556 :ライスイン:2016/01/16(土) 15:59:34
1933年3月4日のフランクリン・ルーズベルトの大統領就任。この日を境にして非常に良好であった日米関係が悪化していった。
それには以下の要因があった。

①国内支持者たちの思惑

 大統領選立候補から彼を支えてきた国内の資本家達、彼らの飽くなき欲望が齎した影響は大きかった。丁度彼らは世代交代して間もなく、
それまで先代たちが日本と協力・協調する事で莫大な利益を上げるのを傍らで見ていた。
そしてこう考えたのだ

        ”協調してこれほどの利益なのだ、独占すれば更に凄まじい利益を上げられるだろう”     と。

 彼らはルーズベルトを積極的に支持する傍らで彼に対して極東進出の強化と日本が不当に独利益を独占している事、そして
日本を含めたアジア全域を合衆国の管理下に置く事によって合衆国を永続的に発展させるべきだと説いたのだった。

②国外支持者たちの思惑

 国外において彼を支持していたのは主に中華民国と英仏などであった。
中華民国は幾多の対日陰謀の失敗と日本との戦争に敗北した代償として多くの領土を奪われ、賠償金・賠償資源を科せられていた。
そのせいで国内投資や軍備拡張が出来ず、軍閥や共産党との内戦で苦戦し中華民国総統蒋介石は日本に対して憎悪を募らせていた。
また彼の妻の実家である浙江財閥などの国内資本家たちも日本への領土割譲や日本企業の進出で衰退し、内陸部や列強租界のある上海や
英領香港で辛うじて食いつないでいる状態であった。それは世界各国の華僑たちも同じであった。彼らはアメリカに親中政権を誕生させて
日本とアメリカの関係を悪化させると同時にアメリカと同盟して日本に戦争を仕掛けて領土や利益を奪いう返すことを計画。
国民に重税を課して得た資金や資本家が辛うじて稼いだ利益を中華系アメリカ人を経由してルーズベルト陣営に送金。また蒋介石は妻の
宋美齢を始めとした米国留学経験のある要人をアメリカに派遣し積極的に中華の苦境と日本の悪行を宣伝させていた。
 また英仏に関しては大きく動くと日本に勘付かれてしまうと判断し、自国系のアメリカ人を通した献金のみに留めていた。

③ソ連の思惑

 同時多発クーデターでロシア帝国を吸収したものの、一部皇族と大半の資本家に逃げられてしまい当てが外れたソ連。彼らは共産主義の理想と
ソ連人民の苦境を訴えることでアメリカから各種支援を引き出すと同時に親ソ政権を誕生させ、将来的にアメリカを共産化する目的から
ルーズベルトを支援していた(同時に日米対立も煽っている)。

④自身の野望

 合衆国の海外領土を大幅に拡大し、多大なる利益を齎した叔父のセオドア。ルーズベルト自身は何時かこの偉大なる叔父を超えたいという野望に
抱いていた。当初の彼は日本人に対してそれほど悪い感情を抱いていなかったが不況下において一部の思い上がった日本人が沢山の白人美女を
侍らしている光景を幾度も目撃した結果、対日感情が悪化。また日系人に対しても当初は勤勉でまじめと感心していたが彼らがどんな仕事でも嫌がらずに
真面目に働く為に白人労働者の職が奪われていると考えるようになっていった。
そのような中で彼は”悪逆な日本”を成敗し領土と富を奪い取る事で合衆国に利益を齎し、同時に日本を民主化し忠実な同盟国(という名の属国)にする。
これにより”もっとも偉大な最高の大統領”・世界の守護者・アジアの解放者などの名誉を手に入れようと目論んでいた。

 この急激な事態の変化に対して日本は取れる手段は殆ど無かった。それまでの友好により在米日本人が注目されていた事もあり目立つ行動が取れなかった
という事もあったがルーズベルトの周囲はすでに固められていて介入の隙が無かったのだ。

