611 :ライスイン:2015/03/19(木) 18:26:50
1915年8月15日 東京 夢幻会会合場所

「大西洋艦隊は上手くやったようですね。」

「ああ、攻撃対象を軽快艦艇に限定させて誤った戦訓を植えつけるのも成功した。」

目論見通りに誤った戦訓を植え付けることが出来たと安心する会合参加者達。

「プロペラ同調装置も高値で売れましたしね。」

財務関係者もホクホク顔である。
イギリス軍が購入した戦闘機を試乗した際に同調装置の存在に驚愕しすぐさまライセンス生産を要請。
欧州各国やアメリカもこれに続き、莫大なライセンス料日本にが齎されていた。

「序に69式重戦車も100両ほど追加生産して売ってやりました。余程気に入ったのかライセンス生産まで申し込んできましたよ」

「戦車開発も良い感じに混乱するだろうな。」

多砲塔戦車が売れ、しかもライセンス生産の申し込みまであった事で戦車開発の方向性までねじ曲がるだろうと予測する彼ら。

「それにしても嶋田君はよくやってくれてますね。」

「そうだな、この分だと以前より早く首相になれるだろう。それと山本君も順調そうでよかったよ。」

嶋田と山本を搭乗員の道に(強制的に)引き込んだ元凶達は予想を上回る戦果を挙げた二人を祝福?する。

「それに遣欧軍が英本土にそろそろ到着する頃だろう。」

「海軍主力を失ったジョンブル共があの艦隊を見たら腰を抜かすでしょうな。」

「それに塹壕突破用の特殊車両や兵器もな。」




                     孤立大陸 第16話「遣欧軍、西欧上陸」



 1915年8月20日、遂に大日本帝国遣欧軍はイギリス本土に到着した。

「な・・・なんという巨大な戦艦だ。しかも18インチだと・・・。」

ポーツマス軍港で遣欧艦隊を出迎えたチャーチル海軍大臣やフィッシャー第1海軍卿以下の政府・軍関係者や周辺に詰めかけた市民らは
10隻を超える巨大な戦艦群に驚愕していた。特に50000t以上の大きさで30kt越えの速力を持ち、18インチ砲8門を搭載する早池峰型6隻の
存在は嫉妬に羨望など様々な感情を抱かせていた。

「(この艦があの時にあれば・・・。)」

「(なんとかしてこの艦を購入もしくはレンタルできないものか・・・)」

海軍関係者は早池峰型を含めた戦艦を購入かレンタルできないかと考えていたが不可能なことは分かり切っていた。
しかしそう思わせてしまうほど魅力的すぎる戦力であった。

612 :ライスイン:2015/03/19(木) 18:27:21
~遣欧艦隊旗艦 天城型巡洋戦艦タカオ・・・じゃなくて高雄艦橋~

「ジョンブル共が驚いていますな。」

艦橋にて高雄艦長(ア○ペジオ派)が艦隊司令に話しかける。

「怖くて声も出ねぇかァ?オラオラ!」

遣欧艦隊司令(海南島沖海戦時の第3艦隊司令 海軍大将 海軍艦これ派の盟主)も驚愕するジョンブル達を嘲笑するように言い放った。
十分な利益譲渡が約束された?末の連合加盟だが一方的に同盟を破棄した上に最新鋭艦を含めた義勇艦隊まで出して敵対した前科が有る為、
どうしても信用することが出来ず不信感を払しょくできなかった。まあそれを表に出さないだけの度量は持ち合わせていたが。

