238 :名無しさん:2014/06/13(金) 20:12:31
ネタSS『英国のスパイ』
第二次大戦を終え、戦後処理に追われる夢幻会の中で一つの、しかし大きすぎる混乱が起きた。
戦後処理を行うに当たり、時系列順に物事を並べ立て、今後の戦訓とするために第一次大戦からの情報をまとめていた時のことだ。
「……一次大戦の頃、英国に潜入していたスパイの摘発率が高いのは何故だ?」
資料を眺めていたある士官がそう呟いた。
腐っても大英帝国といえば外交と情報の国である。
情報部――いわゆるスパイにとってみれば、ここほど居づらい場所もない。
日本の京都で、他県の人間が京都人を装うようなものだ。
仕草、隠喩、口調、訪れる場所――それら一つ一つがイギリス以外の人間にとっては地雷と化している。
尤も、それらを隠し通してこそのスパイといえるのだが、一次大戦前後の日本人スパイ――いや、日本人のみならず
世界各国の情報部員が手玉に取られる確率が非常に高かった。
当時の情報部はロシア革命に前後して、ロマノフ王朝救出に人員を割かれていたこともあり
日英同盟によって同盟国となっていたイギリスには、それほど過激なスパイ活動を行っては居なかった。
その為、当時の英国スパイ事情を探しだすのには数ヶ月単位の時間を要したのだが
ようやく出来上がった報告書を目にした夢幻会の人間は仰天したといっていい。
「……なあ、この『イギリス諜報組織におけるアイルランド系アメリカ人、アルタモントによる
スパイ撲滅活動が一因とみられる』という文面なんだが……」
「……ああ、記憶が確かなら、その名前は」
239 :名無しさん:2014/06/13(金) 20:13:32
アイルランド系アメリカ人、アルタモント。
痩せぎすの男であり、この男の活躍によってアメリカの諜報組織やドイツのフォン・ボルクという男率いるスパイ組織は壊滅に追いやられた。
これらは夢幻会の幹部――即ち転生者以外にはそれ以上の事ではなかった。
アルタモントという男は一次大戦時に戦死したのか、それ以後のスパイの歴史には登場してこないからだ。
存在しない人間を警戒する必要はない。
しかし転生者達には話が違う。
アイルランド系アメリカ人、アルタモント――その本名を知る者にとっては。
「まさか、実在したというのか?」
「それこそまさかだ、だったら今までイギリスに行った事のある連中が何かしら気付いてるだろう」
「いやしかし、元から空想だと思ってるものだし、記念館はそれこそ二次大戦後かなり立ってからの代物だ。
探しに行こうとは思わないだろう。
それに――」
――アルタモントの本名、それは世界で恐らく国王や女王と並び、もしかすればそれ以上に有名な男。
「――シャーロック・ホームズの物語だって、コナン・ドイルの名前で出版されていたじゃないか!」
シャーロック・ホームズ。
説明するまでもなく、世界で一番有名な私立探偵であり、パイプと推理をこよなく愛するイギリス紳士である。
しかしこの世界ではコナン・ドイルの名前によってホームズの物語は出版されており
モーリス・ルブランの出版するアルセーヌ・ルパンも存在していた。
史実通り1908年ごろにはルブランがルパン対ホームズなる二次創作を生み出し、ドイルに猛抗議を受けてもいる。
だがアルタモントという男が、フォン・ボルクというドイツ人スパイをはめたというのは
ホームズが最後に活躍する小説、『最後の挨拶』に登場する話そのものなのである。
「……まてよ、確か、そうだ。
シャーロッキアン(※熱狂的なホームズファン)達の想定によれば、ホームズの兄であり、イギリス政府における影の重鎮だったマイクロフト・ホームズは
1946年ごろ死去とされていたはずだ」
死去の寸前まで仕事が出来る人間は少ない。
少なくともマイクロフトという男は頭の働きはホームズ以上でありながら、エネルギッシュな所が一切見られない男であった。
少なくとも一次大戦の頃は気張っていただろうが、その後は引退に近い状態であったはずだ。
そうなるとイギリス政府における財務状況の悪化も一筋の理屈が通ってしまう。
「ドイルがルブランに猛抗議をした理由もそれだ、ホームズが『実在の人物』だから、架空の人物であるルパンとライバル関係……それも時には一方的にやられるなんてのは困りモノだったはずだ」
夢幻会の人間は頭を抱えた。
何故ならば、シャーロッキアンの推測によれば史実におけるこの時代、『ホームズはまだ存命』なのである。
死去を想定されているのは1957年。
ここまで世界環境が激変した現在では、その推測も当てになったものではないが、存在していないとも言い切れないのが人生の不思議である。
「ホームズの推理力が架空のものではないと仮定してみよう。
夢幻会の存在を探し当てたイギリス政府は、もしかしたらホームズに我々の全貌解明を依頼するかもしれない」
「それを受けるかどうかは別問題だが……もし受けたと仮定して、我々の秘密をあのシャーロック・ホームズ相手に守りきれるか?」
この事は夢幻会上層部にも伝えられ、夢幻会におけるシャーロッキアンを狂喜乱舞させたものの、同時にホームズの推理力をおそれ
更に防諜体制に力を入れる結果となった――
最終更新:2014年06月16日 20:51