799 :yukikaze:2014/07/07(月) 00:37:58
ひゅうが氏のマリアナ沖海戦に触発されて、自分はレイテ沖海戦を投下。
なお、今回の投下は前フリで且つ次の投下が一週間後だったら御の字ですが。
ちなみに、若干ひゅうが氏の設定とは相違しておりますのでご容赦のほどを。

  戦後夢幻会ネタSS――前史「彼らは来た」

1 敗戦の混乱

1944年6月に行われたマリアナ沖海戦で、アメリカ海軍は予想外の大敗北を喫することになった。
絶対の自信を持って送り込まれた空母機動艦隊は、12隻全ての空母が撃沈破されるという大損害を受けたのに対し日本側の空母の損失はゼロ。
2年前に行われたミッドウェー海戦の攻守を逆転したような結末であった。
まあマリアナに展開していた第一航空艦隊を指揮していたのが、ミッドウェーで屈辱を舐めさせ、ソロモンで復讐を果たした南雲忠一提督であった事を考えれば、これ以上ない程の皮肉と言えなくもない。
なお、今回の勝利の立役者である南雲は、これまでの武勲を称されて連合艦隊司令長官に推挙され、第三艦隊以来、彼と苦楽を共にしている高田利種(憂鬱草鹿が転生)を連合艦隊先任参謀に引き上げると共に、戦争後半の劣勢を、嶋田の代わりに軍令部総長に転任した古賀峯一と二人三脚で指導することになるのだが、これは別の話である。

さて、このマリアナ沖の大敗は、直接的な軍事力という点では、実の所大損害ではあったが致命的ではなかった。
確かに正規空母の実働数は一時的にゼロになったものの、真珠湾での突貫工事で<フランクリン><バンガー・ヒル><ワスプⅡ>は8月には修復を終え、同時期には<ハンコック><エンターブライズⅡ(史実タイコンテロガ)><サラトガⅡ(史実ベニントン)><レンジャーⅡ(史実シャングリラ)>がそれぞれ最低限の訓練を終えることで、マリアナ沖海戦と同じ正規空母数を数の上では達成できた。(軽空母もマリアナでの生き残りと本土の2隻を加えて5隻が投入可能)

だが、政治的・軍事的戦略においてはその限りではなかった。

801 :yukikaze:2014/07/07(月) 00:40:44
知ってのとおり、アメリカはマリアナ諸島を陥落させることで、超・空の要塞であるB-29を展開させ、戦略爆撃による日本の屈服を狙っていた。
しかしながらマリアナ沖海戦の大敗は、対日戦のスケジュールを根底から崩壊させてしまったのである。
マリアナ沖海戦での戦果を考えるに、日本海軍の航空部隊にも相当の打撃を与えたのは事実であろうが、しかしながら向こうは航空隊の錬成だけを考えればいいのに対し、こちらは失った艦の錬成というおまけもついているのである。
無尽蔵というべき回復能力を持つアメリカ合衆国と言えども、ソロモンでのキャンペーンと、半ば政治的な意味合いで実施され、そして無残に返り討ちにあったトラック沖海戦(ソロモンから適宜撤収を図った日本軍に対し、アメリカ海軍は本土とソロモンの中間地点であり、且つ日本海軍中部太平洋の一大拠点であるトラック諸島を奇襲攻撃し、日本軍の戦力再編を遅らせると共に、真珠湾の復讐を行おうとしたことにより生じた海戦。正規空母2隻、軽空母1隻で行ったこの作戦は、指揮官のパウナル少将が消極的な指揮を執った事と、この時期ラバウルから撤退していたラバウル航空隊主力がトラックに展開しており、彼らの猛反撃を受けることで、<エセックス>中破<ヨークタウン>大破(ヨークタウンは後、自沈)<インディペンデンス>撃沈の結果を受ける。)によって失われた熟練クルーの損失は無視できるものではなく、ようやく一人前に成長したクルーもマリアナ沖で失ってしまったのである。
再びクルーを訓練して、精鋭部隊に仕上げるとすれば、少なくとも1945年春までは時間が欲しい所であった。

勿論、海軍のそういった意見を受諾する程、ルーズベルトは寛容ではなかった。
彼にとっては、1944年秋に大統領選挙が行われるのである。
戦略上は優位に立ってきているものの、1942年後半から戦術的には負け続けているという状況は、ルーズベルトの戦争指導体制に疑問符が出されるのも仕方がなかった。
特に、マリアナの無残な大敗は、議会でも大問題となり、ルーズベルトが何回も釈明をしたほどであった。
大統領選挙での支持率が徐々に下降傾向を示している中で、ルーズベルトはとにかく戦果を欲しがっていた。
そして彼のその焦りに一人ほくそ笑む男がいた。
ダグラス=マッカーサーである。

