245 :ルルブ:2015/01/23(金) 12:20:15
「第七話 愛国者」



大日本帝国政府内閣府直轄の組織、内閣調査室のある部屋。
男が二人座っている。
一人はサングラスをかけて無精ひげ。
もう一人は老人に近い壮年期の男。
壮年期の男は部屋の中にいる相手の男を睨んでいる。

「で、説明してもらおう」

壮年期の男はひどく低い声でもうひとりに答えを求める。
口調から下手な言い逃れや嘘は許さないというのがありありと分かった。
仮に対峙する男が普通の神経なら直ぐに喋って楽になりたいと思う、というかそうする。
そんな圧迫感が当たり前の様にあったのだが、どうしても目の前のサングラスをしている男にはそれがない。
相手は例えるならばそう、柳だ。

「何をですか、先生?」

先生はこの態度についに怒る。
いい加減にしろ、と。
さっきからずっと同じだ。
こちらの言いたい事を全て無視している。
しかも分かっていて神経を逆撫でする様な対応をしている。

「とぼけるな。事後承諾に近い形で我々の公安委員会と特別高等警察から女性警察官と査察官、分析官を42名も軍が管轄してるシンガポールに派遣させただろう!
それの理由を聞いているんだ!!
彼女たちの中には家族にも内緒な上に急な出立だった。その為か幼い我が子を・・・・親族ではなく施設に預けて行くしかなった者も多い!!
いくら軍と政府の特命でも何の説明もないと言うのは警察機構を馬鹿にしすぎだ!!
少なくとも責任者どうしの会合はあるべきではないかね!!!」

ふむ。
人が自ら作り出した蛍光灯という人工の明かりの中でもうひとりの黒いスーツに黒いネクタイ(中央に紫の線が横に入っているだけ)の男は呻いた。
が、感心しているようで全く関心して無い、口先だけの同意なのは長い付き合いから直ぐにわかる。
この男たちは先生と呼ばれた相手がまだ早稲田大学時代からの師弟関係に有り、そして決して良い師弟関係ではなかった。
だが、希薄な師弟関係でも無かった。
だからこそ彼はここ(首相直轄組織のお偉いさんの部屋)にこれたし、眼前の男が自分の勝手で約束なしに突然来訪した事を責める事なく、自分に問いた出す事を許可しているのだ。
もちろん、両手を組んであごを乗せるという彼独自のポーカーフェイスは崩さずに、だ。

「ふーむ、先生が何を心配しているかわかりませんな。
確かに急な事で事後承諾になりました。しかも期間も定まってない。不安なのは分かります。
が、これはあくまで査察であり、その後の日程が10日間程空白なのは有給休暇と連動しているからです。
我々としては査察であり、訓練であり、その後に与えられるのはボーナス休暇であってそれ以上でもそれ以下でもない」

ダン。
先生が目の前の男の机を両手で叩く。
二人しかいない執務室に鳴り響いた音は怒り。

「嘘だ。そんな筈はない。
何か・・・・海軍か陸軍が関係している、もしくは厄介事がアジアで発生しつつある、その為に協力している。そうだろう?」

それは確信であり、確認。
こいつらがそんな可愛らしい理由で態々212名もの人間を急いで南方に送るはずがない。
多少改善されているは言え、大学時代と同様に平時の日本帝国は書類と根回し主義だ。
これは幕末からほとんど変わらない伝統である。
裏を少し知っている人間から見れば、かの帝国救国の英雄として有名な現総理も海軍三大職を兼務しなければ海軍を自由に扱えなった。
敵対国、ドイツ第三帝国総統やソ連の処刑されたグルジア出身が支配していた時代の共産党書記長という役職とは大きく異なる、日本の誇るべき政治風土。

『独裁的なものは生み出します。明治維新の元勲、大久保利通氏がその筆頭でしょう。
しかし、どこまでいっても完全なる独裁が生まれないのがこの国の持つ美点であると私は思うのです。
まあ、皮肉屋でそれを自覚している。
だからかな、そのせいでかしりませんが、妻以外には嫌われていて親族とは絶縁状態でしょうが。
そんな中、妻との繋がりで先生を公安委員会に引っ張ろうと思いましてね。まあ、恩返しですよ。どうですか?』

とは、目の前の男が言っていた。
学生時代に自分のゼミに来て、そのまま後の婿入りする相手と結婚した時に私に言っている。
更にそれを実践している。

(強引さの中にあっても、自らの才覚の中で可能な限り味方を作り、その味方の退路を断つ。そして自分の思う通りに物事を推し進める。
だから田中局長やあの村中少将のお気に入りとしてこの場に座っているのだ)

246 :ルルブ:2015/01/23(金) 12:20:45
その男がそんな曖昧な理由とどうとでも取れる理由で数少ない女性諜報員を動員するなどと。
やはり何度考えても無邪気に信じることはできない。
目の前の胡散臭い男は、きっと何か更に胡散臭い出来事に、もっと胡散臭い人物らと関わっている筈だ。
よく言うではないか、『類は友を呼ぶ』のだ、と。
まして、ここまで強烈な個性ならば一体どんな蠱毒を作り出すのか想像したくない。
だが、

「騙されるか。仮にお前が言うことが正しければもっと時間をかけて少人数で行けば良い。
引き抜かれた部署は悲鳴と困惑のお祭り状態だ・・・・・ならば教えてくれ」

先生は元教え子に問うた。
先生には今も先生としての誇りがあり、それ以上に大切な何かがある。
この戦後、対米戦を生き残った国で、奇跡的に大西洋大津波と第二次世界大戦の被害を受けなかった本国に生きる人々を、後輩たちを守りたい。

