818 :ひゅうが:2014/01/03(金) 01:10:33

(ネタ)参考――大陸日本世界の日本略史 年表(その3~明治維新から日露戦争直前~)

【1868年】
明治天皇践祚、明治改元。京都に明治新政府成立。太政大臣に三条実美が就任するも薩長会を中心にした集団指導体制が成立。
五箇条の御誓文公布。臨時に当時まだ効力を保っていた養老律令に則る形で太政官が復活。神祇官については政教分離の原則から当面復活を見送り。

【1869年】
政体令発布。将来的な憲政・議会政治への移行を目標として明記し、五箇条の御誓文に則り「万機輿論により決す」べく各藩代表者および政府・民間の推挙により委員を構成する「元老院」成立。当面は20年後の議会政治移行を目標とすることになる。
以後、太政官布告および条例などが正式な統一法となる。
神戸観艦式、明治天皇初の行幸。南北朝時代以来の玉体移動となり、明治帝の心身に多大な影響を与えることとなる。

【1870年】
「神仏崇敬の件」布告。公武政府期に有名無実化していた禁教令が正式に廃止され、かつ宗教的な文化財破壊行為を断罪する強い文言が添付された。
また、過激な国学者による扇動による寺院掠奪や文化財強奪と海外転売を防止すべく、太政官外局として「神祇院」が設立。神祇官使が各地で活動を開始する。
「道州県設置令」公布。各地の大名領を「県」に再編し、統括組織として「道」をおく。
旧政府直轄地は州に再編。ただし移行期間として大名家は暫定的に知藩事に任命されて統治を続行。
東京奠都。明治天皇は旧江戸城へ入城し、江戸を「東京」へ改称。

【1871年】
「建軍の詔書」。帝国陸海軍、設置。官軍と公武政府軍が統合され、年末までに各地の旧大名家軍も編入が完了。八大鎮台設置。
第一次関税改正。協定七カ国向けの穀物関税を緩和。金輸出は制限継続。
太政官制公布。養老律令が正式に廃止され、近代官制が始動する。
御親兵設置。
岩倉使節団が欧米へ派遣。

【1872年】
明治6年の政変。公卿を排除して旧公武政府関係者の復帰が進む。
長岡故宮事件。帝国陸海軍元帥を兼務していた大村益次郎が襲撃される。
事件に関与していたとされる旧長州藩過激派が排除され、西郷隆盛が陸軍総裁に就任。
統合指揮機関として大本営設置。第一回帝国国防方針策定を開始。
伊勢地租事件。地租改正が行われ、税率は2.7パーセントへ。
岩倉使節団帰国。条約改正には国政整備が必要とする報告書を提出する。

【1873年】
水戸製鉄所および八幡製鉄所が操業開始。初の一体型製鉄所。
版籍奉還。全土を政府直轄地に一時編入し、改めて旧藩主を知藩事から解任する。
水戸ならびに会津藩が率先して先行返納を実施し、ついで長州藩がこれに同調。
最後まで渋っていた薩摩藩は島津斉彬公の賛同によってこれに同調。
内務省が設置。道州統合(それまでは旧政府直轄地に州が置かれていた)が実施され、同時に全土の再測量が開始される。
華族令公布。養老律令にかわる爵位制度が確立されるも、あくまでも「称号」とされ四民平等の枠内という但し書きがつけられる。

【1875年】
洋装奨励が布告される。
沖縄合同。琉球王朝廃止、尚氏は「公」とされ、沖縄州内に7県(先島・八重山・慶良間・沖縄・慶良間・大東)が設置された。
樺太州制施行(大泊・敷香・羽川)、千島県制施行(択捉・新知・占守)。
全国的に県の統廃合が進行する。
三の丸事件。御親兵の反乱未遂。近衛兵が大本営隷下に統合される。

【1876年】
日本帝国銀行令。中央銀行として日本帝国銀行(略称帝銀)が設置される。
金輸出第一次解禁。貿易決済用にロンドンへ金塊200トンが輸送される。
元老院分割。元老院を「右院」と「左院」に分割する。
日英和親条約改定。ディズレーリ内閣との間に日英友好条約締結。関税自主権ほかは持ち越し。
明治法典公布。ナポレオン法典を参考にした基本法群。憲法制定に向けた議論が高まる。

