472 :ルルブ:2015/01/29(木) 09:56:38
「第十話 因果応報」



大日本帝国本土として世界史に名を刻んでいる土地がある。
大英帝国の描いた19世紀の地図ではまさに極東の小さな島々。
しかし、いまやその認識は地球に住むすべての人間にとって当てはまらないだろう。
少なくとも文明国、先進国、列強と呼ばれる国々にとってこの東洋の島々には大きな意味があるのだ。

「2600年の間一度も途切れることなく続いている万世一系の皇帝が治めている大帝国」

「太陽の国旗を掲げて、世界の海へと勢力を伸ばし、世界最大の海洋を支配に置く大国」

「近代化以降の戦争、その尽くに勝利してきた奇跡の超大国」

その名前を、大日本帝国という。
この帝国が建国された理由と1945年9月に至る政治情勢は別のことだ。
だが、だからこそ、この世界の人間は注視する。
ここに住む新たなる世界秩序をもたらした帝国の支配者たち、その動向を。
合法、非合法を問わずに行われる情報戦争。
そして、合理・非合理を関係なく行われる人々の対立。
そんなある日、大日本帝国上層部=夢幻会の会合で投げかけられた波紋。

「80年先の未来の平成日本国海上自衛隊所属イージス護衛艦みらいを名乗る軍艦」

が、まもなく大日本帝国にやってくるのだ。
誰もが望まなかった。
そう、みらいも、大日本帝国も、平成日本も。
誰にも望まれない航海の末に、みらいは何を見るのだろうか?
その鉄の塊、黒鋼の城の瞳に映すものは一体何であろうか。
それを知る者は、まだだれもいない。



1945年 某日某所

電話だ。
電話越しの会話だった。
相手は誰だろうか?
少なくとも彼より上司である事は間違いない。
加えて言うならばシナリオライターの意向に沿っていることも間違いないな。

『そうです、ええ、あれを使います。
この時のためにあれを泳がせておいたのです。それは以前にも説明しました。
すでに件の艦は例の港を離れているはずです。
加えてその確認も取れている。
我々には時間がないのです。
ですから・・・・・・ええ、言いたい事と懸念は分かります。
ですがこのシナリオにはあれが一番適任ということは承知のはずではないですかな。
私の言葉を覚えておいでですか、あれの意思など関係ないのです。
人間を操るにはその人間が選択できる道をなくし、全面肯定するよう、その人物をそれとなく袋小路に追い込む事が重要です。
そしてそれはあの日に既に達成したと結論付けた筈』

受話器越しの無言の圧力。
しかし、サングラスの男は飄々としてそれに答える。
いいや、付け加えた。

『利用はできます、それは確実です。
何せ混合国籍の持ち主ですから。
帰属と言う意味であの人間ほど使いやすい人物はない。
それにイギリスとドイツが結託する可能性もある。
英独の協調による介入。
これは祖国日本にとって看過しえない事態なのではありませんか?』

男のやりとりを聞いていた相手はこう述べたという。

『よかろう、認めよう』

だが、と電話が越しに殺気が伝わる。

『失敗は許さん』

と、それだけ。
受話器が落ち、通信が切れる。
あとに残るのは小さな密室で机の上で手を組み顎をのせた中央情報局の男、その後ろ姿のみ。



1945年 9月5日

シンガポール基地からインド洋演習とイラン演習に勝利した栗田提督指揮下の遣印艦隊が抜錨、出港していく。
帝国本土からの出迎えの練習艦隊と合流し、更には交代組も合わせた大船団を編成して国内各地の母港に帰投するべくシンガポールから日本列島へと北上を開始。
そのさなか、特務任務を帯びている「東進丸」は数名のゲストと共に一路、東へ進路をとる。
目標はパラオ諸島。
みらいの持つ情報とは異なり、この世界のマリアナ諸島の軍事的価値は急落していた。
故に、パラオも一部の根拠地守備隊と少数の海上護衛隊航空戦力以外は戦力らしい戦力はない。
そこに向かうのはあくまで人目を避けるため。

473 :ルルブ:2015/01/29(木) 09:57:56
シンガポール基地・第一軍用飛行場・陸軍情報部特務室

妙な組み合わせだ。
海軍の白い軍服と陸軍の野戦服を来た将校二人が同じ部屋で対談している。
対談というには雰囲気が物々しいのだが。
机の上には麦茶がある。
この間のみらいでも自分で麦茶を作っていたのが目の前の陸軍少佐だ。
もしかしたら好みなのかもしれないな。
埒もないことを考えるのは、あまりこの任務に乗り気ではないからか?
よく見ると目の下にクマもあり、髪の毛もボサボサだ。

「津田大尉、君には世話をかけるね」

新城直衛少佐は国内に戻べく手配している書類を一旦片付ける。
彼が用意した212名の女性職員らはよくやった。
自分に権限があれば全員を一階級昇進させた上で、この作戦を立案してくれた草加拓海を殴りつけてやりたいくらいだ。
無論、それ以上に実行犯である自分をぶん殴ってやるが。

「国内中の・・・・・ああ、こんな外見で失礼するよ。
この6日間まともに寝れなくて、な。これは派遣されいる情報分析官全員がそうだ。
一応、防諜の理由と彼女らの身体と精神の安全のためには隔離が必要不可欠だったのだ。
彼女らが身を削って集めた断片的な情報から全体像を推測するのは簡単だった。
だが、通常の軍事作戦と同様に確信を持つことは不可能だ」

津田も頷く。
人の頭の中が分からない以上、それを分かることなど出来はしない、と。
だからこそ津田が再度日本から派遣されたのだろう。
あの未知の軍艦、80年後の未来を知っているという軍艦に対して接触する人間を減らすために。
それが帝国今後1世紀の繁栄につながると信じて。