「政府が不安定化し内戦手前のインド方面で陸軍を動かしているのは私でもわかる。
だから聞いているんだ・・・・彼女たちは戦地に派遣されたのか?」

それは最大限の譲歩だったのだろう。
否定を求める弱々しい声。
だが、それは責められない。
彼にも責務が有り、そしてその責務は大学時代とあまり変わることがない穏やかな心で果たしたいと思っている責務である。
無理やり、そして力強く指導する立場にいる訳ではないのだ。

(先生は弱気になった。人はこうも変わるのだな)

かつては民間に眠っていた獅子と恐れた先生は、確かに老いたのだなと思った。

(甘い。それでは帝国は動乱続く戦後を乗り切れんのですよ
戦前のイギリスの裏切りに米中の謀略で世界中から孤立した事を考えていただきたい)

勿論、以前はその能力と意思を持ち実行してきたからこそ今の地位があるのだろう。
が、それがずっと永久に続くとは限らないし、そんな人間は数億人に一人くらいだろうな。
幸いな事は、冷徹冷静にそうしなければ生きてく事は不可能であるという程に、この生まれ故郷である大日本帝国と先生は追い詰められてない。
ただし、今は、だが。

「・・・・・・・・・そうです」

深い溜息を付き、執務室のソファーに歩いていく先生。
茶葉にお湯を注いで緑茶を作り、机の上に置く。
自分も先生に習ってコーヒーメーカーのコーヒーを妻が買ってくれたドイツ産の陶磁器に注ぐ。

「マイセン、か。いい趣味だな。彼女の、か?」

頷くだけで声を出さない。
茶色のスーツを着て、茶色のネクタイをしていた壮年期の男は溜息をつきつつ、疲れた表情でソファーに腰掛ける。
サングラスに隠れたものの仕方ないのだといいう表情を理解すると先生は独白する。言うしか無かった。

「・・・・・・・・・相手がどこだと聞いても君らは答えられない。それは分かっていた。
だが、それでも聞いておきたかった。
君と同じで彼女たちは私の教え子らになるのだから。
いいや、正確には君の妻の後輩になるのだ。だからしっかりと知っておきたい、だが知ってどうなるのだとも思う。
綺麗事だけではこの世界を有色人種が・・・・違うな、力ない人間が生きていく事はできない。
それは理解している。当然の事と受け止めている。戦時中は総力研究所の情報分析班として霞ヶ関にてアメリカと戦ったのだ、私なりに」

247 :ルルブ:2015/01/23(金) 12:21:37
君と同様に、な。
その言葉だけは絶対言わない。
だから敢えてそこで区切る。
しかし、けれども、その視線でその旨は先生から教え子に伝えた。

『俺もお前も同類なのだ、戦友よ』

と。

「邪魔をした。彼女たちも自分たちで選んだ道のり。何があってもどこかで納得するだろうと信じている。
それではな、情報局対外情報収集部の部局長」

そう言ってお茶を飲み干した先生は立ち上がる。
日よけの帽子に手をかけて、部屋から出ようとした。

「最後に一つ。
これから暫くは忙しくなりそうだから先に聞こう。
お前が今回そこまで露骨に動いたのはなぜだ?」

目の前の男は顔に似合わず、慎重に事をすすめる。
時には呆れるほど臆病で誰かに認めてもらいたいという飢餓感を持つ男だった。
石橋を叩いて、それでも渡らない、別の道を探してからもう一度考慮するという様な考え。
だから興味がある。
何故、こんな綱渡りをしているのか、警察機構を敵に回しかねない暴挙に出たのか。
そもそも情報局に入るため、大陸で活躍している政府上層部に覚えめでたい村中少将に積極的に加担したのは何故なのか?

「先生、それは簡単なことです」

ほう?
先生は振り返って男を見たが、男は先生の方向には背を向けて立っている。

「家族のためです」

自分の家族の為に、他の誰かの家族を危険にさらすか。
なんとも世界は公平なことだな。
等価交換というやつ。一人の幸福は一人の不幸に成り立つ。
そして、それは巧妙に隠される。

『義務』

『祖国愛』

『忠誠』

『献身』

『誠実』

『任務』

『仕事』

『家族愛』

『友情』

『自己犠牲』

などという美辞麗句の綺麗事で隠されるのだ。
その本質を隠すのだ。

248 :ルルブ:2015/01/23(金) 12:22:42

「そうか、確か・・・・・彼女は」

「ええそうです、先生の想像通りです」

だから地位と金が必要というわけさ。
確かに帝国は豊かになった。日本はようやく先進国といべき国家になったのだ。
戦後の特需がそれを後押ししている。拡大した勢力圏が日本的資本主義に合致し一気に成長を続けている。

『太陽の帝国、太平洋の覇者、世界の頂点に立った大日本帝国』

だが、だからこそ、帝国を狙う外国は後を絶つことはない。
この地位にもう一度と思うもの、引きずり下ろそうとする者共は後を絶つことはなく、見えない場所での戦いは激化を続ける。
そして帝国の内部競争と内部闘争も年々激しさを増している。
往年の北の隣国ほどではないし、お隣の半島や崩壊した先輩文明圏では無いだろうがそれでも投資と資本の確保は・・・・・必要不可欠にして大規模なリスクがある。

「妊娠し、数ヶ月前に出産していたという噂は本当か。
あの優秀な大和撫子で才女、大学一の美貌の少女を君みたいな男が手に入れると聞いたときは一体全体なんの冗談かと思ったのだが・・・・それほどまでとは」

