227 :ルルブ:2015/02/08(日) 16:59:02
「第十七話 決意」



1945年9月30日 某所

「君らは本当は八十年先の世界から来た。
しかもその世界は大日本帝国がなくなり、米ソ両国が超大国として君臨したあと、アメリカが世界の主だった」

角松が訪れた男は少しの間、唸る。
信じられない、しかし、態々この時間帯に訪ねてまでそんな馬鹿げた話をするか?
が、符牒は一致した。イギリスの友人からの符牒と同じ「みらい」という名前。
そしてある質問をする。

「その証拠はあるか?」

物的証拠がなければ有罪にできないのは刑事事件の常識。
この大日本帝国も自白だけでは証拠扱いしない。これは夢幻会と平成時代の教訓である。
大日本帝国は世界最先端の技術大国であり、世界最大の国力を持つに至った世界帝国。
ならば列強と呼ばれていた、角松洋介ら来訪者が言うところの先進諸国の要人だった人物を納得、取引させるにはどうしても物的な証明が必要だ。
現物があるならともかく、なければ狂った誇大妄想激しい人間らの戯言でしかない。
我々の昭和世界でそんな事を言っても良くて鉄越し付きの病室に押し込まれる。

「こちらに」

角松が恭しく取り出したのは一冊の本。
題名はこうだ。

『2025年 ウィルス・感染症研究総合事例 コンパクト版 著者 世界保健機構』

という。
それはエイズ、エボラ、デング熱、マラリア、狂犬病などの各種ウィルスが地球温暖化やグローバル化で先進国にまで蔓延した事から2010年代より世界中の医療機関に無料で配布された書物。
みらいにとっても平成日本にとってもどこでも手に入る常識であり、この世界の人間が喉から手が出るほど欲するであろう書物。
毎年更新され、時の最先端論文や症状、効果があると思われるワクチンの生成法、成分表が乗っている「平成日本などの先進国では当たり前」の書物。
だが、この世界では未だ手探りな、或いは存在しない、発見できてない未知の病原菌を解析した世界最先端の医学書になる。

(これは・・・・医学書か? いいや、中身が文字通りならこれは異端の預言書だ)

価値はそれこそ戦艦や空母に匹敵するモノを角松は持ち出していたのだ。
もしかしたら原爆並みの威力を持つ。
だからこそ、米内退役大将は恐ろしかった。
目の前の男は何を求めてくるのだ?
何を願ってこんな劇薬を、麻薬を見せる?
イギリスと取引するには扱いきれない重さを持っているのではないかと警鐘がなる。
まあ、表には出さず日本酒に口を付けるが。

(角松中佐の狙いは私を経由した第三国への亡命申請か?
だとしたらドイツ? イギリス? それともカルフォルニアやソビエトか?
或いは大日本帝国での相当な地位と身分の保証・・・・首相に対する首席補佐官職や海軍大佐の階級だろうか?
別の何かだとすると金だろうか?
たしかにこの書物の価値は計り知れないだろう。ただし、これが本物ならば)

一番の問題点は本物かどうか。
これが本物ならば言うまでもなく世界唯一の書物として世界中が求める。
何百人殺しても、何億人を助けるために必要な犠牲だと言って自分を正当化するだろう。できるだろう。
無自覚でも自覚していても。

(目の前の男のように、自分の正義をここまで肯定してくれる存在はないだろう。
ましてアメリカ風邪の影響がある地域では預言者にだってなれる。
いいや、この場合は聖書に出てくる救世主そのもの。自身の正義を盲信し紅海でも割るつもりか?)

228 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:00:12
が、これが偽物ならば、或いは目の前の男が新選組や特高、警視庁公安委員会のスパイならば。
下手な対応は未知数。
せっかく復権の機会が来たというのに迂闊に動いては。
それに共犯者を用意しておく必要もある。濡れ衣でも。

「なるほど・・・・君らも苦労をしている。
だが、仮にこれが、いいや、その覚悟を持った顔から見て本物だろうが、それをどうして欲しい?
嶋田総理らに渡せば、帝国の安泰と発展に貢献したという事でより一層の厚遇を得る事が出来るとは私は思うがな?」

退役大将という影響力などあまりない将官に持ち込むよりも。
と、言外に匂わせて。
だが、それに角松は気がつかなったのだろうか?
気づきたくなかったのだろうか?
彼の手札は彼が認識している限りでは5冊の医学書に、ある人物の記憶から書き出しているメモ用紙のみ。
これだけで世界帝国となった国家と渡り合おうとする。
正直言って無謀以外の何者でもない
が、本人が無謀と判断しなければ無謀ではないのだ。
少なくとも、本人とその人物に従う者にとっては命を賭けるだけの価値のある行為。
だからかな、角松は諦めてない。
いま、この瞬間にも梅津艦長が、菊池三佐が嶋田総理らとの極秘会談で大失態を起こそうとしてるという事実があっても前に進んだだろう。
それが正しいと信じて。

「米内閣下は先ほどの説明でおっしゃった。
この国は一部の特権階級らに支配されている。
総合研究所という得体の知れない謎の組織を隠れ蓑に強力な寡頭政治がしかれている。内閣閣僚は傀儡。
陛下とて。
議会は彼らの傀儡で、軍は彼らの道具、官僚は彼らの手下で、経済界は彼らの財布、そう言ったではないですか?」

まあ、あながち嘘ではない。
ただし偏見と独断と悪意と意思誘導が混じっている事を忘れなければ。
米内は敢えて自分が最も悪いなというイメージの事を彼にさも憂慮するがごとく言った。
彼も自分がなぜか知らないが、当然の様に嶋田ら夢幻会派閥という新興派閥に左遷された恨みを忘れてない。
心当たりが全くないのだから、彼にとっては恨み真髄で尚更だった。

「まあ、な」

言質は与えない。
それよりも必要なのは目の前の書物。
これがあれば何でもできる。

「米内閣下、どうか「みらい」生存権確立の為に協力してください」

そう言って頭を下げる。
既に話し合いが始まってから5時間。
同じ頃、昭和の首相官邸でも「みらい」の「未来」を決めるためのトップ会談が嶋田繁太郎と梅津三郎の間で進んでいる。
角松が米内に持ち込んだ情報はこちらの「昭和」とは全く違う別世界の「昭和」だ。
が、それでも第二次世界大戦への過程まではある程度の類似性がある。
完全に読めなくなるのは第二次世界大戦勃発、英独停戦、日本孤立、米中への宣戦布告、そして大西洋大津波とアメリカ解体以降だ。
もしかしたら。

(もしかしたならば、あの夢幻会のメンバーの一部、総理の嶋田をはじめとする人間はこの角松と同じ未来の人間?
ありえん・・・・ひとりふたりの妄想なら分かるが国家中枢で権力を行使する未来人などい常識としてありえるはずがない。
だが、もしも夢幻会が「未来」を知っていたら説明がつきそうな事象がいくつも出てくる。
どうしたものかな。
この男を利用せず切り捨てるのは簡単だが、せっかく手に入ったジョーカーを使わないというのもあまりにも惜しい)

