761 :わかる?のひと:2014/02/21(金) 00:10:51
何となくこんなものを思いついてしまったのですが。
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日露戦争における陸での戦訓は誰の目に見える形で朝野に示されていた。
火力こそ正義。
満州に於いて生起した数多の会戦に参加した将兵らにすれば、まさに金科玉条といってもいいほどの戦訓だった。
そしてその火力の原動力の一つが、かの有名な三十五式三十糎列車砲である。
しかしながら列車砲には根本的な問題があった。
「列車砲は鉄路の上しか進めない」ことである。
これを憂慮した陸軍省参謀局は、牽引式の30.5cm砲こそ新たなる戦争において必要であると結論づけた。
それ故に陸軍省は総力を挙げて兵部省を説き伏せ、新型火砲開発の予算獲得に成功。

陸軍省は遂に開発を開始した。
牽引砲なれど、重量的に馬匹牽引が不可能であろう事を考慮した陸軍省兵器局は、牽引車、弾薬輸送車、そして砲弾の運搬、給弾等に使用する起重車等の研究開発も進められるにいたった…

そしてできあがったのは、総重量30トン超の試製30糎榴弾砲、履帯装甲車(日露で現地作成され投入されたテクニカル馬車の着想を受けて開発されていた)向けの100馬力級エンジンを2発載せた試製18噸牽引車、400kg近い重量を持つ12インチ榴弾を運搬する試製30糎砲弾輸送車、もし牽引車が泥濘や窪み等に陥った場合でも引き上げうる能力を持った試製起重車など。

性能的に、有用であったことは事実ではある。
しかし路上で運用するには砲システムが大きすぎ、いささか使いづらいことがあったのも事実であった。
使い勝手の点でいえば、同時期に開発されたもう少し手軽な口径の榴弾砲のほうが上ではあった。
実際、英国も同様の12インチ榴弾砲は開発したものの、こちらは牽引砲ではなく組み立て式の攻城砲としてであった。

この試製30糎榴弾砲をはじめとする砲システム一式を、英国人はこう評した。
「必要とした経緯は分かるが、まさか本当に実現するとは思わなかった」
そして、英国人が日本の新兵器をこう評するのは、これが終わりではなかった。

 

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最終更新:2015年01月10日 20:59