嫌味。
それは先生の持っていた禁断の密かな想いを目の前の黒い無地のスーツの男が粉砕したからだろう。
だからこれくらい言う権利はある。

「ええ、生まれましたよ。男の子です」

「ふむ、私が君に含むところがないという程、君自身は楽観視してないだろうから正直に言うが、私は君が苦手である。
君が戦地に同じような境遇の女性らを送ったのは事実だが、かといって彼女との間に生まれてきた子供に罪はないだろう。
そう言いたい。綺麗事でもな。
だからオメデトウと言うぞ。で、名前はなんとした?」

男はにやりと笑うと漸くこちらに面を向ける。

「真司、碇真司です。冬月先生」

「真司、か。良い名前だな。
ふん、気がついたら12時半か。邪魔をしたな、六分儀玄道君」

あえて間違える。
彼はもう六分儀ではない。
平安時代から続く公家の一員だ。
決して有名ではないが、歴史上の長さとその役割から宮内省らが疎かにできない名家の厄介な新参者。
直系の姫君、その伴侶であり、その女性らが身ごもった訳ではないからこそ問題は不問にされただけ。

「私はもう碇です、碇玄道です。冬月先生。
それで、結に、妻に伝える事がありましたらお伝えしますが?」

まあ、これ以上食ってかかっても醜いだけだろう。
冬月幸三はそう考えると一礼して言う。

「派遣された部下たちの家族への言い訳は私の方で考えておく。
これは貸しだと思え。君にではなく、君の息子と妻である女性のために労力をおるのだからな。
私なりの愛国心とともに。
碇結君には産後の体をしっかりと休めておくよう、早稲田の冬月教授が心配していたとでも伝えてくれ」

249 :ルルブ:2015/01/23(金) 12:24:49
1945年8月28日 大英帝国 バッキンガム宮殿

「おいおい。いつになったら呼び出したあいつは来るんだ?
これじゃあキャサリンが泣いちまう」

酒をラッパする友人を見て、三人組の中で一番理性的な男は思った。
こいつ、良く国王陛下のいるこの宮殿で一脚1万ポンドはする机に土足で足を組み、部屋にあった閣僚たちの秘蔵のウィスキーを飲めるな、と。
もうひとりは先日、戦争で負傷し、つまりはドーバー海峡の向こう側にいるチョビ髭のクソ野郎とそいつに従うフリッツのせいで両足を失った、両親の代わりに自分の生まれた家の当主を継いだ男。
ペンウッド伯爵家の長男だ。だが、言いにくいが有能ではない。

「な、なあ。そろそろやめないか?
お前の体に良くないし、ここは一応バッキンガム宮殿なんだぞ・・・・怒鳴られるだけですまなくなる」

誠実だ。
そう、とても真面目で、いい男だ。友人としは最高であり最良の部類に入る。
しかし、

「おいおい、お前が気にすることじゃねぇよ。けちけちすんな。俺たちゃ前の戦いでちゃんと戦ったんだ。ドーバーを渡って、その後は地中海で、だ。
お前ももっと誇れよ。お前はいい奴なんだから・・・・・ああ、け、最近吸った奴で上手いのはこのキューバ産の葉巻くらいか。
はぁ、やっぱ陛下の家はいい葉巻あつかってるねぇ~これがブルジョワ階級の特権ってやつぅ? 
大英帝国と国王陛下に乾杯だ、な、親友ども」

あいつを止めるのは彼には無理だった。
そして更に葉巻を2本まとめて吸っている。

そう、彼は無能で臆病者だが漢の中の漢だ。

ナチス・ドイツの化学兵器に対抗する為に男泣きをしながらも一番に動き、一番行動して予算を組んだ男。
確か伝手のあるMI5の連中が持ち込んだ噂では、こいつ、あのローマ・カトリックと手を組んでポーランド人らの亡命を支援している。
例のソビエト連邦の誇ったNKVDと双璧、ナチス・ドイツの秘密警察ゲシュタポが持つ暗殺リストではこの三人の中で一番上。
この臆病で小心者で無能な、だが漢の中の漢にして絶対に祖国を裏切らない愛国者が、人道と義務感から各国へ亡命させたロシア人、ユダヤ人、ポーランド人、フランス人らの数は万に届く。
だからナチス・ドイツは先日の放送で名指しでこの男を円卓会議の一員から除名するように迫ったのだ。
まあ、あのファシズム首相がそれを鼻で笑った上に、

『では諸君、我々はナチズムの教義では東洋の劣等民族とやらに大敗し世界中に恥をさらしている少し体重が重い国家元帥の引退を要請しようか』

と、ジョークを飛ばしたのはまあそれなりに痛快だったか。
そう思って最後の一人、ヒュー・サー・アイランズ、次期アイランズ家侯爵は思い出す。
かたや、漸く三本目のウィスキーを飲み終えたのか、19世紀末のスタイルで寛いでいたアーサー・サー・ヘルシング伯爵候補が切り出した。

「ナチの伍長が計画してた、ていうか訳のわかんねぇワルシャワの計画は新大陸の人工太陽のせいでで消し飛んでる。
そもそも東部戦線のソビエト連邦軍は認めたくないが最早組織だった抵抗は不可能。圧倒的な優勢の元で伝説に頼るなんざバカのする事だ。
それよりも極東の大帝国が実用化している大陸間弾道弾と超空の大型爆撃機に世界最高速のジェット戦闘機と現代の無敵艦隊、そして人工太陽の模倣に全力を尽くすべき。
まあ猿真似猿真似言っていた手前、かなりの人間の首が飛んだだろうが」

