596 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:01:00
「第十二話 敵対者達」



1945年9月19日 帝都・東京 ある旅館

夢幻会の会合が久しぶりに開かれた。
皆の顔はまあ、明るい。
あのイラン演習でドイツ空軍最精鋭部隊を叩きのめしたのだ。
油断はない。
過信もない。
慢心もない。
が、余裕はある。
一時的なものにせよ。
加えてオーストラリア大陸とカナダ地域からのウラン輸入船団の第三陣が横浜港、呉港に到着。
厳重なる警戒の下、軍の管轄下に置かれて濃縮作業と移送作業が開始されている。

「と、現状の報告は以上です」

辻大臣が経済面で報告を終える。
渡米した田中角栄という男がカルフォルニア政府とシアトルに首都を置くオレゴン政府、カナダ政府から太平洋沿岸地域での資本参加と建設業参入への許可を獲得。
彼は持ち前の馬力で日本式土建企業を一気に参入させ、戦争で衰退していた日系社会を復活させだしているようだ。
その活力を聞いて、彼の史実の能力、実績を予め知っていた夢幻会の人間は極秘裏に彼らの支援を開始せんとする。
嶋田なども流石は史実日本の今太閤殿下だと思っている。
彼は遠い太平洋の向こう側で、ソニーの創業者らは東南アジア各地で、本田宗一郎は大平原が続く満州平野で、他にも様々な新興企業や昭和戦後日本を支えた傑物らが、「この日本中の勢力圏内部」で力を蓄え、伸ばしている。
夢幻会に提供されてくる製品も今までの倉崎や三菱、三井、住友などの財閥系だけではなくなってきた。
これこそが大日本帝国が物心両面で豊かになってきた証である。

「そうか、うん、順調だな」

そういったのは杉山陸軍元帥。
その声には安堵が。
実は彼らの派閥は嶋田総理ほどではないが軍部重鎮として若手の抑えをしている。
最近、戦争の圧倒的大勝利にのみ目が行く軍人が多く、ドイツの挑発やイギリスの凋落、ソビエト連邦の衰退を受けていらぬ戦争論がまたぞろ出始めている。
必死にメディア操作と国民世論を使って何とかしているが、対応を一歩誤れば熱狂して戦争に突入しかねない。
日本人はとかく冷めやすく、そして熱しやすいのだ。
史実も、この世界でも変わらない普遍的国民の性質。
そんな危うさがあった。
そして全ての報告が終わる。

「総合点は?」

誰かの冗談。

「72点ですね」

「いいや、68点じゃないか?」

「でもまあ、今のところは及第点です。赤点は免れている。
大学なら単位は取れそうですよ」

そういう事。
大日本帝国は他国、他地域に比べて遥かに恵まれており、その上で政策も穏やかなものになった。
戦時統制も順次解除されていき、中国大陸やヨーロッパ派遣部隊などはできる限り復員作業が行われている。
ハワイ、シンガポール、トラック、パナマの外地展開艦隊も第一回目の交代作業に入る予定だ。
帰還できる、帰省できるという気持ちが戦争終結の戦後特需と重なった。

「恩恵、だな。戦後であるからこそ出来る、という事だ」

なんとか将兵の士気を保っている。
国外遠くに展開する軍の士気を維持するのがどれだけ大変かは彼ら全員が身にしみて知っているだろう。
前世で、あるいは、今世で。
ただ忘れてはならない事。史実の彼らの生きた地球とは違い、彼らが守ろうとしている現実世界は決して小さくない。

「外地に展開する海軍将兵の士気を高める為に、一つ提案があります」

提案するのは堀情報局局長。
恐らく同期の山本海軍大臣に泣きつかれたのだ。
何とかしないと士気が崩れる、と。
で、それが嶋田繁太郎総理への飲み会で愚痴になってしまった。
まあ、彼ら三人は基本真面目なのでちゃんと考えた。
同人誌を送ればいいじゃない、という案も含めて。
そう、堀は真面目に送るかどうか迷ったらしい。
笑えない冗談だと、山本が飲みながら言っていたのを嶋田は思い出す。

「彼らの家族を、つまり両親、子供、恋人を外地の安全地帯にこちらから政府の飛行機で送ります。
国内航空と国外航空の会社を設置することで負担軽減にもなりますし、新規参入もできるでしょう。
言うまでもなく渡航は希望者だけですが、それでも毎回毎回派遣している師団や艦隊を内地予備部隊と総入れ替えばかりをする訳には行きませんから。
弛緩するであろう軍内部にとっても綱紀粛正という意味ではかなり有効打になると思います。国内向けにも航空産業活性化の良い薬になるでしょうし」

逆の発想とは良く言ったものだ。

597 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:01:43
国に待っている家族のもとへは中々帰れない。不満がたまってくる。
なら、国にいる家族を送れば良い。
確かにまだ日本人の大半に馴染みがない外国へ日本人を送ることは嫌でも送られた彼ら日本人に自覚を促すことができるだろう。
今の世界情勢と大日本帝国の勢力圏の広さ、そして現実の課題という事を。
そうすれば国家であり祖国の日本列島を裏切るなどという馬鹿な人間は減る。
止めに新しい航空産業育成や、空路開拓にもなる。

「それ、原案を考えたのは誰です?」

会合に参加するようになってから皆が大なり小なり一流の政治家になった。
だから堀局長の提出していた意見に何となくだが中国大陸で活躍していたある人物を思い出した。

「辻大臣のお察しの通り、村中少将です。原案は彼が作りました」

やはりなぁ。
優秀だからいいけど。
ちょっと怖いよね。
反対する理由はないのが更に怖さを感じるのですが?
などなど。

「彼も祖国を愛しているし、何より過激ながらも現実を見ている。
暴発はないと尾崎さんも言っているが?」

一応陸軍ということからか、彼も組織内部の所謂身内になる。
故に一時帰国していた東条大将は村中少将を擁護する。
先の満州平定作戦では彼の立案した情報作戦案は非常に役立った。
加えて、彼自身は夢幻会に対して過剰なまでの好意を持っている。
学生恋愛のような、好意とでも言うべきものを。

「まあ、彼の思惑はともかくです。さて、とりあえず基本方針は固まっています。
現状も確認し、1945年年末には大規模な国内各地での慰霊祭と軍事力誇示を見せつける警察、軍合同の大規模演習を行います。
環太平洋諸国会議も順当に行けばまもなく開催される。
それが成功した暁にはもう少しまともな世界情勢になるでしょう。
因みに会議前から問題になっている我が国勢力圏内部のインドネシアとオーストラリア、パプアニューギニア方面の政治対立とかはこの際一時棚上げ、と言う事で」