危険な思考だ。
それはわかる。
しかし、魅力的だ。
魅惑的で蠱惑的だ。
ああ、どうすればよい?
禁断の果実だ。
ダメだと言われてもその味を知りたいと思うのは人間の性なのだ。

229 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:02:16
「米内閣下! どうか!!」

夜だというのに元気だ。
そうか、違う、自分以外に頼る相手を持たない。
ここに来たという事は所謂、「みらい」の歴史では私は今よりも重要人物で人脈もあったのだろう。
が、今の私は精々イギリスとロシアに「友人」がいるだけだ。
しかし、帝国政府の連中とは違い角松ら「みらい」は知らない。
単に私が嶋田ら現主流派とは敵対して左遷されたという事実しか見てない。
だからここに来た。

「そう、だな」

正直な話、イギリスから「ミライ」という軍艦の件を持ち込まれた時は単なるブラフだと思っていた。
が、山本五十六の反応でそれは違うと確信した。
彼はたしかに「軍機につきお答えできません」という趣旨の言葉で私の質問を遮った。
以前の同志に対してその対応はなんだと思った米内だったが、それ以上にその言葉の裏に隠された意味を彼は正確に理解する。

『軍機につき』

つまり、存在する。

『お答えできません』

政府上層部で公認され何かの計画が推進されている。

という二点。
頻度を上げて日英親睦のための意見交流会を積極的に石原莞爾らと共に開催する。
石原には別の思惑があるが、自分だけでは監視してくれと言うものだから仕方なく表向きの日英親睦と最終兵器「核兵器」論争で彼を引きずり込んだ。
満州利権と上海利権、朝鮮併合派という陸軍の非主流派閥に加算して、海軍を除隊させられた、若しくは海軍の意義を理解せずに海上保安庁に左遷されたと思い込んでいる者たちを集めていた米内、石原。

『灯台下暗し』

夢幻会が躍起になって対米戦争を勝ち抜き、戦後混沌期を安定化させようとする一方で彼らは少しずつ勢力を伸ばしていたのだ。
国内防諜戦争において村中少将が仮に軍、警察、内務省、税関、海上保安庁、情報局らの指揮していたならば恐らくは容赦なく既に過去の事となっていただろう。
が、彼は幸か不幸か対中国分断制作に従事しており、国内にまで関与できない状態が続いている。
夢幻会でも村中に対する嫌疑(ただし、どちらかというと過剰すぎるという考え)があり、村中自身のまるで高校生が片思いの女性に恋するかの如く行うアプローチに辟易していた事から村中らの過激な意見=不穏分子粛清という重要事項を見過ごした。
まあ、一言で言うと、「すれ違い」という奴だ。
そんな状況下で、大きくはないが、決して小さいとも言えない反夢幻会勢力。
嶋田ら会合のメンバーが望んだ形とはかけ離れた夢幻会勢力がここにも誕生していた。
誰にも知られずに。

「角松くん、私が山本らに引継ぎした際に書類上は破棄した輸送艦が一隻ある。
それはその後、朝鮮半島軍事顧問団総司令官である石原莞爾中将の手にわたり、彼の元で米ソ中の武器や無線機、衣服らを積み込んだ上で表向きは大韓帝国の輸送艦という事で正規の続きをして東京湾にある。
仮に何かあればそこに行くのだ。
私が今から各場所の漁村で船をチャーターしろ。
たしか、その船、「平安丸」には一個中隊を1年間食わせるだけの食料と居住施設があったな」

私が今できるのはここまでだよ。
最後にそう付け加える。
頭を下げる角松。

230 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:05:01
海軍は巨大組織。
陸軍も巨大組織。
その大きさは平成の自衛隊全部を足してなお凌駕するだろう。
ましてこの時代の軍人は「昭和の大日本帝国」の出世頭であり筆頭エリート官僚の集団。
当時の裏工作は退役間近だったとはいえ、その時点で米内という海軍大将の申し出を断れる中堅官僚がどれだけいたか?
しかも戦争が近づいていた世界情勢。日本の政治環境も今とは全く違う、
また、朝鮮半島の事実上の総督であり支配者とも言える(ただし、陸軍では有名な厄介払いの左遷先でもある)朝鮮半島派遣軍事顧問団司令官であり現役陸軍中将。
北の国境線で取引される大韓帝国とソビエト連邦の横流し物資。軍需民需問わず。
中華民国からの不法移民に脱出してくる旧アメリカ人、そして在満米軍の兵器に大韓帝国の腐敗官僚や貴族階級からの賄賂。
正規ルートではなく裏ルートで物資を調達するには「朝鮮半島」の「大韓帝国」ほど楽な場所は日本の勢力内にはなかった。
まあ、これを国内に持ち込むとなると話は別で、そこで海軍大将と陸軍中将という無言の圧力と与えれていた権限が役立つのだ。

「角松くん、その本を数日預されてくれないか?
それと、もういくつか頼みがある」

なんですか?
角松の目に期待の輝きがある。
希望の目がある。

「あと、私は亡命ユダヤ人協会や亡命ロシア人コミュニティ、欧州から脱出した人々に心を痛めている。
仮にナチス・ドイツ第三帝国の弱みを「みらい」が知っているなら、それを教えて欲しい」

数時間後。
角松は隠れ家に戻る。
監視されているから隠れ家と言えるかどうかは怪しいのだが。

「ニ佐、それでお願いって何です?」

一人は21世紀流行りの形状記憶合金のメタルフレームメガネをかけた男。
一人は「みらい」で超がつくほど戦史に詳しい。戦艦大和の内部構造まで理解している男だ。

「椋田は柳の手伝いをしてくれ。
柳、お前、確か第二次世界大戦には詳しかったよな?」

は、完璧に、であります。

「ならドイツ第三帝国にも?」

え、ええ。
ある程度は。

敢えて語るまでもないだろうが、平成日本ヲタクの「ある程度」は決して「ある程度」じゃない。
圧倒的な知識量がある。

「よし、このメモ帳はさきほど俺が文房具屋で買ってきた。
これに・・・・」

そこで彼はカーテンを閉め切った部屋で彼らに見せる。

『反ヒトラー派の軍上層部と彼らが俺たちの歴史で実際に起こしたクーデターや暗殺未遂事件の詳細、そしてナチス・ドイツ高級官僚のスキャンダル書いてくれ
あと、その人物の略歴も頼む。横のつながりがわかればなお良い』

筆談。
驚く二人に声を出さないように、そして今日中に全て書ききってしまう事を頼む。
それを指示した後、桃井や柏原らを集めた角松はこの近郊にある港、第5埠頭に停泊中の「平安丸」に移動する様に伝えるかどうか迷った。
が、腐っても鯛。腐っても軍人。
角松は盗聴の危険性を考え、全員に「テルマエ・ロマエⅡ」にバラバラで移動する事を伝える。
大きめの紙にその旨を伝えて伝言ゲームのように回す。
承認する皆。