【1877年】
明治官制公布。典礼省を宮内省へ統合し、鉄道院および逓信省を内務省より分割。通商産業省を設置。
兵部省を陸海軍省に分割。大本営隷下に兵部府設置。
秩禄処分実施。秩禄の10年分を先払いし、以後の武士は失業することとなる。
萩の乱発生。
明治9年政変。討朝論が退けられるも西郷隆盛は慰留。
北方二州一県を「北海道州」へと統合。旧北海道庁へ州庁設置。
西南事変。旧薩摩藩内において大規模蜂起が発生。反乱軍の説得に失敗した西郷隆盛は自主的幽閉に入り、政府への帰順を表明。
このときの「そもそも武士とは」という言葉が新聞へリークされ、武士階級に大きな影響を与える。
熊本鎮台により西南事変は鎮圧され、以後の旧士族蜂起は下火になっていった。政府は北方移民を加速させることで旧士族問題に対処。


819 :ひゅうが:2014/01/03(金) 01:11:46

【1878年】
州の上に地方総監府設置。内務省による全土直接支配が完成。
陸軍軍制改訂。鎮台を12カ所へ増大。将来的に「師団」への改編が意図される。
海軍は3個方面艦隊を新たに設置。
理化学研究所設立。
日布和親条約締結。日本によるハワイ移民が開始される。
東洋大日本帝国国憲案発表。自由民権運動のはじまり。

【1879年】
紀尾井坂の変。大久保利通暗殺未遂事件。危うく難を逃れる。
新学制公布。国内にまずは4カ所の帝国大学が設置される。
5年間で12の帝国大学を中心とした学校群ネットワークが設置される。初期の教師は武士階級や旧寺院僧がつとめた。
台湾事件。沖縄県民が台湾において虐殺され、日清間の政治問題となる。
海外留学制度開始。第一陣としてこの年のうちに3000人が欧米へ渡る。
鎮台廃止。12個の「軍管区」と「軍」ならびに「師団」設置。

【1880年】
台湾出兵。台湾の中立化によって決着。
朝鮮政変。大院君が排除され、高宗による親政が確立。日朝基本条約締結。
討朝論が排除されていたために日本側の介入は最低限にとどまる。
憲法制定会議が招集。
改正地方制公布。「地方総監府―州―道-県―郡―市町村」という区分が完了する。
「国会開設の詔勅」10年後の国会開設を宣言。
横須賀・呉・長崎・佐世保海軍工廠設置。
東海道線開通に伴い、帝国鉄道設立。

【1881年】
日仏基本条約・日独基本条約締結。第三共和政フランスならびにドイツ帝国との間の善隣条約。この年、初の国産全鋼鉄艦「海門」が就役。
新須賀州制施行。新須賀地方総監府設置。
ミッドウェー諸島領有宣言。
日本の総人口が2億人を突破する。
自由民権運動が過熱。
新須賀開拓使廃止。開拓使官有物払い下げ事件発生。
釜石製鉄所操業開始。

【1882年】
愛媛県分割(香川・愛媛に再分割)により県の再編が終了。
この年にいわゆる「明治の大合併」が終了する。
独自にメートル法採用。30年の移行期間を経て日本国内の度量衡はMKS単位系へと移行することになる。
同年、電力基本令公布。基本周波数が60ヘルツ(ドイツ式)に統一。
明治憲法基本案が発表。プロイセン色が強い欽定憲法であったために民権派が猛反発。
いわゆる「統帥権・改正権問題」の発生。急進的改革派(大隈派)の突き上げに窮した元老たちは個人的ブレーン集団を統合し、帝国総合研究機関(通称『総研』)を設立、憲法問題への関与を認める(夢幻会の実質的な登場)。

【1883年】
太政官制を廃止。内閣制を施行。初代内閣総理大臣に伊藤博文が就任。
枢密院設置。元老による指導体制が確立する。総研は枢密院直下に移行。
学制改訂。私立大学の設置が認められるも、教育に対する国家の関与は強化。
大本営直轄機関として参謀本部が設置。
徴兵令施行。
この年、有栖川宮熾仁親王がオランダおよび欧州各国を訪問。
台湾中立問題。中立地帯とされた台湾中部において発生したドイツ軍艦「マインツ」による測量問題。駐兵権を巡って日清両国が対立する。

【1884年】
新帝国憲法草案が憲法制定会議および総研の間でまとまる。
主権者を天皇としつつもその「権能」を有し給うと規定することで「権利」の行使者を内閣総理大臣とし、その任免は議会と枢府の輔弼によるものとすることで主権者問題を回避した。
統帥権は厳格に議会から分離され内閣による行使とし、軍界(大村一派)に配慮した妥協策とされる。
当初はその細かすぎる規定および付則を攻撃されたものの、民権派によるいわゆる「共和政体演説事件」が暴露されたことで妥協が成立した。
翌年公布が閣議決定。
第一次帝国国防力整備計画(一次防)策定。翌年の議会による承認を待つことになる。