                                        ~大日本帝国外務省・北米総局による報告書より抜粋~

557 :ライスイン:2016/01/16(土) 16:00:36
孤立大陸 第24話「大悪魔フランクリン」


 1933年5月5日 東京・嶋田御殿

「あなた、結果はどうなりましたか?」

「成立は確定したよ、あとはどれだけ人を集められるかだ。」

帰宅した嶋田にアナスタシアが尋ねる。前年に起きたロシア帝国における同時多発革命は世界に衝撃を齎した。なにせ多くの国土を失いソ連と対峙している
とはいえ日本との関係再構築で持ち直そうとしていたロシアが崩壊し皇帝以下政府閣僚が死亡したのだ。衝撃から何とか立ち直った日本は工作員や特殊部隊を派遣して要人の保護を行うと同時に可能な限りのロシア資産の回収を行った。更にシベリア総軍を越境させて脱出してくる難民の保護を行った。その結果、
オリガ皇女・タチアナ皇女を含めた少数の有力者の救助に成功し多くの資産の持ち出しにも成功。また軍の越境により難民を追撃しようとするソ連軍や
寝返ったロシア軍部隊の追撃を防ぎ、多くの難民を脱出させることに成功していた。そして現在は脱出してきた難民を居住させ、同時にソ連に対して圧力を
かける目的で国家を創設する事が提案。現在日本領となっている旧ロシア領の一部、東経155度以東の極東地域を領域とするロシア王国(首都エヴェンスク)の
創設が決定した(※1)。

「初代女王にはタチアナ皇女が就任、オリガ皇女は陰から対外工作やソ連領内でのレジスタンス活動を指揮するようだ。」

「よ・・・よかった。」

嶋田の言葉に安心したのかアナスタシアは笑みを浮かべて嶋田に抱き着いた。
この後、同年の10月に正式に成立したロシア王国は同地域の居住者や脱出してきた難民と各国から移住したロシア系移民等を併せて人口は300万人。
有力な工業地帯(※2)を有し、軍隊も日本から供与された兵器で武装するなど比較的高い国力を持った状態でスタートしたのだった。


 その後も世界各国では様々な変化が起こっていた。ナチスが政権を握ったドイツでは反ユダヤ・反朝鮮主義が吹き荒れ両民族が弾圧の対象となっていた。
そしてそれはナチス突撃隊粛清を含めた全国的な大規模粛清、通称”長いナイフの夜”にまで発展。
 突撃隊幕僚長レームなど史実における粛清者に加えて突撃隊名誉幕僚の李承晩(※3)、突撃隊テソウル地区指揮官の金聖柱、共産党テソウル地区書記の安重根、国会議員の金九(ドイツ朝鮮党党首 元テソウル市長 ※4)など旧連合国の嫌がらせ目的の支援によりドイツで成功(笑)した朝鮮人たち(※5)も多数含まれた。
この事件以後、ドイツ国内ではユダヤ人と朝鮮人は差別と弾圧の対象となり、多くが収容所に収監されるか運が良くても国外追放となった。

 またイギリスではマクドナルド内閣が日本を意識して軍拡(※6)を開始。フランスに至っては単独与党となったナポレオン戦線の党首シャルル・ド・ゴールが
大統領と首相を兼ねる総帥に就任。そして圧倒的人気や軍部の支持を背景に1ヵ月後に帝政を宣言し皇帝に即位。フランス帝国(第三帝政)と皇帝ド・ゴールが
誕生した。そしてアメリカでも・・・

558 :ライスイン:2016/01/16(土) 16:01:07
 1933年6月3日 アメリカ合衆国 ホワイトハウス  特別閣議

「漸くこの時が来たな。」

大統領執務室でフランクリン・D・ルーズベルト大統領は感慨深そうに呟いた。彼の周囲には副大統領のヒューイ・ロング、補佐官のハリー・ホプキンス。
商務長官ヘンリー・モーゲンソーなどの閣僚に加えて招待された(世代交代後の)財閥関係者らが居た。

