758 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:03:30
「第十四話 奏者」



1945年9月28日 朝 神戸市 大英帝国 神戸領事館

朝一番のニュースは日本海に漂着した不審船2隻。
木造船であって大きさもそれほどではないが、問題は船内に残された中国語とハングルの文字。
内容を解読した警察並び海上保安庁は緊急声明を出していた。
モーニングセットを机において、日本の有名な英字新聞を読む007。
漫画を読み終えたQがラジオのスイッチをおした。

『ではここで海上保安庁に出向中の南雲閣下のご意見をお伺いしましょう』

『南雲です、国民の皆さんおはようございます。
本日は残念な報告をしなければなりません』

ラジオ越しにも日本放送局(NHK)のメンバーが息を呑むのが聞こえた。
この南雲の言葉に多くの商店で、職場で、あるいは車内での声が止まる。
もしくは戸惑いの声が出る。

『昨夜発見された日本海沿岸部の不審船からは数名から10数名の人間が国内に武器を持って侵入した可能性が高いと判断しました。
船内には錆びたとはえ、ソビエト連邦の武器弾薬、それに火薬が発見さており裏社会での抗争に使うにしては数が多すぎます。
これは我が国内部で抗日ゲリラ運動をする為に用意されたものだと私は判断。
第三の潜入を防ぐよう各地の鎮守府に海上警備強化を命令しました』

ほう。
そう思ったのは007。

まさかこの日本に?
とはQの感想。

流石の007。食事の手は止まらない。
パンにジャムを塗る。
一方、零式艦上戦闘機開発秘話という副題がついた、日本軍全面支援のフルカラー映画(製作者はお気に入りの漫画と同じ人物)の予告編のパンフレットを落とす。
こいつ、朝から仕事せずに何を読んでいるのだ?
もしもロスチャイルド大佐がいたら……いた。

「Q、君は朝から日本の漫画アニメを読んでいるようだが、何か進展はあったのか?」

げ、という表情をするQ。
助け舟を出すか。あとで借りを返してもらえば良い。

「大佐」

「なんだ、007」

ネクタイをしないとはいえ、シャツの胸元をはだけさせている。
だから、神戸の朝は冷えるから暖炉のそばにいる。
北海道や日本領土となった南樺太やアリーシャン列島、それに最大の外地にして日本軍が三個師団駐留していると聞くアラスカは初雪を観測している。
大西洋大津波以降の大災害は世界規模の寒冷化をもたらした。
それはこの大日本帝国も、我が祖国である大英帝国もナチス・ドイツ第三帝国も関係ない。

「Qが読んでいたのは大日本帝国の国策国威高揚映画のパンフレットです。
確かに全部アニメーションで作成されたものですが、内容は確かですし、何より実在の技師からインタビューしている。
97式、零式は我が国でもライセンス生産されています。それがどうやって制作されたのかを日本側の視点から捉えることはMI機関の人間として決して無駄ではないと私は思います」

では君が頼んだのか?
無言で睨まれた。
まあ、事実そうなので弁解はしないでおこう。

「ええ、結構面白かったですよ。
それよりロスチャイルド大佐。
今注目すべきはこのラジオ放送ではありませんか?」

そうだなQ。そうだろう?
助かったぁ。助け舟ありがとう。
007の言葉の裏側を敏感に感じ取ったQ。
それをもっと活かせれば日本ではなく英国に残れたはずだが。
何故Qは日本にいるのだろうか?
007の小さな疑問が芽生えるも、それを無視して話し合いが始まる。

「え、ええ、その通りです。
まずは南雲という日本軍の指揮官の言葉を聞いてください」

759 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:04:30
慌ててラジオの音量を上げるQ。
世界最先端のラジオの音量と音響はとても良かった。
我が国でもドイツでも今は存在しない新大陸の人工国家でもできない量産品だ。

『では閣下は昨夜の神奈川県横浜市近郊で発生した郊外の大型ガソリンスタンド爆発事件はこの不審船漂着と連動している、そうお考えでしょうか?』

『ええ、国民の皆様には多大なご迷惑と大いなる不安を与えてしまうのは重々承知です。が、私は安全のために今朝の閣議において総理にこう進言しました』

『どう、進言されたのですが?』

『これは我が国に悪意を抱くものの計画的な犯行の第一歩であります。
最悪の事態を想定して行動するべきであり、敵は旧中華民国やソビエト連邦の横流し品の銃火器で武装している可能性が高い。
よって帝国市民の安全を守るためにも、即応対性を整えるためにも、首都に点在している武装警察「新選組」に出動命令を下せるよう準備するべきです、と』

『失礼。その、あの、新選組ですか? あのこの国最強の武装警察部隊である、あの?』

『ええ、あの、新選組ですよ』

『南雲閣下、総理らはなんと?』

『前向きに検討する、すぐにでも動けるよう善処する、と』

まだ赴任して日が浅い007がロスチャイルド大佐に聞く。
新選組とはなんですか?
答えは返ってくる。
流石は諜報部出身で親日家だ。

「武装警察新選組の歴史は今から80年ほど前のこの国の革命時代まで昔に遡る。
君が観光の名目で訪れた京都、あそこは旧帝都なのだ。
この大日本帝国の天皇家代々住んでいた1000年の都である。
そこまでは学生でも知っているだろう」

ええ、それで?
そう、それで。

「彼らは完全実力制を標榜する剣客集団として出発した民間軍事会社だった。一種の傭兵だな。
だが、身分制度を守るという建前の江戸幕府、つまり時の政権に対して忠誠を尽くし、武勲を作った。
この過程において近藤、土方、沖田、斎藤ら著名な武士などは縦横無尽の活躍をして時の反政府テロ、後の明治日本政府の賛同者らを武力で弾圧した。
有名なのが池田屋事件、だな。三倍の敵相手に完勝している。
それも白兵戦だったのだぞ。
日本人はこの頃からどこかおかしい。
やる必要があるのは分かるが本当にやるとは思わなかった、をそのまま歩む民族だ。
3倍の敵を倒した、その後も順調に勢力拡大を続け、倒幕という政権交代時にはときの明治天皇の御所警護役という栄誉、我が国の近衛と同じ名誉を賜っていた」

なるほど、読めてきた。
警察の中で格式と伝統ある部隊ではある、だが、完全実力制度の為かあまり好かれてないのだな。
しかも天皇家守護という任務を帯びた以上、下手に敵にできない存在となり、現在まで存続している、という複雑な政治事情があるのか。
我が国タータンと貴族の帰属意識による対立と同じか。
この辺はどこの組織、どこの国でも一緒だ。
強すぎる力と化け物じみた実績が彼らに対しての警戒を招くわけだ。

