633 :ライスイン:2014/07/25(金) 17:52:30
1940年1月10日 オランダ・アムステルダム


「女王陛下、最早アムステルダム周辺は欧州同盟軍に完全包囲されてしまいました。」

首相の ディルク・ヤン・デ・ヘール (以下ディルク首相)がヴィルヘルミナ女王へ苦渋の報告を行った。

「速やかに脱出をお願いします。潜水艦の準備は完了しています。アメリカやデンマークとの打ち合わせも済んでいます。」

「あまり長引かせると同盟の連中は本気で堤防を決壊させての水攻めをやりかねません。」

海軍総司令官フルストナー大将と陸軍総司令官ラーイマーカース大将が続けて女王に決断を迫る。

「国民を見捨てて我が身可愛さに・・・・。」

自分だけ脱出する後ろめたさに女王がなおも躊躇する。

「そんなことはありません。国民も女王陛下の脱出を支持しています。」

「先に脱出したユリアナ殿下はバタビアに到着されています。それに現地のスタックハウエル総督からも現地市民も好意的(※1)であるとの連絡が来ています。」

度重なる閣僚の説得、そして国民も支持しているという事実に女王も遂に折れた。

「わかりました・・・よろしくお願いします。」




                   「日米露三国同盟外伝01 アムステルダム作戦」 前編


 女王の決断を受けて速やかに準備は進められた。
作戦はそれ以前に立案されていた限定的反攻作戦を流用、主な内容は

01:本国残存陸・空軍部隊をもって包囲中の同盟軍部隊に同時攻撃を仕掛ける。特に脅威度が高い東部のドイツ軍部隊に対しては
  残存するマウリッツ戦車(試作97式のオランダ名)20両・M3中戦車15両を中核とする近衛機甲連隊を中心として攻撃を行う。

 また南部のベルギー軍に対する部隊へはロシア製T100重戦車2両、T26S/1939年型軽歩兵戦車12両を中核とする第1戦車中隊、西部のフランス軍に対してはSMK重戦車2両、
T26S/1939年型軽歩兵戦車12両を中核とする第2戦車中隊がそれぞれ配置されている(※2)。

02:周辺海域を封鎖する同盟海軍に対しては残存する本国艦隊

○ウィレム3世級(扶桑型)戦艦:ウィレム3世 、ゼーゴイセン

○デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン級軽巡洋艦(米オマハ級):デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン(オマハ)、エヴェルトセン(ミルウォーキー)

○雷装巡洋艦ファン・スペイク(※3)

○カレンブルク級駆逐艦(改吹雪型 ※4)×6

の戦力で攻撃を仕掛ける。

03:一連の攻撃でできた隙を突いて潜水艦ユトレヒト(※5)でアイスランドへ脱出。

04:アイスランドからは米軍艦で米本土へ。大陸を横断しサンフランシスコからグアムへ米軍艦、グアムからはオランダ東洋艦隊の艦艇でバタビアへ。

以上の手順で行われる事となった。
そしてオランダ政府と軍はアムステルダム各所にレジスタンス活動の為に武器や物資を隠匿。更に各家庭に消費しきれなく持ち出す事の出来ない余剰食糧を
緊急配布して可能な限り隠すように指示した(同盟軍占領下の地域ではそれ以前に行われていた)。
そして結構直前の1月19日、ヴィルヘルミナ女王が王宮前の広場にて演説を行った。集まった市民に対してこれまでの不備や自分達だけ脱出することを詫びた。
そして演説の最後に

「私達は必ず国を取り戻すために帰ってきます。」

との言葉に集まった市民達は泣き崩れたという。そして・・・・・

634 :ライスイン:2014/07/25(金) 17:53:05
1940年1月21日07:00 アムステルダム東部、ドイツB軍集団司令部

 この時、B軍集団司令官ボック元帥は幕僚らとコーヒーを飲みながら作戦の最終確認をしていた。
これまで予想以上にオランダ軍によって苦戦させられてきただけに油断することは出来なかった。それでも首都攻略目前であり、楽観的に雰囲気が漂っていた。