「叔父(セオドア)は甘すぎた、確かに友好を訴えて多大な利益を得て国威を大いに高めた。しかし・・・。」

「有色人種は躾けたほうが我等の利益になる・・・ですか。」

ルーズベルトの言葉に続けてロングが発言する。

「そうだ。日本を民主化し、真なる友好関係(忠実な属国)を構築するのだ。さすれば私は叔父を超える偉大な大統領となれるだろう。」

自身の野望を漏らすルーズベルト。彼は偉大な叔父を超える存在になりたいという野望に取り付かれていたが周囲の誰もが同じ考えなのか口を挟まなかった。
彼らは皆”有色人種の分際で合衆国が本来得るべき利益を独占している”と思い込んでいたからだ。

「ですが大統領、前政権までの影響で国民の対日友好は高いです。何らかの工作が必要です。」

国務長官のコーデル・ハルが進言する。

「既に中華民国の蒋介石(※7)には話は通してある。直には無理だろうが来年当たりには大きく動くだろう。」

中華民国総統の名を挙げて不適に笑うルーズベルト。

「では今のうちから国民の日本に対する反感を高めるように工作します。」

招かれた一人であるウィリアム・ハーストが胸を張りながら言った。
この特別閣議の後にアメリカのメディアは徐々に対日批判を(捏造も交えて)行うようになり、次第にアメリカ国民の反日感情も高まっていくのであった。
しかし急激な反日路線への変化に戸惑いと反感を持つ国民は多く、アメリカの世論は大きく割れていった。


 1934年2月1日 東京 夢幻会会合場所

「ルーズベルトめ、遂に本性を現し始めたか。」

「大陸で火が吹いたのも奴の差し金だったからな。」

会合の場ではルーズベルトに対する怨嗟の声が溢れていた。
前年の特別閣議後から徐々にアメリカは反日政策を行うようになってきた。民主党が多数を占める州で排日移民法(※8)をさせ、外交面でも
日本に対して関係正常化と称して更なる市場開放や米国製兵器の採用(※9)を要求し始めた。また中華民国に対して民生支援や匪賊討伐への支援などの題目を掲げて資金援助や余剰兵器の供与・格安売却すら行っていた。それにより(見た目は)大幅に強化された軍隊の威容に増長した蒋介石は満州や遼東半島などの
日中国境に軍隊を配備して盛んに挑発を行っていた。

「すでに武力衝突も発生しています。」

報告の通り小規模ながらも何件も偶発を装った武力衝突が発生。すべてが中国側から仕掛けられたものであったが中国側は

”悪辣な日本による陰謀であり更なる中華侵略の兆しである”

と主張。勿論日本側も黙ってはおらず、証拠をそろえて中国側を糾弾した。しかし米英仏独伊ソなど各国の主要紙は揃って中国支持・日本非難の記事を掲載。
それらの国々も日本に対して批判的であった。中国側の挑発や偶発を装った武力衝突は日本側が大量の爆撃機を北京や南京をはじめとした中国主要都市上空を飛行させるいう”威嚇”を行った事で止んだがそれでも中国側による対日批判は止まず、遂に国際連盟から調査団(リットン調査団)が派遣されて調査を行い、丁度本日に結果が発表されることになっていた。

「ふんっ、米英仏主導の調査団だ。どうせまともな結果など出ないだろうよ。」

結果は分かり切っていると言わんばかりの言葉に参加者全員が同意する。しかし結果は予想以上にとんでもない内容であった。

559 :ライスイン:2016/01/16(土) 16:01:38
 同日 ジュネーブ  国際連盟本部 


「以上で報告を終わります」

調査団の責任者である英国のリットン伯が報告を終えて壇上を降りる。
その余りの調査内容の酷さや支離滅裂さに国連大使はおろか、臨時出席していた松岡外相も絶句していた。その内容を抜粋すると

01:事の発端である中華民国側の挑発については日本特務機関によって買収された軍人が指示した物であった。

02:武力衝突に関しても同様に日本に買収された関係者が指示して行ったものであるが、一部では日本軍が先に攻撃した痕跡が散見された。

03:日本は挑発発生前に陸空戦力を増強していて侵略する意図は明白であった(実際は中国側の兵力増強に対応したもの)。

04:山東省・江蘇省や遼東半島が日本化(※10)されていた事も中国人の憎悪を煽り、緊張を生み出す要因となった。

等々あきらかな捏造や今回とは関係無い事も含めて日本に対する悪意に満ち溢れた内容で満ちていた。
(調査団の人員も米英仏独ソ中と日本の不利になる構成という徹底ぶり)

