露戦争後」の続きです。
日米間の協調と、摩擦の発生まででした。

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最終更新:2014年02月23日 01:17