504 :ライスイン:2014/12/01(月) 17:55:55
1905年11月某日、上海列強租界から全世界に向けてSOSが発信された。

「日本鬼子め、財宝はどこにあるんだ!!」

日本人(とアメリカ人)が逃げ出した後の租界日本区域に大量の清国兵と周辺住民で溢れていた。
これはどこからともなく”日本租界には財宝が大量に隠されている”(※1)という噂が蔓延し、真に受けた連中が
大挙して押し寄せてきたからだ。勿論財宝なんてあるはずもなく、彼らの苛立ちは高まっていた。

「おいっ、どうやら他の列強租界の連中がすべて持ち去ったみたいだぞ。」

「なんだとっ!!西洋人どもめ、われらの財宝を取り戻せっ」

こうして各所で煽られた連中が日本区域から列強租界へと侵入し始めた。
無論、租界警察や駐留陸戦隊に武装市民らが迎え撃ったが10万をも超える圧倒的な数に蹂躙された。
そして行われる殺戮・略奪・暴行・破壊・・・しかし助けは来なかった。
日本は敵国同士の壮絶な内ゲバに無視を決め込み、米国もアジア配備の艦艇が修理のため本国に帰還中。
清国は鎮圧?に派遣した部隊まで略奪に走る始末。
結局、要請を受けたシンガポールや香港駐留英軍が到着した頃には租界は破壊しつくされ、住民の8割以上が死亡。
生き残ったのは乱暴された女性のみという凄まじい状況であった。



       孤立大陸 第3話「白の落日の始まり」  


 1905年10月20日、準備を終えた日本軍は早速行動を開始した。初期の行動目標として

第1段階:上海租界からの法人撤退援護・各種謀略、ポルトガル領マカオの攻略
第2段階:東南アジアの港湾を中心とする重要拠点の艦砲射撃による破壊、通商破壊による物流の遮断
第3段階:現地ゲリラ組織や住民への武器供与及び軍事訓練による植民地の不安定化 である。

第1段階の租界からの撤退については戦艦香取及び鹿島を派遣。威嚇発砲を行い

「租界から出ず、撤退の邪魔をしなければ攻撃しない」

と脅しながら租界在留の日本人を避難させた。同時に戦争に巻き込まれることを嫌ったアメリカも本国からの指示で
駐在する国民をフィリピンに避難させた。その後、日本特務機関が工作を行い冒頭の事件が発生してのだった。
これによって清国は更に欧州同盟(&英国)から毟り取られ、その後に国家崩壊に至るのであった。

 マカオについてはあっさりと終わった。
もともと警備用の小型艇しか居らず陸上戦力も僅かであった為、戦艦富士・八島による艦砲射撃の後に海軍陸戦隊3000名が
強襲上陸を仕掛け僅か3日で陥落した。また膠州などから撤退してきたドイツ艦隊(旧式フリゲートや輸送船など)もついでに撃滅。
これにより本土周辺の及び台湾の安全を確保した日本は第2段階へ移行する。


 1905年11月5日、台湾・海南島そして本土から複数の艦隊が出撃した。

505 :ライスイン:2014/12/01(月) 17:56:26
○第2艦隊(目標フランス領インドシナ):戦艦 敷島 初瀬 朝日 三笠

○第3艦隊(目標オランダ領インドネシア西部):戦艦 十勝 羅臼、香取 鹿島

○第4艦隊(オランダ領インドネシア東部):戦艦 河内 摂津、薩摩 安芸

○第5艦隊(目標南太平洋ドイツ植民地):装甲巡洋艦 鞍馬 伊吹

○通商破壊部隊:装甲巡洋艦 磐梯 乗鞍、筑波 生駒、春日 日進、出雲 磐手

 これらの艦隊に対抗できる力は・・・アジア方面の列強にはなかった。
フランス領インドシナでは最大戦力だった旧式巡洋艦があっさりと撃沈。オランダ東洋艦隊は同盟主力との合流を目指して逃走。
拠点となる港や工場、軍事施設など艦砲の届く範囲の目標を片っ端から破壊していった。
また通商破壊部隊も猛威を振るい、同盟各国の船を片っ端から拿捕または撃沈していた。しかし・・・ドイツ植民地では様子が違った。


~ニューギニア近海 装甲巡洋艦鞍馬艦橋~

艦橋内は艦隊司令官以下全員が怒りに包まれていた。
第5艦隊は南太平洋のドイツ領攻撃のため、ニューギニアへと向かった。そこで目標を確認すべく偵察に出していた防護巡洋艦から驚くべき知らせが入った。