「よし、3日16時にそこで集合だ、いいな」

頷く。既に遠い横須賀ではある決断が下されていたと言うのに。

231 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:06:32
角松はそう言って明かりを消す。
椋田と柳も思い出せるだけの史実ドイツ第三帝国の高級官僚・閣僚の弱点や汚点、ヒトラーに対する言動や反ナチズム運動の流れを書いた手帳をカバンに入れて眠る。
そして、「みらい」は運命の日を迎える。
角松は桃井に呼ばれて部屋にある国際電話を取る。
内容は驚くべきこと。

『みらいがなくなった』

その言葉と同時に角松は直ぐに全員を叩き起こして裏口から、表口から出る。
もちろん、待ち構えていた警察に直ぐに包囲された。
だが、諦めが悪いのが美徳だと言っていた角松は一瞬の隙をついた。
テナントビル全体に蔓延させたガス。それと置き時計を利用した簡易時限装置爆弾。
ビルごと粉砕する大爆発が発生。
この混乱で角松ら8名を大日本帝国内務省の警察は見失う。
当然だろう、周囲一体に250k爆弾の爆発と同程度の爆風に三階建ての鉄筋コンクリートの残骸が散弾銃の発砲と同じように周囲へ飛び散ったのだ。
阿鼻叫喚の地獄、それの発生だ。

『人は・・・・正義のためなら・・・・親だって子供だって親友だって殺せる』

中華系カルフォルニア人が、長年交際を続けてゴールインした妻の涙を見て思ってしまった言葉。
その彼女が初めて自らの手で人を殺したと懺悔した時に、彼女を抱いた。
その際に妻を慰め、金髪のショートカットの髪を撫でながら170cm前後の中華系の元軍人はそう思ってしまった。
碧眼の瞳を涙で一杯にする女性の裸体を受け止めながら。
自分と同じ人殺しにだけは彼女をさせたくなかったのに、と、激しい後悔に襲われて。

『だから彼女を軍人にさせたくなかったのに!!』

それは遠いこの世界の「みらい」の一幕。

232 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:07:39
1945年10月2日 22時頃

「香マーマ、?パーパ今日も帰ってこないね」

アシャンが寂しそうに店外の道路を見ている。
兄貴と冴子は何度か戻ってきたが、あいつは帰ってきてない。
海坊主さんも10分くらい前に買い出しに出かけた。
彼一人だけだと言われなき鬼畜米英め、と、近所の子供に侮辱を受けるので兄貴が一緒に付いて行く。
身分保証人が現役の警察官で、帰化申請が完了した就業ビザを持つ人間を虐める臆病者もいない、とは兄貴と海坊主さんの言葉だ。
彼は軍人だが心優しい。
それはあの満州で知っている。命懸けで自分たちを守ってくれた冴羽?と彼らを私たちは決して死ぬまで忘れないだろう。
と、一瞬だが外を見る。
アシャンがココアをおいて膝からおりた。

「何?」

「あ、パトカー!! 
香マーマ、ニーニかネーネだよ、きっと?パーパが帰ってきたんだ!!」

外に出ようとするアシャン。
もう寝る時間なのに。
仕様がない子。
私たちの可愛い娘。

(さっさと帰ってきなさいよ、ばか)

そう悪態つくが、それでも変わらない。
と、よく見ると違う。
あれは。

(兄貴じゃない? え、拳銃?)

夜だから分からなかったが周囲に集まってきている警官は全員ニューナンブという回転式拳銃を抜いていた。
一気に隣のビルを包囲する。まるで突入前夜。

(それにこの匂いはガス?
なぜこれほど濃厚なんだ?
しかも外から?
まさか!?)

気がついた。
とにかく窓から離れないと。
直ぐに娘に駆け寄ろうとする香。

「アシャン!!」

こっちに来なさい!!
不思議そうな顔をするアシャンを抱え込んだのは満州での戦争を経験したが故。
香の直感が告げたのだ、何か起きる、と。
それも決して良い予感ではない、と。
視界の端に慌てて赤いペイントをしたイギリス製輸入車が止まる。
冴羽?だ。

「香!! アシャン!! 下がれ!!!!」

直後だ。

「下がるんだぁぁぁ!!!!」

「「「「「!?」」」」」

大爆発が起きた。
爆風でガラスが割れて、多数の破片が散弾銃の弾丸の様にで屋内に飛び込んでくる。
アシャンを抱えて自らを盾にした香。
彼女が最後に見たのは、同じく爆風で吹き飛ばされて地面に叩きつけられて、それでも這ってでもこちらに手を伸ばしてくる最愛の人の姿。

「り、りょ、う、アシャン、を、お願い」

最後に述べたのはなんだったのか。
いいや、言葉にはならなかった。
ただ、アシャンが無事であってほしい、?が生きていて欲しいとだけ思えたのは僥倖か?
そうして彼女の、槇村香の意識は暗転する。
マーマ、マーマ? マーマ!!と泣き叫ぶ我が子を横に残して。
血塗られた我が手で大切な我が子を抱きかかえながら。
愛おしい人の声が聞こえた、そんな気がする。

233 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:08:11
「香!! アシャン!!」

割れたガラスで体に傷がつくのもお構いなしに冴羽?はキャッツ・アイという喫茶店だったものに飛び込んだ。
直ぐにOSS時代の人体蘇生方法を思い出して蘇生措置をする。
出血はない。だが、打撲はある。強打したのだろう。
何より女にとって一番大切な「香の顔」に一条の線が入っている。
ガラスか何かで切られたのだ。
一刻は争わない。
だが、一生残るかもしれない女の傷。
とにかくアシャンと香を生き残ったソファーに寝かせる。

「見た目は特に外傷がない。だが、どこか」

服を破り、出血の有無を確認。
おそらく衝撃で脳震盪を起こした。
アシャンの方は大泣きしているから逆に大丈夫だろう。
痛みがある、痛みを正常に感じられるのは体に問題がないことの証だった。

「パーパ! パーパ!! 怖いよぉ!! 怖い!! マーマ死んじゃうよ!!!!」

「大丈夫だ、アシャン。大丈夫。香は死なない。だから大丈夫だ」

ただ泣く我が子を抱きしめる冴羽?。
もしも彼の目線を見たものがいたら気がついただろう。
彼の目線が尋常ならざる決意を秘めていた事を。
その冷たい殺意を。

「冴羽!!」

「?!!」

「無事か!?」

騒ぎを知ったのか、一緒に乗っていた三人。
槇村が、冴子が、ファルコンが入ってくる。
とりあえず、俺は槇村に香とアシャンを預ける。
胸のホルダーにある銃に手をかけた。

「殺してやる」

そうつぶやいて出ようとしたとき、ファルコンが止める。
今は出るな、体を張って冴羽を止める大男。
親友といえども俺の邪魔はさせない。そう目で訴える冴羽。

「何の真似だ? まさか俺に聖人君主の様にもう一発ぶたれてこいとでもいう気か?」

底冷えする空気。
だが、この中ではファルコンが一番冴羽?を知っている。
そう。あの満州平野の大敗北と敗残兵として逃げ惑った経験から。

「落ち着けとは言わん。が、少し考えろ」

冴羽がファルコンのシャツをつかみあげる。
だが、ファルコンも冷静だ。

「お前が今から下手人を殺しに行ってもなんにもならん。
既に奴らは逃げた。そもそもこの広い歌舞伎町のどこを探す?
あいつらの誰を殺す? 殺した後の隠蔽工作に協力する人物に当てはあるのか?」