「それはそうと神州丸(※1)の上原閣下にも到着を連絡してくれ。」

司令が遣欧総軍司令官(兼陸軍遣欧軍司令官)の上原勇作陸軍大将に連絡を取るように命じる。陸軍遣欧総軍は

○遣欧第1軍

第1戦車師団 第21師団(機械化歩兵) 第22師団(機械化歩兵)  軍直轄:機動砲兵旅団×1(※2) 捜索連隊×1 重自走砲大隊(※3)×1

○遣欧第2軍

第23師団(自動車化歩兵) 第24師団(自動車化歩兵) 第25師団(自動車化歩兵) 軍直轄:重砲兵旅団×1 捜索連隊×1 戦車大隊×1

○遣欧第3軍

第31師団(自動車化歩兵) 第32師団(自動車化歩兵) 第33師団(自動車化歩兵) 軍直轄:重砲兵旅団×1 捜索連隊×1 戦車大隊×1

○予備部隊  歩兵師団(自動車化)×2 戦車大隊×2

○遣欧軍司令部直轄部隊

第1砲兵師団(※4) 大洗戦車教導団(※5) 挺身連隊(コマンド部隊)×2 捜索連隊×2 飛行師団×2 トルコ義勇軍(機械化歩兵連隊) その他。

という極めて機械化・自動車化率が高く、打撃力も高い凶悪な編成であった。因みにトルコ義勇軍は参戦したくなくても戦訓と実戦経験を欲しがった
トルコが義勇軍という形でケマル大佐指揮の1個連隊を送り出したもので日本から供給された戦車などを装備していた。同じく海軍もティムール級戦艦
2隻を派遣していた。
また海軍も上陸作戦用に陸戦旅団×2と機械化陸戦旅団×1(69式軽戦車改造の特71式内火艇及び短砲身57㎜榴弾砲に換装した特72式内火艇装備)
を派遣していた。またこれ等とは別に地中海方面用に

歩兵師団(自動車化)×2 山岳師団×1 重砲兵旅団×1 捜索連隊×1 戦車大隊×1 海兵旅団×1

を増援として派遣していた。
また膨大な兵力を支えるために多数の補給艦・給油艦・工作艦・冷凍船・病院船に加え、食品加工工場多数を備えた糧食製造船に大規模な入浴設備や
活動写真館に食堂・料亭などを備えた娯楽船まで用意していた。


~揚陸指揮艦神州丸 遣欧総軍司令部~

「閣下、遣欧艦隊司令よりポーツマスに到着、下船準備をお願いしますとの事です。」

「よろしい、ジョンブル共の馬鹿面でも拝みに行くとしようか。」

海軍からの連絡を伝える参謀長にそう返事しながら上原大将は下船準備の指示を出す。
彼としても先の戦争におけるイギリスの敵対行為は腹に据えかねていたものの、任務の必要上なんとか押さえ込んでいた。

「まあ何所の戦場に行くかは分からんがこの超火力でドイツ軍を圧殺してやろう。」

「ついでに連合各国にも教えてやりましょう。裏切ったり事故が起きたりしたらどうなるかを」

帝国政府はドイツ軍を圧倒的な火力で破る為だけにこの規模の軍を派遣したのではなかった。
派遣を受け入れたとはいってもフランスやベルギーがどんな”利敵行為”を働くか分からないとの予想がなされた居た為、ドイツ軍を圧倒的な力の差で
打ち破る事で裏切ったらどうなるか見せつける為でもあった(ついでに報復手段として)。

613 :ライスイン:2015/03/19(木) 18:27:53
~ポーツマス市内 連合国臨時会議場~

「是非とも日本軍をパリ正面に配備して戴きたい。」

駐英フランス大使が口火を切った。その隣のフランス陸軍高官も頷いている。

「イタリア戦線に派遣されるべきだ。」

イタリア大使も大声で叫ぶ。フランスは2度にわたるパリ攻撃、しかも2度目は毒ガスで市民にまで多大な被害が出ていて増強は急務であった。
対するイタリアも防衛線で何とか踏みとどまっているものの、反撃に移れる段階ではない為に何としてでも日本軍を配備して欲しかった。
また参戦条件で独自指揮権もある事は明記されてはいたが両国とも何とかして自国の指揮下で日本軍を運用しようと画策し始めていた。
もっとも日本側もそれを予測していたようで