笑うアーサー。
呆れるペンウッド。
まったく変わらん学友どもだ。

「ついでに、国王陛下の宮殿で首相閣下の葉巻をくすねるのも大馬鹿者のすることだと思うんだが、ヘルシング卿?」

「かたいこというなや、アイランズ。
なあ、ペンウッドもそう思うだろう?」

そういって四杯目のスコッチウィスキーではなく、ドイツのルール地方白ワイン(現内閣が首相になった時にナチスの宣伝相らから送られてきた曰付き)を新しいグラスに注いで俺たちに回す。
今はそれこそ車並みの値段がする。カスワインでも、だ。
ましてこれは多分戦闘機並みの値段だな。

「間違いない」

栓を開けた。いい音と共に。

250 :ルルブ:2015/01/23(金) 12:25:28
「おいアーサー」

「そ、その、飲み過ぎじゃないのか?」

この中で唯一正式に爵位と当主の座を継いだペンウッドが汗もダラダラで必死に止めるが・・・・・まあ止まるまい。
だが、それがいい。
それでいい。

「俺たち四人・・・・ああ、ロブはまだ近衛連隊だったけ?」

残った最後のメンバーを思い出す。
あのパイプタバコ好きの隻眼になってしまった英雄を。
あの皮肉屋で情にあつい友人を。
ダンケルクから逃げ出したカエル野郎の為に、王立陸軍では一番最初に撤退するしかなかった事を恥じている誇り高いジョンブル魂の持ち主を。

「ロブ・ウォルシュ大尉は先日の人事異動で陛下の侍従になった。
円卓会議、というか首相閣下と英国ファシスト連合を信用してない英国労働党、英国保守党の重鎮ら伝統的な非公式議会議員連盟からの保険、というか、まあ嫌がらせだな。
表向きは忠勇にして名誉ある負傷を負った勇士たちを国王陛下がご配慮くださったという形だ。ふん、全くもって」

「「姑息だ」」

アーサーと俺の声が重なる。
そして笑う。
ヤケになってワインをラッパ飲みするペンウッドだったが、こいつは無能ではあるが卑怯者じゃない。
しかし、何故か運がないのだ。
そう、ペンウッドだけが飲んでる時に件の人物が入室してきた。
最初は無表情、次は鬼のような形相で。

「あら、これはどういう事ですか、お三方?」

がたん。
思わずペンウッドはワインの瓶を落とし、中身をぶちまける。
そして悲鳴を上げる。鶏のような。

「あ、いや、これは、その」

とりあえず、三人とも目の前の女局長マリー、通称Mに平手を二発ずつくらって勘弁してもらった。
とりあえず、そうだと、思う。思いたい。

「で、本題に入りたいところですが・・・・・あなたたち、少しは英国の置かれている現状を理解しておりますか?
インドは失陥同然、東南アジア全植民地は日本に譲渡。オーストラリア、ニュージーランド、カナダは孤立、アフリカ地域は紛争ばかり。
インド洋演習では道化を演じ、軍事力、しかも最重要である海軍力でさえ絶対ではなくなり、欧州半島はヒトラーの支配下。
軍は悲壮な覚悟でいるが打つ手は限られており、情報機関はまともな情報を齎さない無能集団と侮蔑の対象。
それが栄光ある孤立・・・・いいえ、最早単なる孤立を迎えた祖国の現実です。
なのにあなたたちときたらあろうことか国王陛下の宮殿で宴会?  いい気な身分ね」

冷たい。
空気も、表情も、視線も。
これで喜びそうなのはアーサーくらいだ。

「とくにヘルシング卿、あなた宛に態々ミリア・サー・ロバート氏から逢引の為の手紙を預かっておりましたが、今それを処分します」

といって、キャサリンではなくミリアという女性からの手紙を思いっきり力の限りを込めて破り捨てるM局長。
はらはらと舞う紙。

「色々と言いたい事がありますが、まあいいでしょう。
あなたがたにお願いしたいのは貴族としての爵位に各家のコネクションです。
つまり、認めたくないのですが、必要なのはお三方のお持ちの血統と伝統であり個人的な態度の悪さと人格には、断腸の思いで目を瞑ります」

そう言って彼女は持っていたベルを鳴らす。

「入りなさい」

部屋の扉があいた。
そこには黒い髪の長身の執事服を着た男とまだ10歳前後と思われる少年がいる。
そして諜報部員らしき金髪碧眼の青系のシャツと紺色無地ネクタイをしたスーツ姿の男も。
しかも奇妙な少年はロブ大尉と同じで眼帯をしていた。

251 :ルルブ:2015/01/23(金) 12:25:59
「紹介するわ、今回のMI6とMI5合同の作戦で国内を担当することになったシエル・サー・ファントムハイヴ伯爵です。
お隣の長身で黒髪の男は執事のセヴァスチャン殿。
みなさま、ご挨拶を。これから極秘対日作戦を開始するのですから」

え?
この子供が?
二人は思った。
そう、二人は。
こういう事で致命的なまでに失敗をする友人は言ってしまった。

「ええ・・・・ミスター・セヴァスチャン。彼が、こんな子供の君があのヴィクトリア女王陛下の御世から続くファントムハイヴ家の当主?
こんなに小さいのに? しかも女の子なのに?」

いら。
馬鹿!
あいつ・・・・肝心な時に。
二人の思いは一致した。
あのバカは地雷をまた踏んだんだ。

「こんなとは失礼ですね、ペンウッド卿。これでも本土防空戦で負傷した先代の代わりに正式に国王陛下からファントムハイヴ家を引き継いでおります。
こんな、或いは、小さいなどの子供扱いはやめてください」