「そして彼らを後援する組織が現在の大日本帝国情報部と帝国政府内務省の公安委員会になります。
彼らが治安を維持するためだけの武装警察というのは名ばかり。
本当は大日本帝国政府の持つ、軍部が起こすであろう首都軍事クーデターに対抗するための首都特別防衛隊だというのが僕の意見です」

付け加えたのはQ。
情報分析官の性分なのだ。黙っていればロスチャイルド大佐の追求を躱せたのに。
まあそのへんは自己責任だ。
一応、最初に助け舟は出した。あとは知らん。
もう彼も大人だろうから。

「そうか、いい推理だ。ところでだがQ、君の部屋にある漫画をあとで中古本買取専門店に売り飛ばされたいかね?
先程からずっとその日本の漫画を読みたそうにしているな。視線が泳ぎすぎだ。
君のような優秀な情報分析官に対して前線に行けとは言わん。が、そのコミケだ、アニメだ、漫画だと、そういう趣味を執務中にまで持ち込むその癖をやめろ。
それともう一言」

ロスチャイルド大佐が心底不快感を示して言った。

「実在していた維新志士、緋村剣心と志々雄真実の決闘シーンを題材にした人形を公費で買っていた領収をゴミ箱から見つけたら覚悟しろ。
私が部下を率いて直々にお前の部屋を家宅捜索してやる。いらんと判断したものは纏めて焼却炉へ叩き込むぞ!!」

760 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:05:06
サー・イエッサー!
情報分析官にしてはやけにいい敬礼だ。
それだけ本気という訳か。
というか、あの抜刀斎という漫画、ノン・フィクションだったんだ。
いや、決闘なんて事実に大久保利通初代内閣総理大臣暗殺事件などこの国にはなかったから半分はフィクションだな。
第一に、あの日本近海の港や我が国の上海租界から武器密売組織がフリゲート艦をこの国の不穏分子に転売した事実が存在するならばその記録をMが見せてくれるだろう。

「で、新選組の過去は言った通りだ。
問題となるのは現在の組織規模に組織の目的だ、Q。
君の意見でいいから補足説明を」

は。
何か会ってからで一番必死だ。
そんなに部屋を捜索されるのが嫌か?
かなり気になるが。まあ趣味は人それぞれだろう。

「新選組の構成員、というか任務部隊編成は大きく判別して二つになります。
皇居警備の為に編成されている「誠」という新選組の中でも最良の部隊。
こちらは全員が日本式古式剣術の皆伝者であり、全員あの冬戦争で活躍した日本軍特殊作戦部隊の部隊章を保持する、精鋭500名です。
特に思想面ではこの国最右翼。
伝統と歴史、そして国家と国民、何より主君である天皇家のために全員死ぬまで戦い抜くとMI4時代に私は分析しました。
次に残りの実戦部隊である3000名3個大隊。
彼らのうち即応できるのは現在第2大隊のみですが、全部隊が警察とはいえ富士重工製のM2重機関銃搭載軽装甲車、専用の戦闘服を着用し、軍が使っている2式突撃小銃の小型版を装備。
対戦車ロケットランチャー、接収した旧米軍のグレネードランチャー、公用車には時速240kmまで出せる富士重工の車を専用配備。
止めに、全員が毎日4時間残業して市街地訓練をしているという噂です。
無線機も最新のものがあります。司令部は警察庁、第二司令部は公表によると内閣総理大臣官邸別館です。
もちろん、シフトは交代制で24時間365日即応体制にあります。
そして、先の南雲という高位閣僚の発言が本当なら残りの第1大隊、第3大隊も既に戦闘投入が可能」

それでは確かに軍隊だな。
日本軍関東圏内の陸海軍は厚木、成田、羽田、横須賀、富士演習場などに部隊を拡散している。
各主要都市にいるのも一個大隊の筈。
帝都守備の部隊は名目上は近衛師団だ。が、この近衛師団の師団長は代々この国の皇太子が直轄する特別部隊。
クーデターに使えるような部隊組織ではないだろうから除外して良い。
まあ、調べたところでは実際に戦闘に入れるのは近衛師団でも第1連隊だけだと言われるが、かの部隊は戦車、自走砲、自走ロケット砲に実用化したばかりのヘリ部隊がいる。
一個連隊だが、三倍程度の敵なら蹴散らせる。
そして、首都近郊と彼らが言う地域にはまとまった武力集団はそれしかない。
止めにこの国の国家元首は首相と違い、平和主義の穏健派。
自ら戦争をふっかけているどこかの伍長閣下とか粛清に命をかけて自分も粛清された元銀行強盗とかとは大違いだ。見習えよ。

「さて、大佐、007、新選組最大の特徴はその装備でしょう。
これは蛇足ですが、彼らは完全防弾装備の「鎧」を着込んでいます。
数発なら拳銃弾の直撃にも耐えられるような鎧に鉄の盾。
そして、徹底的に使い込まれた日本刀。なんでも明治期に大量発注されて以降引き継がれた、小さなノコギリのような形状を持つ刀だとか。
名前は知りませんが、相当な切れ味のようので。噂ですが銃弾も両断できるらしいです」

それは蛇足ではないかな?
というか、確かにこの国の人間なら「銃弾をまっぷたつにできる剣を作る」まではできそうだ。
が、それに動体視力が追いつくか?
仮に目で分かっても、弾道が読めても体は動くのか?

「伝説の明治維新志士である人斬り抜刀斎ならともかく、ねぇ」

思わず思う。口に出す。
Qもこんな性格でなければ日本駐在の人間に蔓延する重度の日本病(夢幻会曰く、同志確保、つまり平成の引きこもりヲタク化)にならなかったと思うが。

761 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:05:46
だが他人の身はわかっても我が身はわからない007。
彼だって最近神戸にできた「テルマエ・ロマエ」のタイムスリップや不死鳥を題材にした漫画など多数を読んでいる。
もちろん、経費で。
因みに、本国には外国資料購入という名目だ。
ロスチャイルド大佐の偏見だが、Qの持病(日本病)は既に重度で入院が必要なんじゃないかと思う程度には病に侵されているが、それでも空気は読む。
彼の幼い顔が慌てているのが可笑しい。