「わが軍はフランス北部及びベルギー方面への配備を希望する。」

と上原大将が主張する。

「それは何故でしょうか?」

「わが国は先の戦争にてドイツや貴国らと戦火を交えている。その為、どの様な間違いが起こるか分からない。」

思わず聞き返すフランス陸軍高官にそう切り返す。

「またドイツ軍がわが軍目掛けて毒ガスの集中攻撃を行う可能性もある、それに巻き込んでしまう。」

そしてドイツ軍を引き合いに出してパリ配備案を一蹴する。またイタリア戦線には地中海艦隊とリビアに増派した戦力で支援を行うことを主張。
その後の話し合いの結果、ドイツ軍占領下のダンケルクに強襲上陸を行い同地を確保。その後にベルギーへ進撃することが決定。確保後のダンケルクは
予備部隊と英本土からの派遣部隊が防衛。また日本軍の進撃には英仏各1個師団と亡命ベルギー軍1個大隊が帯同する事も合わせて決まった。そして・・・


1915年9月15日 06:00 フランス北部ダンケルク ドイツ某軍団司令部


「駄目です、艦砲射撃が激しくて塹壕から出られません。」

「ああっ、味方の塹壕が根こそぎ吹っ飛ばされました。」

軍団司令部へ悲鳴のような通信が引っ切り無しに舞い込む。現在ダンケルク一帯は早池峰型6隻(46㎝砲×48) 天城型4隻・加賀型2隻(41㎝砲×60)及び
飛龍・蒼龍・鳳翔の艦載機による艦砲射撃及び空襲にさらされていた。この軍団(3個師団+α)は日本軍のダンケルク上陸作戦が行われるという情報を掴んだ
ドイツ軍が急遽ベルギー占領部隊より抽出して派遣した部隊であった。

「海軍は・・・海軍はどうした。」

軍団長が咆哮する。

「海軍は壊滅状態、Uボートも徹底的に狩られた様で阻止できません。」

その言葉の通り、日本軍は事前に徹底的なUボート掃討作戦を実施して安全を確保、その後も厳重な対潜警戒ラインを敷いていたのでUボートは近づくことすら
出来なかった。この艦砲射撃によりダンケルク海岸の防衛設備はすべて破壊され水際防御を企んでいた1個師団がほぼ壊滅していた。
おまけに空襲により切り札だった列車砲も破壊され、最早上陸作戦を阻む手立てはなかった。そして不意に艦砲射撃が止まる。

「海岸部の生存者から報告、戦車が・・・戦車が海に浮かんで海岸目掛けて進んでくるとの事です。」

「な・・・何だとぉ!!」

614 :ライスイン:2015/03/19(木) 18:28:23
1915年9月15日 06:30 ダンケルク海岸

「進撃せよ、上陸後は速やかに内陸部へ侵攻し海岸の安全を確保せよ。」

海軍機械化陸戦旅団の特71式内火艇50輌と特72式内火艇30輌が海岸目指して進み、その背後を揚陸艦から発進した大発・特大発がついていく。
時折生き残ったドイツ兵から機関銃や小銃による射撃を受けるも即座に撃ち返して沈黙させる。そして遂に上陸を開始する。

「上陸成功を打電せよ、我等は艦砲の支援範囲ギリギリまで進撃する。」

上陸地点の確保に成功した旅団は後方の船団に上陸成功を打電。すると船団からも各種揚陸艇が発進する。
日本軍はこの日の戦闘でダンケルク及び周辺を確保。そして1週間後の9月22日までに全部隊の上陸が終了しベルギーへ向けて進撃を開始。
圧倒的な機動力と打撃力と航空支援によりドイツ軍がパリ方面に兵力をさいていた事もあって10月末までにはベルギー全土を解放した。
もっとも問題も多く発生していた。
国土の早期回復に酔ったベルギー政府の一部高官が英仏軍による駐屯を働きかけ、日本軍に対して

「目的を果たしたのだから早急にベルギー領土より退去して戴きたい、」

と発言。これに対して上原大将は

「ならば代わりにドイツ軍を連れてきましょうか?」

と応対。この件に関しては英仏の反発もあってベルギー政府は謝罪し発言した高官は更迭された。
また事前の予想通りドイツ軍は毒ガスを大量仕様に踏み切っていた。もっとも防毒装備や医療体制が徹底していた日本軍に被害は殆ど出なかったが
巻き添えを食らったベルギー市民が万単位で死傷。これに対して日本軍は当然の事ながら報復を行った。