「あ、ご、ごめん」

忍び笑いがでる。

「それと、僕は男です。女じゃありません」

ペンウッドのやつ、空いた口が塞がってないぞ。
笑える。
静かに笑う二人の長身の男たち、そして、盛大に笑う悪友たち。
そんな会話が、笑いが部屋に響き渡る。
もちろん、当事者のセシル・サー・ファントムハイヴ伯爵にMI6局長殿は非常に不愉快であり不機嫌極まりなかったけれど。

「それで、残りの彼は?」

男は優雅に敬礼すると言った。
因みにアーサーは見逃さなかった。口紅の後がうなじにあったのを。

「ボンド、ジェームズ・ボンド。
階級は中佐。海軍士官です」

とりあえず、向こう側は自分たちの事を全部知っていた様だ。
だから挨拶もそこそこに本題に入る、つもりだったのだが。

「それで今から作戦の概要を説明するつもりだったけど、そこの三人に陛下の代理人として命令します」

そこまで真面目に言われれば背筋を伸ばすしかない。
だが。

「今からネルソン広場まで全力疾走で往復してその腑抜けた顔を直しなさい!! 10分以内に!!!」

MI6女性局長の怒鳴り声が鳴り響いたのはご愛嬌である。
それから2時間後。
優雅に紅茶を飲んでいるセシル、ジェームズ。
それをサポートするのは完璧なる執事と社交界で謳われているセヴァスチャン・ミカエリスだ。
後に弟子入りする、ヘルシング家の口の悪いタバコ好きな、英雄願望というか色々と性格があれな執事候補の師匠になる黒い執事。
後年、アーサー・サー・ヘルシングがある男と娘にこう語っている。

『お前ならわかるだろうが、あのセヴァスチャンという執事は異質だ』

『ほう・・・・面白いな、それは。で、何が異質なんだ?』

『それは自分で考えろ。まあ、少なくとも』

『少なくとも?』

『あのウォルターを御せるようにしたのは大した腕だ・・・・・仮に人間なら化物に近い様な人間と言える』

252 :ルルブ:2015/01/23(金) 12:26:33
まあ、未来の話は置いておく。
ボンド中佐が紅茶の味を優雅に批判しつつ、三人が汗だくになって帰ってきた。
それをみたセヴァスチャンは用意していた英本土防空戦のために常備される事を義務付けられた消化用バケツ、それも2つを軽々と持って中身の水をぶちまける。
三人の顔めがけて。

「で、酔いは覚めた?」

Mはようやく本題に入れる事に安堵しつつ、釘を指すことも忘れない。
優秀で有能で、極めて突出した問題児連合を御するのは今しかない。

「とりあえず、貴方たち貴族家には欧州の各名家に交渉してもらいます。
そして最終的な判断は現地に向かうボンド中佐に託します。
もちろん、これは対内向け諜報機関MI5と対外部門であるMI6、外務省と三軍、内閣初めての本格的な共同した対日情報収集作戦であります」

全員が真面目だ。

「という事は首相閣下もこの作戦を知っておられる、と?」

なんとなく疑惑の声を上げるのはペンウッドだ。
まあ、首相の政治経歴を見れば不安になるといえばそれはそうだが。

「もちろんです、ペンウッド卿。ついでに言えば隣国のある人物にも話が言っており、内々の承諾は得ております」

何!?

それはセヴァスチャンとボンドを除くメンバーの表情を一変させる。

「では、M。私の相手はどなたですかな?
ダンスが上手い美女であればベッドまでエスコートさせてもらいますが?」

だがボンドだけは優雅に、そしてアーサーがうんうんと首を縦に降りながら、周囲に聞く。

「話を聞いてなかったの、007?
相手は東洋の日の出る帝国、大日本帝国。
彼らが隠そうとしている謎の『MIRAI』という軍艦の調査、情報収集。
ただし、絶対に日本国と敵対しないこと」

それでもこれは矛盾しているけどね。
誰もが思う。
だが、当然答えはある。
この矛盾に関する答えらしきものは。
しかし、Mが言わない限りは茶化してもいいが黙っている事だ。

「で、協力するというのはどっちの隣国ですか?」

重いため息を先にするM。
本来であればこれは危険すぎる賭け。
それは円卓会議のメンバー全員が一致している。
だが、いくら崩壊間際の大英帝国といえども、違う、だからこそサウジアラビア王国の独断専行と独走を許すわけにもいかない。
仮にそれを許せば、制御下においた上での独立付与という飴は使えなくなる。
そして英日交渉も圧倒的に不利になる。
だが、それでも日本に大規模な軍事的、政治的圧力はかけれない。
しかし、かと言って何もしないという選択肢は更にありえない。
少なくとも円卓会議はある判断を下している。
それは国家とは個人に対して命令するのであり、逆ではないという事。

253 :ルルブ:2015/01/23(金) 12:28:00
想像がつくだろう。
あっちはガタガタ。
そっちはボロボロ。
こっちは滅茶苦茶。
だけど、どうせやるなら。

「黒い方よ」

苦痛と迷いに満ちた言ったMの表情を写真に収めておけばよかったなぁとアーサーは思った。
恐らく、今はないアメリカ合衆国の報道界ならこの写真と情報に何万ポンドもの賞金が出るだろう。
英国紳士としても、男としてもここまで苦渋に満ちた表情で命令する上司にはもう会えないだろうという確信があった。

「ではボンド中佐。あなたのコードネームは007、先日渡したパスポートを使い香港経由で日本の神戸まで行きなさい。
とりあえず、神戸領事館に挨拶するという事が入国目的。
あの街は欧州から日本に自由を、身の安全を求めて亡命した、或いは第一次大恐慌時に企業移転して移住した白人が多いからそれほど怪しまれない、とMI6は判断しました」

