527 :ライスイン:2014/12/28(日) 19:20:38
1908年2月初旬某日 アメリカ合衆国ホワイトハウス


「連中の植民地の接収は順調の様だな。」

ルーズベルト大統領が補佐官に尋ねる。

「はい、ベルギー・オランダ、ポルトガルの接収は完了。行政組織の構築も終わり、防衛部隊の配置も完了しています、」

その報告に満足する大統領。

「大統領、欧州同盟の連中がまた日本との講和の仲介を要請してきております。」

「またか・・・。」

国務長官の報告に顔を顰める大統領。
これまで2度行われた会談では欧州同盟や英国の現状を見据えていない横暴な態度やふざけた要求によって講和は流れ、仲介した
合衆国の面子を大いに傷つけていたからだ。

「それが連中はアジア地域の植民地譲渡や資源の安価での優先売却、国内の市場開放及び賠償等を表明しています。」

「以前の日本の要求をほぼ受け入れるという事か、流石にあれだけやられればな。」

2度にわたる海戦の敗北による海軍の壊滅や将兵の大量戦死、アジア及び一部アフリカの植民地喪失に加え、本土を伝染病や
半島戦士に汚染された。おまけに植民地喪失による経済的打撃も加わり反政府デモや暴動も多発していた。

「それと先の3国は正式に植民地を資産ごと譲渡するとの事です。」

「当然だな。それに他の連中の金払いも良くなった事だし良しとしよう。」

明るい話題により執務室内の雰囲気も良くなっていく。

「それと大統領・・・、日本の”棄民放出攻撃”ですが・・・。」

アメリカでは日本が行った半島戦士欧州放出を棄民放出攻撃と呼んでいた。

「その話題には触れるなよ、国内の黒人問題やインディアンの件が蒸し返される。」

自分達も似た様な事をやっていた為にその話題を表に出すと過去の所業を蒸し返される恐れが有った。

「講和成立後に新たな国際条約を提案してそこで検討すればよい。それと日本側へ講和要請があったことを連絡してくれ。」




                     孤立大陸 第9話「終戦」



 1908年1月、欧州は疲弊と混乱の極みにあった。先にも述べた日本との戦争による各種影響により国内はガタガタになり
杯政府デモや暴動も続発。また戦争終結と譲歩による講和を求める声が市民だけでなく政治家の間からも上がり始めた。
しかし政府や軍の首脳部は植民地回復にいまだこだわっていた。植民地を失ったままでは復興に支障が出る、更に
有色人種に無様に負けたままでは自分たちの名誉や威信が回復できないからだ。同盟各国の首脳部としては最低でも白紙和平、
可能であれば日本からの賠償がなければ講和はしないと決め、そのように表明していた。

「我々は日本からの賠償の申し出がなければ講和には応じない。」

「世界各国の心ある人々(白人)よ、我等と共に邪悪なる日本を打ち破ろう」

しかしこれらの表明は最初は戦争を支持していた自国民からの支持すら得られず、逆に譲歩してでも戦争を止めろという声が大きくなった。
そして決定的な出来事・・・・・オランダ革命(※1)が発生した。

528 :ライスイン:2014/12/28(日) 19:21:10
切っ掛けはアムステルダム市内で発生した戦争反対や食料を求めるデモが政府庁舎前を通過し、王宮に接近した時に起った。
警備にあたっていた陸軍部隊がデモ隊の数の多さやその威圧感に恐怖し、命令の無いまま発砲して多数の死傷者が発生したのだ。
これによりデモは暴動に発展。何所から流れたか分からない武器が大量に暴徒達に渡り、事態は完全に市街戦になっていた。

「我々は無能な政府と王室を打倒し、人民の為の理想郷を建設する。」

そしてこれを機会と捉えた社会主義者や共産主義者に無政府主義者などの団体が決起。3日間の市街戦の末にアムステルダム市内を制圧し
オランダ革命政府の樹立を宣言、この急な事態に動転したオランダ政府と王室は隣国ドイツに逃げ出した。
この革命自体はオランダ政府からの要請によって派遣されたドイツ軍やフランス軍、そして国内各地から出動したオランダ軍により
1週間で鎮圧したが自国での革命を恐れた各国に日本の要求を受け入れての講和を決断させる要因にもなった。
またほぼ同時期にトルコ国内では無血革命によりオスマン帝国が消滅しトルコ共和国が成立していた(※2)。

