869 :ひゅうが:2014/09/13(土) 10:51:20

――「雪風」型駆逐艦 (旧甲型警備艦「ゆきかぜ」型)


全長:118.5メートル
全幅:11.2メートル
喫水:3.80メートル
基準排水量:2158トン
満載排水量:2820トン

機関:IHI・FW式C型缶2基 艦本式タービン2基2軸(6万馬力)
速力:35ノット

武装:Mk.39 54口径5インチ単装砲3基
   Mk.33 mod(J)3インチ連装砲(51式50口径3インチ連装砲)2基
   53式対潜ロケットランチャー(ボフォースロケットランチャー)1基
   Mk.10ヘッジボッグ対潜迫撃砲2基
   4連装対潜短魚雷発射管1基
   92式61センチ4連装魚雷発射管1基(のちに対艦ミサイルYシステムへ換装)

装備:DATAR改Ⅱデータリンク装置1基  
   OPS-1対空捜索レーダー1基
   OPS-5対水上捜索レーダー1基
   AN/SQS-4艦首ソナー1基
   OQA-1Aソナー1基
   NOLR-1電波探知機(ESM)1基
   Mk.63砲射撃指揮装置3基


同型艦:「雪風」「浜風」「磯風」


【概略】――旧海軍の陽炎型駆逐艦を戦後に改装した駆逐艦。
機関を米国製の高性能缶に換装し、主砲ほか装備もほとんどが戦後式装備に変更されている。
また、安定性を向上させるために艦側面にバルジを装着し、新型スタビライザーを装着しているなどして排水量は新造時の1割増しとなっている。

【設計と改装】――朝鮮戦争終結後、国防海軍は第2次世界大戦時に建造された艦艇群の近代化に着手した。
目玉となったのは言うまでもなく装甲空母「信濃」だったが、水上打撃部隊の主力であった旧第17駆逐隊、現第4戦隊の4隻の艦隊型駆逐艦も優先的に近代化が行われた。
これは第7戦隊を構成していた橘型駆逐艦と違い、比較的大型の船体を有していたために新造するよりも改装を行う方が安上がりであったという理由である。
加えて大戦型駆逐艦の特に防空能力と対潜能力は当時すでに限界に達しつつあり、極東ソ連軍に対抗するために特にこれらの強化が求められた。
そのため、主砲その他の武装のほとんどが米国製のものへと換装されることとなり当時の「余りもの」のうちでも最新のものや、開発されたばかりの実験段階の装備が多く搭載されている。
その多くは、建造中止になった「モンタナ」級戦艦3番艦「メイン」や「ユナイテッドステーツ」級航空母艦用に量産されたものであった。
改装設計を行ったのは、当時の海軍技術本部長であった牧野茂。
1953年から順次ドック入りして改装が施されたが、その途中でも当時搭載予定だったMk.108対潜迫撃砲を導入されたばかりのボフォースロケットランチャーに変更するなどの変更が加えられ続けた。
一方で、第二次日本海海戦においても活躍した魚雷発射管についてはそのままとされたが磁気信管付き誘導長魚雷の搭載によって対艦戦闘能力はむしろ向上している。


【艦歴】――1955年に3隻ともが改装を完了し第2艦隊第4戦隊に配備。
巡洋艦「酒匂」や戦艦「長門」とともに国防海軍の貴重な水上打撃戦部隊として日本周辺での定期哨戒を行った。
1960年代末からは長魚雷発射管を国産の対艦ミサイルシステム「Y(山桜)システム」へと換装し、新型の駆逐艦群とともに「華の水雷戦隊」として攻撃力を維持。
戦時における遼東半島とウラジオストクの戦艦2隻に対抗する役割を担い続けることになった。
その性質上配備地は豊後水道であることが大半で、関東などで本艦級を含めた水上打撃戦部隊を見ることができたのは観艦式か艦艇集合訓練などに限られていた。

また、太平洋戦争時に加えて朝鮮戦争でも大活躍した武勲艦であることから駆逐艦の中では天津風型とならんで人気が高く、国防海軍が広報のために定期的に実施する体験航海の嚆矢となったことも特筆できよう。

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最終更新:2015年04月25日 07:35