Mは続ける。
暖炉に火をくべるのは見せている資料を直ぐに焼却処分する為だろう。
あとは、知るか、そこまで知った事か。
懲りずに葉巻を吸うアーサーと無表情に紅茶をのむアイランズ、セシル。
そして日本に敵対するという言葉の意味を正確に読み取り冷や汗を吹き出したペンウッド。
セヴァスチャンは退出して、扉の前でガードマンをさせられている。
どうでもいいが、彼の名前を貰える執事ほど完璧な執事はいない、というのが19世紀以来のファントムハイヴ家の誇りだ。
このセヴァスチャンという名前も初代セヴァスチャンという執事の名前から代々受け継がれてきたコードネームみたいなものらしい。
英国社交界の裏の常識である。表には出ないだけで。

「表向きの名目は中華大陸の視察、裏向きに用意した目的は中国全域の混乱に伴う90年代の香港返還交渉の下準備のための事前交渉。
香港を華南連邦か福建共和国に『返還する』のか、或いは大日本帝国に『譲渡』するのか、どれが大英帝国の国益になるのか」

「つまり私の身分は・・・・」

「ええ、007。貴方はその見極めのために日本側に虚実交えながら我が国の案件を非公式に提案し、見返りを求める為に派遣される特命武官の一人。
他にも本当の本隊を太平洋航路経由で船にて送りますが、貴方は何も知らない外務省ら使節団先遣隊として航空機で行きなさい。
報告は帰国するまで、表裏の報告のみしなさい。
真の目的である『MIRAI』に関しては何があっても電波並び文通で報告せずを肝に銘じなさい。
仮に日本政府が懸念し、大英帝国の利益を損なうとしたらどんな手段をとっても香港なりオーストラリアなりカナダなりに脱出し、すぐにロンドンまで戻る、いいわね」

有無を言わせない。
そして、

「大英帝国の利益を手に入れることを第一として、大日本帝国で活動。ただし、何があっても絶対に大日本帝国の警戒を買わない、ですね?」

ボンド中佐の言葉にMという女性局長は冷徹に言った。
ちがう、その認識は間違っている。

「では?」

Mは言い切る。この部屋全員に。

「国王陛下と国民のために大英帝国の国益を最優先するのは当然ですが、大日本帝国に警戒される訳にはいかない、というわけではありません。
責任はこちらでとります。ですから、007」

はい。

「もしも大日本帝国に不審感と不信感、そして不快感を持たれ脱出も弁解もできないなら・・・・・その時は」

その時は?

「死になさい」

Mはそれだけ言うと数日前と同じ書類を全員が読み終えたことを確認。
自分の手で回収すると香水に偽装させた灯油を全ての書類にかけて暖炉にくべる。
書類は直ぐに燃え尽きた。

「私はこのまま首相に会いにいきます。
007はMI6で準備を。
ほかの方々は英国貴族階級として欧州に残余する各地の名家と大日本帝国の有力者へそれぞれのパイプで表向きと裏向きの理由をそれとなく伝えなさい。
また国内の防諜のために互いに香港返還問題で反発している様に見せて行動すること。いいわね」

部屋に残された人々を尻目に、Mは円卓会議に向かう。
そう連年失態続きにも関わらず存続する奇跡機関、MI機関なのだ。
説明責任を果たさないと冗談抜きに殺される。政治的にも肉体的にも、だ。

254 :ルルブ:2015/01/23(金) 12:28:36
シンガポール・大日本帝国シンガポール派遣軍総司令部



草加は栗林と会談する。
己が望む日本の道を守る為に。
それから始まる質疑応答。

「でははじめようか」

頷く草加。

「中佐、仮に対米戦争において絶対国防圏が陥落した場合、サイパン島の次はどこを守るべきかな?」

広げられたのは中部太平洋と日本が描かれた地図。
日本国土地理院の署名付き。
つまり、現在の尤も詳細な地図。

「小笠原諸島ですね」

草加は用意していた筆記用具片手にそこを指差す。

「理由は?」

敢えて問う栗林。

「本土空襲時の爆撃機に護衛の戦闘機をつけられないようにするため、です」

描かれる赤い円。
それは東京を含む日本の西と南を覆っていた。

「では具体的にどの島に陣地を構築する?」

定められた問を発する。
ここまでは合格だな、と感じる栗林。

「硫黄島」

草加は一点の曇りもなく答える。

「戦術は?」

追求。
返答。

「塹壕と地下要塞を建設し、それを持って敵に出血を強いる」

沈黙。
そして溜息。

「見事だな、中佐。君が陸軍にいて私の部下ならすぐにでも大佐に昇進させたいと思える程の見識だ。
私も防衛戦術を学ばされてきたが、圧倒的劣勢で敵の大軍を迎え撃つのは水際ではない。それよりも強固な陣地を構築し、集団と集団ではなく個人対個人の様になるような持久戦術とその為に敵を内陸部に誘き寄せるという発想にたどり着くまで20年はかかったのに。
ふぅ。まるで実際に体験した様な質疑応答に冷や汗がでたよ」

笑う。
さっきの扇動軍人というイメージはない。意外だった。
むしろ非常に理知的な軍人だ。あのハリウッドで有名になった彼の俳優そのもの。

「それほどでも。帝国に奉職する者として当然のことです。
それに閣下の著書を参考にしただけでした。
また栗林閣下もご足労痛みります。このシンガポールは制圧してまだ日が浅く、華僑の抗日ゲリラも多い。
それでも東南アジアに進出する邦人企業は後を絶ちません。良い事なのでしょうが・・・・旧アメリカ人の反日テロ運動もありますから。」

