271 :ライスイン:2015/04/06(月) 22:48:06
1916年1月1日 東京 夢幻会会合場所

「不味い、ロシアで革命が起きそうだ。」

「どういうことだ?連中は中国人を使い潰しているから大して被害は出ていないだろう?」

ロシアで革命が勃発寸前・・・史実と比べて早い進行に愕然とする会合参加者達。
確かに自分たちは自重を捨てて暴走しまくった。だが此処まで酷いとは・・・。

「調査の結果、以下の要因が判明しました。」

会合参加者達は報告書に注目する。そこには

1:東方領土(新疆、甘粛省、青海省)開発の為の重税及び欧州地域のインフラ整備の遅れ。

2:東方領土ロシア化の為に皇帝・政府に忠実な者(優良装備の軍部隊含む)を優先して送り込んだ事による治安の悪化及び対ドイツ戦での戦力低下。

3:東方領土より徴収したアジア人突撃兵(中国人及び少数民族等、老若男女問わず)へ与える糧秣を確保する為の強制徴収による食糧難及び価格高騰。

4:脱走したアジア人突撃兵が起こす各種事件による治安の悪化。

5:一度は押し込んだとはいえ、その後の敗北続きによる軍及び国民のの士気低下。


「他にも様々な要因がありますが・・・今現在は報告書作成時点より確実に悪化しています。」

「この分だと来年・・・早ければ今年末に革命が起きそうだな。」

会合ではロシア革命の勃発は決定的という意見で一致した。

「何かテコ入れしますか?」

「必要ないだろう。優秀な人材や企業などの引き抜きに資産の運び出し(強奪)を進めよう」

「いや、多少はテコ入れした方が良いでしょう。上手くすればロシアが分裂してくれるかもしれません。」




                孤立大陸 第17話「激戦、第3次パリ攻防戦」



 1916年1月5日 ロンドン  首相官邸

「最早我々は早急に大規模な勝利を得るしかない。」

官邸内の会議室でアスキス首相が吠えた。現在この会議室には英仏の軍関係者が極秘に集結していた。
日本や他の連合国にも知らされていない極秘の会議の為である。

「我々が苦戦するドイツ軍を日本軍は圧倒的な火力で粉砕し、1か月程度でベルギーを奪還した。」

「しかも毒ガスの報復でヴィルヘルムスハーフェンを軍港ごと壊滅させ建造中の戦艦3隻を廃艦に追い込んだ。」

「市民達は日本軍の勝利に熱狂すると共に中々勝てない我々に不信の念を抱いている。」

272 :ライスイン:2015/04/06(月) 22:48:41
現在、英仏軍はそれぞれの国内から非難の的に晒されていた。
陸ではドイツ軍に敗れっぱなしでパリ攻撃こそ防いだものの毒ガス攻撃で市民に甚大な損害が出た。海では重要軍港を潰された挙句に
主力艦隊が壊滅し、日米から戦艦の購入までする羽目になった。
これに対して日本軍は陸でも海でもドイツ軍を圧倒して勝利を飾っている。おまけに日本軍の勝利に影響を受けてかそれぞれの植民地内で
不穏な動きが増加していて戦争遂行にも影響が出始めていた。

「幸いにしてヴェルダン要塞を含むフランス南部は防衛できている。ジェノヴァの日本軍との連絡線も維持できている。」

「海では日本からの輸入及びライセンス生産した護衛艦艇(※1)のお蔭で対Uボートは優位になっている。そしてドイツに主力艦はない。」

「問題はフランス中央部のドイツ軍ですな。特にパリ西方50㎞に位置するドイツ軍が再び攻勢の準備を整えている様です。」

この時点で連合軍はパリ防衛とドイツ軍撃破の為、パリに戦力を集中させていた。その内訳は

兵員:120万 (イギリス・フランス・ポルトガル・ベルギー・亡命セルビア・ギリシャなど各国合計)

