299 :yukikaze:2014/09/28(日) 23:34:25
な・・・何とか書けた。後はエピローグのみ。

  戦後夢幻会ネタSS――前史「栄光ある敗北」

6 勇者の如く

1945年4月17日午前零時。
アメリカ海軍第58-5任務部隊司令部は、憂鬱と高揚が入り混じった奇妙な雰囲気にあった。
まず憂鬱な点だが、日本海軍の水上砲戦部隊が未だ有力な戦力を保って、こちらに進撃を継続しているということだ。
第三艦隊に遅れて午後2時ごろに発見された第二艦隊に対し、アメリカ海軍はためらうことなく全力攻撃を行った。何しろ第二艦隊の戦力は、彼らが予想した以上の戦力だったからだ。
だが、彼らの攻撃は結論から言えば不徹底に終わった。
3個ある任務部隊の内、最大の戦力を誇っていた第58-1任務部隊は、日本海軍第五航空艦隊と日本陸軍第六航空軍からの波状攻撃により、大規模な攻撃隊発艦に支障をきたしてしまい、戦力として無価値にされてしまったのである。
無論、それでも2群、空母7隻からなる猛攻撃は日本海軍に痛撃を与え、真珠湾最後の生き残りである瑞鶴とその随伴艦を壊滅させてのけたが、彼らに与えられた時間はそれまでであった。
第五航空艦隊の切り札の一つである連山爆撃機12機の腹に抱えられた滑空誘導爆弾『菊花』(フリッツⅩのライセンス版)によって、最後の攻撃隊を発艦させようとした第58-4任務部隊の内、レンジャーⅡが轟沈。空母の盾になったアストリアとダルースも大破炎上後沈没し、アラスカとグアムも中破して離脱するなど、戦力としての価値を激減。
北に踏み込みすぎていた第58-2任務部隊は、空母の離脱と第二艦隊突撃を遅延するために夜戦を敢行するも敢え無い最期を遂げることになる。

既にこの時点でアメリカ海軍は、戦艦2、正規空母1、軽空母1、重巡1、軽巡4隻を失うという大損害を受けているのだが、彼らにとって悲劇は続き、第五航空艦隊が最後に放った切り札である銀河隊による夜間飽和攻撃(銀河36機による対艦ミサイル『桜花』の攻撃)によって、第58ー1任務部隊は、アンティータムとカボットが轟沈、ハンコックが発着艦能力を失い、護衛のアトランタ級軽巡洋艦も2隻失われるなど、損害にダメ押しを付け加えている。
つまり、第二艦隊の突進を阻むものは、第58-5任務部隊しかなく、彼らが推し止めなければレイテの再現が沖縄で現出されるのである。
無論、彼らの戦力は無力ではない。
戦艦4隻、重巡2隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦16隻は堂々たる戦力と言っていいだろう。
それに先程の夜戦で58-2任務部隊の水上砲戦部隊は壊滅したが、ある程度の打撃を与えたことも見込めている。
それでもアメリカ海軍が憂鬱だったのは、夜戦における日本海軍の強さが化物じみた代物であるということと、そして連中のなかに、フィリピンで暴虐の限りを尽くした破壊神が
いるという事であった。
なにしろこの艦隊には、あの破壊神が悪夢を振りまいたスリガオ海峡での海戦に参戦している者達も多いのである。
憂鬱になるなという方が無理であろう。

勿論、同時に高揚する気分があるのも事実であった。
沖縄にいる友軍を守る最後の砦が自分達であるという事実。
これまで風下に立たされ続けていた水上砲戦部隊が檜舞台に立てるというチャンス。
そして何より、自分達にはアメリカ海軍最大最強のアイオワ級戦艦が4隻配備されており破壊神相手に殴り合うには不足ではないという確信。
故に彼らは『時間稼ぎ』ではなく、積極的に相手を撃滅する方針を取るのである。