草加の言葉に栗林は複雑な表情をする。
角松はその変化を逃さない。
いや、あの映画と史実通りなら目の前の栗林忠道中将には渡米経験がある。
そこでの留学経験も。そして、その時に友人がいるだろう。常識的に考えて。

255 :ルルブ:2015/01/23(金) 12:29:09
「そうだな。我々はアジアで、中国大陸で、満州で、太平洋で彼らアメリカ陸海軍と戦った。
その為に我々も犠牲を払った。だが、アメリカ軍の方がより多く死んだ。
恨まれることは覚悟の上だ。それに草加中佐」

仕方あるまい。米国には友人だっていた。
だから自己の気持ちに素直になろう。
少なくとも部下はいない。この中佐も直ぐに帰国する。
ならばここで本音を言っても誰にもそれ程大きな迷惑は書けないだろうから。

(今も私の懐にある象毛の装飾がされたガバメント拳銃。
これは米国留学時に米国軍の士官たちが友情の証として贈ってくれた。
それは大切にして切なく、もう会えない人々が確かに生きてたという証。
これだけは絶対に譲れない。
例え再びアメリが復活し、そのアメリカに報復されても、或いは今度こそ北米全域に核兵器による攻撃が行われても覚えておく)

刻んでおく。
勿論、戦争で相手を殺す事に躊躇はしない。大日本帝国を、祖国を守るために兵に死ね、とは命じる。
その責任を取って死ねと言われれば甘んじて受け入れる。
だが、刻むのだ。
かつてアメリカ合衆国という国家があり、そこに自分の友人がいたという事実を。
ほかの誰でもない。自分のために。

「この世界は不安定だ。完全なる一強という秩序がない。
やはり不安の芽は多々ある。だから慣れない事もしないといかん」

それがあれ。
全く、俺は軍人であり政治家ではなかったはず。
だが、今の帝国は政治家に軍人としての素質を、官僚に民間企業の起業家としての気概を、軍人には政治家としての判断力を求めている。
因みに民間人には銃火に突撃する軍人としての勇猛さと外交官以上の強かさを求めらているようだ。
栗林はここにきてから、当然の如くますますその思いを強くした。

「私は敢えて事実を誇張している。もちろん、全てではないが嘘や欺きも必要だろう。
外交の方もなるべく分かり易い悪役を作り、アジアの国々を味方として日本を中心に団結させるという政府の方針には賛成だ。
まあ小細工も必要であろうし、多少誇張する必要はあるな。だが現実的に考えて帝国の余力はあまりにも・・・・・うん、気にしないでくれ。何でもない。
まあ、三流役者の三流芝居で陛下からお預かりした将兵と臣民達が多少は安心してもらえるなら軍人冥利につきるものだ」

そうではないかね?
その通りです。

栗林と草加の無言の会話は角松にも伝わる。

「何より、威圧しておけば降伏するのが中華民国らの敗残兵だ。
それだけ部下も無駄に死なせなくてすむからな・・・・・今の時代、御国の為に尽くすということは、己が戦わないために敵と戦うことが求められているのだから」

『己が戦わないために、敵と戦う』

角松はその言葉に衝撃を受ける。
それは自衛隊の考えとよく似ていて、そしてある一点において違う。
次の言葉が証明する。

「まあ中佐もメヒカリ核攻撃は知っているだろう。
確かに大の為に小を犠牲にしたという批判もある。
実際に良かったかどうかは長い長い歴史が決めるだろうから、当事者の我が軍は自己を否定しないだろうな。それに否定してもいかん。
だが、数世紀未来に人類史上最大級の悪行だと言わるとしても、それを甘んじて受け止めて尚、今の祖国を守るために引き金を引くのが職業軍人だ。
中佐と同様だね。私も志願して軍に入った時にそれは覚悟している」

角松は聞いた。それも本能的に。
この名将に。
恐らく、いやほぼ確実に草加とは異なり『昭和史』と『平成日本』を知らない、『現在を生きる大日本帝国の人間』というカテゴリーへ。

「引き金を引いた結果、自分が生きている間に・・・・古のカルタゴのように英雄といえども国外に逃亡したり、或いは敗戦の責任を問われ絞首刑になった、もしくは罪人として裁判にかけられたとしても、でしょうか?」

その言葉に栗林はまず聞く。
殺気を纏っていたこの男の独白を。
しっかりと相手の目を見ていた。私と同じだな。
これは中国人でも変わらない自分の信念。

「君らが特殊任務に従事中だと聞いている。
だから敢えてそのスーツ姿の理由を聞かなかったのだが・・・・草加中佐、彼もまた帝国軍人だろ?
確か事前の打ち合わせの内容では草加中佐と同じ階級だった筈だが。
私は陸軍出身で堅物なんだ。
だからかな、嶋田元帥のように陸海軍合同文化祭や軍内部で流行している自作の漫画とかにはあまり興味がなかったのだが、海軍ではそんな事に疑問を抱くのかね?」

256 :ルルブ:2015/01/23(金) 12:32:45
実に興味深い、という感じで。
そして。
草加は何を思ったのか沈黙を破った。
ただし、それは助け舟にはならない。
因みにだが、自衛隊でさえそこまで酷くないという言葉が角松は脳裏に過ぎったが必死にそれを追いやった。心の片隅へ。
もちろん、栗林と草加はそんな感情の変化が分かるはずもない。

「彼は訳あって今は軍服を着用しておりません。それは言葉通りの意味ではなく、心の中でも、という意味です」

ほう。
栗林中将はコーヒーを飲む。美味しくはないが大量にある。
それは有力地方部族からシンガポール占領軍への貢ぎ物だったが、彼らに便宜を図ることで帝国から来ている邦人数万人に非公式な味方をより多く作れたのだ。
彼の中ではそれを是としてる。
彼が守るのは大日本帝国の国益であり、国民であるのだから。多少の融通は通せるし、通せぬばならない。