「ああ、麦茶は嫌いだったか?
ならば緑茶なりコーヒーなりを用意しようか?」

気さくだ。
この間の何か企んでいるとしか思えなかった人間と同一人物とは思えないほどに。
だが、だからこそ騙されてはいけない。
現在の任務は伝令であり、それ以上ではないのだ。
これを履き違えると大変に厄介なことになる。

(私はあなたや草加中佐程強くはないのだから。
正直なところ、80年先の未来など見たくない)

本土からシンガポールへ再度向かう際にあの嶋田総理自らおっしゃられた言葉なり。
君子危うきに近寄らず、まさにその通りだなと思う。
身の丈にあった生き方というのがある。

「いえ、結構です。
それで自分はどれを本土に持ち帰るのでしょうか?」

直球であり無礼な言葉使いにも相手は気分を害した様子はない。
彼もまた一流の佐官であり兵士だ。
実戦経験も豊富である。
だから直ぐに反応する。
取り出すのは黒いカバン。

「これだ、トランクに入っている書類以外はすべて焼却処分したと伝えてくれ。
派遣されてきた彼女らにもこれは機密の練習であり、訓練である、だがドイツやイギリスの目もあるから安易に口外しないようにと口止めした。
違反すれば第一級の罰則が適用されるとも伝えてある。
まあ彼女らはこの事と全体像について詳細はおろか影すら知らない。
現時点であの軍艦と妙な軍人らに関して詳細なデータを持っていて、詳細を知っているのは僕と草加中佐だけだ」

安心できたか、津田大尉?

という言葉はかろうじて抑え込む。
そこまで言う必要は無いし、目の前の生真面目な大尉殿には不要だろう。
誰も彼もが好き好んで地獄の釜をあけて魔女の婆さんの呪いを受ける必要はない。
そういうのは僕のようにどこか世の常識を外れた愚か者が率先してするべきだ。

(人には相応しき生と、死が、だ)

ああ違うな。僕だけではない。
或いは、草加拓海の様な己のすべき事が見えていると思っている、己の行為に絶対の自信がある確固とした信念を持った阿呆が、だ。

(だいたい大和魂と必勝の信念に、1発100中の砲は100発1中の砲に勝利する、だと?
馬鹿も休み休み言え。
そういう事は軍人が言う台詞ではない、どこが病んでいる常識がわからない狂ったたわけが檻の中で言うべきだ。
それに専守防衛? あのみらいから来た副長が声高にいったらしいな。
あいつらは敵対している相手に銃口と殺気を向けられて尚優雅に何もせずにお茶でも飲む気か?
は、それは現実逃避と何が違う? それが許されるのは『平和な世を生きる民衆』だけだ)

474 :ルルブ:2015/01/29(木) 09:58:56
そう思う現実主義の臆病者にとって、今回の任務ほど不快なものはない。
だからこそ協力するのだ。
草加拓海の望む道を歩むならば最後に来るのはあるべき姿。

『過酷で冷酷な現実』

そのものなのだろうから。

「という訳で、誠に申し訳ない。津田大尉には悪いがまたシンガポールから日本本土へとトンボ帰りだ。
ああ、大丈夫だよ。今回の任務は重要だが、今回の飛行は政府専用機のテスト飛行だ。
名目上は、ね。
富嶽を改造した政府専用機『富士』を使った無補給横断飛行で、帝都からここまでの片道の移動飛行テストは無事終わったいる。
後は成田に戻るだけ。そこからは・・・・・まあ、また現地の担当に聞いてくれ」

そこまでは関与しないから。新城はそう言ってしまう。
敬礼する津田。
彼は用意されたトランクを受け取り、手錠で固定すると部屋をでる。
それを見届けた新城直衛も直ぐに部屋の書類を焼却用ゴミ箱に入れはじめる。
ゴミ処理、それ全部が終わったのは二時間ほどあと。
そして、自分の手でそれをすべて燃やし尽くしたのは更にそこから90分ほど過ぎた。
いよいよなんだな、と、彼は思った。
例の男がパラオ諸島に向けて進んでいる。
例の軍艦に乗って。
自らの身を危険に晒して。
その代わりに、彼はこの男をおいていった。
書類を読む。彼の軍歴書。

『大日本帝国海軍 少佐』

『菊池雅行』

階級は自分と同じ。
今からならシンガポールの軍用空港に待機させている空母艦載機で大鳳に戻れる。

「海も好きだ。だが、飛ぶのは苦手なんだが」

新城直衛はぶつぶつと文句を言いつつ(本人は気がつかず)そのまま飛行場へ向かう。
もちろん、彼らに挨拶もしなければならない。
厄介な事だ。

(流石はムスリムの商人。数世紀にわたってユーラシア経済を支配していた事はある。
商機には敏感とみた)

そして彼らはロビーで待っていた。
予想通りに。
まったく、外れて欲しい予想は的中するのだ。運命の女神はよほど皮肉が大好きなのだろう。
いいや、人が苦しむのを見るのが楽しいのだろうか?
尤も、彼らの前では口が裂けても言えない。むやみやたらと火種をばらまくのは好みじゃない。
火薬庫で火遊びはしたくない。
第三者の愚者は僕がそういう事が好きで好きでたまらない戦争教徒、戦狂いと信じているようだが。まあいい。

「ああ、新城少佐。これからお帰りですか?」

ち、やはり声をかけてくる。
あの微笑だ。
何か企んでいるのがありありとわかるぞ、畜生め。

「帰国されると聞きまして・・・・・駒城家の方々に何か我々から贈り物をご用意できないかと思いますが。
確か、国内の義姉殿にはご息女が生まれておりましたな?
こちらはタイのシルクです。よろしければどうですか?」