一方、相手になる日本海軍も又、士気は天井知らずであった。
昼間の空襲と第一夜戦において、防空隊は壊滅し、三隈、岸波、浦風が撃沈。筑摩、玉波、清霜が大破して撤退をすることになったが、それでも戦艦2、重巡8、雷巡1、軽巡1、駆逐艦14隻が戦闘可能状態で生き残っているのである。
砲弾にしろ魚雷にしろ、後1会戦分は十分にあるし、何より海軍航空隊に陸軍航空隊、そして囮役になった面々が体を張って自分達の沖縄突入を援護しているのである。
撤退など彼らにしてみれば論外以外の何物でもなかった。
それに何より彼らは、先ほどの夜戦で3斉射で敵戦艦を見事に轟沈してのけた大和を有しているのである。かつてあった『大和ホテル』などという悪口など地平の彼方へと消え去っており、全ての艦隊将兵から『最強の戦艦』と信頼されるべき存在になっている。
通信から、アメリカ海軍の大規模な艦隊が待ち構えているということが判明しても『アメちゃんのブリキ戦艦で大和と陸奥を止められるかよ』と言う声が圧倒的であった。

このように、双方ともにやる気十分である以上、決戦が起きるのは自明の理であった。
ここに太平洋戦争最後の海戦である『沖縄沖海戦 第二夜戦』が始まることになる。

300 :yukikaze:2014/09/28(日) 23:35:54
まず最初にぶつかったのは、アメリカ海軍と日本艦隊の前衛隊。
もっと具体的に言うと、アメリカ海軍前衛隊(軽巡2隻、駆逐艦4隻)に対し、前衛隊の前衛である雪風であった。
敵艦隊の奇襲を何よりも嫌った日本海軍は、歴戦の武勲艦である雪風の能力をもって、敵艦隊の把握に務めた訳だが、さしもの雪風もこの時の任務は相当に過酷であり、寺内艦長が
『この時ばかりは確実に撃沈されることを覚悟した』と述懐する程であったが、とにかく高速での回避に徹し、時には新兵器と称されて持ち込まれたチャフ発射装置を使うなど(ただし殆ど影響はなかったようであるが)ありとあらゆる手を使い、当たった砲弾が不発であったり、確実に当たるとみられた魚雷が艦底を通過するだけ等『幸運にもほどがある』『一生分の運を使い果たした』と、全乗組員が証言するような運の良さもあって、ほぼ無傷でこの海戦を生き延びることになる。
そして雪風の報告により、前衛隊及び、敵の前衛隊が重巡二隻含むとの報告により急きょ派遣された右翼隊(青葉、衣笠、北上)によって、敵前衛隊を押し込もうとした時、両軍双方の主力が到着。いよいよ両軍の本隊が激突することになる。

アメリカ海軍の指揮官であるデイヨー少将の方針はシンプルであった。
敵の巡洋艦及び水雷戦隊をこちらの巡洋艦及び水雷戦隊で抑える間に、アイオワ級4隻で大和と陸奥を叩きのめすというものであった。
彼は彼我の経験差から、複雑な艦隊運動を行った場合、日本海軍に付けいれられると考えており、それならばそれぞれの役割を固定することで、夜戦で必ず生じる混乱を防ごうとしたのである。

この動きに、宇垣は心底嫌な顔をしたのだが、彼らの方が高速である以上、彼らを無視して突破を図ることは不可能であり、彼らの思惑にあえて乗ることにする。
彼らの思惑に乗ることによって、彼らの油断を誘い、一瞬の隙をついてこれを倒す。
サンベルナルジノ海峡で見せた日本海軍の夜戦の練度に彼は賭けたのである。

そうしたことから、この第二夜戦を『単なる殴り合いの凡戦』と称する者がいるが、どちらもお互いの手の内を知っている以上、戦術的な粋を発揮できる余地が極めて少ない事を考慮に入れるべきであろう。
両軍ともに戦力が互角である以上(戦艦戦力ではアメリカが優位だが)、両軍の指揮官が重視するのは、この均衡が少しでも崩れた時を見計らっての決断であった。
故に両軍の指揮官は我慢の時間を過ごすことになる。