アメリカの武器供与については触れさえしておらず、おまけに調査にかかった費用(※11)も日本に請求するに至り、松岡外相は激怒して報告の撤回と
再調査を要求したが聞き入れられなかった。


 1934年2月2日 東京 夢幻会会合場所


「「「「「・・・・・」」」」」

会合参加者達は松岡外相からの緊急報告に絶句していた。自分達の予想より遥かに斜め上の内容であったからだ。

「まさかここまでとは・・・。」

「連盟も最早機能していませんな。」

連盟主要国の内、日本に味方するのは最早トルコだけという状態であった。そんな状況では我が国の要求は通る事は無い。
彼らがその結論に至るのは早かった。

「では軍備増強を前倒しするしかありませんな。」

「やむを得ないでしょう、今こそ世界から毟り取った富を使う時です。」

参加者の一人の言葉に大蔵次官に就任していた辻が胸を張りながら言った。

「では松岡君に連絡して次の会議で連盟脱退を突きつけさせましょう。」

560 :ライスイン:2016/01/16(土) 16:02:14
1934年2月9日 ジュネーブ  国際連盟本部

「では日本に対する中国との和解を勧告いたします。」

本日の連盟総会では英国などが共同して提案した”日本に対して大幅譲歩による対中和解勧告”が発表されていた。
内容はあくまでも勧告であったが大陸領土の”返還”が含まれていた。共同提案した英国などはこれを機に日本に対して様々な圧力を加える予定であった。

「議長、発言を求めます。」

松岡外相が議長に対して発言を求めた。会議に参加していた各国の大使や特使たちはこれを勧告に対する反論だと思った。だが・・・

「大日本帝国は只今を持って国際連盟から脱退します。」

大声で言い放った松岡外相は騒然とする議場を足早に立ち去った。
その翌日、日本は国際連盟からの脱退を正式に発表。併せて外敵の脅威から領域を守る為の軍事力増強も合わせて発表した(内容は非公開)。
これに対し米英仏独ソ中各国は政府声明による非難を行った。中でもルーズベルト大統領の避難は激しくラジオ談話や主要紙への寄稿まで
行って日本を糾弾した。

「日本の決定は長年続いた米日友好への裏切りであり世界侵略への醜い野望に満ち溢れている。」

この様に声明を出したルーズベルトは民主党が多数を占める上下両院に働きかけ、日米通商航海条約を破棄させたり日本への最恵国待遇を廃止させ、
更に日本企業に対する規制(※12)を強化させた。だがこれは間違いであった。
この措置により在米日本企業は提設備などを売り払うなどして徐々に撤退を開始、これによって日本企業で働いていた米国市民の多くが
失業者となった(提携先だけでは失業者を吸収できなかった)。
更に日本が報復で最恵国待遇など優遇措置を廃止し米国から輸入していた資源を東南アジアやトルコに切り替えた。これらの影響から米国内は
大恐慌に匹敵するくらいの不況の嵐が吹き荒れて景気が大幅に後退。ホワイトハウス前ではルーズベルトの製作に抗議する市民が連日10万人以上
押し寄せていた(景気対策の為と称して年金支給額を減額された退役軍人も多数含まれていた)。

 これをルーズベルトが反対意見を無視して大統領権限により軍部隊を投入して鎮圧(※13)し多くの死傷者が発生し米国各地での抗議運動に発展。
これに対抗してルーズベルト支持者が各地で大統領支持集会を開くなど米国内は荒れ、その影響から多くの人材流出を招いた。
 大統領のデモ鎮圧命令に抗議して陸軍参謀総長を辞任し退役したダグラス・マッカーサーは前政権時代に完全独立を果たしていたフィリピンに
軍事顧問を打診され、家族自分を慕う将兵ら(元レインボー師団の将兵)と共に移住。後にフィリピン軍総司令官に就任した。
 パットン少将も旧知のケマル大統領の誘いを受けてトルコに渡り客員軍人となるなど先の大戦で活躍した軍人の一部が国を離れていった。
それだけでなくアインシュタインなど史実における原爆開発に関わったメンバーの多くが狂気に蝕まれていく米国を見限って日本や満州に移住し
また彼らの誘いに乗りドイツからヴェルナー・ハイゼンベルク、イギリスからはアラン・チューリング(※14)が同様に移住を決めたのだった。