シャイロック8世、代表取締役社長。
ブリガンテ、専務。
グ=ビンネン商業ギルド連合の情報収集力とその判断力に行動力は、この新城直衛でさえ舌を巻くことがある。
彼らは自らの商品を売り込むために手間を惜しまない。
そして自らの必要な商品を買うために出費を惜しまない。
まったくもって忌々しい。
さらに忌々しいのは誰よりも何よりも「グ=ビンネン商業ギルド連合」と「大日本帝国」との力関係を理解し尽くしている、という事だろうな。
だから、一介の少佐の情報を知っているが、今日この日、自分が帰国する瞬間まで仕掛けてこなかった。
最良のタイミングで最高の攻撃を仕掛ける為に。

475 :ルルブ:2015/01/29(木) 10:01:37
とても苦手な笑顔をする。
笑え、傲岸不遜に恐れをしらない勇猛な戦士のごとく笑え。
そう臆病な自分を奮い立たせる。

「ああ、貴方がたのご厚意には感謝するが・・・・・帝国陸軍軍人は賄賂を受け取る習慣はないんだ。
もちろん、君らが純粋な好意を持っているのは分かっている。
決して貶した訳ではない。貶める意図があるわけでもない。
ただ真実と事実を述べていると受け取って貰えないだろうか?
まあ、無下に断っては貴方たちのメンツを傷つけてしまうな。
また個人的な旅行でシンガポールに来たときは君らの好意を受け取らせてもらうように努力しよう」

一礼する二人に敬礼する新城。
最後に、

「明日の生命の保障がない軍人であるが故に確約だけはしかねるが、ね
それではさようなら」

そう言って場を去る。
何かを知っているな、という確信を持ち。
向こう側も知っているぞ、という笑みをもって。
事実二人は帰りの日本車(ただし、中華民国の逃亡者らから手に入れた旧米軍の新古車)で一旦商会本部のある館に帰る。
そこは海に面しており、旧イギリス統治時代のイギリス貴族の建設した3階建ての館をそのまま使っている。
その車内で二人は日本のタバコに火をつけながら思った。

「これで確証が持てたな、シャイロック」

富士という富嶽の政府専用機に乗る一人の海軍大尉の情報は知っていた。
何、買収の必要もない。
彼らにウェルカム・ドリンクを渡す権利を自分たちの商会が手に入れた。
そして「日本政府の言うアレルギー対策」を名目に、名前を確認した。
多くの人間が往復チケットだった。
当然だろう。あの「富嶽」なのだ。
一機も撃墜された事のない「富嶽」を民間人に公開するはずもない。
軍艦と違って飛行機は小さい。
しかし、重要だが、このご時勢に移動時間が短いということはアメリカ風邪を持ち込む可能性があるという事でもある。
故に防疫を本格化すればするほど周囲へと情報が拡散してしまい、機密保持は難しくなる面があった。
それを、シャイロックは突いてきた。嫌らしい手段である。

「それとなく見張っていたら、あの津田という海軍将校が情報部員を指揮していると思われる陸軍将校に会いに行ったという。
しかも、その男は飛行計画が極秘の筈の「富士」を利用する可能性が高かった」

シャイロックもこのブリガンテの言葉に同意してくる。

「大日本帝国の陸軍と海軍が共同して何かをやっている、それだけでも怪しいのにわざわざ専用機で人間に何かを、或いは誰かを運ばせる程の何かがある。
巧妙に隠されているが、だからこそ、巧妙に隠されているのだと分かってしまえば何だろうとも思える」

そう、大日本帝国の防諜体制は実は完璧だった。
草加、新城、津田以外はみらいに乗艦しなかったし、無電通信も最初の数回以外は無し。
接触した自軍艦隊への言い訳も、イラン大使やサウジアラビア王国王子らへのぼやかしも完璧。
実際にみらいに関する電波を傍受したのも大英帝国東洋艦隊だけである。
そして、明確に「みらい」という名前に注意を引いて行動している列強はイギリスのみ。
それにだ、これも東洋艦隊艦隊司令官の個人的な直感とMI機関ら全員が汚名挽回・名誉回復に躍起になっているという現実が噛み合わさった偶然に近い成果と結果だ。
どれか一つでも抜けていれば大英帝国の介入というような事態にはならなかったはず。
が、夢幻会が見事あの対米戦まで勝ち抜けたように、今回は神がいるとすればだが、その神の加護は夢幻会とは対立する存在に微笑んでいる。
今のところは。

476 :ルルブ:2015/01/29(木) 10:04:41
「シャイロック、とりあえずこのあたりでよかろう。
例の買収していた華僑の男・・・・妙な方言を喋っていたが、彼が接触した角松という男は明らかに大日本帝国の人間とはかけ離れた思想の持ち主だった」

ああ、彼だな。
シャイロックは窓の外を見ながら思う。
例の馬鹿げた思想の持ち主。
この弱肉強食の世界で、しかも自ら参戦し血を流したにもかかわらず同盟国大英帝国の土壇場の裏切り、完全な濡れ衣。
米中両大国の策謀と挟撃、二正面作戦という世界近代史上でも最も苦難の道を歩まされ、しかし、全てを跳ね除け奇跡的な勝利と栄光に恵まれた筈の日本人なのに、仇敵である中国人を庇った。

「そうだね、彼は妙な日本人だった。
同胞であり、我が身を守る恩人でもある海軍中佐と一緒にいたにもかかわらず、だ。
それにこの世界では当たり前のことを、大日本帝国の象徴である日章旗へ敬意をあまり払わない姿勢。
これは派遣されてきた、進出している日本人たちの中ではありえない」

「まして、軍や政府、自分の上司らしき人物が集結しているにもかかわらず、な」

あの華僑崩れの諜報員は役立った。
彼とイラン大使の言葉、更には山口提督のごく僅かで、しかし確実にな、あの反応。
最後に日本から急遽派遣されトンボ帰りする海軍将校と、本来は部署が違う陸軍少佐との密会。