無い。
だが。
そんなことで黙っていられるか!
しかし強い憤りを感じているのはファルコンも同じ。
彼も後悔している。
自分が買い出しに行かなければ、いいや、あの二人を先に出発させていればこんなことにはならなかったんだ、と。
事実。
彼の拳大の大きさのヒビがキャッツ・アイの正面玄関に空いている。
槇村が声をかける。
冴子も部下たちを纏めて一度こちらに来る。

「冴羽・・・・俺は二人を病院に連れて行く。お前は・・・・竹中に会え」

「?、ごめんなさい」

二人が責任を感じることじゃない。
俺だ、俺が守るべきだった。
なのに俺はあいつを、あの男を素人だと思って慢心していた!!

「三人とも、香とアシャンを頼めるか?」

無言で返す三人。
そうだ、今やるべきは決まった。
この事態を引き起こしてくれたであろう輩、その全員に例外なく鉛玉を心臓にぶち込むことだ。

「俺を怒らせたな、みらい」

234 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:10:32
その言葉は炎上するキャッツ・アイと隣のビルに反響した。
一瞬だが、周りの声がなくなり、視線が冴羽?に集中。
そして絶対零度の冷たい能面のような表情。
微かに聞こえる声から中は無人だったらしい。
警察が全員退去させた直後に自爆した、少なくとも野上冴子警部補はそう聞いている。
だが、煙と爆発、爆音と混乱に紛れて10名前後の男女が消えた。
その中には「角松洋介」という男も。

「あいつは許さん。絶対に許さん」

救急隊の一人がきた。
女性だ。
いや、そんな事はどうでもいい。
いまは香とアシャンだ。
あのふたりはどうなった?
どうなる?

「負傷した女性の身内の方ですか?」

頷く冴羽に女は沈痛な顔で言った。
ああ、俺が旦那の冴羽?だ。
嫌な気配がする。ファルコンは殆ど見えない視界の代わりにその空気を感じる。

「娘さんと奥様の額を切り裂いた切り傷ですが・・・・おそらく一生残ります。
娘さんの方は見えなくなる可能性もありますが、奥様の額の傷は遠目から見ても隠せない程に鋭利な痕として残るでしょう。
幸いなのはその外傷以外は目立った傷がないという所です。
二人は意識を失っているだけです、命に別状はないでしょう・・・・しかし、顔の傷は」

女にとって一番宝。
あの二人の大切な笑顔が壊された。
それに香がアシャンの傷を知ったら必ず自分のせいだと悲しむ。

「俺の・・・・俺のせいなのに・・・・俺がしっかりあいつを始末しておけばこんな事には」

冴羽?の呻き声を聞いた救急隊員は去り、槇村は妹と姪を見るために病院に向かう。
冴羽?は行かない。
冴羽?は行けない。
彼はまだ仕事がある。
そう、大失態を犯した自分と警察の尻拭いをしなければならない。

「海坊主、手伝ってくれ。新宿中の、いや、東京中の裏社会のネットワークを使う」

静かな口調。
ファルコンも頷いた。

「そうだな、そのあたりは任せろ。警察だけじゃない、俺も探す。
お前を雇った連中にも責任を取らせろ」

ファルコンの静かなる怒りが冴羽を冷静にさせていく。
無論、激情の炎は決して消えてはない。

「そうだな・・・・・・電話を借りる」

冴羽が竹中という男のいるオフィスに電話したのは、現場に救急隊が到着してから5分も経過しない間のことだった。
この時点では既に「みらい」自体を確保している以上、これ以上の動員はかえって情報漏えいの危険が高いと判断した夢幻会。
が、原作では、或いは草加の知識では日米最大級の海戦、その戦闘中にあの戦艦大和にヘリボーン作戦を行う「行動力ある無謀な意味がわからない過激派」の集団だということを忘れていた。
草加拓海でさえ、油断した。
まさかビルごと粉砕する事で意図的に混乱を作り逃げ出すとは。

235 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:12:07
『探せ、徹底的に探し出せ! 下水道も地下鉄も地下街もくまなくだ!!!』

村中が、

『ふざけんな馬鹿が!! さっさと動け!! 何人犠牲者が出たと思ってる!?
責任? あとで俺が腹を切ってやるからありったけの警官を動員しろ!!』

竹中が、

『絶対に見つけろ!! 発見したら射殺しても構わん!!! 
相手は無抵抗? では逆に聞くがビルを白昼堂々と爆破する奴が危険じゃないと君は言うのかね!?』

冬月幸三が、

『必ず見つけ出せ!! 各部署と連携しろ!! 海軍陸戦隊を直ぐに米内宅へ送れ!!
首相の許可は俺が取っておく!! 相手が退役大将だろうが元海軍だろうが知るか!!』

あの津田一馬大尉までもが。
ビル爆発、行方不明の報告を聞き動き出す。
その混乱が現場レベルでの防諜体制崩壊を招く。
無線通信がひっきりなしに東京全域に飛び交い、多くの制服警察官が文字通りの不眠不休でありとあらゆる場所を臨検し、検問所を作る。
それが噂になり、更に即席の検問所は経済と流通の混乱を産み出し、更なる迷走を引き起こしてしまった。
草加拓海、碇玄道、新城直衛という最良の現場指揮官が全員連絡がつかない場所、つまり宮中に参内していたことと政府首脳部がテロを恐れて一時的に避難、指揮系統が分散してしまった事が原因。
まさか、この爆発事故が自分たちの脱出のための囮だとは初期段階では誰も思えなかった。
むしろ、南雲大将の発言にある抗日ゲリラ組織の大規模テロの第一段階。
首都の警察全てが例外なく陽動作戦だと判断し、警備の大半を要人警護に回す。

『狙いは人だ、モノや施設じゃない』

結果、本来の目標を取り逃がす。
痛恨の失態であり、村中は自らの執務室の鏡を叩き割った程の怒りを周囲に見せていた。
報告を聞いた草加でさえ、報告に来た津田の目の前で冷静な海軍中佐の仮面をかなぐり捨てて自分の横にあった高級な椅子を足で蹴飛ばした程だ。
新城に至っては乾いた笑い声を藤堂守の前で数分間も笑い続けたという。

だからQは掴んだ。
時に1945年10月3日早朝。

千葉港に戻った007はひとりの日本人を見つけた。
というか、目をつけていた、と言い換えるべきか?
別のイギリス諜報部員がマークしていた男で、この日本でも妙なメガネをかけている。
腕にしている時計も妙にでかく、日本語で「ごつい」という言葉が似合う腕時計だった。