802 :yukikaze:2014/07/07(月) 00:44:27
ダグラス=マッカーサーにとって太平洋戦争は実に不本意な戦争であった。
フィリピンでの屈辱的な撤退は彼の名声とプライドを痛く傷つけたのだが、それ以降の戦況も彼を不快にさせるものであった。
要衝であるポートモレスビーこそ守りきれたものの、ソロモン海での戦闘は海軍の不手際から敗北。
しかもその時の一連の海戦で、彼の手元にあった第七艦隊の巡洋艦部隊が強引に引き抜かれた挙句沈められたとあっては、怒るなというのが無理という物であろう。
結果、彼は、東部ニューギニア地域から撤退をする日本軍を捕捉撃滅することに失敗し、彼の不快さは頂点に達しようとしていた。空き家を取り返したところで何の武勲にもならないからだ。
もっとも、日本側からしてみれば、水上迂回作戦を取って、強固な防衛拠点を兵糧攻めにし、少ない損失て確実に勝利を得るマッカーサーの手腕は恐れられることになり、事実、フィリピンでの退却をバカにした参謀本部の人間が、夢幻会側の人間に孫子の一節を突きつけられ、前言を撤回した逸話もある。

その彼にとって、現状は素晴らしいの一言に尽きた。
何しろ海軍が自爆行為をしでかしてくれたお蔭で、これまで自分が散々主張していたフィリピン攻略ルートが俄然本命視されたのである。
戦争の主導権が自らに転げ込んだことに、マッカーサーは心底満足したというが、自分の手駒としつつあった第七艦隊を完全に自分の指揮下に収めるだけでなく、対地支援部隊というべき護衛空母群も30隻近く配備させるという成果を勝ち取れば、ご満悦にもなるだろう。
余談だが、暗号解読などでこの情報を得た夢幻会のある中佐は「米帝様マジ米帝」と、わかりきっていた事だがアメリカの生産能力の凄まじさに茫然としたとされる。
そして彼の手によって格段に強化された第七艦隊は、フィリピン作戦の前哨戦として、アンガウル島とペリリュー島に攻撃を開始。戦艦部隊による徹底的な砲撃と、護衛空母部隊による波状攻撃によって、マリアナ沖海戦の痛手が直っていない在パラオ海軍航空隊は壊滅し、侵攻部隊も上陸に成功する。
日本側も、護衛空母3隻を撃沈するも、数の暴力には勝てず、しかもペリリュー島の守備隊を指揮していたのが、史実の中川大佐ではなく、水際防御に固執していた派閥の人間であった事から、部隊は瞬時に壊滅してしまいわずか2週間で陥落という予想外の敗北を喫してしまう。
この事が、後の水際防御戦の廃棄と、徹底的なまでの陣地防御戦に移り、アメリカ陸軍に地獄の道を歩ませる事になるのだが、それでもこの両島の早期陥落により、アメリカ国民は久しぶりの大勝利に酔いしれ、マッカーサーの権威は天井のぼりになっていた。

そして彼はアメリカ本国に対して、日本側の体制が整わぬうちに一気呵成に決着をつけることを進言。
アメリカ政府中枢も、マッカーサーのスタンドプレーに血圧を上げながらも、彼の戦略センスは認めざるを得ずここに10月下旬、フィリピンへの侵攻作戦を正式決定するのである。

803 :yukikaze:2014/07/07(月) 00:56:34
レイテ海戦直前の状況をアメリカ視点で解説してみました。
まあマリアナでの大敗に一番喜んでいたのはマックでしょう。
ようやく主演にスポットライトが当たったんですから。
これで勝てば、マックは不屈の英雄になり、ルーズベルトや海軍にも屈辱の倍返しが出来るという物です。

                        • 勝てればね。

史実よりも艦艇の実戦配備が早まっていますが、これはソロモン海での大敗による一時的な正規空母消滅にアメリカ海軍が危機感を覚えて、突貫工事に次ぐ突貫工事と、訓練の一部繰り上げを行った結果と思ってください。
特にマリアナ海戦の結果で、正規空母保有数が(一瞬ですが)逆転していますので、アメリカ海軍としては何としても日本海軍の逆襲を推し止める必要性がありました。
その分、練度的には不安要因があり、これが最後まで足を引っ張ることになります。
(パラオ戦で盛大に護衛空母群利用して、それなりの損失を受けた航空隊への補充に人員とられたのも大きかった)

なお史実マリアナで失敗した水際防御戦をパラオで行って失敗させることで、日本陸軍の島嶼防衛の思想を転換させることにします。
まあ陣地防衛も援軍が来なければじり貧になるだけなので、水際防御考えるのも合理的ではあるんですけど、アメリカ軍の水陸両用部隊の充実を考えるとねえ。

次は、日本側の視点で前振りを投下するか、あるいはオルテンドルフ艦隊との激突まででしょうかねえ。リアル忙しすぎて、更新滞っているの多すぎなんですが(遠い目)

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最終更新:2017年10月01日 11:15