「ま、まあ、それにです。
彼ら新選組には許可制とは言え、この国唯一の帯刀令があります。
これは異例です。この国は第一世界大戦を契機に拳銃と鉄棒を主体にしている「捕縛」を目的とした組織。
しかし、新選組のみはその後も正規軍並みの訓練と重武装化が進められました。担当したのは内務省若手官僚らですが。
帯刀令最大の効果は「悪即斬」という異名をとる、実力行使の組織。
言い方を変えればナチス・ドイツのゲシュタポですよ。
実際にソビエト連邦の思想に犯されていた国内のスパイ刈りでは前時代的な抜刀突撃を何度も敢行。
その都度、突入した部屋、屋敷、ビルを共産主義や反体制の過激派、その返り血で壁一面、床一面を血塗れにする「壬生の狼」という逸話を更新している」

で。
そろそろ聞こう。

「それの何が言いたいのだ、Q?
もう007はわかったな?
十分わかったな?」

「あ、ああ。しっかりと理解した。
新選組の組織が如何にすごいかわかったし、本題に入ろう」

内心飽きていた二人は本題に入る。
なんかもっと語らせろ、空気読めよな的な雰囲気を出すがとりあえずそれは収めるQだったが、実は007らから言えばお前こそ話の前置きが長すぎる、だ。
そしてQの持つ情報の本題はここからなのだ。

「ええと、つまり自国民にとって憧れではあるが秘密警察のような組織である新選組。
その部隊を動員してまで今回のテロに対応する。
ちょっと待って欲しいです。大佐、ボンド、これは何か変ですよ」

「ふむ、何がかね?」

Qはその質問に答えて持論を述べる。
確固たる自信に満ちた目で。
これは嘘ではない、本当ですと言っている。
若干だが自己陶酔があるのがマズイな。
007はそんな分析をしている。
が、Qはもちろん気がつかない。

「第一に大日本帝国の国内問題への対応にしては性急すぎる事。
第二に、平和な現実と優れた警察組織があるこの国にとって、現段階ではそこまでの危機と判断する材料が乏しい事」

ほう。
続けて。
続けます。

「第一は簡単です。
爆破事件と南雲氏が言った事件の発生と難民船と思われる漁船の漂着をこうも早く結びつける理由がない。
別個のものと考えたほうが自然です。日本海から太平洋まで武器を持って日本本土を横断するのは至難の業。
むしろ関西圏でのテロやマフィア間への武器密売事件と考えたほうが自然。時間的にも地理的にも。
なのに今回の大日本帝国政府はそれを東京近郊のテロと関連があると結びつけた。
事件発生は6時間ほど前。ニュースとしてラジオ放送されたのは今。時間は決して多くない。証拠もあるかどうか不明。
しかし、彼らは同一犯人と断定して警察に動員をかけている」

なるほど。
確かに。
サロンにいるロスチャイルドとボンドは納得する。
言われてみれば疑問だ。
この大日本帝国は政府レベルでは毎回的確な対応をしてきた。
その前例から考えれば政府の対応の早さは間違ってないと思う。
だが。
これが我が国やカルフォルニアあたりなら?
ソビエト連邦やドイツ第三帝国の閣僚あたりが狙われたならば早急な判断を下しているだろう。そうかもしれない。
が、今回はあくまで首都郊外の給油施設の爆発事故に難民船らしき存在の漂着事故。
たったそれだけの理由で誰が自分の責任問題になることを覚悟でこれほど早くに、この様な動員令を下せるだろうか?

「第二はもっと疑問です。
第一に関連してとも言えますが、この国内部は政府に対する革命を認めてない。あの滅びさったアメリカ合衆国とは違います。
しかし、代わりに社会主義者でさえ認めるような治安の良さと労働条件の改善を政府主導で推し進めている。
これは大きな違いです。
だから国内では銃を撃つ、という習慣が殆どない。銃を向けても引き金を引けないという時さえあります。
で、その善し悪しは別として」

そう、問題はそんな体質の国が国内最強の治安維持組織を動かした。
しかも何の前触れもなく。積極的に。確信があるように。
まあ、テロ自体に前触れはないかもしれないが。

「ではQはこれは何かある、テロに屈しないというのはあくまでも表面上の理由、だと?」

一人の肯定意見。。
二人の沈黙。

「……」

762 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:06:21
ジェームズ・ボンドは暫く考える。
この事象にある隠された出来事、その真意、を。
彼の直感も言う。
何か隠されている、と。

「展開する武装警察部隊、その新選組でもっとも機動力のある部隊はどことどこに配置されるか分かるか?」

待ってください。
Qは今朝一番に読んでいた新聞と昨日急激に増加した無線通信の解析データを自室に取りに行く。
少し休憩する残された二人。

「007、見ての通り彼は優秀なんだ……だが」

こめかみをおさている大佐。
何か嫌な事を思い出したという感じがありありとする。

「優秀なんだが、なんですか、大佐?」

追撃。

「いや、どうもおかしな奴でな。特に重度の日本病でナチス・ドイツとの停戦からすぐに日本に行きたがっていた。
最初は亡命狙いかと思っていたが、調べたら趣味の世界に没頭したいだけらしい。
 …………………………それに」

自白。

「それに?」

止め。

「彼への苦情処理で月に3日は潰される。しかも休日が、だ」

愚痴。

「腕は確かなんですよね?」

不安。

「そう、腕は確かなんだ。だから私が日本に行く際にMI4から引き抜いたのだ
が、ここまでとは思わなかった。
あの人形だって同じようなものが何個も部屋に飾ってあるのだ……しかも女の」

疑惑。
興味。

「因みにさっきから言っている人形とは何のことですか? そんなに気になるのですか?
 ……Qも任務に支障があるなら捨てればいいだろうに」

「彼曰く、捨てるには惜しい、と」

更なる興味。

「ふむ?」

葛藤が見えた。

「あの人形は人間の曲線美と刀剣の美しさと大和撫子の素晴らしさを表現した画期的な芸術品なんだそうだ」

763 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:06:53
などと雑談。
その言葉が終わった頃にQが戻ってくる。

「これです、こことここ。
それに8月15日以来何故か首都圏と彼ら呼ぶ地域から離れた場所に2個中隊の新選組が配備されている。
場所は横須賀駅に面する環状道路と横須賀基地への正面道路です。
古いものの再利用ですが、専用に官舎と兵舎、弾薬庫と自動車整備工場まで用意してある」

僕も不思議でした。
横須賀基地は日本海軍の、つまりは正規軍の管轄下にある上、物資の出入りも高速道路による陸路か列車程度。
なら警備は憲兵隊一個小隊あたりでいい。
300人も新たに増員する必要はなく、海路は日本海軍と海上保安庁が守っている。
加えて帝国の内海である「太平洋」、しかも帝のお膝元である関東平野。