辻の意見には誰も反論・異論は無い。
吉田茂に至っては何度も頷く。
彼ら外務省復権の最大にして、もしかしたら最後の機会がこの会議なのだ。
これ以上、軍部にデカイ顔をさせるわけには行かない。
後がない、そう言う考えで言えば、もしくは国民からの厳しい目線という意味では、007が所属するイギリスのMI機関並みに追い込まれていた。
彼らMI機関ほどの危機感を持ったり、下手をしたら自称愛国者らの暴走で、自分の身に危険が及ぶかもしれない、というまでの自覚はしてないが。

「では、休会します」

そういって、風呂に行くもの、辻につかまり麻雀に連れて行かれるもの、軽食を食べに行く者、辻の誘い、それを山本が華麗にそれを回避し別の生贄をポーカーテーブルに誘うなど。
彼らの会合は今のところ平和だ。
ビリヤード台に来た嶋田と阿部。
おっと、奇妙な組み合わせだ。
こういう時の組み合わせは、辻大蔵大臣と嶋田総理であり、内務大臣の阿部が嶋田総理と接触する事はあまり無いのだが。

598 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:02:52
二人は適当な台を選ぶ。
マイキューなどない。
そのあたりのレンタルキューを使用する。
ただのゲームだから。

「奇数」

「では偶数」

サイコロを投げる。
数字は5。

「では総理、俺からだな」

構える。
様になっている。
電子ゲームがないこの世界ではこういうゲームは流行の最先端。
特に早い段階から経済成長を遂げていた日本では水泳、テニス、ゴルフなどの他にもテーブルゲームやボードゲームなどは史実昭和時代よりも普及している。
恐らく平成時代の日本よりも。
座っているテーブルには魔法瓶に入った緑茶がある。

「ナイスショット」

「・・・・・ち、二つしか入らなかった」

ブレイク。
勢いで4と6がポケットに落ちる。
9ボールは最後に9を落とした人間の勝ちだ。
それはある意味で諜報戦争に通じるものがある。
過程でどれだけ成功しようとも、最後の一手を誤れば意味がない、そう言う意味で。

「次、1」

「次、2」

「次、3と5」

次々と落とした。
結局、やりこんでいたのか、嶋田は一度も打つことなく敗北する。
後攻になった嶋田。
彼も海軍時代に欧州留学などの交友関係からかそれなりに鍛えられていたので何度か相手にボールを渡すが勝利する。
そして。

「で、最終決戦だが、阿部さん。何があるんだ?」

そうブレイクショットを決めたが一つもポケットに落なかった事を全く恥じる事なく阿部に話しかける。
態々個別に時間をさきたいと言って来た彼。
皆が思い思いに和気あいあいとしているのは個人的な根回しをする場でもあるかだ。
この旅館はそう言う意味で良く出来ている。
日本人は根回しが好きで、稟議書が無いと何一つ決まらない存在だとあのドイツのアドルフ・ヒトラーや死んだスターリンなら言うだろうな。

「この間の山本さんから聞いた話、覚えているか?」

この間?
ああ、もしかして。

「米内大将閣下の話だな?」

「そうだ」

1に手玉が当たり、そのまま8が落ちる。
続いて1を落とし、バックスピンで2を狙える位置にまで手玉を持ってくる。

「彼の内偵状況か・・・・どうなんだ?」

「灰色だ、まだ」

声色が落ちる。

「灰色、黒に近い灰色、だな?」

頷く。
一度ボールを狙い、構えて、構えを解いた。
それが腹立たしいという事を阿部大臣自ら言っているに等しい。

「そうか、ではあの軍艦と接触するかもしれん。
もしくはジパングの通りに動くかもな」

あの軍艦。
それは夢幻会や会合出席者で通じている通称。
2025年8月15日から1945年8月15日へと漂流してきた「みらい」というイージス護衛艦の事だ。

「いくら止めたいと思ってもだ、乗組員らをずっと艦内に押し込める訳にはいかんだろう、総理。
下手に暴走して武器の使用などされたら最悪だからな。顔の見えない相手なら何人でも殺せるとはよく言ったものだよ」

そうだ。
いくら勝手知ったる母艦とはいえ、あれは軍用艦。
ホテルじゃない。
それに目の前に民間人が住んでいるのに、普通の生活をしているのに自分たちはそれを指をくわて見ているだけでは。

599 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:03:46
(正直言って危険な兆候であろう。
若い者は暴発しやすいのだ。
史実昭和史の2・26事件、5・15事件に東京大学の安保闘争、いいや平成の残虐な事件が証明している。
何もないと、誰もいないと、自分を認めろと叫びだした人間は恐ろしい。何をしだすか全く予想ができない)

「総理、下手をしたらミサイルを東京に撃ち込まれるかもしれん。それは考えておいてくれ」

日本人同士の戦争になる。
それだけに細心の注意を払わなければならない。
まして彼らが原作ジパングでどれだけ過激派であり、行動派だったかを思い出すと不安で仕方ない。

(みらいを奪い返すは、サイパン沖の戦闘に自分から介入するは、南京まで行って原爆製造を中止させようとするわ。
確かに今はまだない前科を考えるとこのまま「みらい」から隔離して・・・・出来ればまとめてサイパンやパラオ諸島あたりに島流しにしたい)

ただ、それをやると決定的な対立を招き、自由の国の後継者(決してアメリカ合衆国の後継者ではない)カルフォルニア共和国や国際宥和政策をとる大英帝国(あくまで渋々)に亡命しかねない。
向こう側のドイツや黄昏の赤い帝国様も何をしでかすか。
頭の中にある知識を消せない以上、それは避けたい。
付け加えると厄介ごとはまだある。
それは彼らが海上自衛隊の最新鋭艦の乗組員=最新技術を扱えるエリートである、という現実。
つまりだ、

「阿部大臣。忘れてはならん。彼らひとりひとりに80年先の未来の日本国はどれだけの教育を施したのか、を。
思想はどうでも良い。問題はイージス護衛艦を扱えるだけの、21世紀の常識的な知識なんだ。
80年先の知識は巨大すぎる力だ。
そして、一度必死で手に入れた知識は何処にでも持ち運べて、無くす事はない上に、自分を裏切らない」