1915年11月3日 ドイツ ヴィルヘルムスハーフェン軍港沖

「只今から毒ガス攻撃に対する報復を行う、戦略艦砲射撃用意。」

遣欧艦隊旗艦高雄の艦橋で遣欧艦隊司令が叫ぶ。
今回はベルギーでの毒ガス攻撃に対する報復としてドイツ帝国の重要な軍港都市であるヴィルヘルムスハーフェンに対して戦略艦砲射撃実施する為に徹底的な
Uボート狩りを行いつつ進出してきていた。投入戦力は主戦力だけでも

戦艦:加賀 土佐、常陸 周防

巡洋戦艦:天城 赤城 愛宕 高雄、早池峰 大雪 常念 穂高 白馬 黒部

航空母艦:飛龍 蒼龍、鳳翔

巡洋艦:関ヶ原 三方ヶ原 鳥羽伏見 壇ノ浦(各20.3㎝砲9門 計36門)、最上 三隈 熊野 鈴谷(各15.5㎝砲12門 計48門)

警戒に当っている他の巡洋艦や駆逐艦を合わせると膨大な数であり、現在の欧州全海軍艦艇を合わせても打ち破る事の出来ない存在であった。
なお最上型4隻は本土からの輸送船団の護衛に就いていたものでそのまま遣欧艦隊の所属になっていた。
当然ながらドイツ海軍も阻止行動に出たが前述のとおりUボートは尽く沈められ、巡洋艦や駆逐艦に魚雷艇も攻撃可能な位置に就く前に撃退された。そして

「撃てぇ~!!」

遣欧艦隊司令の砲撃命令が各艦に伝わり、一斉に艦砲射撃が開始される。放たれた砲弾は港湾設備や建造ドック、砲台など様々な施設を破壊していく。

「弾種を70式榴弾(史実3式弾モドキ)に変更しろ。情けは無用、徹底的にやれ」

今回の攻撃において現地ドイツ市民への被害は一切考慮されていなかった。いくら自分達が人道的に行動しても市民を巻き込む毒ガス攻撃を行う連中に
対しては弱腰としか受け取らない。なので行動の代償を支払わせることで今後そういった行動を抑制させようと考え、今回の報復的戦略艦砲射撃が
策定されたのだった。
これら艦砲射撃に加えて艦載機による空爆も行われた結果、ヴィルヘルムスハーフェン軍港一帯は完全に壊滅し軍港としての機能も完全損失。
市民の犠牲者も2万人以上に上った(避難の際の押し合いによる圧死や事故死など間接的な死者も含めて)。
また翌日には空母部隊がギリギリまで接近してのハンブルグ造船所へ空襲を敢行し造船所を破壊。建造中だったケーニヒ級戦艦3隻を廃艦に追いやる被害を与え、
今後のドイツ海軍の建艦計画に致命的な損害を与えた。
そして一連の日本の攻撃にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世以下政府首脳部は恐怖し日本軍に対しての毒ガス攻撃を禁止する命令が出されたのだった。

 またイタリア戦線においてはダンケルク上陸後の9月20日にオーストリア軍占領下のジェノヴァへ上陸作戦を敢行。数日の戦闘で同都市を占領下に置くと共に
フランス本国との連絡線の構築に成功すると共に戦車や重砲を組み合わせた重厚な防衛線を構築。奪還を目論むオーストリア軍の攻撃を幾度も跳ね返し、
リボルノ~フェレンツェ~リミニの防衛ラインのイタリア軍と対峙するオーストリア側の兵力の多くを引き付け、イタリア軍に対する圧力を減らす結果となった。

617 :ライスイン:2015/03/19(木) 18:37:17
~とある戦場の片隅

「美味い、この日○の粉末ミルクティー中々良いじゃないか」

「この牛缶に鳥飯缶、つまみには最高に合うぜ、。」

「日本のワインも予想以上の出来だな。」

「わが国のワッフルよりも出来が良い。」

ダンケルクに上陸した日本軍に帯同していた英仏ベルギー軍兵士は日本軍から支給された糧食や甘味類の自国産を上回る質に脅威を覚えると共に喜びながら
美味しく召し上がっていた。またイタリア戦線でも

