297 :ライスイン:2015/07/20(月) 22:29:01
1919年1月18日、パリで講和会議が開かれているこの時、アメリカの世論は激高に包まれていた。
英仏・・・特にフランスから事実無根の疫病拡散疑惑を突きつけられていたからだ。

「ニューヨークで不審な風邪(※1)が流行していたにも拘らず、感染した兵を派遣し欧州に拡散させた」

この様に主張するフランスはアメリカに対して債務の帳消しや各種援助、そして大統領の謝罪を要求。
これにイギリスやベルギーも同調し同様の要求を行う。
そして講和会議の場においてはフランスが主張する”アメリカ風邪”を前面に押し出すなどして日米には旧式兵器や
特許の一部、そして欧州市場の申し訳程度の開放という碌な賠償を渡さなかった。
抗議するアメリカに対しては

「碌な活躍をせず、疫病を拡散させた癖に文句を言うな。貰えるだけありがたいと思え」

と言わんばかりの傲慢な態度で対応。これが余計にアメリカ国民を激怒させていた。
だが後に彼らは大きな代償を支払うことになる。



               「日米露三国同盟外伝02 アメリカの怒り、風邪の真実」 


1919年6月29日  アメリカ合衆国 ホワイトハウス

「大統領閣下、講和会議に参加していた国務長官からの報告です。」

ウッドロウ・ウィルソン大統領に対して補佐官が昨日締結された講和条約についての国務長官からの報告を手渡した。

「英仏はあの内容から一切譲らなかったか。」

「はい、我が国の失態とやらを強硬に主張し押し通しました。」

報告書の内容から英仏とそれに組するベルギーやポルトガル等の横暴さが見て取れる。

「同様に日本に対しても”乃木将軍や東郷提督の愚行”(※2)とやらに加えて戦果不足(※3)を盾に強引に押し切った模様です。
  そしてつい先ほど入ってきた情報ですがイギリスが日英同盟を一方的に破棄しました。」

298 :ライスイン:2015/07/20(月) 22:29:32
日本に対しても自分達に対してと同様に碌な賠償を渡していなかった。しかも逃げ出した挙句に(※4)英雄を見殺しにし、
おまけにドイツ国内に侵攻しケルンすら占領したにも関わらず、日本は碌な戦果を挙げていないと言い張る傲慢さ。
序に用済みとばかりに国家間の同盟を一方的に破棄する愚行。
帰還したパーシング元帥やマッカーサー准将らから日本軍の勇猛果敢さや紳士的な行動、そして活躍ぶりを直に聞いていた
ウィルソン大統領は激しく憤った。

「忌々しい旧大陸人共め、碌な判断すらできないほど退化したか。」

少しばかり英仏を罵った後、漸く落ち着いたウィルソン大統領は集まっていた閣僚や補佐官達の方へと向き直った。

「それで・・・調査の結果はどうだった?」

「各情報機関や国立衛生研究所の連中がアメリカ風邪と言い張るインフルエンザの発生源は北アフリカのアルジェリアです。
  駐屯するフランス兵や植民地兵が本国へ移動し感染が広がった様です。」

調査報告によるとインフルエンザの発生源は北アフリカのフランス植民地アルジェリアであった。大戦中盤頃より発生していた
このインフルエンザは住民だけでなく駐留するフランス兵にまで感染。しかも兵力不足に陥っていたフランスはそれらの事実を
無視して駐屯兵の本国移動を強行。移送先であったトゥーロンを中心に感染が拡大し、あの大流行となったのであった。

「アルジェリアとトゥーロンでの症状はほぼ一致しています。更にフランス政府が医師や保健当局からの報告を無視している
  証拠も掴んでおります。」

当然の如くあった医師や保健当局からの報告書や警告を政府や軍部が無視し、握りつぶしていた事も把握。本来破棄されるはずであった
これ等の報告書を盗み出したり買収するなどして入手していた。

「証拠は掴んだな。よし、今から世界各国の主要紙を買収するのだ。1週間後をめどに全世界に発表するぞ。」

ウィルソン大統領は決断を下した、フランスとそれに組する連中に鉄槌を下す為に。


 1919年7月6日、世界は驚愕に包まれた。英仏がアメリカ風邪と呼称していたインフルエンザがフランスが感染原因であることが
証拠付で世界各国の主要紙の一面を飾っていた。これにより(主に欧州の)人々はフランス政府の嘘とアメリカの無実を知ったのであった。
無論フランス政府は