【1885年】
大日本帝国憲法発布。帝国議会開設。
一次防内容を巡り紛糾するも、皇室費の節約などの方針が示されたことにより事態は沈静化。無事成立する。
参謀本部から海軍軍令部が独立。陸軍参謀本部へ改組される。統合機関としての大本営は存続し主催者を内閣総理大臣とするのに変化はない。
初の制限選挙により泡沫政党乱立。審議時間は大幅に延長され、問題となる。
この年、日本は貿易黒字へ転換。確実に発展を開始する。
一次防にのっとり、英国へ装甲巡洋艦4隻が発注。要塞地帯法が即日施行され、海峡要塞地帯の構築が開始される。


820 :ひゅうが:2014/01/03(金) 01:12:50

【1886年】
ロシア皇太子、日本を訪問。大津などでトラブルがおきかけるも目立った混乱はなく終息。初の海外皇族訪問に日本中が沸くも、同年末の佐渡事件によりロシア海軍による対馬海峡方面への野心が明らかとなり日本側の態度は硬化。
将来的な同盟を目指して日英交渉が極秘裏に開始される。(表向きは条約改正交渉)
板垣退助、陸軍参謀総長を最後に退役。「立憲自由党」設立。泡沫政党群を統合し、政府率いる「立憲政友会」とならぶ大政党へ変化していく。
天津条約締結。旧琉球王国問題は最終的に解決し、朝鮮半島は相互に中立を保証された中立地帯となる。
しかし、長崎事件(清国北洋艦隊水兵による暴動事件)により日本側の対外警戒感は頂点を迎える。

【1887年】
領事裁判権問題。法相井上馨による条約改正交渉において外国人裁判官の任命が俎上に上がっていたことが発覚し、第一次伊藤内閣は総辞職。
三条暫定内閣を経て、大村益次郎内閣が成立。
同年、改正公職選挙法が公布。選挙における投票権制限が緩和された。
三菱石川島造船所において初の国産大型汽船「いろは丸」が竣工。坂本龍馬の手により処女航海に出発しハワイへ。
日本海軍は地方戦隊を統合し、3個艦隊を設置。方面艦隊は維持する。
ハワイ一揆。日系移民の増大を見たハワイ王国の米国系資本家が蜂起するも、現地にきていた「いろは丸」および海援隊による武器提供を受けたハワイ義勇軍の手により鎮圧。
アメリカは抗議するも、世界は快哉を叫ぶ。

【1888年】
明治法典第一次改正。家父長制の緩和。
条約改正交渉において、アメリカとの間で交渉妥結。残る4カ国の承認で関税自主権の回復が成るとして国民の期待が高まる。
八幡製鉄所の大拡張工事が終了。当時、アジア最大の製鉄所となる。
夕張大金鉱、石狩大油田の相次ぐ発見。国内における海外進出論は立ち消えとなり、北方の資源を用いた経済拡大を目指す「経済成長計画」が閣議決定。
大村益次郎内閣は、資源利権を糧にした条約改正を提案する欧米を一蹴。
「今日の百文より明日の百万両」と有名な言葉を残す。
大英帝国ジョージ王子(のちの英国ジョージ5世)日本を訪問。続いてオーストリア帝国フェルディナンド公(のちのフランツ・フェルディナンド皇太子)も日本を訪問する。

【1889年】
初の国産巡洋艦「天城」就役。以後同型艦12隻が配備される。
日本海軍に英仏両国製装甲巡洋艦が配備されはじめ、数的増大が進む。
帝国鉄道山陽本線・東北本線が開通。
鉄道国有化問題、3日間の国会機能停止。
東京府誕生。横須賀線開業。
帝国博物館設立。
第一回衆議院議員選挙。立憲政友会と立憲自由党がそれぞれ躍進。

【1890年】
ハワイ革命未遂。
ハワイ王国内で大規模な蜂起が発生。ハワイ王宮の危機に対し、日系移民がどこからか持ち込んだ剣虎兵が介入。
日系傭兵(海援隊)により革命は鎮圧され、英米日三国による協議の結果ハワイの中立地帯化という妥協が成立する。
国歌「君が代」制定。
帝国議会において、いわゆる「シベリア鉄道脅威論」がはじめて言及される。
呉・横須賀・佐世保・大湊・室蘭の要港部が「鎮守府」に格上げ。