「どこから誰がこんな重要拠点に戦争を仕掛けられるほどの兵力と火器を持ち込めるのでしょうか?
それは不可能だ!! なのに何故ここまでしたのか!?」

そう考えた場合、この定期便とは言えない増員は不必要だと思っていた、だから逆に覚えてしまったんです。
強烈な違和感を。

「何か隠す必要がある、或いは守る必要がある何か、それが横須賀に来るのではないか。
そして今朝の首都圏全域での合法的な警察部隊の動員理由。
一つ一つだけ見れば普通でも、全部合わせて見ると不自然でした。出来すぎている」

一旦お茶を飲む。
釣られてボンドもパンをかじる。
ロスチャイルドはコーヒーだった。
一過性があると考えるべきだ、Qはそう主張する。
この言葉は傾聴に値するだろう。
まさに経験から学んだ賢者の言葉。

「なるほど……あれが例の軍艦ならその警備と部隊配置も分かるな」

そう呟くのはロスチャイルド。
彼らも007というコードネームを持つ男が何を言われているのか知っている。
彼はそう、「MIRAI」という新型巡洋戦艦を政府の極秘命令で探しているのだ。
ジェームズ・ボンド中佐はそう言っている。
それ以上は聞けないし、聞かない方が互いの身のためになる。

「あの東洋艦隊のフィリップス大将が本国に電信で報告した日付も8月15日。
この警察部隊の移動開始日も8月15日。
新選組は国内治安維持組織である警察部隊、その対テロ組織掃討のための武装警察部隊で最強最精鋭にして狭い組織」

呟くボンド。
加えて一般人は立ち寄り難い威圧感を与える組織に防諜対策の公安委員会対策とも関係が深い。
男女問わず出身を関係なく完璧なる実力主義で門戸を開く故に、その入隊審査も厳しく、明治の革命時代からの伝統ゆえに除隊後も定期的な各地の駐屯所へ訪れる隊士が後を絶たない。
というかそれが普通だという。
そこまで鉄の規律を持つ部隊は世界中の軍隊でも片手で足りるだろう。
希少価値のある部隊を態々動かしている、その理由は一体何か?
他の警察、下手をしたら軍さえ圧倒する忠誠心高い内務省管轄の部隊。それが海軍の軍港付近に展開している。
007が追っているであろう存在は耳にした。
香港総督でスワン提督は確かに情報をくれた。

『サウジアラビアとイラン大使の出会った軍艦は確かに旭日旗を掲げた上で大日本帝国海軍ではなく日本国海上自衛隊と名乗った』

『排水量は2万トン前後。大きさは巡洋戦艦並み、砲塔は一つ、ただし大型レーダーらしき存在が多数あるという』

そういって渡されたスケッチブック。
見せてもらった。
妙な形をしている。
だが、海軍時代の経験から確信できた。

「あれは軍艦。それも既存の軍艦とは全てを異なる目的で建造された軍艦だ」

少なくとも船ではあるのだ。
ならば整備する為の母港が必要なはず。
しかし8月15日以降、他の日本海軍の軍用ドッグに特別な動きはない、そうQは追加報告していた。
だからこそ。

「例の軍艦を最後に見たのはシンガポール洋上。
そこは我々も活用する親日組織がいくつかあります。
香港に寄ったサウジアラビア王子とイラン大使の証言もある。
しかし、あのグ=ビンネン商業ギルド連合が「何故か」しりません。
ですが、自分たちのテリトリーであるシンガポール近海において、大英帝国にも大日本帝国にも他の東南アジア諸国にも関係なく有力なカードになるであろう帝国海軍の新型巡洋戦艦の出入国を見失っているという事実。
我が国の東洋艦隊や香港駐留軍の兵数と弾薬の保存量まで把握し、ドイツの暗号でさえ一部解読して知っているあのグ=ビンネン商業ギルド連合が追跡を諦めた軍艦」

普通なら自沈したか、ハワイ方面にでもいったかとも思える。
しかし、まだ存在しているとしたら?
そして極秘裡にこの日本列島に帰還しているとしたら?

764 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:08:55
「が、仮に北上せず敢えて人目を避けて太平洋を遠回りをしてたなら、日本列島へ帰国にかかる時間は2週間程
この航路日程と9月15日の軍用暗号の通信電波増大を一致させると決して偶然ではなくなります」

Qは言う。
Qも007が新型戦艦を追っているという事だけはロスチャイルド大佐から聞いている。
人間、完全に黙られるとかえって疑い、いらぬことをする。
だから真実味のある嘘を作って教えた。
007程性格が捻くれているなら別だろうが、Qはとても素直な日本病の人間。
あっさりと騙されしまった。計画通り。

「そして、9月15日、この横須賀では大規模な物資の納入が行われている。
複数の業者から少数だけトラックで、しかし、一隻の新型巡洋戦艦程度を補給できる物資と250名近い人間が生活出来るだけの日用品が」

僕でなければ気がつかなった些細な流れでしたが。
自信満々だ。
だが、正しいものの見方だ。
彼の自信は根拠がある。彼が用意してみせた見やすい書類がそれを語っている。
流通に使用したデータやその企業等の公的な販売記録を集めた結果だ。間違いは少ない。

「つまり007、君が怪しいと感じる所は僕と同じ場所だ。
ここだろう。
この横須賀に何かあるんだ。日本が躍起になって隠している何かとんでもない存在が」

よし、決めた。

「なるほど、ロスチャイルド大佐、横浜の領事館に連絡をお願いします。
横須賀に行ける高速道路に近いホテルを3つ、それぞれ3部屋、一ヶ月程借りてください。
もちろん、ベッドはダブル、部屋は最上階から一つずつ下げて3部屋でお願いします。
非常階段の隣から三つ。
今の条件が満たされるホテルだけを借りてください。
それと多数のイギリス人を宿泊させて下さい。イギリス人が宿泊しているが、具体的には誰がどこでどんな顔の人物として宿泊するか分からないように。
それと、同じようなビジネスチェーンホテルを3つ、個人のアパートを二つ、屋内駐車場を7つ。
すべての場所に車を用意してください。各車はナンバーだけでなく製作会社と車種を別々に。
決して色と車種を統一しないように徹底してください。銃火器の用意は不要です」

そうか。
分かった。すぐに手配しよう。それだけか?

「それともう一つ良いですか?」

なんだ?