「1192」

そう重度に汚染された日本病の患者、Qはその頭脳ので大日本帝国首都警察の混乱からわずか3時間で目標を割り出す。
直ぐに007に連絡。
彼は車を追う。
複数に分散したが、敢えて偉そうじゃない方を追っている。
駐車場だ。
郊外の駐車場では関東圏最大級のレジャー施設。

「場所はここか」

消える男を追う。
なんとか人ごみの上から三階の受付が見える位置で受付を見続ける。

「きたな」

それとなくコーヒーを置き、テラスに両手をおく。
日本人以外も利用しているからそれ程目立たない。

「屋内温泉・・・・番号2252、場所は東棟2階」

店員の口の動きを見切って確認。
直ぐに自分もそこに向かう。
慌てずに、尾行がいないことを確認しつつ。
警察はいない。いるかもしれないが、わからない。行くしかない。
受付に到着する。

「ああ、東の風呂に入ってみたいのですが・・・・確か友人のロッカーはが2262だったかと」

確認します。
よろしく。

「失礼ですが、ボンド様。2262は使用されておません。
もしかして2252ではありませんか?」

店員の善意の確認。
知っていた。2262には鍵がある。
2252は既に使用中だ。
だからカマをかけてみた。ビンゴ。

「そう、そうですね。2252だ。ありがとうございます。
できればロッカーが近いほうが良いのですが?
可能でしょうか?」

神戸の大日本帝国最高級ホテル「ホテル・カーディナル」を持つ来島グループが研修したホテルマンたち。
見事に期待に答えた。

「どうぞ、2250です」

「ありがとう」

236 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:12:41
先にトイレに入る。
ここでも平成日本の影響か、障害者用トイレを使う。
尾行や監視を確認するにはうってつけだ。何せ周囲は完全密閉でどこでもあり、いつ使っても怪しまれない。しかも鍵がかかる。
そこで尾行がいるかどうか確認。

「・・・・・誰もいなかったな。
Qが言ったとおりあの新宿の爆破テロは彼らにとっても予想外というのは本当だったか」

「テルマエ・ロマエⅡ」の「ナディア大浴場」という風呂場で彼はスーツから水着とバスローブに着替える。
外から中は見えない防水カバンを持って歩く。
優雅に、ゆっくり、しかし視線は鋭く。目の前の対象を捉えたまま。
ここは男女兼用なので水着が必須であり、大和撫子の為に浴衣や湯着がある。
好都合だった。
と、メガネと時計をしたままジャグジーへと入る男達を追っていく。
のっぽとぽっちゃりの極端な体型の男が別れた。一人はトイレに。
もう一人は個室に向かう。
自然な観光客を装って、彼は後ろから近づき、人気のない通路で首に一撃加えた。
彼の意識を刈り取る。それくらいはできる。
相手はただの海上勤務の軍人だ。特殊部隊の隊員じゃない。

「個室サウナはここか・・・・で、これロッカーの鍵」

007は判断した。
あのヨットから見えた横須賀のドッグでは銃声と爆音がした。
つまりあの軍艦は反乱を起こした上、それを武力で制圧された。
ならばあの軍艦と関係がある人間をイギリスと関係ある建物に連れ去るのは危険すぎる。
とりあえずこのバックに入れれるだけの手に入るもの全てを回収。

「持ち物は見たことのない防水加工をした腕時計に、メガネか。これ以外はなにも?」

少し力を入れてしまいそのメガネを折り曲げた。
しまったと思った。つい拳銃を握る要領で曲げた。
折れなかったがもう下には戻らないだろうと思える程に曲がった。
ところがである。
驚いた事にメガネは壊れず何事もなかったかのように元に戻ってしまった。

「!?」

試しに今度はゆっくりとねじ曲げる。
そして手を離すとまた元に戻る。
耳にかけるフレームを殆ど直角に曲げたが戻った。
偶然じゃない。こういう材質なのだ。この小さなメガネは。
それに、この熱気にあてられても止まる気配が全くない時計。
材質もゴムと軽い何か。音がしないところから機械式時計ではない。
まさか電池式なのか?
しかも水場で使えるほどの防水機能にまだ大英帝国本国でも少ないデジタル表記のタイマーつき。

「ほう・・・・これはこれは・・・・・軽さといい蒸気の中でも使えるデジタル数字で何か小型の電球を搭載してる腕時計といい。
もしやこの人間、あの軍艦の技術士官だったか?」

ありえそうだ。
ほかの情報部員の話では間違いなくこの男は自分が監視していたドッグから出てきた男。
そして何か慌てて10月2日の午後から逃げ出した男たちの一人。
尾行していた警察官は対テロ対策で東京中の駅や空港、港、高速道路の乗り降り場、放送局などを家宅捜索中。
だから尾行を簡単に無力化できた。
そして、何かを持っていると思ったが。

237 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:13:11
「物体の形状を記憶する素材に、これほどの水蒸気の中でも使える見たことのないゴムのような別の何かで覆われた正確な腕時計。
スイッチの切り替えでカレンダーとストップウォッチの機能に、小型のライトで発光する、か」

思った以上の拾い物。

「ほかにも何か欲しいが・・・・」

が、あの車列が一直線に皇居にむかった以上、これ以上の深入りは危険だ。
向かった先が企業や首相官邸程度ならなんとか揺さぶる事もできた。
可能かどうかという話で、やった時のメリット・デメリットは別。
しかし、まさかこの国を治める万世一系の皇帝陛下の居城となると話は全く違う。
むしろ、知らないフリをしなければならない。

「大日本帝国を治める天皇陛下の御身のもとに迷わず進んだ護衛たちと17台の特別車両。
あれを奪うなど、今から事前準備なしにドイツと全面戦争をする方がまだましか」

さて、最後のロッカーには何があるかな?
007は用意したウィスキーが入った小瓶を目の前の男に二本分飲ませる。
更に、別にワインも半分飲ませて残りは適当に転がす。
水をサウナの石窯に半分ほどかけてつっかえ棒で施錠。更に途中で拝借した立ち入り禁止という札を掲げる。

「悪く思うな、これも任務だ」

そう言い切った。
007が離れてから10分も経たない内に極度の脱水症状でひとりの「日本人」が「事故死」する事になる。
彼の鍵はロッカーに置きっぱなしだったこと、カバンから酒瓶が幾つも発見された事からよくあるアルコール泥酔者の事故として処理された。
これが新選組に報告されるのは死体発見から12時間も経過し、検死も終わった後の報告書が浅草警察署から上がった時である。
007は誰にも怪しまれることなく、テルマエ・ロマエⅡを後にする。
愛用の86は一度乗り捨てて、水色のアストンマーティンで。

セシル・サー・ファントムハイブもペンウッド卿も作戦中止と撤収には賛成だった。
最後の仕上げがこいつらの監視で、最後に危ない橋を渡ったがなんとかなったのだろう。
第一だ、まさか大日本帝国最大にして最高峰の重要拠点、いいや、唯一の宮殿であり皇帝の城を攻めるわけにはいかない。
ロンドンのバッキンガム宮殿にドイツ人が武装して突っ込んだら何が起きるか。
どんなバカでも一発で想像がつく。