「確かに何かある・・・・で、どうする?」

ブリガンテはタバコを灰皿に捨てる。
問うのは当然。
この商会の最高責任者はシャイロック8世なのだから。

「彼は始末した?」

誰を、とは聞かない。
いつ、とも聞かない。
何故、とも聞かない。

「ああ、あの中華の人間は今頃漁礁だ。シンガポールから北にある小さな港町の、な」

冷静に。
冷酷に。
冷徹に。
これこそ指導者に求められる素質、少なくとも一面は。

「それならいいよ。ブリガンテ、どうもこの一件への深入りには嫌な予感がする。
下手に手を出すと手どころか腕、いいや、胴体まで噛みちぎられそうな気配が濃厚なんだ。
言っている意味・・・・・君ならもちろんわかるよね?」

宴会の席での小さなミス、イラン大使のあの言葉がなければ絶対に気が付かないほどの情報の秘匿性。
ブラフと揺さぶりに全く反応しないのではないか、予め身構えていなければ分からなかったであろう山口提督の小さすぎるが、確実にあった表情の変化。
そして、たまたま接触できた不可解な日本人と日本軍人の組み合わせに、海軍大尉が陸軍少佐と出会っていた事実。
それはまるで戦時下の動きだ。

「我らの海じゃない、ここは帝国の海なんだ。
グ=ビンネンの悲願はまだまだ遠い未来のこと。
だから焦るのも分かるが、焦っていてはいけない」

そう、その通り。

「ではやはり?」

「この件は暫くは触れないでおこうよ・・・・・それに直感だけど」

シャイロックは言葉を続ける。
そう、彼の考えは今までは概ね正しかったのだから。
全てではない。だが、概ねは。ならばこそ、である。

「直感で、なんだというのか?」

にやりと笑う。
いたずら小僧のように。

「それに例の新型巡洋戦艦はもうシンガポール近海にはいないだろうからね」

「だが使えないカードは捨てなければならん。早急に」

車は走る。
男たちは思う。
何を願い、何を望み、その為に何をするのか。
誰も彼もが闇夜を歩む中で、みらいは既にない。
少なくとも、このシンガポールには。

「ふふふ、ブリガンテ、この北にある大陸の人間の諺にあるだろう? 
空が落ちる心配をするな、それで餓死したら笑えない、と」

杞憂だよ、そう、こちらから仕掛けない限りは。

477 :ルルブ:2015/01/29(木) 10:05:19
満州平野 戦時中

爆弾が爆発した。
味方の戦車がド派手に吹き飛ぶ。
轟音と共に鳴り響く重砲の一斉射撃が味方戦車を撃破する。
空中高く放りあげられた戦友がバラバラになった。
日本軍の爆撃機に追い回され、地べたを這いずり回る。
敵兵の機関銃が仲間を薙ぎ払うのは最悪だ。
日本の機甲師団に滅茶苦茶にされているのが嫌だ。
戦死した戦友へ恐慌状態の衛生兵が何度も何度も蘇生を試みるのは滑稽の極みだ。
極めつけは例の命令。

「くそ、あのバカが!!」

(何が全軍前へ、戦車部隊前進せよ!!
全軍我に続け!!、だ)

司令部は現状を把握してない、いいやちがう、絶対に脳内麻薬で逝っちまったんだ。
狂って全部いっさいがっさい何もかも投げ出しやがった!!

「隊長!!
司令部は・・・・司令部は我々が生きているという事実を把握しているのですか!?
我々はもう死んでいるのではありませんか!?」

「ばかやろう!! 大丈夫だ、合衆国は死守命令も自殺命令もくださん!!」

俺は簡易塹壕で怒声をあげる。
まわりにいるの貧乏人と有色人種に、日系人の男らに海兵隊軍曹としての職務を果たし、ひとりでも多く生きて故郷に返すために。
だが、命令を受ける彼らは知らない。命令する彼は知らない。
既に彼らの母国の東海岸沿岸全域は文字通り津波飲まれ、海に飲み込まれたことを。
そして、満州派遣米中連合軍は大日本帝国陸軍の放った鋼鉄の濁流と暴風雨に飲み込まれている事も。
突撃する兵士、その小銃、その銃声一発に戦車砲で反撃が来る。
重機関銃に対しては敵の無反動砲が沈黙を強制する。
更には空襲だ。
また陣地の一つが吹き飛んだ。
これで何個めだ、ええ、もうだめだ.
軍曹は決断する。

「おい!! 通信をつなげろ!! これ以上の前進は自殺行為だ!!!」

サー・イエッサー!!

爆弾が更に爆発。
近くにはB-17爆撃機の墜落した破片が散らばっている。
死体の階級章が見えた。
どうやら高級参謀の一人が脱出しようとしたらしい。

「恥知らずが!! まだ通信は繋がらないのか!?」

機銃掃射。
地面がえぐれ、腕らしきものが、血しぶきが飛び散った。
急行してくる中華民国の友軍機。追いつかれて敵前逃亡するつもりらしい。
敵の零戦部隊に追い回されて撃墜されたようだ。
ざまぁみろ。もっとも。

「このままだと俺たちもミンチだ!! 撤退命令をもらえ!!」

無線電話にかじりついている二等兵に怒鳴る。
遅い。
上を見ろ。
誰かが言った。
次の瞬間、衝撃波がくる。
追加の爆弾が3発、付近に着弾。
どういった仕組みかは知らないが、俺たちの居場所をしっかりと把握している日本機は正確に、正鵠に爆撃を行う。

(まぐれじゃない。これが俺たちとの力の差か)