嶋田はもう遠い前世を思い出していた。
それも一瞬だけ。
すぐに大日本帝国の独裁者の顔を表面に取り付ける。

「ああ、既に彼らのためのアパートを数件建設した。横須賀市に。
それに、それとなく阿部さんの警察、公安委員会らの人間を赴任させているんじゃないか」

既に草加拓海の提案通りことは進んでいる。
第一段階はシンガポールでの友好的な接触。
第二段階は日本本土への隠密裏のみらい回航作戦。
第三段階は「みらい」そのものを陸地にあげ、航行の自由を奪う事。
第四段階は各個撃破。「みらい」乗員すべてに選択肢を与えるふりをして内部分裂を誘発する。

「そちらは今のところ順調だ。作戦は第四段階へ行こう。
それに一番欲しいものはもうすぐ手に入る。
なあ総理、俺は思うのだよ。
何の為に宮中に影響力のある駒城や碇、ロマノフ王朝の縁者を集めていると思っている、そう彼なら言いそうだ」

冗談半分の言葉に、7のボールまで落とした阿部大臣。
乗っかかる。

「流石は満州帝国初代皇帝にして中華王朝最後の皇帝でもあった溥儀を自ら銃殺した男、だな。世が世なら彼は中華帝国の新皇帝に即位できたぞ」

「ははは、そうだな」

7が外れた。ポケットに入らない。
残りは、7と9の二つ。
お茶を飲んだあと立ち上がる嶋田。
見事な構え、ショット。
7が落ちる。
続いて、9も。

「これが諜報戦だろ、阿部大臣?」

「戦争もそうだろう、嶋田総理?」

600 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:04:28
そう、最後に目的を達成した人間こそが勝利者となれるのは民間の経済活動も、軍事も、政治も、内政も変わらない。

「で、彼らの申請。その何を真っ先に許す?」

嶋田総理は聞く。

「そうだな、診療所くらいはいいだろう。たしか報告では看護師が乗っていたはずだし今の日本でも最先端の看護ができる人間は内地では少ない。
みんな戦争の影響で外地に取られたからな。
横須賀に開業したいという意見も、みらいの方からある。
列強といえども、新しいクリニックが横須賀にできて海軍軍人向けの看護をするだけならばそれ程目を引くこともないだろう
みらい内部の息抜き、我々帝国政府の対外的な名目にも最適だと思う。
我々の時代を知り、分断するには一番的確で使いやすい方便ではないか?」

阿部大臣の意見。

「そうだな、下手にどこかの技術大学などに入り込まれて講師なり生徒なりでイージスシステムやミサイル兵器の概念を広められたら笑えん。
こちらだって何十年も試行錯誤して漸く誘導兵器をハワイ沖で実戦投入した。
だが、あのドイツもイラン演習で同じようなコンセプトの兵器を投入してきている。
それを忘れてはいかん、そうだろう」

同感だ。
阿部大臣は全ての玉がなくなった緑色のビリヤード台を一瞥するとお茶を飲む。
何故かとても苦い気がしていた。

「問題は・・・・・あの古狸がどこまでおとなしくしているか、だ」

誰のことという事はない。
そう、海軍主流派だったはず。だが、突如として出現したような夢幻会派閥の勃興によって目をつけられ海軍から追い出された男。
それだけじゃない、ソビエト連邦ロシア時代にある不可解な資金の流れ。
芸者遊びの変質。
そして、同じく流されたはずの子飼いである山本五十六の復帰と自分との決別。
彼にっても自派閥であった筈の井上中将や大西少将という将官らが山本ともに仇敵である嶋田らへと合流したこと。
それを踏まえると。

「危険だが・・・・・危険だというわけで排除はできん。
証拠もない状態で排除すれば夢幻会の守っている最低限の規律がなくなる。
それに、だ」

「それに?」

もう一度ナインボールの形でボールをセットする。
ガタンといい音がする。

「辻さんともその話をしているし、山本ともそれは話した。
だが、仮に我々政府が強硬姿勢で動けばそれだけで彼の後ろにいる英国諜報部に感づかれるだろう。
事実、香港問題という理由で『あのジェームズ・ボンド』というイギリス海軍中佐が先日、大阪の伊丹国際空港からここへ入国している」

全く、冗談も程々にして欲しい。
007に新城直衛、戦艦大和の艤装最高責任者は藤堂明大佐で、京都にいる公家の名前は碇家で男衆の中には碇玄道という名前が存在する、だと?
この調子じゃあドラえもんがいても驚けない・・・・・いや、そっちは流石に驚きそうだが。

「では泳がすのか?」

「今は、ですがね」

ブレイクショット。
ボールは一個も入らなかった。
しかし、見事なブレイクだった。

601 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:05:00
1945年9月20日

「菊池三佐、ただいま帰還しました」

横須賀の特別列車で帰還した男。
菊池雅行。
制服はみらいの海上自衛官ではなく、この世界の大日本帝国海軍の紺色の軍服。
制帽もよく似合っている。
出会った民間人、軍人。その誰もが彼を若手のエリート海軍士官だと思っている。
そして事実、彼の身分証明書は海軍少佐だった。
これは角松洋介や梅津三郎らも一緒。

「ご苦労、先にそれは返してもらおうか」

梅津が労いつつも、ベレッタをもらう。
もう儀式みたいなものだ。
別れても自分たちはこのみらいと共にあるのだ、という事を。

(我々の帰還すべき国は平成日本。その為に、みらいがみらいであるための理想を守る事で自分たちのアイデンティティを守り通すしかない。
しかし・・・・・洋介、艦長、私は思うのです。この世界は熾烈だ。
そんな中で士官である我々が本当にそれで良いのか、と?)

菊池は拳銃を渡してもなおその懸念が離れない。
あの新城という男が囁いた、「みらい」を指揮する者への侮蔑にみちた、いいや、それ以上に怒りさえ含んでいるあの囁き。

(梅津艦長は理想主義的な面が強い
同期の誰よりも日本の理想を守りたいという人間だったらしい)

彼は平成元年頃に入隊した。当時はソビエト連邦の崩壊と中国の対日宥和政策、中東での圧倒的な多国籍軍の勝利という現実があり、理想が現実面で通せる風潮が強かった。
平成30年代の危機感を持って入隊してくる「真面目な軍人だ」と平成日本政府が判断している若手自衛官らとはそこが違う。
彼が「みらい」艦長になれたのは、彼自身がずっと現場で軍艦を乗りこなしていたから。

(梅津艦長はその実務経験と実績を買われた。決して人柄や思想で選ばれたわけはない。
だからだろう、心情的に同じ洋介は彼に心酔している面がある。
ああ、そうだな、新城少佐。貴様の言うとおりだ。
これが我々の平成なら問題はない。しかし「この昭和」の大日本帝国の支配下では問題なのではないか?)