戦車:600輌 以下内訳 

 マーク1雄型180両 雌型90輌、マーク3雄型30輌 雌型20両、マーク4雄型30輌 雌型10輌、ホイペット20輌

 J1中戦車50輌(※2)、J2支援戦車20輌(※3)、J3軽戦車30輌(※4)、J4重戦車90輌(※5)

 シュナイダーCA1 20輌、サン・シャモン 10輌

航空機:1000機以上  

という膨大な戦力だった。特にイギリスは日本から輸入及びライセンス生産した戦車の大半をつぎ込んでいた。
また偵察や諜報の結果、判明した現時点でのパリ西方50㎞に展開するドイツ軍の戦力(※6)は

兵員:45万 戦車:190輌(A7V 80輌、A7V-U 30輌、LK1 50輌、A7V輸送型 30両) 航空機:450機

という状態で連合軍に比べて劣勢な状態だった。これが英仏首脳陣を安心させる結果にもなっていた。

「陸では何とかなりそうだな。海では?」

「イギリス海軍としては年末にバルト海侵攻作戦の実施を計画しています。」

イギリスは年末にバルト海侵攻作戦を実施するために様々な準備をしていた。
中立国であるオランダとデンマークに経済支援(と威圧)を餌に領海通過を黙認させた。更にドイツの戦艦全滅と日米からの
戦艦購入により通常戦艦の必要性が一時的に低下した為、QE級やR級の建造を一時的に停止してその分のリソースを侵攻作戦用の
艦艇建造に充てていた。それにより性能が低下したが8月末までには全艦が就役できるようになった。その影響でQE級は3隻が就役したが
残り3隻はR級と共に1年以上就役が遅延する事になった。

「これで勝利を収めることが出来れば国民の信頼を取り戻し、植民地の不穏な動きも収まるでしょう。」

「その通りですな。」

これで勝てるだろうという楽観的な雰囲気が室内を漂う。

「因みにバルト海の方ですが・・・日本に支援を要請しますか?」

出席者の一人がそう尋ねる。強大な日本海軍遣欧艦隊の支援があれば成功する確率が格段に高まるからだ。

「それは駄目だ。我々独自の力でやらねば意味がない。」

「日本の力を借りれば日本軍強しの印象が更に広まるだけでわが軍の威信は地に落ち、植民地の独立運動が激化する。」

会議室では日本軍の力を借りる事に否定的な意見が大勢を占めた。こうして英仏はパリでの反撃作戦の準備を行うと共に
他の連合国には極秘でバルト海侵攻作戦の準備を始めた。

273 :ライスイン:2015/04/06(月) 22:49:56
 1916年3月3日 07:00 パリ西方 連合軍陣地

「全軍攻撃開始」  「戦車軍団前進せよ。」

ジョッフル将軍とフレンチ元帥の命令が飛び交う。
それに応えるかのように戦車軍団の戦車が前進し、その後を歩兵部隊がその後ろを進む。今回の作戦では歩兵の被害を減らすために戦車軍団を
先行させて突破口を作る事になっていた。その為、歩兵部隊の支援用にマーク4とフランス戦車を残し、残りの530両が歩兵部隊に先行する形で
広く散会しドイツ軍陣地に向かって進んでいた。これなら作戦成功は間違いない、彼らはそう思った。しかし・・・

「戦車軍団先鋒部隊より緊急連絡、ドイツ軍戦車の集団と遭遇し戦闘に入るとの事です。」

先鋒よりドイツ軍戦車部隊と遭遇したとの連絡が入った。更に・・・

「戦車部隊の後方に多数の歩兵を確認、更にドイツ航空機による地上攻撃が始まったとの事です。」

「「な・・・何だと。」」

自分達がドイツ軍陣地を攻めるという事しか頭になかったジョッフル将軍たちは余りの事態に絶句した。

「ど・・・どうやらドイツ軍もパリ攻撃を企んでいた様です。」

参謀の一人が発した言葉によって我に返る英仏の司令官達。状況からするに連合軍の反撃作戦とドイツ軍の攻撃作戦が重なってしまった様である。
此処にパリを巡る戦闘が開始された。