「潮時、と、思いますが?」

007は何食わぬ顔で普通に大英帝国大使館に戻った。
その地下室で、急遽、あのみらい急襲の一報を知って神戸領事館から呼び集めたロスチャイルド大佐、ファントムハイブ伯爵、ペンウッド侯爵を連れて密談に入る。
中にはQが情報分析官として、総務係としてセヴァスチャンがいる。
全員にアールグレイの紅茶が配られているが誰も何も言わない。
そして、ペンウッドが一気に私物の水筒の水をラッパ飲みする。
彼なりの鼓動を抑えたのだ。

「そうだな、これ以上は危険すぎる。
我々は未来を生きる為にこの作戦を実行している。
決して破滅の為に動いているわけではない。
それを履き違えてはならん」

それに。
そう、それにだ。

「Q、この翻訳は正しいのだな?」

ペンウッドの言葉を繋いだのはロスチャイルド大佐。
青ざめた表情でもQは頷いた。
そこにあるのはドイツ人のリスト。
そして、そのリストは英国が興味を引くには、ドイツの伍長と交渉するには最適のリストだった。

『反ヒトラー派・反ナチス派の軍事クーデターに関与している人物』

史実でのヒトラー暗殺作戦は幾度も実行された。
その都度失敗した。
結果としてナチス・ドイツ第三帝国総統の最期は「自殺」という形になっている。
だが、戦後にバチカン経由でナチス・ドイツ高官が南米方面へ脱出した話は有名である。
こちらの世界でも実はその動きはあった筈だ。
夢幻会が知らないだけで。誰だって全てを見れるわけではない。
だが、ヒトラー暗殺や反ナチス運動が表面化する前に、この世界のドイツは世界大戦を勝利で乗り切った。
とまあ、日本が裏で動いた結果、本来の歴史ではあったはずのイベント、不穏分子は爆発せず、証拠もない。
つまり、総統暗殺計画の実行の事実も摘発するだけの証拠もない。
加えて戦後の混沌とした情勢と例年に無い冷害。
気候変動、大災害の余波。属国となった国々の統制。アメリカ風邪封じ込め作戦に滅菌作戦。植民地独立運動。民族紛争などなど。
これ以上爆弾を抱えたくないのは日英独三カ国全ての共通事項。
だから敢えてヒトラーもイギリスも深入りしなかった。
いいや違う、できなかった。
互いに弱みを見せる可能性が極めて高かったのだ。
が、この資料は。

238 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:13:45
「そう、あの日本人がどこから来たかはわかりません。
しかし、この書類は一読の価値がある。
Q、君の分析では名前と容疑が一致している、そうだな?」

007の問に、Qは答えた。

「はい、MI6が手に入れている反ヒトラー派の計画を練っていたと思わしき者の名前が4割ほど合致しました。
嘘にしては出来すぎてます。
それに今の時点でヒトラーの失脚を日本は望んでいません。
彼らは欧州全体の混乱は望んでも、崩壊は望んでいないのです。
僕と007の考えるに、日本の勢力圏限界は太平洋全域、東南アジア各国、中国沿岸地域、アラスカ半島、ハワイ、インド南西部、セイロン島、南北アメリカ大陸の太平洋沿岸諸国、極東ロシア、満州、朝鮮半島にパナマ運河まで。
正直に言って、北米でのテキサス以東やカナダ、オーストラリア大陸、インド以西、シベリアを越したヨーロッパ地域への進出はしたくないし不可能。
が、仮に現時点でアドルフ・ヒトラーの暗殺とドイツ第三帝国崩壊による第三次世界大戦勃発が起きれば全世界が共倒れ。
アメリカ風邪も拡散するでしょうから日本の繁栄もなくなる。
それをあの総研の上層部が分からないはずがない。
だとしたら絶対にドイツ第三帝国崩壊を引き起こす作戦はしない。その立案も極秘中の極秘」

流石は重度の日本病。よく日本を見ている。
だが、という事はこの情報は欺瞞工作?
それにしては状況証拠が揃いすぎている。

「では、Q。これは嘘か?」

ペンウッド卿が聞く。
ロスチャイルド大佐がQに代わって答えた。

「Qは優秀です。性格に難がありますし、重度の日本病ですがそれ故に日本情勢ではこの日本にいるイギリス人随一の情報通であり本職の分析官です。
ならば、間違いない。彼らはおそらく日本軍情報部の重要機密を扱っている部署の脱走兵。
あの軍艦「MIRAI」はその計画の一部で、あれだけの厳重な警戒や動きは脱走者全員がドイツや我が国の特別の極秘情報にあたるものを持ち出し、恐らく亡命を図った。
結果、焦った日本軍が実力行使に出て乗組員の大半を捕縛したが、生き残りが地下に潜伏。
今なお、国外脱出の機会を探っており、その為の亡命時の切り札が日本政府が調べ上げたドイツ第三帝国の内情。
このナチス・ドイツの様々な部署にいる高官達をゆする、或いは接触するだけでドイツ国内に粛清の嵐を引き起こせるでしょう。
まあ、今はできませんが」

ロスチャイルド大佐の言葉に007もジェームズ・ボンド中佐として進める。

「それとこれです。彼らの異質さを語る上で欠かせないもの」

メガネと時計。
特に彼は鯖江と刻印されたメガネのフレーム目の前で折り曲げた。
普通なら折れたまま。
或いは完全に折れて壊れる。だが。

「ご覧のとおり元に戻ります。
そしてこの時計はサウナの中に10分以上あったのに全く壊れる気配を見せずに動いている」

大日本帝国の新素材に新技術。
普通の防水時計ならもっと大型化する。
因みに史実でクォーツ時計が登場したのは1970年代前後の日本でG-ショック登場までは腕時計とは脆いものだった。
もちろん、G-ショックとクォーツ時計は日本発祥の技術になる。
この世界でも今から四半世紀近く未来であり、その上、死んだ日本人の持ち物、つまり2025年のG-ショックは更に半世紀近く未来の技術。
実はこれだけでもとんでもないオーバーテクノロジーになる。
形状記憶合金など構想にさえあるかどうか、という感じなのだ。
いや、この世界の日本人なら金属疲労という言葉を知っているはずだから研究中かもしれないが。

「ファントムハイブ卿、ペンウッド卿、ロスチャイルド大佐。
私は現場の最高責任者として進言します。
作戦は完遂された、と」

ジェームズ・ボンドはそう言い切った。
その言葉に頷く三人。

「そうだな、これ以上の深入りは我が身を殺す」

ペンウッドが、

「好奇心のせいで死ぬ猫にはなりたくないですな」

ロスチャイルドが、

「よろしい、これだけあれば祖国と国王陛下への献上品としては十分だ。
まして「竹の簾」の最深部にあるものなど、何が何なのか恐ろしくて手をつけられない。
僕だって故郷のロンドンが第二のメヒカリになるのは見たくないし、な」