「Qを借ります」

ポカーンとするQの顔が見る見るうちに青くなっていくのが面白かったのは内緒だ。

「ま、待ってくれ007、僕は情報分析官で!」

「そう、戦闘要員じゃない、だろう?」

そうそう、その通り。
Qは一瞬だけ安堵した。そう、一瞬だけ。

「大丈夫だ、Q」

「な、何が?」

「誰にでも初めてはある、君にも。無論、私にも、だ」

765 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:11:27
1945年9月29日 神戸ドイツ領事館

「また嫌がらせか、ユダヤ人ども」

アドルフ・カウフマンは妻のエリザを抱いたあと、情事のあと生々しい体でシャワールームへ入る。
カウフマン大尉の指揮下にある特別編成の特務員22名の目的は、「大英帝国の派遣する情報工作員の目的」そのものを探ること。
大日本帝国と同盟関係にあるとは言え決して親密な国ではない大英帝国。
落ちぶれた斜陽の帝国というあだ名を付けられている国家が敵対国であるドイツ第三帝国に声をかけてきた。

『裏切り者のイラン人を制裁する手伝いをする』

『イラン政府内部にいる親日派・親英派への直接介入はしばらくやめる』

という条件に、3機のブリティッシュ・エア・ラインを欧州枢軸の制空権下にある場所で飛行、給油、そして離陸させろ、と。目的地は香港。
最初はスイスのジュネーブ。次にトルコのアンカラ。その後は英国各地の植民地。
怪しい。
何を考えているのか。
だが、魅力的だ。
時のナチス上層部にとってイラン演習で大敗北はイギリスの疾風ショック以上である。
焦っていたのは仕方ない。
しかも時間はない。
言っていることはそれほど理不尽ではない。
だったらこの誘いに乗っても良いのではないか?
数時間の議論の末、「大日本帝国」を探るのではなく、「大英帝国の目的」、こちらを探る事でナチス・ドイツ情報部の上層部はヒトラー総統に上告。

『こそくな腹黒紳士どもが何かを企んでいるのか。よろしい、奴らの鼻をあかしてやれ。
日系ドイツ人、カシューブ人、ユダヤ系ドイツ人など危険な不穏分子として祖国ドイツから逃げ出しても当然と思われる人間と監視役の非主流派閥を編成し日本へ派遣しろ
厳命である、イギリスの狙いをさぐれ。そして日本の生の情報を可能な限り多く持ち帰るのだ!!』

ヒトラーはそう命じた。
もちろん、彼ら本人の前では国家への忠誠を見せる最良の機会である、期待していると言った。
特に代表団団長になったアドルフ・カウフマンへの期待は高く、彼を総統命令で直々に大尉へと昇進させている。
だからあえてイギリス人の飛行機に乗せたが、香港で煙に巻かれてしまった。
ドイツ領事館と大使館の二つは、出し抜かれたという失敗から来る懲罰や報復を恐れて一般親衛隊の目をつけられるのを避ける為、この事実を棚上げ。
今日に至る。
だから、アドルフ・カウフマンは手持ちぶたさだった。部屋に戻るまで。

「ユダヤ人どもめ」

カウフマンは先ほどの暴行を思い出している。
自分がドイツで親衛隊所属のエリートだと言ったら周囲からユダヤ人が集まってきた。
なめるなよ、ユダヤ人が。
ドイツ人め、この神戸でいい気になるな。
やってしまえ。
ここの警官たちなら見逃しくれる!
殺るんだ!!
同胞の仇討ちだ!!

766 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:12:41
火蓋を切ったのはつばをはいたアドルフ・カウフマンの方だ。
不満が怒りになった。そして爆発する。

『は、劣等民族が集まってなんの真似だ? おままごとか? くだらん』

『おい、ここは自由の帝国だぞ? お前らのドイツとは違う!!』

『出て行け!!』

『貴様、もしかして親衛隊か? あん?』

『おい、若いからって何してもいい訳じゃないんだぞ!!』

『なんとかいえ!!』

『面白い、それで俺たちを殺す気か?』

『ナチスの豚が!』

『娘を返せ!!』

『私をレイプした癖に!!』

『この神戸にナチス・ドイツはいらないんだよ!!』

『同胞らの仇だ!!』

そのまま殴られた。
もちろん、軍隊で正規の軍事教練を受けていた男がアドルフ・カウフマンである。
成績も抜群に良い。
でなければ日独混血の彼がヒトラー総統のお気に入りだたとしても、彼の周りが認めないだろう。
ナチス・ドイツのナチズム至上主義者の集団たる親衛隊に入隊出来るはずがない。
全員ぶちのめしてやった。
だが、彼も額を割られるなど重傷を負った。
それを助けたのが同じユダヤ人でも親友だと言ってくれるアドルフ・カミル。
朦朧とする中、カミルは必死に親友をかばい、そのまま背負って行く。

「おい、カウフマン!!
しっかりしろ、おい!!」

彼、アドルフ・カミルは両親に相談し助けを求めようとして、止めた。
絶対に許すはずがない。
両親の両親、つまり祖父母はどちらもポーランドで行方不明。
俺がカウフマンと個人的な交流があることそれだけで許せないと言っている。
日頃から、

『あのナチス・ドイツの屑とは別れろ』

『アドルフ、改名しましょう。あんなヒトラーと同じ名前ではあなたの未来に良くない』

と言っている二人だ。
両親が手当を許すかどうか。
それよりも日本の警察や亡命ユダヤ人協会に引き渡してしまうかもしれない。
この付近はユダヤ人ら亡命者に好意的である。が、それは逆に言えば差別をする者には非好意的であるという事。
実際に何件も医者に診断を断らている。
露骨にそんな男は捨てておけ。
ドイツ人だろ、敵国の人間だ。死んでも誰も文句は言わない。
そんな言葉ばかり。
だが。

「それでもこいつは俺の友達なんや!!」

カミルは心の中の矛盾を必死に殺してカウフマンを助けてくれる人を探す。
ドイツ領事館には行けない。
要らぬ疑いがお互いにかかる。
亡命ユダヤ人協会に属するユダヤ人に助けられた日独混血のナチス・ドイツ武装親衛隊大尉。
しかも幼い頃からの知り合いで同名の相手。
そいつをドイツ領事館に連れて行くなどスパイとして疑ってくれてと言っているようなものだ。
だったら。

「タクシー!」

「はい、どうします?」

「ここへやってくれ!!」

タクシーは本多芳樹大佐の実家へと向かう。
彼とは懇意にしている。
必死に自分の破り捨てたシャツの切れ端を当てて止血するカミル。
これじゃあナチス・ドイツも俺たちも何も違わない、そう感じながら。

「待ってろ、もうすぐ医者に見てもらうからな」

彼らは気がつかない。
その姿が写真で収められた事を。
親友を助けるという使命に燃えていたから。

767 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:13:48
本多大佐はその夜一人の軍将官の来客を迎えていた。
名前は村中。