諦めがこみ上げる。
戦闘開始から既に数日。
全軍が劣勢、いや、敗走寸前なのは歩兵部隊として最前線で銃を撃っているからわかるんだ。まして俺は数少ない黒人出身の下士官。
それなりに経験も学もある。
しかもだ、空爆だけじゃない。
重砲の猛砲撃に加えて、局地的な鉄のスコールを、10分程度の間隔をあけたロケット弾の雨を降らせやがる。

478 :ルルブ:2015/01/29(木) 10:05:50
まったくもって素晴らしい「東洋の島国の背伸び」の結果だ。
既に俺たち海兵隊の新米小隊長の少尉は戦死。
次席指揮官で事実上の小隊指揮官であった曹長殿も先ほどの戦車砲の一撃であの世へと突撃を敢行。
残りは双子の中国系アメリカ人2名、日系アメリカ4名、ブラック・アメリカ人5名、そして俺だけだ。
簡易塹壕、いやたまたま複数の爆弾で出来た蛸壺にこもっている。
銃弾だけが回避できる。あの97式の強力な戦車砲相手にした暁には、こんな場所にこの土の壁。
木の板程度にしか役立たないだろう。
気休めにしかならん。

「急降下爆撃機2機!! 対空射撃!!」

ああ、嫌になるな。空を見るついでに双眼鏡なんかで向こう側を見るんじゃなかった。
日本軍の前進だ。しかもご丁寧な事に戦車部隊に加えて歩兵の集団がロケット砲と重機関銃の支援の付きで前進してくる。
今日はクリスマスじゃないぞ。

「繋がったな!! おい、司令部にいるそこのくそったれ!!
直ぐにパットンの大馬鹿野郎へ伝えろ!!
403中隊は本第2小隊を含めて既に前線部隊の死傷者多数、損耗率9割!!
我ら戦闘続行不可能と判断!!
全軍の退却許可を求める、今すぐに!! 以上だ!!」

受話器を叩きつける。
相手の返事など聞いてられるか。

(何が忠勇なるアメリカ合衆国軍人よ、その責務を果たせ、だ、くそ。
重機関銃どころか手榴弾さえも殆ど無い状態で日本の戦車部隊が撃破できるか!!!)

キャタピラの音が止まる。停車、照準、射撃、命中、M4爆散、前進再開。
一連の流れを見て泣きたくなる。
全然役に立たないな、味方の騎兵隊は。
これじゃあ、前の大戦で重機関銃にバカ正直に真正面から突っ込んだ独英仏を笑えない。
まして今からあの化物戦車と護衛の歩兵中隊相手に手投げ弾と拳銃程度で接近戦か?
味方は10人くらいだぞ?
冗談じゃない。

「おい、軍曹。さっさと逃げないと殺されるぞ!!」

真横で小銃を撃っている男が怒鳴りつける。
1に100が返る状態でどうしろというのか?

「軍曹!!」

確か、大陸浪人とやらで身寄りがなかった日本人らしいが、こいつも今が最悪なのは分かっているな。
俺のスラング英語も大したものだが、こいつの日本系訛り英語も大したもんだ、畜生め。
そいつが必死の形相で声を上げていた。

「逃げるぞ!!!」

「貴様に言われなくてもわかってる!! たった今突撃バカに撤退許可の申請をした!!
黙って撃ってろ、この発情狼が!!」

だが。
まだ軍隊として秩序を保っている事を鑑みて、勝手に逃げても脱走兵として中国兵と一緒に後ろから銃殺刑に処されるだけだろう。
せめて正式な退却命令がないと逃げれない。
俺は黒人だが、それでも兵士だ。
創設されたばかりのアメリカ合衆国海兵隊の下士官であり、匪賊崩れが全軍の8割を越している中華民国軍とは違う。
俺たちが逃げたらこの満州に残っているアメリカ人の命がないんだ。
尤も、そんな事よりも退却命令の方が今は何億倍も貴重だろうし、欲しい。
だから命令をもらえるようにとなりの通信兵を急かすしかない。

「通信士!! 敵歩兵部隊接近!! 数は最低でも1個中隊!! こちらは残り12名!!
至急増援、或いは援護の空爆を要請!!!」

怒鳴っている。
何とかこいつの肩を掴んで。
返事がない。

「復唱はどうした!! 聞こえなかったか!? さっさと増援を・・・・」

頭がなかった。

返事がない、ただの屍のようだ。

479 :ルルブ:2015/01/29(木) 10:07:12
ついでに通信のための無線電話にはでかい破片が突き刺さっている。
ああ、これで首を飛ばされたのだ。
それがわかってしまう。

「伏せろ!!」

何?
おぼろげながら上を見て、日系人が俺に飛びかかってきたのはそれから数秒後の事。
あとのことは気がついてない。
正確に言うと思い出せない。
覚えているのは野戦病院の「跡地」に戻り、何人かの兵士とともに巻き込まれた民間人・勇敢に死んだ戦友、逃げれなかった軍属らが荼毘されている遺体置き場に佇んでいた。
唖然とする者、嗚咽を漏らす者、喚き散らす者。
この状態では戦場に戻るなど不可能。

「で、どうする?」

「どうします?」

「命令をください、お願いします」

「どうすればいいですか!?」

残っているのは中華民国軍、アメリカ陸軍、アメリカ軍海兵隊全員を合計して200名程。だが、中国人らは今にも逃げ出しそうな雰囲気だ。
そうなると実際に戦力になるのは100名を切る。
衛生兵も足りず、将校はもういない。守るべき軍属や民間人も既に死体しかいないようだ。
こうなったら、と爆撃機の爆音だ。
しかも数十機の集団が一列に並んでいるのが遠目でも分かる。
ということは、大型爆撃機の集団!
絨毯爆撃をするつもりらしい。