2港など各地に豪州の旗が掲揚されている。また豪州兵の展開も確認”

この報告により司令官は目標への接近を中止。艦隊を終結させ対策を練ろうとした。そこへ豪州の役人が使者として訪れた。

「南太平洋のドイツ領は地域の平和と安定のため、我々オーストラリアが保障占領しました。ゆえに直ちに立ち去って頂きたい。」

傲慢な態度で述べる小役人に激怒しつつも司令官は小役人を厳重な警備(※2)の元、丁重に立ち去らせる。
そして現地を離脱しつつ報告のため防護巡洋艦を本土へと向かわせるのだった。

 この件の細部はすぐに判明した。ドイツ側の依頼によりオーストラリアが英国の黙認の下、保障占領に動いたということだ。
日本へは駐在英国大使を通す形で正式に通達された。この時英国大使は上海租界の件で救助しなかった日本側を責めたが

「敵国同士の内部争いに何故介入しなければならないのか?自国民の保護はその国の義務であり我が国に責任はない。」

と反論されると途端に押し黙った。日本側は英国に対して

「豪州が保障占領した地域を来襲した同盟艦隊に使用させれば戦争に参加したものとみなして攻撃する。」

と通達。流石に英国も直接被害を受ける可能性がある以上、日本の通達を受け入れるしかなかった。

506 :ライスイン:2014/12/01(月) 17:57:00
日本軍のこうした攻撃は年を跨いでも続き、豪州に保障占領されたドイツ領を除いて同盟各国の植民地の重要施設は片っ端から破壊された。
また現地住民に膨大な量の日本製武器や鹵獲した武器を供与し簡易ながら軍事訓練を施した。そのおかげで各地で武装蜂起が激発。
制海権を損失し施設破壊により物資が不足する中で現地同盟軍は鎮圧に苦戦。特にオランダ領のジャカルタでは総督府が大規模な襲撃をうけて
総督が殺害される事態にも発生。この事態にオランダでは英国に救援を求めたが日本との戦争に繋がる事から断られた。

 そして1906年4月15日、ついに欧州同盟艦隊がアジアに到達した。拠点の壊滅により補給は困難を極めたが予め大量に用意した各種物資(※3)や
タイ王国を脅した事で(※4)規模は小さいながらも港を確保。また随伴した工作艦などでインドシナの港湾部を修理して漸く一息つけた。
だが航海途中で水兵や陸軍部隊に疫病が蔓延(※5)。整備不足も重なり艦の性能が低下、それに訓練不足による練度低下が拍車をかけていた。
またイタリア装甲巡洋艦マルコ・ポーロやドイツ防護巡洋艦ゲフィオンが故障などで脱落。戦う前から戦力が低下していた。
それでも1906年5月12日、簡易ながらも補給と整備を終えた同盟艦隊は日本本土へ向けて出港していったのだった。

※1:日本特務機関による謀略の成果。また同じ特務機関や清国の内通者を装う形で米国にも通達。これにより米国は早期に自国民を避難させる事が出来た。

※2:薩摩系陸戦隊委員(日本刀装備)に周囲を”警護”させた。

※3:設備の補修資材や艦艇用石炭及び糧食など。ただし糧食は長期の航海で一部が腐敗。また安値だからと言って大量購入した英国製糧食各種は大変不評だった。

※4:大量の戦艦を並べてバンコク沖を封鎖、更に陸兵を上陸させる構えを出して最後通牒をだした。これによりタイ王国は
   「傷病者続出のため人道的措置により止むを得ず寄港を認める」との声明を出し、国内の港を使用させることになった。

※5:疫病の蔓延や腐敗糧食などにより水兵や陸兵で倒れる者が続出して戦闘力が大幅に低下した。特にモンテネグロ軍は慣れない気候と長期航海による消耗に
   加えてロシアから支給された糧食が一部腐敗していたこともあり病気や食中毒で次々と兵士が倒れ、戦力が2個中隊から1個小隊に激減していた。

507 :ライスイン:2014/12/01(月) 17:57:32
おまけ

日本海軍艦艇一覧(主力艦)~1906末 (機銃は表示省略)

○富士型戦艦:史実通り英国製。01:富士 02:八島

○敷島型戦艦:15200t、30.5㎝45口径連装砲×2、14㎝50口径速射砲×14、7.6㎝速射砲×10 速力:19kt 
 01:敷島 02:初瀬 03:朝日 04:三笠 05:十勝 06:羅臼  全艦日本海海戦参加 (03を八島から朝日に訂正)