大日本帝国陸軍情報部少将。

大陸派遣軍情報将校の筆頭。

陸軍大学を主席卒業した以降はもっぱら対中国、対ソビエト連邦の情報戦対策に従事していた歴戦の軍人であり、彼が中華分断工作の半分以上を成功させた陸軍屈指の功労者とも言える。
結果的に彼は同期の中では一番に少将に昇進。
妬みもあるが、それ以上に畏れられている。
彼の実績が、実力が、実行力がいつ自分たちに牙を向けるのか、力が向くのか分からないという村中を知るが故の恐怖だった。

「村中か、久しいな」

座敷で飲む二人。

「ああ、お前も元気そうだ」

用意されたのは山口県のフグに、滋賀県の日本酒。
それに東北地方の米。
冷夏に強い米の品種改良を続けてきた日本政府の努力が漸く実ったと言える。
流石は夢幻会と村中は心の中で思っているが、夢幻会の事を全く知らない本多の前で本音を言うほど村中は愚かじゃない。

「で、いつ神戸に?」

大陸から帰るルートは当然ながら海路が主流。
空路は全て北米大陸、太平洋方面、東南アジア方面に割かれていて半ば放置状態の中国大陸には重要拠点以外は陸路である。
実際に旅客機が飛ぶには治安が悪すぎる。
F2戦闘機でもソビエト連邦の横流し対空砲でも非武装旅客機を撃ち落とすのは簡単だった。
そしてその隠れ家を見つけるのは反比例して難しい。

「まあ、海を使ってそれから電車だったから……」

大陸帰りが主に使うルートは舞鶴=大阪=東京と舞鶴=金沢=越後湯沢=東京のどちらか。
神戸は位置的に外れるのだが。

「2日前だ」

嘘を言う。
まあ、神戸についたのは嘘じゃない。帰国したのはもっと前だった、というのは彼の心の中の言い訳。

「そうか。貴様は神出鬼没だったな。
まあ、飲むか」

「ああ」

それから1時間ほど。
二人はほろよく酔っていた。
つまみのホタルイカの塩漬けもなくなり、わかめスープも飲みほした。

「そう言えば聞きたい事がある」

「なんだ?」

村中が本多に尋ねる。
息子のことだ、と。一人息子の芳男の事だ。
彼の将来について聞いておこう。
個人的には彼は友人。しかし、公人としては彼には疑惑がある。
売国奴としての疑惑が。

「息子をどうする気だ?
あまり長く待たされても困るのだ。こちらにもほかの人間への言い訳と別の人間が持つ推薦枠がある。
県警とは言え、このご時勢にアカの容疑ある人間を入れるのはそれなりに労力を払うだろう。
お前の息子のやっている事の危険性は憲兵隊を指揮するなら十二分に分かっているだろう?」

疑っているか。
仕方ないだろう。
無言の会話。
そして空気が震える普通の対話。

「本多、貴様の息子はこの6年間ずっと共産主義者の巣窟である自治会にいた。
違うか?
大学は自治権がある。
これは法律で決まっている故に我々憲兵隊は動かんし、警察も慎重になるしかない。
だが、それを隠れ蓑に国家転覆を図る売国奴は俺が許さん。そう言ったよな?」

殺気。
流石この国で最右翼の軍人だと中道左派の議員らが警戒する人間。
しかし本多も軍人であり、何より父親。
また第一次世界大戦では欧州に派遣された部隊に所属していた。
だから言い返す。

「村中……その言い方はなんだ?
まさか貴様はこの俺を疑っているのか? 
帝国の為に戦い、第一次世界大戦で派遣された欧州。
そこで毒ガスを受けても前線を死守したこの俺を!?」

思わず杯を叩きつける。
割れた。
が、相手も手慣れた者。
すぐにその怒りを受け流す。

「そうは言わん。だが万一だ。
万が一お前が主義者らと結託し国体を崩そうとしているなら許すことはできん。
たとえ貴様とお前の中であっても、だ。
いいや、同期の桜だからこそ許せんのだよ、分かるな? 本多」

768 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:16:31
そこまで言うには何か嫌疑が俺にかかっているのか?
そうだ。
言ってみろ。

「お前の周りを彷徨く様になったアドルフ・カウフマンは亡命申請をしているドイツ人夫妻という名目でここにいる。
しかし、日本人の母を持つのに我々への向こうからの接触は無い。
俺が把握している限り、だが。
そして、今朝、お前が懇意にしてるアドルフ・カミルというパン屋の少年、いいや、青年が君の家を訪れている」

なんだと?
知らんぞ、そんな話。
立ち上がり、その衝撃で目の前の酒瓶が倒れた。
中身がぶちまけられる。

「たまたま君はいなかった。
妻の波さんが追い返そうとしたがアドルフ・カウフマンの血だらけの姿を見て考えを変えたようだな。
私がその後に彼女に聞いた話では病院を紹介した、そうだ」

がたん。席を立つ。

「ちょっと待っていてくれ」

それから詰問する、詰問される二人。
夫と妻、そして息子。
本多芳男はすぐに言った。

「友人だったから母さんに無理を言って頼んだ。
でも、もう一人の方は知らない、本当だ。
俺が白人を見てそいつがドイツ人かどうか分かるわけないじゃないか」

そう必死に言う息子の言葉と視線に負ける。
仕方ない、そう彼が言っている。

「……どうだった?」

熱燗の二合目を空にして聞く村中。
新しい熱燗を一合頼む本多。

「倅は嘘を言ってないだろう。多分だが、いや、確実に、だ。
たまたまだ。偶然だ。
アドルフ・カミルと倅は知り合いだが、アドルフ・カミル君は弾圧されているユダヤ人だ。
なのに、ナチスの武装親衛隊の大尉になる人間を助ける?
バカを休み休み言え。
そんな事がある訳ない。そうだな、村中?」

一気に日本酒を飲み干す。
思いっきり杯をお盆に叩きつける本多大佐。
それを確認する村中少将。

「情報漏洩はここではない、そう言い切るのだな?」

確認するかのような視線と質問。

「そうだ、我が本多家はそんな事はしない。誰もな」

自分に言っているような言葉の弱さ。
それを故意に無視する本多と村中。

「分かった。堅い話はこの辺にしよう……たまには昔話をするか。
戦争で同期も何人も死んでいる。俺も中国で死んでいたかもしれんからな。
本多、貴様だって先のセリフだとヨーロッパ戦線で戦死だったかもしれんしな」

村中の提案。

「そうだな、そうするか」

本多の同意。
そして夜が老けていく。
二人の友人、その思い出話を肴に酒は進む。夜空に月明かり。まさに最高の月見酒だ。

769 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:17:51
途中で本多が息子を紹介して彼の警察官への入隊を頼んだこと以外は特にはなかった。
ただ、村中が少しだけ妙なことを口にしていた。