これは防衛省で又聞きした噂でしかないが、今回の「みらい」の乗組員人事で本当に期待されていたのは砲雷長である菊池三佐へ経験を積ませることであり、何か問題発生時には彼に責任を取らせない必要がある。
だから梅津三郎という思想面では厄介だが技術の面では優秀な人間を選んだ。
結果が、梅津三郎の「みらい」艦長への就任となっている。
今はどこにあるかもわからない日本国防衛省人事部はそう判断してる。
角松、尾栗はあくまで菊池のサポート。
だが、菊池個人は経験不足であり頭が硬い。これは仕方ない。
よって、彼だけではいざと言う時に負担が大きい。
故に、能力的に信頼できる同期を集めた。

(あの噂は本当だったのだろうか?)

まあ、その話はおいておこう。
彼ら全員がこの世界に漂流してから薄々感じているが、一度口にしたら何かが壊れるだろうと知っているから。

「はい、確かに使わずに済みました。こちらはお返しします」

そうして返される拳銃。

「ところで艦長、まだ近衛閣下と草加中佐が乗艦中と聞きましたが?」

人の口に戸は立てられない。
噂は漏れる。
だが最高責任者には確認を取る必要がある。

「そうだ。大日本帝国は我々「みらい」の自衛権を認める、この「みらい」を維持する各種物資の補給に日用品、娯楽品の供給する。
代わりに情報遮断と出航の厳禁、大日本帝国政府の役人の派遣受け入れを要請しているな。というか、あれは命令だろう」

梅津はため息をついている。
彼も艦長としての重圧をここまで感じたことはなかった。
角松は重い雰囲気を醸し出していた。
尾栗も似た様なものだ。
仕方ない、しかし、認めたくない、と。
彼らは日本に来るまで全て洋上補給だった。
だから情報もあくまで加工されているバイアスのかかった情報ばかりなのは仕様がない。
詳細を聞いた菊池は、

「妥当、というよりも随分と温情溢れている申し出だと思います」

と、気がついたらそう口にしていた。
梅津艦長の顔が苦渋に歪んでいるところを見るとどうやら受け入れるのだ。
俺が帰ってくるまで待っていたのか。
そして出来れば俺に反論して欲しかったのかもしれない。

602 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:13:06
「菊池三佐もそう思うのか?」

「はい、艦長の危惧する点はわかりますが・・・・既に横須賀のドックに入渠した以上我々に海へと逃げるという道はありません。
私はここまで電車、ええ、電車です。それを使いその後は徒歩で来ました。
横須賀基地の周囲は陸軍の歩兵2個連隊が警備にあたっているようです。
案内してくれた例の少佐の話によると。
これは戦時突入宣言という嶋田総理の国内向けの全権委任を引き受けて以来の横須賀基地の日常です。
外国人は無論当然として、近辺には軍人、軍属、軍関係者以外は来れない状態が続いております」

横須賀軍港は世界最大級の空母である大鳳級の母港として整備されている。
戦後にこそ、その重要性はより高まった。
防衛のために陸軍は数少なくなったが故に配備に困っていた牽引式150mm砲兵部隊50門を周囲に旋回砲塔として配備し直している。
海軍もいざとなれば艦隊が来れる体制を整えている。
対米戦争に勝利する為の切り札として建造されていた(表向き)空母の母港であり戦後は大日本帝国海軍の最強艦隊が寄港する場所。
その警備は完全なる軍事都市と変貌しているシンガポール並み、或いはそれ以上。
新城直衛少佐の言葉では軍用列車以外で横須賀のこのドックに来るには7つの検問と3つの身分証明書が必要らしい。
それは「大日本帝国政府発行の国籍証明書」、「政府発行の写真付き身分証明書」、「軍籍証明書」だ。
どれか一つでもかければ憲兵隊と警察の世話になる。
流石は空母大鳳とジェット戦闘機疾風を扱っている基地だろう。

「ここは平成日本の在日米軍沖縄の嘉手納基地並みの管理下にあります。
我々がもう一度海に出るなら手段は二つだけ」

菊池はしっかりと述べる。

「第一に大日本帝国政府上層部と何らかの交渉を妥結し平和的に出航する」

第一案はおそらく、いいや、100%の確率で無理だろう。
草加拓海も新城直衛も、その裏にいる人間たちも漸く手に入れた宝物の塊を放出することはない。
これはキャッチ・アンド・リリースをするブラック・バス釣りじゃないのだ。
という事はもうひとつの方法。

「最低でも2個規模の陸戦隊を組織し、AK-47と酷似した自動小銃で武装する横須賀基地の守備隊2個連隊を武力によって制圧。
ドッグを開閉し、燃料や食料、真水を補給する。
その後に本艦みらいを撃沈するべく追撃にでる大日本帝国軍本土守備の全軍をイージス護衛艦の全兵装で撃退するしかない、と私は判断します」

それに最悪の場合、

「こちらから大日本帝国軍が効果的に反撃する前に、本艦搭載の巡航ミサイルトマホークで帝都東京の霞ヶ関や首相官邸をピンポイント攻撃を実行。
こちらの日本政府首脳部や彼らの軍令の最高機関、つまり大本営を爆砕し、命令系統を完全に遮断しなければならないと判断しました」

以上です。
事実上の脅迫だった。
だが、それ以外の脱出策は少なくとも菊池には思い浮かべない。
その後、この国を脱出したあとどこに行くのか、それも。

「ならば尚更この人物らに会ってみなければならん」

「誰ですか?」

菊池は梅津に聞いた。
答えは尾栗だ。

「この国は無能は生きてられない雰囲気だ。それはしょうがないな。
で、山本五十六は史実とは異なり連合艦隊司令長官にならず左遷されていた。彼の派閥ごと。
なのに、今は敵対していたはずの嶋田繁太郎の盟友として新聞に名前がある」

海軍大臣として。

「しかし、あの終戦工作をした米内大将は早い段階で退役している。
しかも予備役工作をしたのはこの国に二人しかいない海軍元帥閣下伏見宮様。
そして工作に携わったであろう人物の中心は、この現首相だ」