 そんな中、1908年2月14日にニューヨークで3度目の講和会議が開催された。
再び揉めるかと思われたが後がない同盟側は日本の要求をほぼ呑む形になった。その内容は

○戦争責任

欧州同盟各国及び清国は日本との戦争を引き起こし、またそれに加担した責任及びタイ王国侵略の非を認め謝罪する。

○賠償

01:オランダはアジア植民地全域を日本に割譲する。

02:フランスはインドシナ地域及びジブチを日本に割譲する。

03:ロシアはハバロフスク以東を日本に割譲する。

04:ポルトガルはマカオ及び東ティモールを日本に割譲する。

05:スペインはカナリア諸島を日本に割譲する(※3)。

06:ドイツは青島を日本に引渡し賠償金を支払う。

07:朝鮮王国は解体され、国土は日本が併合する。それに伴い王室・政府及び全ての住民は旧国土より退去する。

08:清国は遼東半島全域を日本に割譲する。またドイツから日本に引き渡される青島を日本に日本領土と認め正式に割譲する。
  そして賠償金または相当額の資源を引き渡す。同時に国家消滅した朝鮮人の為に四川省西部に朝鮮族自治区を設け、
  旧国土より退去する朝鮮人すべてを受け入れる(※4)

09:イタリア・トルコ・モンテネグロは日本に対して賠償金を支払う(※5)

10:各国は日本企業に国内市場を全面開放する。


○戦後復興について

日本は欧州各国の復興事業に必要な人材を融通する(※6)

○軍縮について

各国の良識と自主性を尊重する(※7)


以上の内容で講和が正式に成立した。
併せてアメリカやイギリスも含めて棄民放出攻撃禁止条約が締結され、棄民を武装させて戦争相手国領土に意図的に放出させる類の
攻撃が禁止される事になった。


 1908年2月20日 東京・夢幻会会合場所

「やっと終わりましたな。」

「領土は拡張できたし邪魔なあの連中は遠くに追いやることが出来た。ロシア人も海に出る手段を失った。損害は出たが結果的には良しだな。」

最善ではないが日本に有利な結果に概ね満足する会合参加者。

「英国や豪州も敵対的な行動の謝罪をしてきましたしね。」

529 :ライスイン:2014/12/28(日) 19:21:45
講和締結後、日本側代表は英国及び豪州大使からの接触があり、先の戦争における義勇軍・傭兵艦隊派遣などの敵対行動に対して謝罪され、
お詫びとして国内市場の開放(英)と日本船舶のスエズ運河10年間通行料免除(英)およびラバウル諸島の譲渡(豪)を伝えられた。
彼らとしては強大化した日本軍の次の標的にされることを恐れていた。白豪主義の反日国家である豪州は特に恐怖を感じていて戦っても
勝てないと分かっていたのでプライドを捨てて詫びることを選択したのだった。

「それに英国も焦っているな、疫病対策や海軍増強の為に資金不足になって、工面するためにアメリカに植民地を売却していたな。」

その言葉の通り英国は欧州で蔓延する疫病への対策や日本に対抗する為の海軍増強などで資金が足りなくなり、ベリーズやガイアナといった
南米の植民地を米国に売却していたのだ。それにより米国は南米での足場を得ることが出来、より一層南米進出が盛んになっていった。

「それと軍縮の件はどうします?」

「売却か譲渡すればよいだろう、南米はアメリカを刺激するからタイかトルコ共和国だな。」

「まあ我が国との関係改善を望んでいますしね。それに国民の対トルコ感情も悪くないですし。」

この時点での日本国民の対トルコ感情はそれほど悪くなかった。一時は”恩を仇で返した”と悪化していたが戦争を決断した政府やスルタンを
自らの手で引き摺り下ろした事が評価されていたのだ。それに加えて台湾のトルコ兵捕虜収容では現地住民や訪問日本人との交流やそれを通じての
トルコ文化・料理の普及なども評価を上げていた。戦後、彼らの多くは新体制となった祖国に帰還して暖かく迎え入れられたが中には現地に残留して
帰化する者も居た(※8)。

「まあ戦争は終わったんだ。植民地の開発と住民の教育や防衛体制の構築などやることは沢山あるからな。」

確かに戦争は終わった・・・・・日本はだが。


 講和条約締結後、内容の履行は速やかに行われた。
植民地や領土の引き渡しは滞りなく行われ、併合した半島住民の移送や欧州各国の復興の為の労働者提供も一部暴動があったものの問題なく
終了していた。しかい・・・戦火は止まなかった。