【1891年】
房総運河(利根運河)、琵琶湖疎水開通。
気象庁設置。
エルトゥールル号遭難事件。荒天のため、和歌山県串本町沖にてオスマン帝国海軍軍艦「エルトゥールル号」が遭難。日本側住民による救助ののちに、日本海軍巡洋艦「比叡」「赤城」に分乗しトルコへ移送。両国民の間に友好ムードが盛り上がる。
帝国学士会設置。のちに総研下の研究者交流組織として理化学研究所とならぶ存在に発展していく。
濃尾地震に伴い、初の災害派遣が実施。

【1892年】
日高見州庁、北辰市(旧苫小牧)に移転。
関門海峡鉄道航路・宇高連絡船航路を国有化。実質的に日本全土が鉄道により連結される。
東京湾要塞竣工。
この年、最後の租界駐留警備兵(15名)が撤退。日本本土から外国軍がすべて撤退する。
七カ国条約改訂。日本は念願の関税自主権を回復する。
全土が鉄道ならびに汽船・運河網で連結されたことによる効果が出始め、この頃の経済成長率は10パーセントを超え始める。
北里柴三郎帰国、理研ならびに総研の出資のもとで伝染病研究所を設立。


821 :ひゅうが:2014/01/03(金) 01:13:29

【1893年】
初の衆議院解散による総選挙。第二次伊藤内閣成立。
官庁集中計画(都心の再開発計画)が完了。
東京市下の上下水道普及率が50パーセントを超える。
淀橋浄水場が稼働を開始する。
神祇院審判。神祇院による宗教美術品の海外流出阻止を違憲と訴えた裁判が結審。領事裁判および大審院審判の双方で合憲と判断される。
御木本幸吉による真珠養殖の成功。ただちに政府出資により会社設立。
金輸出解禁。
朝鮮10月クーデター(癸巳政変)。大院君が政権を再度掌握。金王均宰相をはじめとする首脳陣が日本へ亡命。日清間での政治問題化する。
日英通商航海条約締結、領事裁判権を撤廃。

【1894年】
東学党挙兵。朝鮮王朝大院君派による圧政に抗議する民衆による蜂起が発生。正規軍との間で戦闘に入る。
ハワイ立憲宣言。ハワイ王国が立憲君主制へ移行。日英米三国に加え、ドイツ・フランス・オーストリア・イタリアが加わりハワイ王国の永世中立を承認する。
6月には東学党は全土を掌握し、大院君を排除、金王均らを呼び戻し改革の断行を宣言。
これに対して清国は軍事介入を決断。日清間の協議が決裂する。

7月1日、日本も軍事介入。「日清戦争」が勃発。連合艦隊編成、大本営は広島へ移動。
豊島沖海戦・平壌攻略戦・旅順攻略。
9月17日、黄海海戦。日本海軍連合艦隊は清国北洋艦隊を撃滅し黄海および渤海湾の制海権を掌握。
この年、露仏同盟が成立。

【1895年】
日清戦争、日本陸軍による満州地方への展開。
錦州奇襲。清国中枢部への強襲により、清国軍は兵力を分散。以後各個撃破されていく。
山東作戦。北洋艦隊残存艦艇の立てこもる威海衛を強襲し、これを占領。
天津会戦。清国陸軍主力壊滅。
北京会戦(盧溝橋会戦)、清国近衛部隊と日本陸軍の決戦。機関銃により大きな損害を出しつつも主力部隊を突破し北京攻囲へと移行。
下関条約締結。日清戦争終戦。10億両および遼東半島・台湾・海南島の割譲という結果となる。
三国干渉。露仏独三国による干渉により、日本は遼東半島を放棄。賠償金も2億両減額し、遼東半島売却金と相殺。
日本国内において「シベリア鉄道脅威論」に立脚した対露強硬論が台頭する。
理研内において国産初の無線電信実験に成功。

【1896年】
帝国議会、第一次国防力整備計画の改訂を決定。
英国に対し戦艦6隻を発注し図面を購入。陸軍の近代化推進を決定し造兵工廠を3カ所増設。いわゆる「臥薪嘗胆の方針」。
日英同盟交渉が本格化。
当初は日英米三国同盟案が優勢。
いわゆる「六六六艦隊計画」策定。舞鶴海軍工廠、新潟海軍工廠開設。
明治三陸大津波。帝国陸海軍による大規模災害派遣。
第一回近代オリンピック。日本は馬術競技一種目で金メダルを受賞。