それが意味するところは。

「つまり、艦長らは・・・・・・」

引き継いだのは角松。

「ああ、一度米内さんらに接触したいと考えている。
彼らが何故この国の中枢から意図的としか思えない外され方をしたのか、その真意を知ること。
それが現在の交渉相手である大日本帝国政府を相手取る新しいカードとなるだろう」

その言葉に俺は新城が最後に述べた言葉を脳裏によぎらせる。

『理想を守るために、部下を死なせて名誉ある戦死を遂げ、国家に忠義忠誠を尽くすと言い切る。
馬鹿な。それは士官の考えではない。
たとえ伝統と歴史がそれを願い、強要させようとしても僕は許さない。そんなことは一切合切絶対に許さない』

というあの言葉を。

603 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:13:42
1945年9月5日 東京 某所

「出ろ、移送だ」

時計の針は若干だが前へ戻る。
「みらい」入港の為に政府が裏では大慌て、表向きは平静の粧いをしていた時の事。
ここ新宿で一人の男が移送された。
向かう先は警察庁。
彼を従えるのは男の義理の兄とでもいうべき存在とエリートキャリアウーマン。
無言のままカローラは彼を乗せて出発。
男は何も喋らない。
20分くらい経過しだろうか、車が止まった。
地下駐車場に入庫する東京都新宿区新宿西警察署の車。
何気ない仕草で彼らは部屋に向かう。
警察にいるというのに彼が見る限りでは周りは明るく、戦時下特有の緊迫化はない。
今のこの国は平和なのだ、そう感じさせてくれる光景。

「こっちだ」

言葉少ない親友の声。
後ろからは安全装置こそ外してないが、拳銃をいつでも抜ける体制で女警部補、野上冴子がぴったりとつかず離れずの距離を維持して歩いてくる。
怖いなぁと口笛を吹いたが無視された。
ちょっと傷ついた。

「この部屋にいる、ノックするぞ・・・・・逃げないんだな?」

(ああ、そうだったのか。
お前は俺に逃げて欲しいのか、槇村)

男は視線で目の前の警部補に問いただす。
まだ迷っている。
だから言うしかない。
後ろの震える手で拳銃を握っている厄介な女性にも。
こんな所で拳銃を暴発されて流れ弾で死んだら笑えんしな。

「俺は根無し草で日系アメリカ人としてこの国に銃口を向けて弾丸を発砲した馬鹿だ。
そいつが今更どこにいけるんだ?
友人にバカをして迷惑かけるほど落ちぶれちゃいない。
あとな、槇村、冴子、お前らに言っておくぜ」

槇村という男、冴子という女が怪訝な顔をした。

「俺はこれでも父親だ。香とシャンインを守らなきゃならん。それは絶対だ。
その為なら誰だって殺してやる、誰でも拷問でも何でもしてやるさ、もちろん、俺自身も例外じゃない」

強い覚悟。
そうか、だからここまで飄々としていたのか。
私やとなりの槇村に要らぬ疑惑を持たせない為に

「冴羽、今、開けるぞ」

「獠、今から開けます」

そう言ってドアを開けた。

「ひらけーごま」

中には灰色のスーツに紺色のネクタイをしていた初老に近い男が座っている。
となりには蛍光灯の明かりしかないのにサングラスをしている妙な体勢の男がいる。
白い手袋と無精ひげが妙に似合っているな。その黒いスーツも。
俺が殺したマフィアのボスの中でもここまで怪しさと警戒心をもたせるやつは片手で足りたが、今日からお前で6人目だ。

(まだ殺しちゃあいないがな)

男はだまり、隣の学校の先生でもしてそうな男が柔らかい声色で話し出す。

「冴羽獠さん、だね。
よく来てくれた、我々は君を歓迎するよ」

灰色のスーツらとの間は長机一つ分。
窓は二重窓。
ついでに冴子と槇村は退出しない。
どうやら彼女らも重石にする腹積もりか。
あの時と一緒だ。

(孤児になった直後で記憶のない俺を引き取り、君はアメリカ人人なるんだ。
ありがたい事だと言っていたあの組織の長。
今はなきOSSが直々に養ってやると言っていたあの6年前の部屋と同じ雰囲気だな)

そしてこういう時に民間人を巻き込んで平然とする人間がいるのも。

604 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:14:30
「槇村警部補、野上警部補、そこの彼の両隣りに座り給え。
冴羽さん、君は目の前の個人用ソファーだ」

俺は遠慮せずに座る。
二人は遠慮しながらも、いつでも俺を取り押さえられる姿勢で座るよう重ねて命じられた。
舐められたものだが、いいや、俺が二人を本気で害すると決意しない限り逃げれない。
それを見越しての事か。
用意周到だ。

「もうすぐ男が一人来る。彼がこの部屋に入るまでは待っていてくれ」

壮年期か老人かわからないが穏やかな、大学教授みたいな奴がそう言う。
それから10分くらい待たされた。
冴子は自分たちのお茶を出す。
一人だけ、空気を読んだのか読まないのか、私物のマイセンと思われるコーヒーカップにコーヒーを注いだ無精髭の男。
全くもって何がしたいのか。

「ああ、遅れて申し訳ない・・・・・いやぁ~ちょっと飲みすぎましてねぇ」

入ってきたのは濃い緑のスーツに黒いストライプネクタイの男。
茶色のトランクカバンに銀の機械式時計。
体重はかなりある。しかし、それ以上に鍛えられている感じがする。
厄介な存在だと思うほどに。

(あの妙な形のでっぱり。懐には拳銃があるのな。
しかも一瞬見えたのは昔懐かしい在中アメリカ人の心の友だったガバメント。
こいつが最後の客になるのか?)