頷く全員。
意見は一致した。

「それで、セヴァスチャン!」

セシル・サー・ファントムハイブは言った。

「M局長に打電しろ、ユニオン・ジャックは翻った、以上だ」

「了解しました、ご主人様(イエス、マイ・ロード)」

239 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:14:19
その言葉にセヴァスチャンとQは退席する。
厳重に金庫に保管される「G-ショック」、「鯖江形状記憶合金のメガネ」、「反ヒトラー派閥の人員名簿のメモ」。
残ったのはロスチャイルド大佐とボンド中佐、ペンウッド卿にファントムハイブ伯爵。

「さて、007。いよいよ最後の任務だ」

ああ、なるほど。

「君の計画通り進めて良い。日本政府にはペンウッド卿と僕で許可を取る。
存分にやれ」

その言葉聞いた007は思った。

「では彼らは処分ですね?」

冷徹に。

「そうだ、アルトリア・ペンドラゴンという女に連絡を送れ。
梅津三郎、角松洋介という男たちを大英帝国は狙っている、と。それだけで彼女ならわかる」

日本本土でドイツ人が日本人を拉致しようと行動し、その証拠を入手しておく。
可能ならば日本側に立ち支援する。
騒乱を作って恩を売るのだ。もちろん、日本側も既に承知している。
共通の敵にナチス・ドイツを当てるのは当面のあいだは役に立つ。
まして、危険思想に染まった日本人がドイツに亡命するという衝撃的な事実を公表すれば英日関係改善を嫌がる人々も納得するだろう。

「よくいいますかなら」

「何がだ、007?」

「いえ、伯爵。敵の敵は味方。そう思っただけです」

これは007が生き残った場合に責任を取らせて本国に強制送還する為の方便作成。
実は007は処分する予定だったのだ。最初の段階では成功しようと失敗しようと。
彼は大日本帝国の目を引き付ける囮である。
そして、引きつけたあとで処分しなければならない。でなければこれから彼はマーキングされた電柱だ。
が、この案をセシルが日本に行く直前に円卓会議で告げた時、特にペンウッドが反対した。

『嫌だ!! そんな頼みは聞けないね!!!』

彼は007を切り捨てるというセシルの案に猛反発する。
最後の判断はセシル・サー・ファントムハイブが現地で下すという妥協案でも彼は納得してなかった。
日本で「みらい」が強襲されたその日、007の処分をセシルは決定。

『絶対にダメだ!! それだけは許さん!!』

それこそすごい剣幕でセシルとロスチャイルドを罵った。

240 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:14:50
『彼はうまくやった。
007は命をかけて情報を集めて脱出寸前までこぎつけた。
日本からの公式な抗議はない。水面下での死者も負傷者も英日双方で出さなかった。
証拠を残さずに任務を完遂させている。
そう、成功させた。なのに切り捨てるだと?
それが上に立つ人間のすることなのか!?』

そう言って。
そのあと弱々しくも彼は続ける。

『ファントムハイブ伯爵、私はダメな男だ。
無能だ。
臆病者だ。
君とは違って覇気も意思もない。
決断力にさえ欠いているダメだな人間だ。
なぜ上にいるのか分からん。
何かを成し遂げる事などできない、自分でも何故アーサーらがいる円卓会議に選ばれているのか分からん、本当に駄目な男だ』

だが、
そう、だが、だ。

『が、無能で臆病で意気地なしだ。
だが、それでも、それでも私は私を頼ってくる人々を、救いを求めている人々を数字で見ることだけはできない。
目の前に助けられる命があるのにそれを見捨てて知らないふりをする。
それだけはできない。
決してできない。それだけはできないのだ。
これでは国家を指導する者としても軍人としての指揮官失格なのはわかる。
実際に私は軽蔑されるだろうし、罵倒されるだろう。
爵位どころか対日関係悪化を理由に首相らに罷免され全ての名誉をなくし裁判にかけらるかもしれない』

彼は喉をからしながらいう。
黙って聞く三人。

『君の意見をこうまで感情論で反対している。理性ではわかっている。
君が正しい、大英帝国の為には007を、ボンド中佐を切り捨てるべきだ。
だが、私は反対する。
その結果・・・・売国奴と呼ばれて13階段を昇るだろう』

暗に国家反逆罪で死刑台に歩む事は分かっている、と。

『だが、それでも私は部下を見捨てたくない。
見捨てないとは言えない。
見捨てられないと映画や舞台俳優のように格好をつけることもできない。
今だって見ろ、手の震えが止まらない』

彼は俳優だ。
三流の。
しかし、情熱だけは誰にも負けない。
意志は弱くとも人情だけは誰にも劣らない。
或いはこの世界の全ての相手、全ての俳優においても劣らない。

『正直にいう、ファントムハイブ伯爵。私は君が心底恐ろしいし命も名誉も地位も惜しい。
だが!!』

007の功績は決して表に出ない。
それ故に裏から裏へ消し去ってしまうのは一番だ。
大英帝国の現状を考えればそれが最良なのはわかる。

『だが、それだけはできない。
知っていて、ここまで国のために動いてくれた男を後ろから撃つと知っていた上で自分は関係ないと見ぬふりだけはできない!!』

そういって彼は先祖代々続く愛用の拳銃を渡した。
セヴァスチャンがそれを確認する。
セシル・サー・ファントムハイブは無表情。
ロスチャイルド大佐もだ。
セヴァスチャンだけが冷たい視線で見る、茶番をするな、と。

『弾丸は一発だけ。
どうしてもボンド中佐とQ情報分析官を切り捨てるなら先に私を殺してくれ』

241 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:15:21
セヴァスチャンは無言で回転式拳銃の弾倉を回す。
ロシアンルーレット。
有名な命懸けのギャンブル。
装填可能弾丸数は5発。確率は5分の1。
冷静に考えれば決して高くない。
しかし、命を賭けるには重すぎる可能性。低くない確率。
セシルは冷酷に命令を下す。彼の義務を果たすために。

『セヴァスチャン』

執事服の男は至近距離、絶対に外さない距離にて銃口をペンウッドのこめかみに突き付ける。
ペンウッドは歯を食いしばっていた。
彼の意地を通すために。何かを守るために。
恐怖で歯が震えているが、それでも目はセシル・サー・ファントムハイブの目を見ている。
主人が頷いたの見た黒執事が無言で引き金を引いた。

ガチン。

弾丸は出なかった。
偶然だったのか、それとも必然なのか?
とにかくこの瞬間、ジェームズ・ボンドは祖国の土を生きて踏むことを許される。

『どうやら神は貴方を守護した様だ』

セシルの静かな言葉。
安堵の溜息がロスチャイルド大佐からでる。
銃を下ろすセヴァスチャン。
そのまま弾丸を排出し、捨てる。
銃を椅子に座っているペンウッドに返す。
礼儀正しい動作で。

『わたしは、臆病者だが卑怯者にはなりたくない。
私の命で私よりよほど立派な人間が助かるなら・・・・それでいい』

それはつぶやきにして本音。
人間として生きている漢の生き様。
感化されてはいけないと思いつつも、セシルは感化された。
ああ、自分もまだ「人間」でいられるのだ、と喜びを思いながら。