【1897年】
塩・煙草専売制施行。
英国へ金塊100トンを決済用に追加輸送。
呉・横須賀海軍工廠において日本初の戦艦の建造が開始。
足尾銅山鉱毒事件。初の公害問題として耳目を集める。
4個軍増設。日本陸軍は16個(のち17個)軍態勢へと移行する。
2個艦隊増設。日本海軍は6個艦隊態勢へと移行する。
軍需特需景気発生。軍事力整備にともない一時的に景気が上昇し、経済成長率は15パーセントに達する。
バンクーバー・横浜航路就航。日英共同運行の開始。
朝鮮王朝、国号を大韓帝国に変更。皇帝高宗らの手でゆるやかに改革が進行する。

【1898年】
第3次伊藤内閣成立。
ドイツおよびロシア、三国干渉によって放棄させた諸権利を取得。日本国民の激昂を受ける。
「レマン湖の姫御前」。スイスにおいてオーストリア=ハンガリー帝国のエリーザベト皇后を日本人女性がたすけ、暗殺未遂で事件を終息させる。
同年、ドイツ皇帝フリードリヒ3世の放射線治療が成功。理化学研究所の技術に高い注目が集まる。
米西戦争。日本近海においても戦闘が起こったために日本国民の強い関心を受ける。
日本は敗戦したスペインに対し、南洋諸島の買収を提案。

【1899年】
南洋諸島買収。スペイン領南洋諸島周辺を日本帝国が買収する。
日本景教会使節団がバチカン訪問。
日本はバチカン大使館を開設し、政教協約を締結。
山陰本線および北陸本線開業。
著作権条約批准。
米比戦争が開戦。米国の帝国主義的なフィリピン侵攻と独立密約破棄に、日本の対米感情は悪化する。
イギリスにおいて戦艦「富士」就役。ただちに日本へ回航。
第2次ボーア戦争勃発。


822 :ひゅうが:2014/01/03(金) 01:14:11

【1900年】
日本における江戸時代の思想家 安藤昌益の海外への紹介。
東洋の共産主義者として注目を集めるも、彼への反論をまとめた「秋田文庫」が発見されたことから欧米経済学界は大混乱に陥る。
治安警察法制定。
パリ万博に日本帝国はその総力を挙げて出展を実施。第2次ジャポニズムブームを巻き起こす。
日英間で南太平洋諸島の領土画定。日英同盟交渉スタート。
義和団の乱(北清事変)発生。清国は列強諸国へ宣戦を布告。
初の国産戦艦「敷島」就役。
ホランド潜水艇の初の購入者として日本海軍の記録がある。

【1901年】
大英帝国ヴィクトリア女王崩御。
日本帝国からは皇太子嘉仁親王が訪英し葬儀に参列。
シベリア鉄道完成(一部を除き)。北清事変に対する軍事介入が実施される。
日本陸軍は第6軍を派遣し最大戦力を担う。
オーストリア連邦成立。
北京議定書調印。清国は列強諸国の半植民地へ転落。
日露協議。妥結せず。

【1902年】
日英同盟調印。
六六六艦隊計画艦第一陣12隻(戦艦6、装甲巡洋艦6)が出そろう。
この年、日本海側鉄道路線が全線開通。中央本線の東京・長野間が開通。
鉄道国有化が強行される。
ロシア、旅順要塞の完成を発表。極東総監府設置。
シーメンス事件。戦艦発注に伴う疑獄事件により、第4次伊藤内閣総辞職。
桂内閣成立。

【1903年】
第2次日露協議、妥結せず。
大韓帝国内で親露派によるクーデター発生。皇帝高宗がロシア公使館へ軟禁される。
六六六艦隊計画艦第二陣が完成。
陸軍内に攻城砲兵軍団を設置。戦艦用予備砲身を転用した列車砲群を配備。
ボーア戦争終結。英国領南アフリカ成立。
前首相伊藤博文のペテルブルグ訪問、第3次日露協商交渉を提案するも、強硬派の手により成立し得ず。
枢密院および総研、開戦不可避と判断。
同年12月、連合艦隊再度編成。
明治天皇によるロシア皇帝ニコライ2世への親書に返答なし。
日本政府、開戦を決断。


823 :ひゅうが:2014/01/03(金) 01:15:28

【あとがき】
――というわけで、明治維新から日露戦争直前までの大陸日本史でありました。
参考程度になれば幸いです。
新年一発目がこんなのでいいんだろうか…(汗


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最終更新:2014年05月31日 08:55