冴羽獠の予想は的中した。
彼が最後のゲスト。
そして最も重要なものを持ってきたゲスト。

「では、始めるとしよう」

そう言って司会役らしい灰色のスーツが語りだす。
もうひとりは無言。
入ってきた男は笑顔。
二人の警部補は緊張のあまり無表情に。

「先に言っておく。
私は冬月幸三だ。隣の男は冬月先生と馴れ馴れしく呼ぶがもう教え子ではない。
ついでにわかるとおり、警察内部でそれなりの地位にいる。野上警部補には一度受勲式で会っているはずだ。
覚えておるかね?」

「はい、覚えております」

そうか。
では続けよう。

「知っての通り、冴羽獠という男の、つまり君のこれまでの経歴を調べさせてもらった。
中々面白い経歴であるな。私の古巣は君を売国奴であり情け無用、今すぐに死刑台に送るべきではないかと騒いでいる。
ほかの部署も似たりよったりだ、で、両隣りの二人も彼が満州から逃げてきた旧アメリカ人である事までは知っていたな?」

冬月の確認。
冬月は穏やかな声なのに隣の無言の男から来る重圧で喉がかれそうだ。
いや、後ろに立っている胡散臭い笑みを持つ男も殺気が少しだけ、しかし感じられる程度にはある。
槇村は覚悟せざる得ない。
冴子も決意するしかない。
これはもう騙せない、煙に巻けない。本当のことを言わない方がかえって不利になるのだ、と。

「知っていたんだね?」

確認。
冬月は嘘を言ってもいいぞと付け加える。
隣のサングラスの無精ひげは無言でその後のことはよく考えてから発言しろと命じていた。

「知っておりました」

「弁解はしません」

男は、
女は、
折れた。
ただ当人である冴羽はリラックスした表情で上を向いていた。

605 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:15:34
彼ら三人を見て冬月は小さなチョコレートを口に入れる。
彼は甘党。
甘味は感じるような雰囲気ではないが多少の足しにはなるな。

「分かった、では君らにも知っておいてもらおう・・・・・竹中くん、説明を」

その言葉に扉にいた男が前に出てくる。
丁寧な仕草で扉の鍵とチェーン・キーの二つを閉めて。
先ずは冴羽獠のだらしなく投げ出した足、それが乗っている机の前に持っていたトランクを置く。
無言でそれを見る三人。

「まあまあ、そんな警戒せずに。ほら、特に警部補らはリラックスしてくださいよ。
冴羽さんなんてこんな風に両手をソファーにぶら下げてるじゃないですかぁ」

笑う。
そう、胡散臭い笑みで笑う。
だからだろうか、何も信用できなくなりそうな気分になるのは。
男は嘘偽りの微笑みを絶やさない。

「冴羽さんにやってもらうことは至極簡単ですから、ね」

そう言っている。
冴羽は内心で思った。
嘘だ、と。
ついでに言った。

「俺、あんたと会ったことあるわ」

「「え?」」

冴子と槇村の驚きをよそに言葉を続ける。
長い木製の机の向こう側の男たちの反応は分からなかったが。

「へぇ、どこで?
私は関西の生まれでして・・・・あ、もしかして大阪のたこ焼き屋ですか?」

「いいや、アメリカ合衆国ヴァージニア州ラングレーって街だ」

そこは!
二人の警部補の間に緊張が走る。
初めて東京の新宿に来たとき彼が言った。

『俺の記憶、その始まりは6年前のアメリカ合衆国特務情報機関機関員養成学校から始まる。
場所はアメリカ合衆国本土のヴァージニア州ラングレーのとある施設だ。あまりいい思い出じゃないから香には必要最低限のことしか言わん。
が、娘の将来を考えるとファルコン以外にも知っている人間がこの国に必要なんだ。
あと、親友を騙す趣味は無い、しな』

そこから語られる物語は壮絶だった。凄惨だった。
よく生きてこの国にいるのだと思える程に。

「ははは、きっとそこには慰問か何かで俳優のけんさんがいたんでしょう。
よく間違われるんですわ」

笑う男を静かに睨む冴羽。
少しだけ笑った男は懐のサングラスを装着する。

「ふぅ・・・・あんちゃんも鋭い男だねぇ。隣のお二人さんも知っているようだな。
そうさ、俺もあんたの古巣であるOSSと似たような場所にいる。
これでとりあえずは納得してくれたかな、冴羽さん?」

そうだな、とりあえずは、な。
視線での会話。返答。

「で、本題に入る。あんたに仕事を依頼する。
あんたが入国してから2年にも満たない間に裏社会じゃ超がつくほど有名な存在に成り上がったのはよく知っている。
この東京で小さいながらも最大級の武闘派にして任侠組織である鷲峰組、香港に本拠地を置く三合会、白系ロシア人のブーゲンビリア商会、いいや本当の名前はあんたもOSS時代に教えてもらっているだろう・・・・ああ、ええと、名前が思い出せん。
なんだったかなぁ。結構有名な組織なんだが・・・・表向きにも対ソビエト連邦対策で重宝しているんだが・・・・冴羽さん、俺も歳なんかなぁ?」

「あんたが気にしてる組織名・・・・・・・ホテル・モスクワじゃないのか?」

「そう、それ。若いっていいねぇ。
それらが一目を起き、新宿の狼として恐れられているあんたの腕を買いたい。今回だけじゃない、これからずっと、な。
もちろん報酬はそのつど好きな通貨でちゃんと出。
あ、正社員や公務員として雇うわけでも定期雇用で事務職を任せるわけじゃない。
一種のアルバイトだと思ってくれ」

アルバイトで何をさせる気なんだと、槇村が若干だが呆れる。
掴みかかるか、と一方の冴子が警戒したがそんな事はない。
気配はする。
動きやすそうに腕と足を組み直した。
人を殺すような虚ろな目をして睨んでいるだけ。
もっとも竹中と呼ばれた男もそんなことは気にしないと言わんばかりの対応だ。

606 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:18:08
「で、今回の仕事の報酬の件については後でいう、というのは失礼だろうね。
だから、今言おう。前金で3600円、軍隊で少佐になったばかりの佐官の月給が100円だと考えるとかなりの額だ。
それに、必要経費以外に2400円の預金。
使い道はご自由に。野上警部補や槇村警部補、あるいはあのファルコンとかいう黒人に渡しても構わん。
このトランクに三井銀行と倉崎銀行の通帳に合計でそれだけある」

それと。
それと?
にかぁと歯を見せて笑う竹中。

「あんたの保護してきた中華系の娘を正式な手続きで正式な日本人にする。もちろん両親はあんたと槇村香さんだ。
これは冴羽さんが今この場で俺が取り出す書類にサインしたらそれで決まりだ。
すぐに総務省と法務省に書類が届き、首相の認可も出る。根回しはした。どうかな?」

冴羽の表情が消えた。
能面のような表情。

『槇村香』

『香瑩』

彼女たちの運命はまさにこの国の暗部を司る者たちの手にある。
いくら冴羽獠が新宿の、いや、世界有数の工作員として名を馳せていたとしても、 対テロ部隊として常時訓練されている3000名を越す大規模な武装警察部隊「新選組」の強襲から二人を守れない。
因みに、この部隊の本拠地は京都にある。
そして、男女問わず実力あるものしか入隊できず、入隊者全員に「日本刀」を所持する事を義務付ける。