『ペンウッド卿、僕は貴方を単なる無能だと思っていた』

そうだな。そうだろう。
頷くのは本人。

『ああ、そう思うのも無理はない。自分でもなんでこんな地位にいるのか分からん。
家柄だけで生きている。
だが、だからこそ、人としての生き方だけは全うしなければならんと思うのだ。
笑ってくれ、軽蔑してくれ。
私は祖国より自分のエゴを選んでしまった。
無能だ。売国奴だ』

その言葉にセシル・サー・ファントムハイブは心底おかしいと笑った。
ロスチャイルド大佐も、だ。
あのセヴァスチャンでさえ声を押し殺して笑っている。

『ハハハハ』

『アハハハハ』

『あははは、ああ、ああ、ああ笑える。
本当に可笑しい。あなたは勘違いしている、本当にあなただけが勘違いしている。
あなたは立派ですよ』

無垢な子供の、歳相応な表情。
そして一転して真剣な表情。
誰もがペンウッドに対して起立する。
胸に右手を当てて、彼らは一斉にお辞儀する。最敬礼だ。
ペンウッドが何が何だか分からないという感じで彼らを見る。

『サー・ペンウッド。あなたこそ大英帝国が誇る栄光ある英国貴族の鏡であり、ジョンブルの誇りそのもの。
僕は、いいえ、円卓会議に参加する愛国者たち、そしてあなたと関わる全ての人間は遠からずあなたの素晴らしさを心の底から知ることになる』

絶対的な敬意とともに。
付け加えられる言葉。

『ああ、なるほど、所謂、戦国無双ならぬ英国無双、ですね』

242 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:16:13
セヴァスチャンの言葉に笑いが木霊する。

『分かりました、007とQは無事に本国に戻します。
それに、ペンウッド卿、あなたはご自分が思っているほど卑しい人間ではない』

むしろ、
むしろ?

『我が大英帝国がこの残酷な世界に胸を張って臆面なく誇れる「人間」だと思います』

それは彼らの最大の賛辞。
退出するセヴァスチャンにセシルは話しかける。

「お前、知っていたな?」

何をとは言わない。
相変わらずの愛想笑い。
反吐が出そうだ。こいつが僕の執事だと思うと。

「あの弾倉のあの位置には絶対に弾丸が来ないように回した、そうだろう?」

黒い執事の男は無言で部屋のドアを開ける。
そして紅茶を入れる。

「僕は殺せと言ったはずだが?
命令に違反したのか?」

それに執事が初めて反応する。
とんでもありません。
わたくしはしっかりとご主人様の意図を理解しておりました、と。

「ほう?
何故そう言い切れる?」

黒執事は微笑み答える。

「わたしはあくまで執事ですから。それも貴方にとって完璧な」



後に、カルフォルニア共和国軍退役准将にして、「奇跡のヤン」と呼ばれた二流歴史研究学者ヤン・ウェンリー氏に高評価される政治家がいる。

『無能ながら最も手強い漢の中の漢、サー・ペンウッド。
ジョンブル・オブ・ザ・ジョンブル。
彼の経歴・人生その全てが人道と紳士と信義を体現している。
暴落した大英帝国の誠意を改めて示す時に彼ほどの人物はいないだろう。
少なくとも私が存命中には』

続けて、彼はカルフォルニア共和国、いいや、世界でも珍しい女性将官である妻のフレデリカ・G・ヤン少将と養子のユリアン・ミンツ大尉に持論を述べた。

『フレデリカ、ユリアン。
私は思うんだよ。
人間という奴は、追い詰められるとね、どんな馬鹿な事でも、若しくは何故か当人以外は信じられない事でも異常なほどに固執してその持っている全力を出し尽くす。
そして如何なる悪名高い組織でも組織を構成するメンバーの中には必ず一定数の人格者と呼ばれる人間がいる。或いは逆の事もある。
あの時期に、あの大英帝国が、あの人に、あの権限を与えられたことは全人類社会が誇るべき事だったと私は思うよ』

あの新米中尉が、テキサス共和国と東アメリカで発生した何度目かわからない北米紛争時。
その時全滅した司令部の代わりとして「奇跡の脱出劇」を演出。
その後の妻になる少女との清らかな交際開始から結婚を得て、既に半世紀近く。
既に孫もいるヤン・ウェンリー助教授。大学の名物教授。
その「奇跡のヤン」という異名を取った英雄にであり、だが、時代がもう忘れかけているヤン・ウェンリー退役准将。
「不敗」の「第13特務連隊」を指揮した用兵の天才だった男。
カルフォルニア共和国国立の大学、「自由国旗同盟(フリー・フラッグス)大学」の歴史講義の一幕。

243 :ルルブ:2015/02/08(日) 17:16:48
1945年10月3日 テルマエ・ロマエⅡ ホテルの一室。

先日の事件発生とは言え、いやむしろだからかな?
より多くの男女が訪れている。
そんな中、気怠い体で女風呂に入ってくる。

「久しぶりに再会したから発情しすぎたわ」

ちょっとやりすぎた。
相手の男のタガを外したのは初夜以外では初めて。
まさか本気で意識を飛ばされるとは思わなかった。
まあ、いい。

「さて、と」

女はそっと手紙をいつもの場所にいれる。
それで仕事は終わり。
翌日。

1945年10月4日 テルマエ・ロマエⅡ 「綺羅水晶」

時間だ。
女は時計を見て、湯船に浸かる。
太陽が山々に隠れつつある。
もうすぐ冬が来るのだ。

「きたな、奏者よ」

「はい、私です、お答えください、マイ・マスター」

なんと時代がかった芝居か?
だが、今回はそうしろと書いてあった。
それが合図だと。暗号と符牒だと。

「私とはどの私だ、奏者よ?」

「私とは、あなたの従姉妹であるアンネローゼ・フォン・グリューネワルトです、アルトリアお姉さま」

アルトリアの声。
昨日この場で拝見した手紙。
そして未だに正体がわからない謎の女。
だが、何故か今日は優しい。

「お前は私の望みを叶えるだろう。
そして汝の望みも叶う。
よく聞け、これをアドルフ・カミル宛に送れ。
そして、彼からアドルフ・カウフマンという男にこの手紙を送るように伝えろ。
10月30日までに動かぬと手遅れになる、とも伝えてな。
そうすれば汝の望む舞曲は始まり、舞台の幕があがるであろう」

なんと詩的な言葉遊び。
だが、それに高揚する自分。

「それでは、な
あまり長くいると私も怪しまれる。
ローゼンメイデンの一員として」

そのまま口づけ。
これはもしかいてこの人の性癖なんじゃないかとアンネローゼは思う。
数十秒の口づけ。またこれだ。
さり際はその豊かな胸を私に押し付けてくる。

「アルトリア・ペンドラゴンの名に誓い契約する。
アンネローゼ、貴女の役割はこれを渡すことで終わる。そうすれば貴女の望む未来を見せよう」



「第十七話 決意 完 」

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最終更新:2023年04月04日 21:10