『伏せろ!!!』

『あし・・・・たの・・・ん!!』

『こっちよ!!!』

誰かが誰かを案じて大声で誰かの名前を呼んだ。
それを見たのか軍属の女が咄嗟に3歳くらいの女の子に飛びかる、違うな、あれは覆いかぶさったのだ。
一瞬とも永遠とも思える振動が過ぎ去る。
大規模な爆撃が終わった。
そして、気がついたら多くの人間が死ぬか逃げ出すかしていた。
残っているのは30名前後。健常者は10名ほど。それに民間人の少女が一人だけ奇跡的に生き残っている。
ただ、呆然としてるのか何も言わないが。
ばらばらになった女の手を握っていた。
そして、もう片手には別の男が必死の形相で、血を流しながらその少女、いいや幼女の手を握っていた。
これが最後だと言わんばかりに。
これでお別れだと言わんばかりに。

「さ・・・・う!!
お願いだ!!・・・・・・頼む!!」

「俺たちはもう死ぬ・・・・・だが、あの娘だけは・・・・・俺たちの娘を!!」

なんだろうと思ってかすれた視界で声のする方向を見る。
爆撃の余波で目をやられたらしい。
声を、いつもよりもよく聞こえるように感じる耳で、彼らの会話を聞いていた。
不思議と爆撃や砲撃、銃声の音がしない。
よく見る為にあの影の集団へと近づく。

「・・・・・・・・・・・・・分かった」

あの日系人の前でたった二人だけの通訳を兼ねていた中国系アメリカ人が、必死の形相で何かを男に託して、そして、新しい祖国への義務を果たして死んだ。
そう、彼らは自由になった。この地獄から解放された。
泣けてくる話だ、本当に。
じゃあ、俺は何なんだ、一体。
俺はどうしたい?
目の前の男はどうするのだ?
疑問だらけだ。
もう、疲れた。

480 :ルルブ:2015/01/29(木) 10:09:19
「・・・・・・なぁ、お前ら双子だったんだよな・・・・羨ましいよ兄弟仲良く生まれて、死ねてな。
俺は・・・・・・名前しか知らない。自分のことは名前しかわからない。家族はどこにいるのか・・・・・そもそも俺に家族って奴が今も生きて存在しているのかさえわからない」

心からの冥福を祈り敬礼する根無し草である一人の日系アメリカ人。
仇敵である筈の、親友とも呼べるようになった二人の中国系アメリカ人へ。

「でもな、俺はお前たちと親友だった。
だからさ、あの世で見守っていろ、お前らの娘の未来を。
おれが守ってやる。
必ず、だ」

その言葉を聞いていたのだろうか、近寄って確認した双子の二等兵ら。
彼らは安らかな死に顔だった。
どうして娘らしい人物をおいて逝くのにこんなふうに穏やかに笑えるのだろうか?
わからない。分かりたくない。
だが、確実に俺もこうとだけは言える。

(お前たちは最期まで娘を案じながら逝ったのだな)

と。
ふと、日系人の気配が遠のき、新しい気配とともに戻ってきた。
この病院に残っていた軍属の母親、その女性に守られて、いいや、命を引換に生き残っていた娘。
彼女を見たとき既に脇腹に、そして脚の腿に致命傷を負っていた二人の兄弟。
彼はいつの間にか長い付き合いになっていた大陸浪人の元日本人で、飛行機事故で身元不明、名前以外の自分を忘れた男に、最愛の娘の将来を託すと決めていた。
無論、自分たちはそんな決意を知らない。
あの死の間際になるまで知らなかった。
当然である。そして必然である。

(俺は・・・・・ああして納得して死ねるのだろうか?
祖国の南部に生まれた。そこを逃げ出してここに来た、
ここでも差別され、黒人として前線で戦う捨て駒に過ぎない自分もあの二人のように安らかに逝けるのか?)

何かが崩れ去る。
そう、何かが。
だが、こいつは違った。
アメリカ人になってからまだ5年しか経過してない、対日戦争の為に情報機関(OSS)が5年かけて訓練したこの兵士は違った。

「行こう、とにかく川を下って港まで行こう。
俺たちはもう十分戦った。これ以上はいい。国家への義理も義務も果たした、そうだろう?」

日系人の男の発言を遮るものも否定するものも最早いない。
こうして、俺にとってのアメリカ合衆国軍人としての生は終わる。

「俺に考えがある。だから、俺について来い」

そうして、30余名の米軍兵士は戦場を離脱する。
米軍の公式記録では第403中隊の生存者は0。
ただし、パットン将軍らも勇戦虚しく壮烈に戦死する大激戦(と、アメリカのABC放送は公式に発表)である為、誰もこの時点では問題にしなかった。
当然である。
遠い極東のサルに負けている無能より、海の底奥深くに沈んだ自分たちの財産や家族の安否のほうが優先する。
これがジャーナリズムというビジネス。
輝かしい実績を持つジャーナリズムという名前の企業の一面でもあるのだから。

481 :ルルブ:2015/01/29(木) 10:09:52
1945年9月2日 大日本帝国 帝都 東京

「ちょっと~何するのよぉ」

女が布団の中で甘い声をあげる。
朝日が眩しい。
久しぶりに女の子のお兄様が仕事でいないことをいい事にはしゃぎ過ぎた。
4歳になる娘もいるのに。
だが、仕方ない。
俺は欲望に正直なのだ。誠実でもある。
少なくとも、彼女と出会ってからは彼女以外に本気になったことはないし。
仮にあの満州にもう一度行け、そこで死ねと言われても問題なく死ねる。

(はぁ~こいつもなれんなぁ。尻を撫でてるくらいで全く。
あんだけやっといて今更だろう。
それにしてもこんな関係になってからどれくらい経過しただろうか?)