「冴羽さんだけなら我が身を守れるかもしれません。
でも、完全装備で軍隊に近い部隊を相手に、一人の男が二人の女性を守りきるのは不可能でしょうなぁ。違いますか?」

沈黙が落ちる。
それだけ彼には魅力的である。
だがこれは逆に言い直すと今すぐに警察の人員を喫茶店「キャッツ・アイ」に送り込み、ファルコンとシャンインを拘束するという事。
抵抗すれば射殺もあるだろう。

「何せあの新選組です。
その戦闘力の高さは接近戦においては日本最強。各都道府県警や特高選抜者を含めて全試合で無敗
ああ、私なら一目散に逃げ出すでしょう」

そいつらが完全武装して香瑩と香のいるキャッツ・アイを襲うだろうとこの男は言い切った。
彼らは帰化した日本人として扱われているが、あのあたり(キャッツ・アイという喫茶住所所在地)はヤクザやギャングの抗争が激しい場所だ。
簡単にもみ消せる。

(俺がいるから、俺に利用価値があるから、か)

それに、

「そこで俺を睨んでいる野上冴子さんも同じこと旅順の出入国管理事務所でしただろう?
沈痛な表情の槇村君も舞鶴の入国審査官を金と銃で懐柔していた筈だよね?
だから俺たち公安委員会を批判するその目はお門違いじゃないかなぁ~
第一、君らは報告義務を怠った。虚偽の報告書をでっち上げた。それって国から給料もらっているのにどうなんだい?」

鋭い眼光が交差する部屋。
空気が重い。
空気が冷たい。
そして、恐ろしい。
誰も彼もが。

607 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:19:27
知っていたか。
当然の如く。
自分たちが冴羽獠の為に一体何をしてきたかを知っている。
ファルコンの方はある意味簡単だった。彼は投降したとは言え正式なアメリカ合衆国軍の海兵隊軍曹であり、戦時下の混乱では亡命も受け入れやすい。
何よりも彼は自分から日本軍に出頭して言った。尋問に当たった陸軍の高級参謀へ直訴した。命をかけて部下を守った。

『こいつらは俺が保護した。
俺は殺されてもいい、だが俺の部下達とあんたたちの同胞である日本赤十字の人間らは無事に本国に返してやってくれ。
戦争責任とか条約違反とか捕虜虐待の容疑などで誰かを責める必要があるのはわかる。
そっちにも面子があるだろう。
だから犠牲の子羊が必要なら、誰かを問い詰めるなら最上級責任者である俺だけにしてくれ。銃殺刑になる覚悟は出来ている、遠慮はいらん』

その言葉に嘘はない。
彼は終戦までの間、ずっと捕虜たちの纏め役となった。密かに日本人の避難船団に紛れ込ませた冴羽獠とシャンインの身を案じながら。
彼の協力的な姿勢に現地の憲兵隊大佐は感動した。

『大和魂に匹敵するものをこの男らは持っていた。
彼らは名誉ある武士だ。
戦場で劣勢になっても戦い、矢が尽き刀折れてなお誇りを失わなかった尊敬すべき武士として丁重に扱え』

そう命じた。
私は彼らの通訳を任され、槇村は獠の護衛・目付け役として妹と一緒に内地に戻った。
それは書類の上ではとっくの昔に過ぎ去ったはず。
が、竹中という男は全て知っているぞと言わんばかりに言う。
誰が漏らしたのだ?
それがむこうに伝わったのだろう。
彼は手を振る。

「嫌だ嫌だ。怖い目で女性に睨まれたくないねぇ。
じゃあ、ついでに言っておこうか俺に詳細を語ってくれたのは神戸にお住まいの憲兵隊大佐だ。
きっと、以前お会いした時の印象が強かったんだ。
一人息子さんを警察に入れて欲しいと前々から言っていたから、その交換条件に何か無いかと聞いてみたら・・・・いやあ、脅かしすぎたかな。
はははは、俺はこんなにいい笑顔してる良い奴でしょう? なのに鬼扱いだ。困ったものだよ」

それは最後通牒。宣戦布告の一歩手前。

「分かった・・・・で、俺は何をすればいい?」

全ての声が止まる。
鼓動のみが高鳴る。
竹中が黙りこくった。
槇村も私も額は汗まみれだ。
瞬きさえできない雰囲気。

「ある人物らの監視と牽制だ」

冴羽がドスの効いた声を出すと、今まで黙っていた冬月の隣に座っている男がしゃべる。
腕を組み顎を白い手袋の上に載せる独特なポーズ。

「冴羽獠」

名前は知らない。知りたくもないし、聞きたくもない。自己紹介などゴメンだし、無効は俺のことを全部知っている筈だ。
冴羽はそう感じている。

「OSSで訓練を受け、その後は公にできない仕事ばかりを遂行し、今や東京の裏社会では知らない存在は潜り扱いされるほどの辣腕工作員。
その君の技能を活かせ。
そうすれば成功の是非、君の生死、任務後の身体に関する障害の有無など全て問わずに後払いの報酬を出す」

男は言った。
因みにだが、そのあとを引き継いだのは冬月だった。

「毎年軍少佐の恩給と同額の資金を君の娘が成人式を迎えるまで支給しよう。
受取人は槇村香でいいかな?
そして、君が無事に任務を果たしたのならば君の正式な戸籍と身分証明書を発行する。
それから成功報酬として後払いで3600円、少佐相当官の3年分の報酬を渡す。
もちろん、必要経費は別途支払おう。そして、娘や今後生まれてくるであろう子供らにも日本人として正式な法の保護を与える。
君らに不慮の事態が起きた場合も責任をもって小学校から高等学校、或いは専門学校まではこちらで入学と卒業まで面倒見る」

公文書も用意したのだが、どうかね?
癪にさわる。
だが、嫌だと言える雰囲気でもない。
言える状況化でもない。
ならば決まっていた。
だが、言う。

「追加だ、俺の娘は大学卒業まで面倒を見てくれ。
もちろん、俺が生きて五体満足にあいつらの元に帰れたらその必要はない。
自分の家族を守って養うくらいの甲斐性はあるつもりだ。
そこまで面倒は引き受けろとは言わん。とくにアシャンの為にも言えんし、俺以外があんたらに借りを作るのは御免こうむる。
二人の将来のためだ。
だから鎖でつなぐ番犬は俺だけにしてくれ。俺が生きて五体満足に裏の仕事を請け負える間は。
頼む、あの二人、香とアシャンは関係ない」