「このナポリタンやピザ、なんて美味さなんだ。」

イタリア兵が日本の後方支援部隊(※6)の作る料理を美味しく頬張っていた。
この様に日本は軍事面だけでなく食文化面でも欧州を席巻しようとしていた。

※1:日本軍海軍の揚陸艦。性能は航空偽装が廃された他、特大発運用の為、史実より若干拡大されている。

※2:戦車・機械化部隊に追従可能な自走砲を装備した機械化砲兵部隊。

※3:塹壕戦突破の切り札として制作された自走砲を集中運用するために編成された部隊。74式中戦車の車体に20㎝ロケット臼砲を搭載した74式自走臼砲や同じく
   69式中戦車の車体に固定式に短12㎝砲を搭載した71式突撃榴弾砲などが配備されている。

※4:203㎜以上の重砲を戦略的に運用するために設立された専門の砲兵部隊。

※5:千葉県大洗町に駐屯する日本陸軍の戦車教導部隊。隊員に実戦を経験させるために欧州へ派遣された。
   第1中隊(通称あんこう中隊)、第2中隊(通称アヒル中隊)、第3中隊(通称カバ中隊)、第4中隊(通称ウサギ中隊)、第5中隊(通称カモ中隊)
   第6中隊(通称レオポン中隊)、第7中隊(通称アリクイ中隊)、教導団本部(通称カメ部隊もしくは生徒会)という変則的な部隊編成。

※6:ジェノヴァ攻撃部隊とは別に調理や医療に補給などの後方支援部隊を派遣していた。この中には軍属として従軍中の調理師も多く、彼らの作る料理は
   イタリア兵を満足させていた。

おまけ 日本軍の新型戦闘車両

71式突撃榴弾砲 重量19t 120㎜12口径榴弾砲×1(固定装備)、7.7㎜機銃×2 装甲厚15~50㎜ 乗員5名 速度:17㎞/h 外見:43MズリーニィII似

74式自走臼砲 重量29t 203㎜ロケット臼砲×1、7.7㎜機銃×2 装甲厚20~70㎜ 乗員5名 速度:19㎞/h 外見:シュトゥルムティーガー似

特71式内火艇 重量8.5t 37㎜46口径戦車砲×1、7.7㎜機銃×1 装甲厚9~18㎜ 乗員3名 速度:23㎞/h(陸上) 6.0㎞/h(水上)

特72式内火艇 特71式の主砲を57㎜18口径砲に換装した支援型。


 ようやく第16話が完成しました。
遂に日本軍が欧州に上陸、圧倒的な火力で短期間でベルギーを奪還しました。少々やり過ぎだとは思いますが自分達の被害を極力減らすためと夢幻会連中が自重を止めて
本気を出した結果、こうなったという設定です。師団名とかは適当です。あと日本軍は極力毒ガスは使用しない予定(使わないとは言っていない)で毒ガスが使われた
場合は圧倒的な火力で敵の重要拠点をせん滅する方針で仮に敵が市民を巻き込む攻撃(ベルギーでの毒ガス使用)を実施した場合はヴィルヘルムスハーフェンの様に
住民諸共消し去る事を躊躇いません。そのおかげで皇帝がビビッて日本軍への毒ガス攻撃禁止を厳命しましたが。
あおれと今回もネタを多く入れていますがご容赦ください。
因みにこの時期の陸戦では西部やイタリアでは双方損害が大きいせいかにらみ合いに終始。東部ではアジアの支配地域から徴収した兵士を突撃させるロシア側とそれを
防ぐ枢軸側という状態が続いています。

~予告~

日本軍のベルギー解放は大きな反響を呼んだ。枢軸側では早急な勝利を得ようとベルギー国境の防備を固めると共にパリ方面を強化。連合側は日本軍の大戦果に焦り、
パリ西部に位置するドイツ軍に対する冒険的な攻撃に出てしまう。

次回”激戦、第3次パリ攻防戦”

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最終更新:2015年06月13日 19:27