 1916年3月3日  10:00 パリ西方30㎞地点  ドイツ軍戦車集団

「敵戦車部隊は衝力を損失した、進撃を続けるのだ。」

指揮用に改造されたA7V(※7)の車内からドイツ軍戦車集団司令官ヴィルヘルム皇太子(※8)の檄が飛ぶ。
接敵当初は数と性能に勝る連合軍戦車軍団が優位に立ち、1時間ほどでドイツ軍戦車の1/3ほどを撃破した。しかしこれに危機を覚えたドイツ側が
英本土爆撃の為に温存していたゴータ重爆撃機50機を対地攻撃に投入。同様に温存されていたツェッペリン飛行船12隻やパリ砲8門による錯乱の為の
パリ攻撃、更にA7V輸送型で無理やり牽引してきた77㎜野砲による直接照準砲撃やマウザー M1915対戦車ライフル(※9)による支援により徐々にだが
ドイツ側が有利になってきた。勿論連合軍も連合軍も制空権確保や地上攻撃の為に航空隊を出撃させたが大量の戦闘機を動員したドイツ軍の防空戦闘により
任務に失敗した(この時の戦闘でドイツのリヒトホーフェン中尉が複数の敵機を撃墜、赤く塗装した乗機から赤い悪魔と恐れられるようになった)。

「敵は薄く広範囲に散開している、このまま密集陣形を維持しつつ突破を図るぞ」

歩兵部隊の壁となるべく、連合軍戦車軍団が広範囲に展開し密度が薄くなっていたのもドイツ戦車集団の突破を容易にさせた。おまけにその後方を
MP15短機関銃(※10)を装備した突撃部隊(※11)が追従し、戦車集団が突破した後の塹壕を制圧していく。
結局この日の戦闘で連合軍は中央を突破されドイツ軍にパリ西方15㎞地点まで進出を許してしまった。


 1916年3月4日 01:00 パリ市内 連合軍総司令部

「不味いですな、このままですとパリに突入されかねません。」

臨時にパリ防衛軍司令官に任命されたフォッシュ大将が発言する。時折ドイツ軍野砲の砲弾がパリ市内に着弾する音が聞こえ、一部では避難しようとする
市民の列に着弾し多くの被害が出ていた。

「先ほど増援が到着しました。現在展開を急いでいます。」

フレンチ元帥が増援の到着を知らせる。今回到着したのはANZAC歩兵1個師団 新軍(キッチナー陸軍)歩兵3個師団 朝鮮人兵士1万(666軍団補充用)
及びホイペット戦車50輌。歩兵は何れも緊急展開の為、軽装備であり重火力に欠けていた。またフランス軍も後方地域の部隊や予備役・新規徴収兵に
アフリカ植民地の部隊併せて5万名を展開させたが同様に軽装備であった。

274 :ライスイン:2015/04/06(月) 22:50:28
「明け方には後退してきた部隊と合わせて反撃に出ます。同時に南北からも攻勢をかけて突出しているドイツ軍をせん滅します。」

明け方から反撃作戦を実施することを伝えるフォッシュ大将。連合軍は増援を除いてもパリ周囲に100万以上の兵力が展開しており消耗したドイツ軍相手なら
勝利できるはず。他の連合軍将官や出席していたポアンカレ大統領もその反撃作戦に同意する。しかし・・・