「前線部隊より緊急報告!!オランダ軍が例の日本製、アメリカ製戦車を戦闘に攻撃を仕掛けてきました。」

司令部に入ってきた伝令の報告に一同は驚愕した。確かにオランダ軍が首都に戦力をため込んでいる事は判明していて反撃も予想されていた。
だはそれはこちら側から仕掛けた攻撃に対するものであってオランダ側からの先制攻撃は想定外であった。そして凶報は続く。

「南部のベルギー軍より入電。戦車を戦闘にした旅団規模のオランダ軍が攻撃を仕掛けてきたとの事。既に前線は突破されかけており救援を求めています。」

「西部のフランス軍からも同様の連絡です。こちらは一進一退の攻防が続いています。」

南部を担当していたベルギー軍と西部のフランス軍からも攻撃があったとの連絡が入る。
西部のフランス軍は複数の装甲予備師団を貼り付けていた為に突破される事はなかったがそれでも互角の戦いが繰り広げられていた。
しかし南部では機甲戦力を殆ど持たず、対戦車砲の保有率も低く、更には首都攻略目前で楽観的な雰囲気が漂っていたベルギー軍はオランダ軍の突如の攻勢に
対応できず、短時間の戦闘で前線部隊が突破されるという醜態を晒していた。おまけに動揺したベルギー軍司令官が司令部を後退させ一時的に指揮統制がマヒするという
事態も発生していた。

 これらの報告を聞いたボック元帥は頭を抱えながらも命令を下す。

「フランスは問題ないな。ベルギー軍への救援にはロンメルの装甲師団を向かわせろ。それと呼びも投入して一気に粉砕するぞ。」

次々に命令を下しながらもボック元帥は疑問に思っていた。何故防衛ではなく攻撃・・・それも全方位に対してなのか。
この疑問は次に入ってきた伝令によって解消された。

「海軍より連絡です。アムステルダム沖を封鎖していた同盟艦隊に対してオランダ本国艦隊が総力を挙げて攻撃を仕掛けてきたとの事です。」

「くそっ・・・そういうことか。」

報告を聞いたボック元帥は思わず悪態をついた。

「閣下・・・いったい・・・。」

「奴らは王室と政府を脱出させる気だ。全部隊を一気に投入して速やかに攻略するぞ。空軍と海軍にも連絡を入れろ。奴らを逃がすな。」

戸惑う幕僚に対してボック元帥は自らの考えを告げ、矢継ぎ早に指示を出した。



※1:日本との交流から植民地政策を大幅に改めていた。待遇改善や総督府への現地人の大幅登用、工業化や独立準備委員会の設置など。特に王室による
   今までの過酷な政策に対する謝罪の効果は大きく、現地民の感情は(以前に比べて)改善されていた。

※2:状況が悪化していた1939年中頃よりロシア帝国から輸入していた。多砲塔重戦車については処理に困ったロシアから捨て値で買い取った。

※3:建造中止になったジャワ級軽巡洋艦の船体を流用、若干拡大して建造した雷撃専用の軽巡洋艦。日本海軍との交流の際に齎されたアイデアを基となった。

  基準排水量:5200t 速力:28kt 米国製38口径12.7センチ連装両用砲 4基、12.7ミリ機銃 10基、 53.3センチ3連装魚雷発射管 10基

※4:日本製の駆逐艦。吹雪型駆逐艦をオランダの要望に合わせて改設計し建造された。魚雷を53.3センチに変更するなど原型と異なる部分が多い。
   合計で10隻が輸入され6隻が本国艦隊、残り4隻が東洋艦隊に配備されている。

※5:未成で終わった米アルゴノート級潜水艦2番艦を買い取り、王室・政府の緊急脱出用として改造した上で就役させた。


おまけ  オランダ陸軍攻撃部隊編成

○東部(対ドイツ)総司令官ラーイマーカース大将直卒      近衛機甲旅団(マウリッツ戦車 20両。 M3中戦車 15両)、歩兵1個師団

○南部(対ベルギー)司令官ヘンリー・G・ヴィンケルマン中将   第1戦車中隊(T100重戦車 2両、T26S/1939年型軽歩兵戦車 12両)、歩兵1個旅団

○東部(対フランス)司令官ジャン・ヴォースト中将       第2戦車中隊(SMK重戦車 2両、T26S/1939年型

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最終更新:2015年02月01日 19:11