「イギリス人の入国目的は横須賀にある」

酔った勢いだと本多芳樹大佐は気にしなかった。
だが、補聴器を使い、隣の部屋で聞き耳をしていた息子の方は違った。
彼はその情報を的確に嗅ぎ取った。何かあるな、と。
そして村中少将も的確に情報を漏らしていた。
こいつらは怪しい。だが証拠もなく邦人を捕らえる事は軍規と法律に反する。
が、泳がす事は問題ない。

(今は本多の顔を立てておこう、今はまだな)

宴会も10時を過ぎた頃には自然解散となった。
本多大佐が玄関まで送る。

「明日はどうする気だ? 泊まっていくか?
なんなら部屋を用意するが……どうする?」

「いや、駅まで行く。そこから夜行電車で東京に戻る。
遅くまで迷惑をかけたな」

この時代の日本の夜はまだそれほど明るくない。
平成日本のような不夜城など殆どない。
だから9月も終りを迎える時期は真っ暗であり、大西洋大津波の影響で例年になく寒い。
トレンチコートを羽織る村中を和装の本多が駅まで見送った。
夜行列車が出る。
その個室で。

「杞憂であればいいが、そうでなければ容赦はできんな」

彼の呟きはしっかりと脳裏に刻まれていた。
あの本多芳男の探るような、警戒するような、素人スパイ特有の視線と気配を。

「奴にも鈴は必要だが……いつ動く?」

早くては怪しまれる。
遅くては逃げられる。
長くては意味がない。
浅くては白を着るな。
さじ加減が難しいのがスパイ狩り。
加えて英国情報部のあのジェームズ・ボンドが京都で会ったという退役軍人。

「イギリス人が京都で石原莞爾に会っていた。何故だ?」

狙いは米内ではなかったのか?
それとも二人共が売国奴の共謀者?
或いは疑似餌?

「調べる必要がある。電話は使いたくないがすぐに玄道に連絡を入れるしかない」

村中の思惑をよそにしたたかな睡魔が彼を眠りの国へと誘う。

「が、仕様がない。今は、寝るか」

神戸を出発する寝台特急。
列車は東京に向けて進む。
同じ頃、東海道高速道路を横浜に向かって時速200kmで疾走するトヨタ自動車の86がいたのだが、流石の村中もそれは知らない。

770 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:20:21
同日 神戸市 ドイツ領事館 昼 カウフマン夫妻の自室

「これはなんだ?」

冷たい男。
私を愛していると言いながら、それを態度に示すことはない。
この国来てからも獣のように私を犯す。ただそれだけ。
カウフマンという同性を名乗っても夫婦らしい会話は一度もしてない。
まして。

「知らないわ」

男に、アドルフ・カウフマンに怒りがこみ上げる。
向こうが焦り、私に対して怒りを持って迫ってくる。
それが嬉しいのだ。

(いいザマよ、アドルフ・カウフマン。せいぜいヒトラーに失笑されなさい!!)

そう、私の心をずたずたにして、体を滅茶苦茶にした男が怒声を上げる。
張り手とともに。
私はまた叩かれた。
それは彼が何もできないから。
何も功績をあげてないから。
期待に応えてないから。
だからだ。

「笑っちゃうわ、偽装結婚までしてこの有様?
本当に大した自称純血なドイツ人ね!!」

そしてベッドに押し倒される。
前戯もなしにいれるか。
ただの獣でももう少しメスを労わるだろうに。
このクズが。
だが、カウフマンも焦っているのだ。
エリザが思う通り、何もできない、あのヒトラー総統直々に命令されたという誇りが重圧となって、混血児という拭いされない劣等感を刺激している。
だからそれを何かで発散するしかなかった。
尤も、それを理解しろ、納得しろというのは二人にとっては不可能である。
当然だ、加害者であり被害者だ。

(僕はどうやってエリザを納得させれるのだ!?)

(私はどうやってこんな男を理解できるのよ!?)

だから、
二人の溝は、
埋まらない。
今もなお。
深く。
穿つ。

男は女に恋慕している。それは間違いない。
女は男を憎悪している。これも間違いない。
だが、望むと望まぬと関係なく、ドイツという国家が彼と彼女を夫婦にした。
それは男にとって喜び

歓喜の歌。

女にとっては悲しみ。

絶望の唄。

呪いの二重螺旋が彼女と彼を蝕んでいる。
それに気がつくことはない。

771 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:20:54
「この俺宛に来た手紙を最初に見つけたのはお前だろうが!?
何故知らない!?」

「どうして知らなければならないの?」

そうだ、そう。
その通りだ。

(冷静になれアドルフ。
俺は優秀なるドイツ人だ
客観的に考えろ、物事を冷徹に思え)

何故エリザがこの手紙の主を知るのだ?
彼女が俺を裏切るはずはない。裏切れない。俺は彼女を愛しているのだ。
普遍の事実。
そして必ず彼女も、エリザも俺の愛を受け入れる。

「どうしてだと? 君が見つけた手紙だろう」

そうよ。

「でも、中身は見てない。私は約束を守る女よ。
他人の手紙なんて見るものですか……私を監視しているあんたとは違うのよ」

バチン。
これで何発目だろうか?
とにかく痛い。
でも涙はもう出てこない。
昨日も犯されながら、早く終わればいいとしか思わなくなってきた。

(私が壊れていく。狂っていく。それだけは分かってしまった……もう嫌だ)

「だいたいそれに何が書いてあるのよ?
妻を殴ってまで宛先と送り主を知りたいの?」

そう、アドルフ・カウフマン大尉は恐れている。
既に日本に到着してから2週間。
例のイギリス人を見失い、途方に暮れていた。
止めにユダヤ人の報復も受けた。だが、彼はそれを報復、因果応報とは認めないだろう。
劣等種族らの哀れな最後の悪あがきだと思っている。

「そうか、もういい。支度をしろ」

なんなのよ?