「ぜ・・・前線より緊急報告、自動火器を持ったドイツ軍歩兵が我が方に強襲を仕掛けてきました。」

息を切らせた伝令が了解も得ず入室し報告する。

「何だと・・・それで状況は?」

フォッシュ大将が慌てて状況を確認する。
それによると自動火器を所持するドイツ軍部隊の強襲によって塹壕が次々に制圧され、そこを戦車部隊が突破してきたというのだ。

「クソ、砲声がここまで聞こえてきたか、兵力をありったけ掻き集めてぶつけろ。」

フォッシュ大将の怒声が響く。フランスの首都であるパリを失うわけにはいかない、ここは犠牲を問わず撃退すべきだ。フォッシュ大将他連合軍首脳部は
そう決意する。

「大統領閣下、パリは必ず守ります。ですが念の為に一時退避をお願いします。」

「市民を見捨てて逃げるわけにはいかん、私は残る。諸君らの奮闘を期待する。」

非難を進める言葉にポアンカレ大統領はそれを拒否して残る事を宣言。こうしてパリ攻防戦は新たな局面を迎えることになる。


 1916年3月4日 06:20 パリ市西方外縁部 ドイツ戦車集団

「総員パリへ突入せよ、我らが祖先と同じくパリを制圧しエリゼ宮殿に帝国旗を掲げるのだ。」

ヴィルヘルム皇太子の命令の元、戦車集団及び突撃部隊が歓声を上げてパリ市内へ突入していく。彼らはここまでの戦闘で損耗し、残存兵力が
A7V 20輌、A7V-U 12輌、LK1 10輌、A7V輸送型 12両及び突撃部隊8000名及びその他11000名まで低下していた。
それに疲労の色も濃かったが敵国首都への突入するという事態が彼らの士気を極限まで高めていた。

「後方では突入経路確保の為、友軍が奮闘している。彼らの苦労を無駄にしない為にも必ずパリを落とすぞ。」

戦車集団と突撃部隊以外のドイツ軍部隊は彼らの突入経路の確保維持とパリ周辺の連合軍部隊への抑えとして後方で戦闘中であった。

「投降兵や無抵抗の市民への乱暴狼藉は働くなよ、我等は名誉あるドイツ軍人なのだ。」

改めて規律の維持を徹底させると皇太子も自身の乗る指揮官用A7Vを前進させる。途中、多くの敵兵(と警官&武装市民)に遭遇したが殆どが軽装備であった為、難なく撃退。
08:30にはバスティーユ広場を陥落、10:00にはパリ市庁舎を陥落させる。そして12:00にはコンコルド駅にまで到達し遂にエリゼ宮殿を攻撃圏内に収める。
ドイツ軍部隊は歓喜し連合軍兵士及びパリ市民に絶望感が漂う。そんな時・・・先頭を走行していたA7V6両が一斉に爆発四散した。

「な・・・なんだとっ、いったい何所からだ。」

ヴィルヘルム皇太子の命令で周囲を確認するドイツ兵。その時、駅施設の陰から複数の巨大な戦車が出現した。


 1916年3月4日 13:00 パリ市内コンコルド駅前  日本帝国陸軍遣欧軍 大洗戦車教導団

「戦車前進、ドイツ軍を排除せよ。」

教導団司令である閑院宮載仁親王大将(※12)の命令の元、教導団所属の戦車が次々とドイツ軍に襲い掛かり、圧倒的な性能と無線を利用した連携によりドイツ軍戦車を
次々に撃破していく。しかも第1中隊(あんこう中隊)と第2中隊(アヒル中隊)には74式中戦車重装甲型(※13)が配備されており、ドイツ軍戦車及び77㎜野砲では撃破は
不可能であった。更に69式半自動小銃や69式汎用機関銃及び短機関銃や散弾銃を装備した歩兵部隊が物陰から出現しドイツ軍を攻撃していく。更に

「不逞ドイツ兵共を切り捨てよっ!!」  「チェストー!!!」

京都第1挺身連隊”新撰組” や 鹿児島第2挺身連隊”薩摩隼人”(※14)から派遣された分遣中隊(各本隊はベルギー)が短機関銃等の支援の元に白兵戦を仕掛けるなどの
驚愕の行動にも出て次々とドイツ兵を切り捨て、又は首を斬り落としていく。おまけに周辺には復讐に燃えるフランス兵が集結して来ており、最早ドイツ軍に勝ち目はなかった。

275 :ライスイン:2015/04/06(月) 22:51:48
1916年3月4日 13:20 パリ市内コンコルド駅前  ドイツ戦車集団

「たった・・・たった20分の戦闘でこれほどの被害を受けるとは。」

「殿下、この指揮戦車を含めて残り10輌を切りました。」

ヴィルヘルム皇太子は愕然としていた。日本軍との交戦開始から僅か20分でA7V 4輌、A7V-U 3輌、LK-1 2輌まで減らされ、突撃部隊や支援の歩兵にも甚大な被害が
発生していたからだ。