そうこうしている内に動きが出たのは、両軍の戦艦部隊であった。
まず膝を屈したのはウィスコンシンであった。彼女は先の夜戦ですでに損傷を受けていた陸奥に対して終始押し気味に砲戦を進め、彼女に大規模な火災を発生させていたのだが、ビッグ7として20年近く世界最強の座を守り続け、乗組員も古女房であるかのごとく彼女の性能を知り尽くしている陸奥の底力を見誤っていた。
陸奥最後の斉射となった第14斉射において、ウィスコンシンは司令塔並びに第一砲塔のパーペットを叩き割られ、指揮系統の一瞬の空白により第一砲塔の注水が遅れてしまったことで、第一砲塔の弾薬庫が誘爆。大爆発を起こして轟沈することになる。
ビッグセブンの執念が、無念の内に引き返さざるを得なかった長門の思いが、第一夜戦でのノースカロライナに続いて、ウィスコンシンの撃沈に繋がったと、生き残った陸奥の乗組員は証言することになるが、しかし敵戦艦の撃沈を見届けた後、陸奥もまた砲戦続行困難となり総員退艦。最後は第三砲塔が誘爆することで、沖縄の海へと没することになる。

この時点で、日本海軍は、最上撃沈と青葉の大破と引き換えに、敵前衛隊を壊滅させることに成功。
未だ互角の戦いをしている第二水雷戦隊の援護を命じつつ、更なる砲戦続行へと移行する。
対するアメリカ海軍も、均衡が崩れかねない状況にあることは理解しつつも、スリガオでの破壊神の活躍をどうしても念頭に入れざるを得ず、アイオワ級3隻の数の暴力で大和を押し込むという当初の計画を変更することはなかった。
後に、ミズーリだけでも敵巡洋艦排除に動くべきであったのではという意見がでることになる決定ではあるが、それだと短時間とはいえミズーリが砲戦で遊兵化することになり、果たして彼らの言う所の天秤をこちらに傾ける事が出来たかは難しい所である。
第一、この時点で大和は各所から火の手が上がっており、それは徐々に徐々に拡大していったのである。
デイヨー少将ならずとも『このままいける』と判断するのは無理もなく、しかもアイオワの砲撃により大和の第二砲塔基部が歪んでしまい、発射継続が実質不可能になったのだから猶更であった。

301 :yukikaze:2014/09/28(日) 23:36:56
もっとも、アイオワは大和の主砲塔を奪う代償として、大和の怒りの砲撃を浴びることになり、水中弾4発の打撃によって、デイヨー少将もろとも海神の御許に送られることになる。
大和にとって通算5隻目の戦艦撃沈であり、アイオワが急激に傾斜し横倒しになった時、大和の艦内は大歓声に包まれることになる。

この状況に、指揮権を継承したニュージャージーの艦長は賭けに出る。
彼は僚艦のミズーリと共に、1万メートル未満まで高速で突進し、一気に大和を屠る決意をする。
既にこちらの水雷戦隊は、第二水雷戦隊によって制圧され、押し気味であった巡洋艦部隊の砲戦も、北上による雷撃によって勝利の可能性は消えてなくなっていた。
このままでいくと、体勢を立て直した日本海軍の水雷部隊によって沈められるのは確定であり、それならば大和を沈めることによって、敵の最大戦力を消滅させ、勝負の行方を対等以上に戻そうとしたのである。
そしてこの捨身と言っていい戦法に勝利をしたのは・・・アメリカであった。
1万メートル未満での殴り合いにより、アメリカはニュージャージーが爆沈し、ミズーリも大和の砲撃によって第一砲塔と舵を吹き飛ばされ、戦力として無価値になった。
だが、彼らの捨て身の攻撃により、大和は全主砲塔を失い、更には宇垣長官以下第二艦隊司令部全滅という戦果を挙げることに成功する。
アメリカ海軍は最後の最後で、破壊神の力を失わせることに成功したのである。
アメリカ海軍第58ー5任務部隊は、自らの壊滅と引き換えに、日本海軍第二艦隊に致命傷を与えたのであった。