「事実無根でありフランスに責任をなすりつけようとする非道な行為である。」

との声明を発表しアメリカに抗議すると同時に自国を含めた世界各国の主要紙に反論文を掲載しようと企んだが、幾人も出て来た告発者(※5)
に資料や議事録などをぶちまけられて更なる打撃を受けていた。特に痛かったのが英仏で行われた秘密会議の場でのアメリカに全ての責任を
押し付けるという内容が記載された議事録が漏れ出た事であった。白を切ることが出来なくなった英仏に対しアメリカは

「不正を暴き、我が国の名誉を取り戻すためには野蛮な手段の行使も躊躇わない。」

とのウィルソン大統領の声明を発表。同時に戦争終結時から続いていた動員解除の停止と大西洋艦隊が出師準備入った事も発表。
責任を認めて謝罪と賠償に応じるかそれとも戦争か・・・、選択を迫られた英仏は遂に折れ条件交渉に応じる事になった。
対してアメリカは応じる代わりに交渉場所にブレストを指定。同時にウィルソン大統領自ら出席することも発表した。

299 :ライスイン:2015/07/20(月) 22:30:02
1919年7月15日 フランス ブレスト

この日、交渉が行われる地である軍港都市ブレストは騒然としていた。それは市民だけでなく交渉の為に集まった英仏首脳も同じだった。
ウィルソン大統領を乗せてブレストに現れたアメリカの船団は

○サウスダコタ級戦艦(Dプラン):サウスダコタ(大統領搭乗)、インディアナ

○コロラド級戦艦:コロラド、メリーランド、ウェストヴァージニア

○テネシー級戦艦:テネシー、カリフォルニア

○ニューメキシコ級戦艦:ニューメキシコ、ミシシッピー、アイダホ

○軽巡洋艦3隻 防護巡洋艦10隻 駆逐艦20隻 特設水上機母艦2隻 補給艦その他10隻

という戦争しに行くかの様な凄まじい船団であった。この他にも海兵隊1個師団を乗せた輸送船団も随行していた。

「ウィルソン大統領、これはどういう事ですか?」

港へ降り立ったウィルソン大統領に治してポアンカレ大統領やクレマンソー首相、そしてロイド・ジョージ首相が詰め寄った。

「ただの護衛ですよ、何があるか分からないですからね。」

しれっとした顔で護衛だと言い張るウィルソン大統領。

「もっとも交渉の行方次第では彼らが職務を果たすことになるかもしれませんが。」

このウィルソン大統領の言葉で英仏首脳らはゴネる事を断念。そして行われた交渉の結果、米英仏インフルエンザ真相究明上位役が
締結された。主な内容は

1:フランスはアメリカ風邪と称したインフルエンザが自国が発生・拡大の原因だったことを認める。

2:イギリス・ベルギー・ポルトガルは1の項目を認める。

3:これらの国々はアメリカ合衆国の国家国民の名誉を汚したことに対して真摯に謝罪、またその内容をメディアを通じて公表する。

4:これらの国々はアメリカに対する不当な要求を撤回、同時に与えた損害に応じてアメリカに対して賠償を行う。

というものであった。
これによりアメリカ合衆国は名誉が回復され、国民も英仏が屈伏して賠償を得られたことに満足した。反対に英仏、特にフランスは
政府による隠避や他国に責任を擦り付けた事を野党や国民から追及され政治的な混乱が発生。最終的には複数の閣僚や大統領の
辞任及び多数の逮捕者を出すに至った。

※1:実際は普通の風邪であった。

※2:ユトランドやヴェルダンでの自分達の失態を誤魔化す為に戦死した両名に責任を押し付けた。詳しくは本編1話参照。

※3:ドイツ国内にまで侵攻し、終戦時にはケルン占領を果たすなど大きな戦果を挙げていたが賠償の分け前を低くする為などの
   目的から盛んに戦果不足を主張していた。

※4:頭部を強打し錯乱した結果、自国艦隊に撤退命令を下したジェリコー大将。そしてドイツ軍の猛攻に恐怖して逃げ出した
   フランス軍ヴェルダン要塞司令官の事。

※5:良心の呵責に耐えきれなかった者やアメリカに買収された者達。

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最終更新:2015年09月09日 21:16