561 :ライスイン:2016/01/16(土) 16:02:44
※1:最初は自治都市の予定であったが予想以上に多くの住民を救助できた事やその後も脱出してくる住民が多かったことから急遽国家建設に格上げした。

※2:寒冷地における拠点構築と称して整備された複数の工業都市で本土や満州の向上に比べたら質も数も低かった。

※3:一応は資産家として成功していて多額の献金を行う事でナチス党の党籍と突撃隊名誉幕僚の地位を得ていた。

※4:ドイツ国内の朝鮮人都市テソウル選出の国会議員で朝鮮人政党党首(所属国会議員は彼一人)。党是はドイツ人と朝鮮人の融合による新たな国家建設。
   もっとも国政への影響力は無く、そればかりか党是に影響を受けた朝鮮人による性犯罪が増え、多数のハーフが誕生すると共に各方面から
   睨まれる事となった。ハーフの例:オスカー・キム・ロイ○ンタール

※5:英仏などに資金援助を受けていたおかげで敗戦後の不況に喘ぐドイツ国内では成功しやすかった。もっとも敵も多かったが。

※6:大戦直後に策定された艦隊建設計画を3年遅れで完遂した英国が計画した新たな軍備増強計画。中でも目玉は海軍戦力の増強で35ノット超の
   超高速巡洋戦艦や56㎝砲搭載の超巨大巡洋戦艦の建造も含まれていた。

※7:日本軍との戦争や紛争で政敵の多くが死亡した為、比較的早期に権力を握っていた。またアメリカからの資金援助の一部を複数の米国企業を
   経由してルーズベルト陣営に流すなど彼の当選に貢献していた。

※8:日本からの移民を全面的に禁止する州法。もっともこの世界では極々少数を除き、アメリカに移民する者は居なかった(仕事での長期滞在は別)。

※9:国産兵器のみを採用し、市場が独占的かつ閉鎖的だと難癖をつけて米国製兵器の採用を迫ったもの(性能が格段に劣る為、検討すらされなかった)。

※10:日本は遼東半島や山東省・浙江省を領有した際に同地を内地化させる政策を採用していて現地の中国人(漢民族)を徐々に領外へ追放していた。
   その動きは先の紛争中に加速し、現時点でのこれらの地域の人口の割合は日本人9・ロシア人0.5・ユダヤ人0.25・その他0.25であった。
   因みに満州は日本人3・満州族4・漢民族1・ロシア人0.5・ドイツ人0.5・その他1。

※11:往復に豪華客船・特等列車を使用しホテルはスイートに宿泊。食事は毎食豪華なもので連日連夜遊女や娼婦を呼んで馬鹿騒ぎするなどした本来の調査には
    全く関係のない勝手に行った遊興・娯楽費用まで請求し日本を激怒させた。

※12:単独事業を禁止し指定する米国企業との合弁企業の設立を義務化・合弁企業の株式の日本側保有率を上限3割に設定・得られた利益の日本本国への送金禁止
   など規制というよりも日本企業の排除が目的であるかのような内容。

※13:参謀総長マッカーサーなど陸海軍首脳部や司法長官らの反対を大統領権限を用いて押し切る形で軍・警察を動かして強引に鎮圧した。

※14:当時彼は対立する研究者の陰謀でホモ疑惑を突きつけられ危機に陥っていた。そこを旧知の科学者や日本のエージェントの誘いに乗る形で満州移住を決めた。

562 :ライスイン:2016/01/16(土) 16:03:18
おまけ1  日本軍誘導兵器

○93式長距離艦対空誘導弾 (RIM-8A タロス相当)

○92式中距離艦対空誘導弾 (RIM-2B テリア相当)