海戦から3時間が過ぎ、先ほどの激闘とは打って変わって、静けさがこの海域を支配していた。
第二艦隊の被害は甚大であった。
陸奥、最上、摩耶、那智、風雲、早波、朝霜、秋霜が既に波間に没しており、大和、妙高、青葉、北上、浜風、島風、不知火が大破。
辛うじて交戦可能が、利根、伊吹、衣笠、能代、長波、浜波、沖波、天津風、秋雲と、文字通り壊滅状態と言ってよかった。(磯風と雪風は前衛隊での死闘で残弾なし)
もっとも、闘将として名高い古村啓蔵少将は、沖縄進撃を諦めるつもりもなく、大破以上の艦に日本に戻るように命令すると、廃墟と化している大和に対して総員退艦の信号を送る。
彼にしてみれば、もはや大和は死に体であり、敵になぶり殺しにされるよりは、せめて味方の手で介錯しようと考えたのであった。

だが、その瞬間、全艦隊の人間が驚きの声を上げる。
戦艦大和が身震いするかのように振動したと思うと、軸先を宜野湾に向けて、静かにしかし堂々と進み始めたのである。
あっけにとられる二水戦の面々に対し、大和から発せられた信号は、後に大和の伝説を決定づける代物となる。

『我ハ大和。戦艦大和。矢尽キ刀折レテモ尚、我身ヲ以テ沖縄ノ盾トナラン。我ハ誓約シタリ。
 助ケヲ求ム沖縄県民ヲ救ウコトヲ。我ガ誓イヲ果タサセタマエ』

302 :yukikaze:2014/09/28(日) 23:37:33
この電文を返したのは、重傷を負いながらも、第二艦隊司令部で唯一生き残った森下信衛参謀長によるものであったのだが、驚くべきことに、あれだけの打撃を受け、且つ傾斜が復旧していなくてもなお、大和は15ノット近い速力を出していた。

「正直あれを見て、私は大和が本当に『戦艦ではない何か』だと思いました。アメリカ海軍軍人が大和に恐怖を覚えるのには無理もないです。我々も覚えていましたから」

沖縄沖海戦の取材を受けた長波の乗組員が、戦後のインタビューでこう答えているが、最後まで歩みを止めぬその姿に、第ニ艦隊残存艦隊の乗組員達の心から、悲壮や高揚と言った感情は消えどこか澄んだような心境になったと証言するものは多い。

『沖縄県民を守るために、大和と一緒に死ねるなら本望じゃないか』

彼らの脳裏にあったのはそれに他ならなかった。

1945年4月17日午前6時30分。
宜野湾に展開している味方輸送船団を守らんと悲壮な覚悟で出撃する護衛部隊と、徹夜の復旧でからくも出撃に間に合った第58ー2任務部隊の攻撃隊120機は、遂に宜野湾に到着した第二艦隊に対して集中攻撃を加えるのだが、第二艦隊は思いもよらぬ行動をとる。
攻撃直前、大和以外の全艦が単従陣を組むと、最大船速で宜野湾に突入したのである。無論、丸裸の大和は艦載機からの猛攻撃を受けるのだが、大和は何発もの魚雷や爆弾を受け
ながらも、歩みを止めず、遂に敵の攻撃隊の攻撃を一身に受けて、宜野湾沖の浅瀬に着底。
その身をもって第二艦隊突撃の為の盾となった。
そして大和の最期を背中に感じた残存部隊も、大いに暴れまくり、ある艦は敵の旧式軽巡洋艦と刺し違えて沈み、ある艦は、自ら座礁して、艦爆の爆撃を何発も受けるまで、目標と定められた地点に向けてありったけの砲撃を加え続けていた。
狼に襲われた兎の如く、護衛部隊と幾ばくか残っていた輸送船団。そして港に無数に存在していた補給物資は、彼らの手によって叩き潰され、第二艦隊全体が盾となって、第58任務部隊の攻撃を吸収したことにより、陸軍の反撃作戦である『義烈』の成功を手助けし、ひいては沖縄戦の長期化を決定づけることになる。

そう。連合艦隊は、その身を犠牲にして沖縄の陥落を救ったのである。
それはまさしく勇者の如きふるまいであった。
連合艦隊の実質的な終焉を飾るに足るものであったと言えるであろう。
そして時代は、勇者に対して恩寵を与えることになる。

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最終更新:2020年05月04日 14:53