304 :パスティス:2014/06/14(土) 22:33:17
『帝国の探偵事情』



 シャーロック・ホームズが実在する、の一方は夢幻会の頭痛の種となった。
 直ちに英国に存在する現地情報部員がイギリス南東部のサセックスへ飛ぶも
 (ホームズは探偵業引退後、サセックスにて養蜂を行い、本を出版してもいる ※『ライオンのたてがみ』参照)
 期待していた『誤報』の線は消え、シャーロック・ホームズがたしかにイギリスで探偵活動を行っていた事が知れたのだった。

「参ったな……ホームズが諜報活動に参加したとしたら我々で太刀打ち出来るか?」
「シャーロッキアンの作った年表(※1) によれば、今は(※1946年)存命中でも92歳の老人だ、日本にまでは来ないだろうが……」

 さらに言えば、下手に手を出して『事故』を起こすわけにもいかない。
 ホームズはイギリス人を忌み嫌うフランス人ですら敬意を払う男であり、また一説によればドイツ皇帝ヴィルヘルム二世や
 オーストリア帝国皇太子ですら評価しているのだ。
 これらは無論コナン・ドイルの小説の話であるが、だからこそ侮れない。
 欧州政治は複雑怪奇といったように、高貴な人物の間だけで用いられる共通認識となると
 如何に夢幻会といえどもたやすく入り込むことは出来ない。
 下手に害しようものならば、欧州の青い血を持つ全員から潜在的な恨みを買うことになる。
 既に日本に対しては複雑な感情を持たれているだろうが、必要以上に悪化させる理由もないのだ。
 ざわつく会合メンバーに対し、近衛がパンパンと手をたたき、発言を纏める。

「90の老人に、今の世界情勢で日本にまで調査に来る余力はないだろう。
 それに後十年守りきれば問題ないのだ。
 それに如何にホームズと言えど、我々が転生者などということまでは掴めまい」

 一部夢幻会の幹部は既に知られているのだから、後はさらなる重要機密を守りきればいい、と夢幻会は結論づけた。
 そしてぺらぺらと資料を捲っていた杉山が気がついた。

「そういえば、別に我々とて英国に諜報網を張っていたのだろう?
 小説の話によれば、確かホームズは対ドイツスパイとして政府に雇われたはずだ。
 何故我々がそんな有能なスパイの情報を得られなかったのだ?」

 それは確かに疑問であった。
 日本も情報が命とばかりに、如何に同盟国であり、手が足りなかったとはいえ、それなりの数の諜報網を作り上げていた筈である。
 なのに高名な探偵やスパイの情報が入らない、というのもおかしな話だ。
 だがそれはすぐさま理由が判明した。

「普通全く伝手のない状態からスパイ網をつくろうとすれば、まずは裏社会の人間。
 または外交官や商社などに接近します。
 開国以来、我々はありとあらゆる手段を使って海外に根を張り始めましたが
 イギリスは階級社会ですので、階層を飛び越えるための手段として裏社会の人間に手を回したのですが……」
「……ああ、成る程。
 モリアーティ教授が絡んでたのか」

305 :パスティス:2014/06/14(土) 22:34:13
 ホームズが実在の人物なのだとすれば、そのライバルであるモリアーティ教授も実在の人物ということになる。
 高名な数学者であり、イギリスで起きる犯罪の殆ど全てが彼につながるという犯罪王モリアーティ。
 当然夢幻会や帝国政府が接触した裏社会の人間ともつながりがあっただろう。
 だが1891年、モリアーティ教授はライヘンバッハの滝において、ホームズによってこの世から永遠に排除されることになった。

「また、これも調べてわかったのですが、1889年に起きた英国海軍での事件(※『海軍条約文書事件』参照)において
 英国政府の引き締めが図られた結果、金で転ぶような人間は軒並み更迭された模様でして……」
「クソ、直接関わった訳じゃないが、結局ホームズによってかなりの情報が絶たれたわけだ」

 成る程、名探偵というだけのことはある。
 無論、モリアーティ教授が死亡してからの間、一次大戦が起こるまでに情報網はかなり整備されていた。
 だが当初使っていたルートが使えなくなった事から、情報網は経路を変えており、ホームズも同時にそこから数年間表舞台に立たなかったため
 余計に帝国政府の目を逃れることになったという訳だ。

「こうなればいっそこちらも名探偵を雇いますか……蛇の道は蛇といいますし」

 ぼそりと呟いた嶋田の一言で夢幻会は日本国内における、『名探偵』の調査に入った。
 その結果は華々しいものとなる。
 明智小五郎に金田一耕助、それだけではなく、かの銭形平次の子孫という男まで見つかったのだ。
 架空の存在であったはずの名探偵集結に喜びつつも頭を抱えた――何せ彼らも潜在的な恐怖なのだから――夢幻会だったが、接触を持った結果の返答に更に困ることになった。

「名探偵が殆ど依頼を断った……?
 どういうことだ」

 名探偵を雇う、などという突拍子もない事を思いついた嶋田が報告書を見て問いただす。
 報告書に書かれていたのは、数名の名探偵に防諜活動に関する協力を求めたものだったが、尽くが断るか、もしくは時間が欲しいというものだったのだ。
 勿論名探偵といえばライバルがつきもので、明智小五郎といえば怪人二十面相であるし、この時代の金田一耕助は復員したてであり
 そろそろ獄門島の事件依頼が入ろうかという頃合いだ。
 しかし名探偵が揃って――というのに驚いた。

「は、それが……例を取りますと、明智小五郎は『最近帝都を騒がす鼬小僧と怪人二十面相の調査のため』
 金田一耕助は『復員後まもなく体力回復のためと、隼白鉄光なる盗賊拿捕のため』という返答が……」
「帝都の治安はそんなに悪くなっていたのか……?」

 内務省を統括する立場である近衛が頭痛を覚え、こめかみをほぐす。
 そしてふと見渡すと、一人の男が泡を吹いて倒れているのに気がついた。
 慌てて嶋田が駆け寄って気付けをすると、男は気がついた途端に叫んだ。

「鼬小僧有田龍三……隼白鉄光……そ、その名前は」

 ――それらは一人の男の名前を指していた。
 男の名前はアルセーヌ・ルパン。
 フランスにおける大怪盗であり、フランスがドイツに支配され、彼の美意識にあわなくなった今、帝都にて暗躍する男の名前であった。


※1
W・S・ベアリング=グールド著
小林司・東山あかね訳
『シャーロック・ホームズ ガス灯に浮かぶその生涯』参考

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2022年05月17日 23:05