137 :リラックス:2016/04/14(木) 16:55:07
さーて、ペリー提督に苦労してもらうか。

ネタ「ペリー提督の憂鬱」

――1853(嘉永6)年7月8日 日本 江戸湾 沖合

マシュー・ペリー代将は空を仰いで考えていた。

何故、このようなことになったのだろう、と……



南北戦争前のアメリカにとって捕鯨とは文明的な生活を行う上で欠かすことの出来ない必需品となりつつあった。
当時、鯨油は家庭の燎火用や、また機械類に用いる潤滑油として広く利用されており、ニュー・イングランドの漁業者たちが北太平洋に進出を開始したのは一八三〇年代のかかばごろからのことであり、すでに一八五〇年のころになると、この方面の捕鯨業は最盛期をむかえていた。

しかしながら、これらの方面で活動する捕鯨船の乗組員にとって最大の問題は、燃料(石炭)、水、食糧といった物資の補給、さらに特別な荒天のばあいなどの安全な避難港の確保だった。
太平洋には、ハワイ諸島や小笠原群島のような多くの島々がある。

しかし、その多くは無人であって補給拠点としては難があり、また原住民のいるところでは船員と原住民の間にトラブルが発生することが予想された。
そこで目をつけられたのが太平洋の西側に存在する文明度の高い日本という国である。
ペリーは一八五〇年から五一年にかけての冬の間に、大統領フィルモアにあてて、日本と条約を締結するために艦隊を派遣することを意見具申している。
なお、ペリーは彼自身が造船監督官として開発した新しい蒸気船の商船隊のために、日本を中継点として中国の広東までを結ぶ、太平洋を横断する一定した航路を開拓するという展望を抱き、「やがて、この航路は、アメリカの商船で埋めつくされるようになるだろう」と言い残したとされているが、アメリカ人全体の意見としては、日本に開国を求める理由は、貿易の推進などということより、当面の捕鯨業の保護のため必要だったからに他ならないが(現にペリー自身がニューヨークの商業界が対日貿易に対してほとんど関心を示さないことを嘆いていた)。

そうしたアメリカの日本開国へ向けた関心についてはともかくとして、彼は訪日艦隊の司令官であると同時に、大統領フィルモアから日本の最高主権者に宛てた親書をたずさえる全権公使でもあった。

ペリーの海軍士官としての経歴の最後をかざる仕事となるであろう日本に開国を迫るというこの任務において、彼は重要なのは心理戦であると考えていた。

彼は出発前にシーボルトによる調停こそ拒否したものの、シーボルトの書いた日本についての記録を集め、他にもケンペルの『日本記』、ゴロウニンの『回想録』、宣教師シャルルボワの『日本史』、タルボット・ワッツの『日本及び日本人』、およびマクファーレンの『地理及び歴史から見た日本』など、およそ当時のヨーロッパ人が書いた日本に関する文献を可能な限り集めている。

そうした資料を元に、日本人が本来好奇心の強い民族であることを知り、一度それを剌激しておけば、あとは時間が問題を解決すると分析していた。

そこで新造艦に乗り、さらに小型の蒸気機関車や電信機といった物を展示公開用や土産物代わりに積みこんできて、最初の来訪は条約の本格的な交渉の下準備として、まずは日本人に米国が保有する技術とはどのような物かということを示すことを目的とし、

その後改めて手勢の全てを集めて来訪し、本格的な交渉に入るというのがペリーの考えたプランだった。

最初の来訪では相手に警告を与えるのに必要最低限な程度の兵力を見せつけて、二回目の来訪ではそれを上回る兵力を率いて不退転の意志を示すという、ペリーが得意とした武力を活用した交渉術である(この際、艦隊の威容をとりつくろう一環として乗員の服装に気を使うなど、様々な苦労が記録に残されている)。

わざわざ幕府の指定した長崎という交渉地を無視して、戦闘配置のままで江戸湾へ乗り込もうとしたのもその一環であった。

138 :リラックス:2016/04/14(木) 16:55:39
なお、ペリーは日本が有力な海軍を保有している可能性についてのデータも当然入手していたが、それは戦列艦のような大型木造帆船が主流であると判断していた。

そう判断した理由として、日本がオランダを通じて欧州の情報を収集することに意外と熱心であることを知っていたこと、更に1840年に勃発したアヘン戦争において、日本が全く介入しなかったという事実が挙げられる。

オランダが日本に送った情報には英国艦隊の情報も当然含まれていたはずで、仮に当時の英国に匹敵する艦艇を保有していた場合、英国に協力して分け前を求めようとするか、もしくは近隣に有力な海軍力を持つ国が拠点を備える事態になる可能性を懸念して英国を妨害するか、何れにしろ何かしらの介入があって然るべきであり、それが無いということは英国の艦隊に対抗するのは困難であると判断し、事態の静観を決めたからに他ならないと分析していたのだ。

彼を以ってしても予想外だったのは、そうした事情を理解している者(転生者)が相手側に存在しており、1世紀と数十年も前からこの日に備えて準備していたこと、そしてそうした連中が国内の危機意識を高めるために英国や清国を度々利用していたことだった。

航海は順調だった。

長期の航海を何度も行った経験から、たえず活発に動き回ることで部下に退屈させないよう注意
し、決して居住性が良いとは言えない船の中で、乗員の健康も常々留意していたため、病人の発生も問題になっていない。