 1908年3月15日、大陸では新疆全域を占領し、補給と道路網整備の為に停止していたロシア軍が進撃を再開した。
更に条約履行完了後、イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・オーストリア等が上海租界での自国民虐殺及び賠償の不履行を理由に清国へ
宣戦布告。併せてロシアも正式に清国へ宣戦布告した。
残存する数少ない主力艦を動員し、英国もキングエドワード7世級やダンカン級など比較的新しい艦を編成に加え、日本の攻撃を心配しなくて良い為に
徴用した一般船舶まで用いて万単位の陸軍を輸送。インドやシンガポールなどイギリスの拠点を利用して極東へ進出し清国へ攻撃を行うことが
決められた。

530 :ライスイン:2014/12/28(日) 19:22:15
※1:植民地を全て損失し、極度のインフレや失業者数の増加に加えて予算不足による公共サービスの低下や年金(遺族年金含む)・各種補助金の
   カットなどで国民の不満が高まっていた。またレーニンなどのロシア系共産主義者が自国での革命のテストケースと考えて協力していた。

※2:反政府・反スルタン運動が極度に高まった衝撃で正気に返ったスルタンが”最早これまで”と観念して政府首脳部と共に運動の指導者らと会談して
   自ら帝政の終焉と共和制への移行を宣言した。お蔭で無血での体制変更となり、トルコ領を狙っていた国々に付け入る隙を与えなかった。

※3:予算不足かつ価値の損失により維持出来なくなった同地を半ば嫌がらせ目的で割譲を決めた。もっとも夢幻会としては”最後の手段”を行う場所を
   確保できた事で満足していた。因みに同地に派遣された艦隊で帝国海軍大西洋艦隊が編成された。またフランスから割譲されたジブチでも
   帝国海軍インド洋艦隊が編成された。

※4:講和成立時の残存人口は約400万人前後で内300万人が後述の項目においてアフリカに派遣された為、「四川西部朝鮮族自治区」に移送されたのは
   100万人。清国へ亡命していた元朝鮮国王高宗は”朝鮮族族長 兼 自治政府首長”に就任。旧両班が閣僚や役人を務めていた。

※5:奪うほど価値のある領土を持っていなかったので額の違いはあるが賠償金で決着をつけた。後にトルコについては資源との引き換えや企業への
  優遇措置に加え、日本製兵器の購入が決められたために大幅に減額された。

※6:ドイツやフランスにイタリアは本国復興の為にアフリカ植民地から更なる収奪を開始していた。その過程で労働力が大幅に不足した為、講和条約に
   則って日本側へ労働力の派遣を要請。これに答えた日本は朝鮮人300万人(老若男女問わず)を”低賃金労働者”として派遣した。

※7:勝者に軍縮を強制できず、同盟各国は軍縮以前に海軍がほぼ壊滅していた為に上記の文を記載してお茶を濁していた。

※8:現地の台湾人や日本人と結婚したり、本国から妻子や一族を呼び寄せるなどしてして定着していった。中にはトルコ料理天やトルコ製品を扱う店を
   開業する者も居た。特に有名なのは元英国軍事顧問でトルコに魅せられて帰化していたA・バル○フェルド氏が開いたトルコ料理屋”砂漠の虎”。


 如何でしょう?やっと(日本の)戦争が終結しました。
オランダでは僅かな期間ですが革命が勃発。他の国も国内情勢の悪化やオランダでの事態に恐怖して日本の条件を受け入れる形で講和に応じました。
そして日本は状況が極度に悪化した場合の最終手段を実行する場所を手に入れ一先ず安心するとともに大幅に広がった版図を開発・維持していくのに
苦労することになります。そして欧州同盟は敗北の腹いせに”裏切り者”の清国に宣戦布告しました。


~予告~

日本との戦争で疲弊した欧州各国及び英国は復興と軍備増強の為、極度の予算不足に陥り上海での事件を理由に清国へ宣戦布告し軍隊を差し向けた。
可能な限り奪い取ろうと暴れまわる欧州各国軍。一見協調しているように見えていたが綻びも徐々に大きくなっていった。

次回”清国の崩壊、そして大戦への道筋”

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最終更新:2015年01月31日 19:38