○香取型戦艦:16900t、30.5㎝45口径3連装砲×2、14㎝50口径速射砲×14、7.6㎝速射砲×10 速力:19kt 
 01:香取  02:鹿島  全艦日本海海戦参加

○薩摩型戦艦:20500t、30.5㎝45口径連装砲×3(前部2基背負い式)、14㎝50口径連装砲×8、7.6㎝40口径高角砲×8 速力:22kt
 01:薩摩 02:安芸  全艦日本海海戦参加

○河内型戦艦:24500t、30.5㎝45口径連装砲×4、14㎝50口径連装砲×8、7.6㎝40口径高角砲×10 速力:24.5kt
 01:河内 02:摂津 03:和泉 04:讃岐(1905年11月)

○扶桑型戦艦:33400t、35.6㎝45口径3連装砲×3、14㎝50口径連装砲×10、7.6㎝40口径高角砲×12 速力:27kt
 01:扶桑(1905年12月) 02:山城(1905年12月) 03:伊勢(1906年1月) 04:日向(1906年1月) 
 05:伊賀(1906年2月) 06:伊予(1906年3月)

○長門型戦艦:36800t、41㎝45口径3連装砲×3、14㎝50口径連装砲×10、12.7㎝40口径連装高角砲×6、7.6㎝40口径高角砲×8 速力:28kt
 01:長門(1906年3月) 02:陸奥(1906年4月) 03:常陸(1906年6月) 04:周防(1906年8月)

○加賀型戦艦:53000t、41㎝45口径3連装砲×4、14㎝50口径連装砲×8、12.7㎝40口径連装高角砲×10、7.6㎝40口径高角砲×6 速力:28kt
 01:加賀(1906年10月) 02:土佐(1906年12月)

○浅間型装甲巡洋艦:史実通り英国製。01:浅間 02:常盤  全艦日本海海戦参加

○八雲型装甲巡洋艦:9850t、20.3㎝45口径連装砲×2、14㎝50口径速射砲×12、7.6㎝速射砲×10 速力:21kt
 01:八雲 02:吾妻  全艦日本海海戦参加

○出雲型装甲巡洋艦:10500t、20.3㎝45口径連装砲×2、14㎝50口径速射砲×12、7.6㎝速射砲×10 速力:22.3kt
 01:出雲 02:磐手  全艦日本海海戦参加

○春日型装甲巡洋艦:11300t、25.4㎝45口径連装砲×2、14㎝50口径連装砲×6、7.6㎝40口径高角砲×4、22kt
 01:春日 02:日進  全艦日本海海戦参加

○筑波型装甲巡洋艦:14000t、25.4㎝45口径3連装砲×2、14㎝50口径連装砲×6、7.6㎝40口径高角砲×4、24.5kt
 01:筑波 02:生駒  全艦日本海海戦参加

○鞍馬型装甲巡洋艦:19000t、30.5㎝45口径連装砲×3(前部2基背負い式)、14㎝50口径連装砲×8、7.6㎝40口径高角砲×6 速力:26kt
 01:鞍馬 02:伊吹 03:磐梯 04:乗鞍

○金剛型巡洋戦艦:27800t、36㎝45口径連装砲×4、14㎝50口径連装砲×8、7.6㎝40口径高角砲×12 速力:30kt
 01:金剛(1905年12月) 02:比叡(1906年1月) 03:榛名(1906年1月) 04:霧島(1906年3月)
 05:剣(1906年4月) 06:大山(1906年5月)

○天城型巡洋戦艦:42900t、41㎝45口径3連装砲×3、14㎝50口径連装砲×8、12.7㎝40口径連装高角砲×10、7.6㎝40口径高角砲×8 速力:31kt
 01:天城(1906年9月) 02:赤城(1906年10月) 03:愛宕(1906年12月) 04:高雄(1906年12月)

508 :ライスイン:2014/12/01(月) 17:58:07
今回は日本軍の行動開始から同盟艦隊のアジア到着までを描きました。
豪州のドイツ領保障占領については英国は黙認しています。また欧州側の無法な行動によりタイ王国が港湾使用を容認。
日本もやむを得ないことと理解はしていますが関係は悪化するかも。それとモンテネグロ・・・。
それと上記の艦艇就役時期が短いかもしれませんが9か国干渉後に自重をやめた日本が国内各地に大型造船所を建設しまくったせっていです。

~予告~

様々な苦難でボロボロになりながらも日本へ向けて出港する同盟艦隊。しかし彼らの元に最新型艦艇を多数要する日本艦隊が迫る。
次回 ”決戦、海南島沖海戦” 彼らは日本の地を踏むことができるのか?

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最終更新:2015年01月31日 19:48