そうして予定通りの日程で航海は進んでいたが、話が可笑しくなり始めたのは陸地が近付いてくるにつれ、水平線の向こうにポツポツと影が見えてきた時だった。

最初は岩礁か何かと見ていたが、徐々に距離が近付いて来ると、それは船であるらしいことがわかってきた。それも大きさからしてサスケハナと変わらないか、若しくはそれ以上の巨艦であった。


しかも1隻ではなく、見えるだけで最低6隻の蒸気軍艦がペリー艦隊目掛けて突き進んでくる。明らかな数の劣勢に部下たちの間にどよめきが起こるが、元々戦争が目的で来たのではなく、あくまでもまずは交渉を行うことが彼の仕事だ。

「相手方が妙な行動に出ない限り撃つな!」

予期せぬ戦いを行って部下の命を危険に曝すことも、不用意な行動をとって無為に事を荒立てることも避けるべきだった。

部下を落ち着かせつつ、望遠鏡の中で大きくなる日本艦隊の先頭艦の姿がはっきりしてきた所でペリー艦隊は騒然とした空気に包まれた。

「な、なんだあの艦はっ!?」

彼らの前に立ち塞がるはサスケハナ号の倍はあると思われる巨艦が2隻と、それに比較すれば見劣りするがそれでもミシシッピ号やサスケハナ号に匹敵すると思われる蒸気船が4隻の計6隻。

更に目を凝らすと恐るべき事実がわかってきた。

「船体が装甲されているだと?!」

この艦隊はペリー艦隊がいきなり江戸湾に来訪しようとすることを想定して、転生者が予め待機させておいた装甲艦扶桑、山城と幕府水軍としては旧式化が否めなかったが練習巡洋艦として今尚親しまれる金剛型、改金剛型巡洋艦の四隻であった。

139 :リラックス:2016/04/14(木) 16:56:04
まさかと何度も確認し、艦隊将兵皆が望遠鏡を覗き確認したが、先頭の巨艦2隻の船体は弦側に装甲が張り巡らせられていることが判明した。

なお、史実においては翌年1854年に世界で最初の装甲艦がフランスで建造されているが、これはクリミア戦争に参戦するに当たり、陸上砲台との交戦を想定して設計された110mmの鉄板で装甲された、帆走と蒸気機関併用の最高速力数ノットという、船というよりは浮き砲台とでも呼ぶべき代物である。

「なんだ、あの砲は……」

更に目を引いたのは上甲板に据え付けられている砲だった。装甲艦に備えられた主砲らしき砲は、既存のカノン砲とも彼が海軍の強化のため導入に邁進したペクサン砲とも明らかに違うグロテスクな異形を見せつけている。

呆然とするペリー艦隊に向けて、先頭の装甲艦から英文手旗信号が送られた。

時折明滅している灯火は明らかに発光信号だ。

「日本艦より手旗信号!
『ワレ、じゃぱん・ねいびー・ほーむでぃふぇんすふりーと(日本海軍本国防衛艦隊)旗艦扶桑、交渉ノ地トシテ指定シタ場所ハ長崎ノハズ。
何故ココニ現レタカ意図ヲ示サレタシ、繰リ返ス、何故ココニ現レタカ意図ヲ示サレタシ。返答無キ場合ハ侵略ノ意図有リトシテ攻撃ヲ開始スル』」

「……提督」

「どうやら奴らを過小評価し過ぎたようだな……」

明らかに自艦隊より有力な艦隊を持つ国に対して、先方の指定した交渉地を無視し、相手国の首都に向けて戦闘体制で突撃しようとしたのだ。

これは相手が格下なら威力外交として有効だが、格上か同格の相手にやれば喧嘩を売っていると取られかねない行為である。

自分が例えば、スペイン辺りの艦隊が本国の指定した交渉地を無視してチェサピーク湾に戦闘体制で突撃しようとした、などと聞かされたら間違いなくスペインに対して怒りを爆発させる自信がある。

『交渉の上で日本を開国する』という、確実に難易度の上がった任務の内容に頭痛を覚える前に、自艦隊に向けて今にも戦闘開始しかねない相手艦隊に向けて、交渉自体を御破算にせず、かつ自国の威信を傷つけず、更に相手の面子も潰さず納得させる返答を考えなければならないが。

それも可能な限り早急に。

ペリー提督の苦難に満ちた任務は始まったばかりである。

140 :リラックス:2016/04/14(木) 17:12:57
さて、言い訳

Q、何故日本が英文手旗信号を扱えるのか?
A、海上版モリソン号事件を防ぐためオランダ経由で入手し、教育していました。

Q、書き出し他の作品と被ってない?
A、何度か他の方のペリー提督の来訪ネタを読んだのがこの話書こうと思った理由なので、最初以外にも似たような文章になってるところがあるかもしれません

Q、何故に日本艦隊はこんなけんか腰なのよ?
A、いや、交渉の地を指定してるのに無視して国交を結んでいる訳でもない国の艦隊が首都(?)に向けて戦闘体制で突っ込もうとしていれば(少なくとも現場は)多少はね?

Q、オランダ経由で日本が蒸気船保有している情報くらい掴めるんじゃないの?
A、欧州の情勢があまりに状況が変わっても困るので日本側の要望もあってオランダが意図的にボカしました。また、アヘン戦争で介入しなかったこと、清国に対して日本があからさまに手出ししていないことによって仮に伝わったとしても眉唾物と思われています。

こんなものか……

ペクサン砲の改良型であるダールグレン砲を搭載した老k…歴戦艦とクルップ砲もどき(文政砲)を搭載した装甲艦、そして鋳鋼砲の配備されているであろう砲台を前にペリー提督の胃壁は持つのか、それは神のみぞ知る

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最終更新:2016年04月17日 18:50