608 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:20:16
哀しい目をする。
冬月が、いいや、隣の男もそう感じた。
そう感じたが自分たちにも守るべきものがあるのだ。
だから、うまくは言えないが。

「よかろう・・・・・契約成立、野上警部補と槇村警部補が証人だ。
では竹中、開けろ」

無精ひげはそれだけを言う。
竹中は黙ってスーツの懐から封筒を出した。
そこには確かに大日本帝国の国章と法務大臣、内務大臣の連名がある。
白黒コピーで一枚、正式なものが一枚。

「署名をしてくれるか?」

無言で懐の万年筆。
この間、香がプレゼントしてくれた高級品ではない、だが、俺にとっては初めての優しい思い出をくれた女からの掛け替えのないモノ。
そしてメモ帳に挟んであるのはアシャンと俺と香、海坊主に槇村、冴子の写っている『キャッツ・アイ』完成時の写真。

「ああ、これが俺の名前だ」

『冴羽獠』

そう記入した。
竹中は後ろの二人に持っていく。
確認。

「では冬月、私は失礼する。
まだ仕事がある」

無精ひげが立ち去った。何事かを冬月に言い残して。
さり際に冬月という男が呟いたのは冴羽にも聞こえた。

「碇め、相変わらず不器用な男だ」

と。
竹中と冬月、冴子と槇村、そして俺。
五人しかいない。
冬月はひと仕事果たしたという感じで全員にお茶を入れる。
とりあえず一気飲みして、お代わりを望む。
嫌な顔せずにお茶を入れてくれる。
まあ、根が悪いわけじゃない。それはきっと目の前の竹中もさっていたあの碇とかいう無精ひげもそうだろう。
気がついたら12時に近い。

「昼ごはん、だな」

ここがどこか知らないが出前の一つや二つ用意してくれそうだ。
俺が具体的にこれから何をするかは知らんが、ろくでもないだろうが。

「よーし、堅い話も物騒なおっさんも帰った。
槇村、冴子、あとで牛鍋でも食べに行こうぜ」

明るい声とは裏腹に目は笑わない。
向こうの誰も笑わない。
横の二人は笑えない。
仕方ないな。そう思って立ちがある。

「で、俺に誰を始末して欲しいの?」

冴羽の言葉にケースがあく。
中には数枚の写真と履歴書が入ったクリアケースが数セット。
それに預金通帳、身分証明書、車の鍵。あとは。

「よくこれが手に入ったな」

これだけは嬉しい誤算。
そう、OSSで唯一の自由時間の間累計で3万発は撃った愛用の拳銃。

「なあ竹中さん、これ手にとって見せてもらっていいか?」

いいぞ。

「なるほど、この刻印にこの使い古した感覚・・・・・失くしたと思っていた俺の愛銃だ」

コルト・パイソン。

彼の愛銃にして相棒。

命を救う最後の存在。

609 :ルルブ:2015/01/31(土) 19:20:51
だが、それが何故ここに?
こいつを製作していた会社はあの大災害で潰れているが。
疑問はすぐに氷解する。

「冴羽君、我々からの精一杯の誠意の証だが気に入ってくれたかな? 
君も知っているだろうが日露戦争以来の我が国国策であった満州での米英資本に対する開放政策はそういう分野の成長を促していた。
アメリカ資本の満州進出はアメリカ人の満州進出につながり、初期は大規模な軍の駐留が無かった故にアメリカ人向け護身用拳銃の需要は高まるばかりだった。
その際にこれを絶好の機会到来と考えた各企業によって様々な銃火器が製造されている。
我々が南部14年式と呼んでいる拳銃も第一次世界大戦でアメリカから輸入したガバメントの改良版だ。
君が逮捕されたとき・・・・・失礼、拘束された際まで持っていたその銃は手入れをした状態で保管し続けた。
あとで好きなだけ試射するといい。場所と弾丸は提供する。もちろん、野上くんと槇村くんが監視につくがな」

なるほどね、最初から猫に鈴を付ける気だった、か。

「ふーん、そいつはきっとこういう事だな?
俺を買うために。俺を躾けるために、だ?」

「そうだ。否定はせん。軽蔑されても私は一向に構わんよ」

冴羽と冬月のやり取り。
ワルサーPPKという拳銃をこの後に007がQの手配でナチス・ドイツ一般親衛隊と取引したヤクザ組織から手に入れた。
この世界では緊迫する中国大陸問題と進出したアメリカ人保護の名目で多数の拳銃や小火器が売り払われている。
実際に有名なのは旧米国製品のガバメントだが、ドイツのルガーやワルサーP38、日本の回転式拳銃であるニューナンブなどはベストセラーとして世界中の警察や軍、傭兵や匪賊らに使用されている。
中には迫撃砲や無反動砲、自動小銃を取り扱う会社もあった、いいや、今なお増え続けるのだから「ある」と強調するべきだろう。
事実、夢幻会の銃器マニアらがテコ入れして、え!?と嶋田総理らを唖然とさせている武器もある、らしい。
まあ、それはおいておこう。

「じゃあ、とりあえずこの人物らについて教えてくれるか?」

「後日、な」

冴羽獠はとりあえずはそこで解放される。
名前と顔を一致させて。
名前の筆頭者は「梅津三郎」、「角松洋介」、「菊池雅行」、「尾栗康平」。
他にも数人の外国人の写真がファイルにある。
ただし、それを見たのは冴羽獠のみ。

「それじゃあ、帰るわ。じゃーね」

「失礼します、冬月さん」

「失礼します」

三人が退出した。
その一方で。

「なぁ竹中くん」

冬月は切り出す。
自分の疑問を。

「なんです?」

彼は真剣な表情でサングラスを取り外す。
相手が真剣だから。
だったら自分も真剣に対応しなければならない。
それが礼儀というものだ。

「我々の仕事はなんなのだ?」

それは冬月幸三の弱音であり、本心であり、後悔だった。
これに竹中はこう答えた。

「俺はこの件を碇さんに任されて漸く吹っ切れた」

どんなふうに?

「決まってます、
俺の仕事は・・・・・・・・・公共の敵って、やつですよ」



第十二話 完

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最終更新:2023年04月03日 18:05