「殿下、ファルケンハイン総司令より撤退命令です。両翼の連合軍の圧力が増大、このままでは突入経路の維持が不可能になるとの事。」

そんな中、無線手が総司令からの撤退命令を伝える。戦況は著しく不利でこのままだと撤退できなくなる。そう判断したヴィルヘルム皇太子は即座に命令した。

「総員、有りっ丈の煙幕を展開しろっ、周辺の建設物に砲撃を加えて倒壊させ奴らの進撃路を塞ぐ。その後に後退だ。」

ドイツ兵は命令に従い煙幕を有りっ丈使用すると共に周囲の建物を砲撃または爆薬によって破壊し日本軍の進撃を妨害する。その上で残存戦車に爆薬を仕掛けて
爆破。その後は徴収(強奪)したパリタクシー等を使い撤退を開始。視界を遮られた上に進路を妨害された為、流石に日本軍も追撃を断念した。
ドイツ軍は一連のパリを巡る戦闘で多大な被害を出した。特に戦車集団を始めとしたパリに突入した部隊は兵力の6割と全ての戦車を損失した。しかしドイツ軍が
パリを陥落させかけた事実は残り、そして長距離砲撃と航空支援の元に戦車と突撃部隊を集中運用したヴィルヘルム皇太子の手腕は高く評価され、後年のドイツ電撃戦の
基礎となった。またドイツ帝国旗を掲げたパリ市庁舎を背景にした皇太子以下戦車集団幕僚の写真は中立国を通して世界中に拡散しドイツ軍強しを植え付ける事になった。
しかしその頃・・・北方では驚愕すべき事態が進行していた。


1916年3月4日 14:00 ドイツ帝国アーヘン 日本帝国陸軍遣欧軍

「都市正面のドイツ軍が撤退を開始しました。」

「総員、アーヘンに突入し占領せよ。」

参謀からの報告を受けた上原大将が突入命令を下す。
諜報活動の結果からドイツ軍のパリ攻撃を予測した遣欧軍は大使館及び邦人保護の名目で教導団や挺身部隊を派遣する一方、連合軍にも極秘でドイツ領内侵攻を企画。
そしてドイツ軍のパリ侵攻とほぼ同時に攻撃作戦を実行。目標となったアーヘンに向けて進撃を開始していた。因みに連合軍がこの作戦を知らされたのは実行30分前で
驚愕したイギリスやフランスは慌てて日本軍に帯同している自国部隊に同行を命令。なんとか”連合軍による軍事行動”を演出していた。勿論ドイツ軍も熾烈な抵抗を
示し、少数存在していたLK-1戦車を用いて果敢に攻撃を仕掛けてきた。しかし質量ともに大幅に劣っていた為、それも長くは続かなかった。それから15時間後・・・

「閣下、残敵掃討も終了しアーヘンを確保いたしました。」

「よろしい、では軍政の準備だ。私はアーヘン市長に会いに行く。」

「了解であります。」

この後、上原大将はアーヘン市長と会談し連合軍によるアーヘン占領と軍政の実施を通告。市長はそれを受け入れると共に市民へ危害を加えない事と生活に必要な物資の
供給を要請。上原大将は急遽駆けつけた連合各国の行政官や軍司令官と相談の上で了承。ここに戦争始って以来の連合軍の快挙・・・ドイツ本土の一部占領が実現した。

277 :ライスイン:2015/04/06(月) 22:52:26
※1:松型護衛駆逐艦、竹型航洋型海防艦、梅型海防艦の輸出仕様型の事。勿論ソナー等は時代相応に性能を落とし、対潜兵器も通常の爆雷のみだが欧州各国の艦よりも
   高性能な為、輸入でけでなくライセンス生産も行われていた。