確か記憶では2年にも満たないのに、いつの間にか守るものばかり増えている。
あの飛行機事故で記憶と家族を失って、唯一不確かながらも自分の名前しか自分の手元には残ってなかったはずだ。
だが。

「パーパ、マーマ。ニーニが帰ってくるよ、いい加減に起きないと怒られるよ~」

扉が押しに声が聞こえる。どうやら娘が俺を起こしにきたようだ。
さてさて今日は何曜日だったかな?

(それにしても久しぶりにあの日々を夢に見た・・・・胸騒ぎがする)

少し黄昏ているとドアが開けられる。

(遠慮しないのは子供と暴君の特権、だな)

半裸でいる自分とその声に慌ててベットから抜け出して下着を着てシャツを羽織る女をきょとんと見ている義理の娘。
義理の兄、というか、まあ、そう言うべきであろう存在が警視庁の公安委員会に呼ばれてから既に8時間くらいか。
真夜中の残業、深夜勤務にしては妙だった。
妙に深刻な顔で俺を見ていた。

(まさか、バレたか?)

ここで思っても仕方ない。
それに俺の問への答えはすぐにわかるだろう。
そして、良い答えは返ってこないだろう事も予想はつく。

「? ねぇ、あんた凄く険しくて怖い顔してるけどさ、どうしたの?」

「いや、考え事を、な」

「心配事があるんだ・・・・やっぱり」

「ああ、まあ、な」

男と女のやりとり。

(そうだな、そろそろ消えるべきかもしれん。
俺は日本人であってアメリカ人だ。
例え過去に日本人として生きていたとしても、アメリカ人として生きていた。
二度死んでいたであろうとも、アメリカ人の日系部隊の一員で満州に行き、アメリカ軍人として戦地にいたのは変わらない。
あのガーランド小銃の銃口を日本軍に向け、引き金を引いていた、その事実も。
自分が入国審査の際に嘘の申告をしたのも、あの軍曹らを亡命希望者に仕立て上げたのも)

彼らが偽装工作のため、戦場の混乱に紛れてにOSS上級工作員と米軍満州派遣軍総司令部付き参謀らの用意していた避難用特別機を強襲。
極秘資料ごと強奪してしまった前科もまたなくならない。
それを取引に大量の金を用意して俺とあいつはここに店を構えた。
双子の戦友に託された幼い娘と、たまたま戦地で一緒になった日本赤十字の看護婦見習いの学生を助けて日本行きの船に乗れたのも僥倖。
結果としてはその女学生を利用した形にもなる。彼女の優しさに付け込んだ、利用した。冷徹に、冷静に、だ。
だから、かな。

(運が尽きたんだ・・・・・あの戦争に加えて飛行機事故。それにOSSでの特殊訓練のシゴキときた。良く五体満足でここまでこれた。
しかも黒人のアメリカ人を賄賂を使って帰化させれた。こんな喫茶店も用意できた。
結果として俺の亡命のために必要な金は用意できなかったのは・・・・結局裏切り者の末路はこういう運命だってこと、そんなとこか)

482 :ルルブ:2015/01/29(木) 10:12:36
だから俺とよく一緒に寝るようになった少女、いや、女の兄貴は呼び出された。
この国の、恐らくは俺の祖国でもあったはずの公安委員会に。

(願わくば、もう少しだけこの平和な生活を満喫したかった。
こいつと娘、そして気の許せる仲間がいる帰る家。それが例え幻影であっても、幻想であっても)

いいや、夢幻だからこそ甘美な麻薬だったのだろう。
そう思うしかない。
そう捉えるしかない。
俺には最初から選択肢などなかったのだ、と。

「ああ、あの娘を見ていた」

「はぁ?」

あんだけ深刻ぶってそれなのか、呆れた、そう言わんばかりの女の声。
そのままシャツとズボン、ベルトを投げてくる。
夏用の赤いシャツに黒いズボン、そして水色のジャケット。

「なんだから知らないけど、兄貴に見つかったら小言じゃすまないんだから・・・・早く服を着なさい、ああ!!
ちょっと・・・・まだアシャンが見てるじゃない。
あんたには目の毒だから。ほら、アシャン、あなたも早く塾に行きなさい!」

はーい、行ってきます、マーマ、パーパ。
たどたどしい日本語を話している女の子。
去っていく気配。
あれがまさか満州で戦災孤児だなどと思えないほどの穏やかな気配。

「あの子も成長しているな」

「そうね」

なんだかとても心が温かい。
この時間がずっと続けばいいのに。

483 :ルルブ:2015/01/29(木) 10:13:21
部屋から出て新宿にある喫茶店の三階に昇って行く。
ドタドタ、バタバタ、と。元気よく。
娘が塾に行った。喫茶店を出た。
それから数分も経たないうちに電話が鳴る。

「はい、ああ、兄貴か・・・・え?」

遂に来たな。

「新宿西警察署にあいつを来させろ?
なんで急に?
理由は言えない?
なによそれ!!
あ、待て!! こら、切るな!!」

電話が切れた。
混乱した女の顔からは血の気が引いている。
それは俺の運命の糸も切れたという事か。

「・・・・・しゃあないなぁ。
ちょっと行ってくるわ。香、香瑩の面倒を見ておいてくれ」

「え? ちょっと!?」」

彼女も悟った。
あの日から続いていた仮想現実が消えてなくなる。
夢は醒める。醒めたあとどうなる。
どうなるの?

(あの子とここのマスターと私といつの間にかくっついていた男がいなくなる。
あの満州平野で戦火に巻き込まれていた事など嘘のようだったこの平和な生活がなくなるの!?
そう、本当は蜃気楼だったように?)

