224 :ひゅうが:2014/02/11(火) 03:31:35
※ ちょっと思いついたので10分ででっち上げた小ネタを投下します。

日英独三帝同盟(大連合)ルート 「戦間期の大陸日本」 断章――「義理と人情」

――西暦1923(大正13)年9月1日 大日本帝国 帝都庁管内 帝都東京 日比谷公園

「御無事でありますか?閣下。」
「あ、ああ。何とかな。そうか、これが地震というやつか。」

ウィンストン・チャーチルはヘルメットをかぶりなおすと、傍らに駆け寄ってきた日本海軍の武官に肩を貸してもらいながら立ち上がった。
ここは日比谷公園。
インペリアル・パレスの中央に位置する…わが祖国でいうならトラファルガー広場のような場所である。

「被害状況報告!」
「地割れはおさまりました。現在、帝都庁との予備回線が生きていますので確認しています。」
「首相官邸に伝令を走らせています。」
「よし。道路状況を最優先で確認せよ。間違いなく住宅地で火災が起こる。都民の避難経路を確保するんだ!」
「我が英国大使館の庭も開放しよう。」

閣下!?と声を上げる駐在武官を手で制し、チャーチルは視察に同行していた大使に目配せする。大使はしばし考え、やがて頷いた。

「有難くあります。閣下。」

嶋田繁太郎という名の海軍大佐は丁寧に一礼し、チャーチルの申し出を部下に伝え始めた。
それを聞いたらしい日比谷公園に集まった訓練参加者たちから称賛の声が上がり始めた。
これだ。こういう時こそ、同盟国の真価が問われるのだ。とチャーチルは思う。

インペリアルパレスに招かれた皇太子殿下の無事は、周囲の落ち着き具合からして確実だろう。ならば、今は点数を稼ぐべき時なのだ。

――ウィンストン・チャーチル卿が首班をつとめる対日訪問団は、この日、日本帝国政府が主催していた首都圏総合防災訓練の視察をしていた。
この訓練には、関東地方の政軍はもとより、民間組織も多くが参加していた。
先の大戦において空襲を受けたわけでもない日本の防備体制や意識に少しばかりの危惧を抱いていたチャーチルの予想はいい意味で裏切られた。
なぜならば、まさにこの日、巨大な地震がこの人口500万を超える帝都を直撃。
訓練は一気に実践へと変化し、日本軍やそれを中心にした防災担当者たちと国民はみごとにこれに対処しつつあったからだった。

これをじかに見ることができたチャーチルは、同盟国への評価を上方修正するとともに、有事における信義を果たそうと考えたのであった。
そして、真っ先に大使館を開放し被災者を受け入れることを表明した英国は、これに続いたドイツとともに大きく評価を上げることとなったのであった。
なお、米国は政府における支援こそ昨年のワシントン会議の顛末から小規模にとどまったものの、日露戦争以来の友好関係を堅持していたクーン・ローブ商会やハリマン財閥などが手厚い支援を実施して日本国民の対米感情を和らげた。
残念ながら、初期対処の成功から小規模にとどまった火災被害とは逆に米国政府やメディアは思い切り感情を逆なでしてこの努力を台無しにしたのであるが…

225 :ひゅうが:2014/02/11(火) 03:32:09
【あとがき】――というわけで嶋田さんを初登場させてみました。

226 :New ◆QTlJyklQpI:2014/02/11(火) 12:02:52
乙。チャーチルは火災現場で葉巻を吸わないように必死で自重してそうw。
そして米国、ナニカシタヨウダw。

タグ:

設定
+ タグ編集
  • タグ:
  • 設定

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2014年12月23日 09:46