「僕らは日本視察を名目に明日横浜へ向かう。
15時間後に神戸港を出航する国内フェリーで横浜港に直接乗り込むのだ。
車に乗れ」

「嫌」

エリザは間髪入れずに即答で拒否した。
だが、カウフマンは冷徹に言った。

「これは夫としての命令だ。いいな」

エリザにも女としての誇りがあろう。
それがここまで傷つけられては。

「何が夫よ……私の家族を処刑したのはあんただ。
そして、散々好き放題私を犯しているのもあんただ。
あんたに私を愛する資格がどこにあるの? 誰が許可するのよ!?」

カウフマンはコートを羽織り、外出する格好で言った。
彼の子種が中で蠢いている。
本心ではすぐに洗い流したい。
だが、それはできなかった。
この男の前で涙を見せるのだけは絶対に嫌だ。

「君の人生は俺とともにある。どこにも逃がさないし、渡さない。
そして、誰の許可が必要だと?
決まっている、俺の許可さえあれば十分だ。このエリートたるドイツ人、武装親衛隊大尉のアドルフ・カウフマンの許可さえあればそれで良いんだ」

だから黙って言う事を聞け。
そういうカウフマンをエリザはただ殴ろうとして、とどまり、震える拳を見せて着替える。
その夜、彼女は神戸市の繁華街に消えた。
彼女が翌朝戻ってきたとき、アドルフ・カウフマンは既に神戸を出立しており、彼女もまた強制的に東京に送られる。
ナチス上層部の命令で。

772 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:26:57
同日・神戸市・日没前・「ユーリア・ロマノフ・ツァーラの屋敷」

「おや、姫様。どちらへ?」

クラウスが聞いてくる。
彼もまた外行きの格好をしていることから私がどこへ行くかはわかっているだろうに。
玄関にはクラウス愛用のホンダのインサイトが停車していた。

「新城直衛に会いに行くのよ。
荷物は纏めたし、あとは彼女らを待つだけね」

そう言っていると友人らが来た。

「この間は有馬温泉、次は東京の永田町。
もてる女は辛いわね、蓮乃、碇」

来たのは華族である駒城蓮乃、碇結。
周囲には護衛がいる。
自分にもクラウスがいる。

「さて、駅までいって弾丸特急で東京の駒城家にお邪魔しましょうか?」

「蓮乃ちゃんの実家? 行ったことないから楽しみね」

ユーリアと結の言葉に蓮乃は微笑む。

「千早も久しぶりになおちゃんに会えるから嬉しでしょうね。
それにしても急な話。
3日で晩餐会に出席して欲しいとは。あの人たちは何を考えているのかなぁ?」

蓮乃の愚痴にユーリアは断言する。

「男ってそんなもんよ。女の都合など無視して事を進めるし、簡単に無理難題が解決できると思って押し付ける。
そうじゃない?」

思い当たる事が多すぎる三人。
クラウスら護衛の男どもは賢く黙っている。
女たちが騒いでいると神戸駅へ到着した。

「とりあえず、向こうに着いたら駒城家に挨拶して、その後にイタリア人技師の作ったテルマエ・ロマエⅡで汗を流しましょうか」

蓮乃の提案にユーリアがまっさきに賛同する。

「水着も用意したから。そうね、プールで遊ぶのも楽しそう」

「私も玄道さんに真司を任せて楽しもうかなぁ」

「そうしようよ、結さん。ユーリアさんも言ってるじゃない。
人生楽しまなきゃ損だよ?」

やれやれ。
これは大変なことになりそうだ。
とりあえず、新城直衛と碇玄道には一報を入れておかないと後で何を言われるかわからんなぁ。

クラウスの思惑をよそに、彼女らは列車に乗った。
行き先は東京。
魔都にして帝都、この世界の三極にして支配者たる国家の中枢。
そこに呼び集められる役者たち。

「クラウス。今回は本当に大変になりそうね」

「はは、それはいつもでは無いですか?」

その軽口にユーリアだけが重々しく答えた。

「嵐が来たようよ? 新城直衛が連れてきた」

そうか。

「悪霊」

「奏者の奏でる鎮魂歌」

そう。
碇結の呟き
駒城蓮乃の嘆き。

「雨、ね」

クラウスとユーリアは空を見上げて思った。
いい天気だ。
良くも悪くも運命という名前の天気があるならばやはりこの天気だろう。

「あの日も雨だった。私がこの国に流れて来た、あの日もこんな暗い闇夜の下だった」

雨が降り出す。
全てを洗い流す大河を生み出さんとするかの如く。

773 :ルルブ:2015/02/03(火) 18:32:22
9月30日 東京 新宿区

「あれか」

冴羽獠はゆっくりと新聞を持ち上げる。
その目線の先には新しい入居者を捉えていた。

「ほう、軍人のようだな。が、あの気配からするに陸軍と海兵隊ではないな」

ファルコンという軍曹がコーヒーを入れる。
既に閉店の時間。
早めに「CLOSE」の看板を掲げている。
もうすぐ冴子と槇村兄妹、娘のアシャンがケーキを持ってくる。
俺の誕生日祝いだそうだ。

「所属は海軍、それも海上勤務が長い、そうだな、冴羽」

黙って新聞を読み続ける。
コーヒーがいい匂いを充満させる。
それは彼にとっての安らぎ。

「で、俺にも秘密か?」

ファルコンは自分で使ったお手製の独自ブランドのブラックコーヒーを飲む。
一方でファルコン自身は顔をサングラスで隠し、背中を向けているから読心術でもわかるまい。
まあ、目の前の一流の男には察しがついているだろうが。

「時が来るまでは、な。第一お前は目立つ」

そう言っているあいだに引越しが終わる。
男らが6名、女が1名。そして。

「一人だけ海軍にしては陸戦になれたらしい人間がいる」

人夫に化けているがあれは違う。
あの体つきに無意識下に周囲を警戒するのは軍人。
しかもコーヒーに全く手をつけない冴羽と同じような訓練をしてきた男。

「気がついたのか?」

目が不自由な分、そういう所だけはわかるようになった。
という事は、あれは工作員?
しかし、海軍で陸上工作に使える人材が既に接触済みとは。

「俺とてあの満州での戦争を生き抜いた。
それなりに戦える。まあ、もう戦いはしたくないが」

それが良い。
裏稼業で一番の人間などと言ってもやってることは人殺しに脅しに拷問、強盗、違法な物資の密売。
決して胸を張って娘に誇れる仕事じゃない。
娘と妻には平和に生きて欲しいのだ。
それだけが願い。そして遠い願い。

「……角松洋介。
そんな不自然な相手を仲介に一体誰と会うつもりなのかな?」

愛用の拳銃をそっと触れながら、冴羽獠はコーヒーを飲み干した。
苦味とともに。
殺意を向けながら。
と、彼らが動き出した。
新宿駅に向かっている。

「ファルコン、勘定頼む。俺はちょっと散歩してから寝るわ」

「ああ、三階の窓は閉めておく。香らにはよろしく伝えておこう」

そう言って。



運命の針はもうすぐ10月1日を指すだろう。
それは「みらい」が「帝国」と接触する日。
人々の運命が動き出す。


第十四話 完

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2015年02月09日 21:58