女は、槇村香は唖然としつつ受話器を切る。
既に相手はこちらに向かっていると言っていた。
それもすぐに着く、絶対に逃げるな、そう怖い声で脅して、諭して。

(あれ・・・・あたし・・・・・いつの間にか泣いている。
なぜだろう? 誰のために泣いてるの? ねぇ・・・・・なんでこうなるの?)

そう、思い出すのはあの戦争。
中華民国軍とアメリカ合衆国軍が全面敗退、全軍潰走する中、連絡の不備と日本軍の進撃の早さゆえに取り残された日本赤十字。
好機到来と動いた匪賊と中華民国の敗残兵に、強姦、強殺されかけた日本赤十字のメンバー11名を守った彼ら27名の敵国人。
故郷に帰れないと絶望して自殺しようとする友人らを、この時点では彼らにとってはお荷物の敵対している国の民間人だったか、自決を思いとどまらせた。
だけでなく、私たち日本赤十字の看護師らを日本列島に送るために日本軍に射殺されるのを覚悟で日本軍の占領地・支配地域へと銃を持ったまま入った彼ら。

「俺たちは軍人だ。民間人を守るのが使命だ・・・・・例え敵対する相手の国民でも変わらない」

そうして男は言葉を守った。いいや違う、男たちは誓いを守り通したのだ。
私が好きになってしまった男に率いられた男達は約束を果たす。我が身を盾に。
その撤退中に上官を殺害、反逆者となった彼と彼に率いられた26名はもうアメリカ合衆国に帰れない。
そしてこの国以外で私の男は生きることを許されないだろう。
なぜなら彼は・・・・・

「大丈夫だ・・・・帰ってくるさ、俺はお前たちのもとにちゃんと、な」

だが。

「獠、あんた・・・・あんたどうするのよ?」

彼は日本軍に銃を向けていた元日本人。
そして、上官を殺し軍を脱走したアメリカの特務機関で訓練を受けたアメリカ人。
止めに国籍もなく戦死扱いの有色人種。
そんな彼がこの国の情報局に、秩序を維持せんとする組織に引き渡されたら一体どうなるか。

「俺は冴羽獠だぜ、大丈夫さ、何とでもなる」

玄関に歩む彼に迷いはなかった。
玄関の前に立っていた男と女とは違って。

「ま、待って!! 待ってよ、獠!!」

「お、出迎えは槇村に冴子か、朝帰りとはいい身分、という冗談が通じそうな状態じゃないな」

「話があります、冴羽さん」

女、野上冴子警部補の言葉に頷く兄。
他人行儀な友人の言葉に言い知れぬ不安を感じる香。
だが、ここで彼らに助けを求めても何にもならない。

「ああ、要件は察しがつくさ。男を待たせてもつまらんからなぁ
ああ、わかったてる。行くさ。抵抗はしない」

手を振りながら去っていく肌を重ねてきた男。
そして三人は喫茶店からは逆光となる朝日に消えた。

「嘘よ・・・・・だって・・・・・・だって」

女は、香は叫んだ。

「戦争は終わったのよぉ!!!!」

一方で、東日本の東京新宿を離れた場所に置いても運命が動き出す。

484 :ルルブ:2015/01/29(木) 10:13:57
(綺麗な公園だな。僕が生まれた頃にはまだなかった筈。
ち、劣等人種のくせに生意気な)

男は一人海辺の公園の手すりから海を見る。
周囲には日本人だけでなくユダヤ人や多くの亡命ヨーロッパ人らがいた。
流石は西日本最大の貿易港にして国際都市神戸市。

「失礼ですが、ドイツ人ですか?」

「そうだが?」

躊躇いながらも声を男はアメリカ産のジーンズにTシャツというカジュアルなスタイルだった。
しかし、筋肉のつき方からして普通の人間じゃない。
隣の男は日本人だ。当たり前か。ここは日本だった。
しかも僕とは違い純潔だろう。
それが少しだけ羨ましい。
が、日本人の方は学生服。大学生か大学院生か。そのどちらか。

「あの、間違っていたら申し訳ないのですが・・・・もしかしてカウフマンと言う名前ではないですか?」

「何?」

驚きが顔に出た。
そして次の瞬間、その男を思い出した。

「・・・・お前・・・・まさかアドルフ・カミルか?」

「ああ、やっぱそうや!! アドルフ・カウフマンや!! 
久しぶりや! 元気にしとった? いつ日本に帰国したんや?」

馴れ馴れしいユダヤ人め。
第一、帰国じゃない、入国だ。
咄嗟にその言葉を飲み込んだのはこいつとエリザだけは例外だと思ったからだ。
他のやつなら容赦なく殴り殺していたのに。

「・・・・・・昨日、だ」

「そうかぁ、長旅大変やったなぁ。
あ、この人はアドルフ・カウフマン。俺の幼馴染で、こっちが」

「本多芳男です、ヘル・カウフマン。
憲兵隊の本多芳樹は父になります。
ところで・・・・・どういった理由で日本に?」

交差する視線。
そして。

「母に会いに来た。それだけだ」

嘘は言わない。
しかし、全て語る事もしなかった。



1945年9月15日

「梅津艦長」

何かな?

艦橋にいる男、草加拓海は雨が降り、夜の帳も降りた上で夜間空襲演習という理由で外出禁止令が出ている横須賀、昭和20年の日本列島本州へと到達。

「ようこそ、大日本帝国へ。
今までは私が「貴方方の祖国、平成である日本国」の『ゲスト』でしたが、今度はこの「みらい」に乗る全ての人々が「我々の祖国、昭和にある大日本帝国」の『ゲスト』となります」

あの怪現象から一ヶ月後、みらいはついに日本へと到達した。
望む者、望まぬ者。
利用する者、利用される者。
様々な思惑の渦中で、みらいがきた。

第十話 完

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最終更新:2022年11月14日 22:43