435 :ひゅうが:2014/06/09(月) 21:35:42


日英激突ネタIF――第一次大戦語録


――「願わくば、諸君らの挺身が帝国海軍の復仇の礎とならんことを…桜の下にて待つ。」

遣欧艦隊司令長官 元帥海軍大将 東郷平八郎 1916年5月 戦艦「扶桑」艦上にて


――「祖国は危機にあるのです。ドイツ海上封鎖を続ける連合国の、それも大英帝国艦隊がかくも無様な、愚劣な判断を行ったことなどあってはならないのです。
それが、首相の決定です。
まことに…まことに忌々しいことに!
責めは私が負います。私はこれ以上、私の愛娘たちが辱められる様子を見たくない。」

前海相チャーチル卿へ面会したフィッシャー提督 この1日後、彼は報告先の日本大使館内の一室にて古式にのっとり割腹しているところを発見された。


――「なぜだ。なぜ彼が英雄なのだ。
一夜にしてわが友人たちはわが仇敵へと変わってしまった。なぜだ。なぜかくも彼らを辱められるのだ。」

サー・トーマス・フィリップス海軍大尉 1916年5月29日 凱旋式典の日の日記


――「東郷さあ…西郷どん…すまんこってす。仇は撃てもはんだ…」

遣欧軍団司令長官兼ヴェルダン救援軍司令官 陸軍元帥 乃木希典 直轄の1個連隊の突撃直前に呟いた一言


――「ここは祖国を何千里 離れて遠き北仏の 赤い夕陽に照らされて まみれる悲しさ誰知るや」

遣欧軍団に流行った替え歌 「友」をわざと抜いているあたりが彼らの悲壮な心境を思わせる


――「これを受け入れないならば、わが軍は貴国を敵として認識することになります。
即座に艦艇の接収に移りますがどうされますかな?」

英国外務省の担当官 報道発表に抗議する遣欧艦隊参謀に対して


――「大本営発表
勝利!勝利!
わが大海艦隊は、極東から身の程知らずにも大ドイツに挑戦してきた黄色人種の艦隊を全滅させた!
そのふがいなさには英国も失望!」

ドイツ皇帝大本営 1916年5月


――「あいつら…今に見ていろ。怒りが我々と彼らをひとつにする。
大英帝国なぞ、かけらも残してやるものか。」

某イタリア駐在武官の夢幻会員


――「わが軍は欧州で一敗地にまみれました。そして東郷元帥は英国の言葉を借りれば『無謀な突撃ゆえに』『結果的に』『助けられませんでした』。
『ですが、その責任は元帥自身にある』とのことです。
よろしいでしょう。
凱歌を叫ぶドイツ人に思い知らせてやりましょう。
8隻でだめなら16隻で、16隻でだめなら32隻で、それでもだめなら40隻で、彼らをすりつぶしてご覧にいれるべきです。
わが国の国力は幸い、かのドイツを抜き去りました。あの英国ができたことを我々ができぬわけがありませぬ。」

1916年10月 帝国議会にて 四○艦隊計画の審議にあたっての答弁

436 :ひゅうが:2014/06/09(月) 21:36:16

――「潜水艦?
くだらない。そんなこそこそしていないでご自慢の大海艦隊でかかってこい。
こちらはすでに貴国が倒しただけの数を再び揃えたぞ。」

1917年2月 中立国スペインにおいてドイツ駐在武官とイギリス駐在武官に挑発された某海軍軍人


――「我らは、かの極東の勇敢なる国に負けることをよしとしない。
彼らは対馬沖の凱歌をユトランド沖の悲劇で報われたもののその悲しみを怒りに変えて今日も我々を守るべく奮闘している。
かのルシタニア号を救助し、今日も黙々と船団を守り、あるいは西部戦線の塹壕で敵を睨む人々に報いるのだ。
我らは、マッカーサー連隊長に続こう。
『我らは日本とともに』の言葉とともに。」

1917年8月 アメリカ合衆国議会における参戦決定の際の演説


――「遣欧陸海軍かく戦えり。 後世格別のご高配を賜らんことを」

1917年10月 遣欧軍戦闘報告書の末尾


――「米軍はジャズでパリを征服した。一方日本軍はヴェルダンでハラキリをして自滅した。」

1917年12月 パリ新聞の風刺画


――「待っていたぜぇ。この瞬間をよぉ!!」

1918年2月 遣欧軍団参謀 ドイツ春季攻勢の開始を受けて


――「畜生、フランス人はやっぱり嘘つきだ!
何がサムライは腰抜けだ。弾痕は前半身にしかないじゃないか!」

1918年3月 春季攻勢中のドイツ軍にてある伍長勤務上等兵


――「後ろにあるのはパリに非ず。汚名を敵の血で塗り替えろ!!」

1918年4月 遣欧軍団第2代司令長官 上原勇作元帥 パリ前面の前線にて


――「あの数だけ頼みの腰抜けジャップとヤンキーの血はANZACよりも重いのか!」

1918年10月 大戦後に南洋諸島割譲を要求する豪州政府高官


――「もはや遅いのです。国民はもとより、政府までもが勝利の美酒と日露戦争の衝撃転じて侮蔑に変わっている。
『まだジャップよりマシだ』とね。
あの愚か者どもが…この勝利をピュロスやカンネーに終わらせるつもりなのか…」

1919年 ヴェルサイユ講和会議にて関係再構築を図る日本側へチャーチル卿が述べた言葉

437 :ひゅうが:2014/06/09(月) 21:36:53
【あとがき】――というわけで「落日の欧州」シリーズへ個人的な支援ネタであります。

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最終更新:2014年06月16日 22:25