○93式短距離艦対空誘導弾 (RIM-24A ターター相当)

○93試艦対艦誘導弾 (SS-N-2スティックス相当 後に96式艦対艦誘導弾として実用化)

○93試大陸間弾道弾(開発中で史実のアトラスD相当。地下サイロから発射可能、後に99式大陸間弾道弾(通称”遺憾の意)として実用化)

○91式中距離/潜水艦弾道弾(ポラリスA-1相当で陸海共用)。

○94式中距離/潜水艦弾道弾(ポラリスA-3相当で陸海共用)。

○94式地対空誘導弾(ナイキ・エイジャックス相当)

○94試携帯対空誘導弾(レッドアイ相当 後に98式携帯対空誘導弾として実用化)


おまけ2 日本海軍改装艦艇

○金剛型防空戦艦:31500t、36㎝45口径連装砲×2、12.7㎝54口径連装速射砲×6、7.6㎝62口径速射×8 93式長距離艦対空誘導弾・連装発射機×2 
          93式短距離艦対空誘導弾×2 速力:30kt

同型艦:金剛 榛名 比叡 霧島(全て1936年までに改装完了予定)

 旧式の金剛型を大規模改装して誕生した防空戦艦。主砲2基を撤去して長・短距離対空ミサイルと搭載し、対空砲も新型の速射砲に換装した。
また機関も入れ替えて重量増加に対応、30ktの維持に成功した。


○関ヶ原型防空巡洋艦:14700t 15.5㎝60口径連装速射砲×2、57㎜70口径速射砲×6、92式中距離艦対空誘導弾・連装発射機×2、93試艦対艦誘導弾×4発 
            機銃その他 30kt

同型艦:関ヶ原 三方ヶ原 鳥羽伏見 壇ノ浦 白村江 桶狭間(全て1935年までに改装完了予定)

 旧式の大型重巡を改装した防空巡洋艦。主砲を新型速射砲に換装し中距離対空ミサイルと対艦ミサイルを搭載。その代償として魚雷は撤去され速度も低下した。

563 :ライスイン:2016/01/16(土) 16:03:51
おまけ3 日本海軍弾道ミサイル潜水艦

○伊400型戦略潜水艦:3080t(水上)/3820t(水中) 533㎜魚雷発射管×4 誘導弾発射管×6(91式潜水艦弾道弾) 17kt(水上)/11kt(水中)

同型艦:伊400~403(前期型)、伊404~409(後期型)、伊410~415(後期型 94式潜水艦弾道弾を搭載。1936年までに就役予定)

日本海軍が建造した初の弾道ミサイル潜水艦。前期型と後期型が存在し、前期型は水中発射能力を持たない(現在改装中)。
1934年時点で伊409まで就役済みで核弾頭を搭載して各重要拠点への配備を開始している。


 如何でしょうか?遂に日本にとっての厄災ともいえるFDRが表舞台に登場。早速全力全開で反日路線に舵を切りました。
フランスではナポレオン並の荒技でド・ゴールが皇帝に就任、ドイツでは大粛清、イギリスでも軍備増強に走りました。そして安定の中華。因みに
本作では張作霖は満州陸上警備隊の司令官の一人で息子の張学良(調教済)は在満州の財務官僚となっている設定です。
またルーズベルトの愚行のお蔭で良識ある優秀な人材が次々に国外へ流出していきます。

 序ですが1925年の核実験以降徐々に自重を止めていって夢幻会ですがFDRの当選を機に自重を完全にやめました。その結果、潤沢な予算を与えられた
技術開発速度は猛烈に加速して現時点で1950年代後半並の技術に達しています(実用化は別)。

~予告~

 ルーズベルトの当選を機に徐々に反日化していく世界。これに対抗すべく日本は技術革新や戦力の整備を急ぎ、遂に公式に人工衛星打ち上げと
有人宇宙飛行を実施する。だがそれを脅威とおぼえたルーズベルトは積極的な外交を展開して世界各国の取り込みと日本の孤立化を図っていく。

次回”孤立する日本、そして・・・”

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最終更新:2016年01月20日 21:13