「そうか、何かあるのだな。
ふむ、では私なりに後輩に伝えておこう。
銃の引き金に指をかけた時、躊躇うような軍人を軍人は言わない。それは警察官だろう。
単に人助けがしたいのなら警察でも消防でも、或いは司法関係の仕事でも良いはずだ。
なのに士官としての軍人を選ぶ。ならば責任をもって責任を果たすべきだ。
人を殺してでも人を守るのだという覚悟、殺し殺される覚悟、そして最後には全てを背負う覚悟を」

まあ、持論だがね。

「閣下のご意見、ありがとうございます」

角松はそれしか言わない。
草加は何も言わない。
ただ黙って頭を下げる二人。
苦笑いする栗林はカバンを用意した。

さて、ではこれを渡すか。
栗林はそれを渡した。
中には一冊の書類の束がある。

「拝見しても?」

「私はすでに命令内容を知っている。
だが、その背景にあるものには触れておらんから安心して構わんよ」

草加が語る。

「では閣下の権限でこのホテルにある部屋を100部屋、それを6日貸してください」

それだけか?

「あと、海軍の特務部隊がインド洋演習の休暇として上陸してます。その慰安もしたく思います」

それと?

「最後に、特務部隊が本ホテルを利用しますが最大級の秘密を守って頂きたい」

栗林は少しだけ考え、頷いた。

「防諜関係は全力を尽くす。海軍の出迎えには陸軍も協力する。
それでよろしいか、草加中佐?」

「感謝します」

257 :ルルブ:2015/01/23(金) 12:33:17
同日・ドイツ第三帝国・ベルリン

「あなたって最低ね」

女はユダヤ人だ。
だから犯した。
ちがう、そうじゃない。
俺は彼女が好きなのだ。
だから俺は彼女から汚れた民族の血をなくすための努力をしている。

「俺は君のために親衛隊にいる。
劣等民族どもを駆逐し、そして君を名誉あるドイツ市民として認めるための武勲を手に入れる。
その為に東部戦線に志願し、勝利して帰ってきた。
現だ、俺は明日総統官邸に呼ばれている。ゲッペルス宣伝相じゃないぞ、あの総統閣下ご指名だ!!
ヒトラー総統閣下はユーゲント時代に俺が閣下の書記を勤めていたことを覚えて下さっていたんだよ!!」

そう言いながら、下着を着て、ズボンを履き、ベルトを締めて、男はクリーニングから返って来たばかりの黒いナチス・ドイツ武装親衛隊の制服に袖を通す。
階級章から彼が中尉だと言うのが女にもわかった。というか知っている。
もう短くない付き合いなのだ。

「ふざけないでよ・・・・・何が私のためよ・・・・・私たちをいたぶって楽しんでる、そうでしょ!?」

「!!」

そのまま押し倒して強引に唇と唇で塞いだ。
女には服を着せない。
だが、一応ポーランド人のメイドを雇っている。
だから自分を含め身の回りの世話は大丈夫だ。
それに父も神戸で領事館を勤めていたから現政権に保護者は多い。
残念なのは空襲で父が東にある母の故郷に母を残して死んだ事をだった。
それでも。

(俺は充実してる。恵まれている!!)

これも自分がドイツ救世の英雄である偉大な総統閣下へと忠誠を誓い、報われているから。

「いいか、そんな事はない。俺は君が好きだ。
だからその為にロシアの豚どもや劣等民族を粛清している。
全ては正しいドイツと純潔たるドイツ人のために、極東の変異した化物の侵略者から伝統と歴史ある欧州と正義を守る為に、だ。
その中で劣等民族の君が生き残るのは俺が君を愛しているからなんだ。
そしてそれは俺の立場を不安定にしている。
あれだけの武勲を最前線であげたのにまだ中尉なのは・・・・その為だ・・・・・だから」

「だからなによ! この人殺し!! 第一あなた本当にその純潔とかいうドイツ人なの!?」

男の顔は一気に変わる。
それは憤怒。

「どう言う意味だ、それは」

思わず両肩を軍事訓練で鍛えられた両手で挟み込む。
痛いはずだろう。
大の男だって痛い。
だが、この儚いユダヤ系の同年代の少女は逆に勢いをます。

「そのままの意味よ!! あんたあのヒトラーと同じ名前でちやほやされてるだけでしょ!!
だって私は知ってる。あんたが私を犯した時に自分で言ったじゃない!!
あんたの母親は・・・・・」

それ以上言うな!!

いいえ、言うわよ!!!

言うなと言っている!!!

殴った。
でも女は言った。
彼は彼女を名前で呼んだ。いつものように。
でも、彼女は今まで一度しか名前で呼んだ事は無かった。最初の初めて会った瞬間。
まだ人を殺したことがない純粋無垢な少年の彼が、彼女に恋したその日だけ。
だが、それも今日この日に破られる。最悪の形で。

「あなたのお母さんは日本人じゃない!! アドルフ・カウフマン!!!!」

「黙れエリザ!!!」

男はあらん限りの声で叫んだ。
周りなど関係なしに。
そして彼も彼女もみらいにかかわることをまだ知らない。
だから彼は叫ぶことができた。
現在から続く未来を信じきる事ができたのだった。
そして。かれは言った。


「僕は日本人じゃない!!
        • ドイツ人だ・・・・そうだ・・・・ドイツ人だ・・・・・ドイツ人なんだ!!!!!」

第七話 完

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最終更新:2023年03月02日 18:09