※2:輸出された40式戦車の英国名。

※3:輸出された40式自走砲の英国名。

※4:輸出された69式軽戦車の英国名。

※5:輸出及びライセンス生産された69式重戦車(多砲塔戦車)の英国名。

※6:日本による戦車の早期投入の影響でドイツでも史実より早く開発が始まっていた。

※7:57㎜砲を機銃に換装し、側面の機銃を6門から4門に減らして重量とスペースを浮かせたうえで試作型の小型無線機及び簡易机を装備した。

※8:本来はヴェルダン要塞攻撃部隊の司令官に就任予定だったが偶然視察した戦車部隊の演習に魅せられて戦車集団の設立を働きかけ、自ら司令官に就任した。

※9:史実のマウザー M1918対戦車ライフル。戦車対策の為に早期に開発生産された。

※10:史実のMP18。

※11:塹壕線を突破する為の強襲部隊として設立。今回の戦闘では戦車集団に随伴する機動歩兵として運用された。

※12:日露戦争やその後の対欧州戦争で騎兵旅団を率いて活躍した事から機動戦の専門家と評価されて就任を要請されていた。また皇族で陸軍大将であることから
   連合軍との交渉や共同作戦も遣りやすくなると判断されたことも就任を後押しした。

※13:重量29t 75㎜38口径戦車砲×1、7.7㎜機銃×2 装甲厚20~65㎜ + 車体・砲塔正面20㎜ 乗員5名 速度:20㎞/h

   74式中戦車の車体と砲塔正面の装甲を強化し、更に20㎜の装甲版をボルト止めで装着した代用重戦車で74式中戦車改良型の1つ。正式名称は74式中戦車改1型。

※14:この時”新撰組”は誠と書かれた浅葱色の外套を着用し、”薩摩隼人”は凄まじい斬撃で小銃ごとドイツ兵を斬り倒したと言われている。

278 :ライスイン:2015/04/06(月) 22:52:57
おまけ  イギリス海軍巡洋戦艦インコンパラブル 

基準排水量:41738t  50.8㎝35口径連装砲×3、10.2㎝3連装速射砲×5、3ポンド速射砲×9、速力:27.5kt  1916年8月就役予定

QE級の残り3隻やR級などの通常戦艦の建造を遅らせ、その浮いたリソースをつぎ込み、24時間連続の建造体制を整える等して1916年中頃に就役出来るようになった。
もっともそのおかげで性能低下も激しく主砲の50.8㎝砲も開発時間の短縮の為に40口径から35口径に短縮され(40口径は開発が続行され、後日換装予定)、
機関も簡略化から30ktを大きく下回った。装甲も舷側が203㎜、甲板76.2㎜とインヴィシブル級より多少マシなレベルに低下(後日改装予定)。
肝心の主砲も最大射程が約22000mと38.1㎝42口径砲と同程度という有様で(ただし榴弾威力は大きい)イギリス海軍の

   ”世界最強の戦艦”

という宣伝とは裏腹に憂鬱ビスマルクを超える欠陥だらけの出来そこない戦艦となっている。因みに他の大型軽巡は本来の性能通りに竣工。


 いかがでしょうか。ドイツ側がハッスルしたおかげでパリが陥落しそうになり、日本軍がそれを阻止しました。そしてドイツ軍がWW2みたいな電撃戦を何故やらかしたか
というと

皇太子が戦車が参加する演習を視察→早くて硬いし砲撃できるな→纏めて運用すれば強いだろう→支援は?砲撃だけじゃ移動に付いてけないぞ
→そうだ、航空機で爆弾落とせば砲撃の代わりになるぞ。

みたいなある種の素人的な発想から来ているという感じです。そしてドイツ軍が戦車を早期に大量配備しているのも日本の影響があります。
それとイギリス海軍・・・早期に竣工させたいが為に色々とやらかしすぎたようです。

~予告~

またしても日本軍に助けられた連合軍。感謝しつつも更なる市民の冷たい視線に晒された彼らは早急な戦果を欲して無茶な作戦の実行を決断。その頃、ロシアでは遂に
革命の火の手が上がる。そして遂にあの大国が参戦する。

次回”バルト海侵攻とロシア革命、そして米国参戦”

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最終更新:2015年06月13日 19:27