876 :ひゅうが:2016/07/14(木) 17:14:57

神崎島ネタSS――「北平戦線異状なし」




「宋閣下。こちらは異常ありません。」

「橋本閣下。こちらも異常ありません。」

北平駐屯の支那駐屯軍司令部では、定時連絡が交わされていた。

「いずれも兵営への帰着を確認。よろしいですね?」

「確認しました。本日も何事もなく一日が終わった。ふぅ。なかなかどうしてこういうものは便利ですね。
いちいち軍使を派遣する必要もありませんから。」

「ですね。こうして誤解が減るのはよいことです。」

橋本は、湧き上った悪戯心を押し隠しつつ、表面上はにこやかに電話口に向かってそう言った。

「願わくば、このままゆきたいものですな。おっと…次の植樹節(孫文の忌日)は歓迎いたしますよ。この間の神武節の歓迎のお礼をしたい。」

「いいですね。楽しみにしていますよ。」

では。と橋本は電話を切った。

「いやはや、宋中将の言うことではないが、便利なものだな。直通回線というのは。」

「ですな。いちいち殺気立つ兵士の間を軍使として走り回るよりもこうして電話一本で済むのはなおよいものです。」

部下の言葉に、支那駐屯軍司令官代行 橋本群少将は苦笑で応じた。
前任者が本土へ帰参した今、この北平――かつて北京と呼ばれた都市に駐留する部隊は参謀長からスライドした橋本以外には存在しない。

そして彼の就任と共に、北平駐留の中華民国軍――国民革命軍第29軍司令部に向けて本土からある提案がなされた。
司令部間の専用直通電話回線の設置がそれである。
最初は反対意見が多かった。
いわく、支那側に一方的に有利になる。
軍事行動が筒抜けになるとはどういうことか。
そもそも相手は信用ならぬ。
このような意見を極めて高いところからの命令ということで押し通した橋本自身も、その効果を信じてはいなかった。

だが、日に二度、相互の部隊行動を告知するようになってからは少し状況が違ってきている。
こちらが馬鹿正直に演習や兵営への帰還を告げるようになると確かに抗日精神旺盛な兵士たちが妨害をするようになったのだが、その都度抗議の声を入れるようになってからは明らかに相手の出方が変わってきたのだ。

つまりは、第29軍には二重の命令系統が存在し、しばしば一部部隊が軍長の宋哲元らの指示を無視していたのだ。
彼らの上につながっているのはおそらくは共匪といわれた共産党だろう。
いやいや蒋介石の特務機関、藍衣社かもしれないが…
とまれ、支那の人士はこのようなことを嫌う。面子といったらそれまでだが、彼らはそうしたものを大切にしていた。
橋本が頭を下げて軍長ほかを歓待したことによって橋本と宋らの間には大陸的な意味での「友人」としての関係が成立しており、それを害するように誰かが策動するのはあまり好まれなかったのだ。

さらには、この連絡によって相互の小競り合いのときの命令や兵力配置が明確となったことから北平の欧米系メディアに対して堂々と自らの主張を述べることができることができるようになったことも大きかった。
彼らは、えてして隣人である支那側の肩を持つ傾向があったし、日本側は軍機の一言で片づけることも多かった。
それが、記者会見場で通信記録をガリ版に刷って渡し、「こんどの日本軍は正直だし規律正しい」という印象を与えることにもなっている。
従来は一方的に日本側が悪者にされていたのに。

こうした思い切った情報公開からか、はたまた誤解が生じにくい状況になったからか、数年来の緊張がとけはじめた北平において日支間の住民の緊張は同様にとけつつあった。
ただでさえ、日支間では1月ごろから降ってわいたように北支における日本側の兵力削減という大幅譲歩がなされており、満州事変以来の「勝利」に国民党側は大いに溜飲を下げていた。

877 :ひゅうが:2016/07/14(木) 17:15:44 このままいけば分離されかけた華北の再奪還や、熱河の緩衝地帯化による北平の盤石化がなされると思われており、たとえば満州への怒涛の大侵攻を行うような大戦争の機運は去りつつあったのである。

騒いでいたのは…


「今日は、妙なことはなかっただろうな?」

「兵の中には不満もあるようですが、兵員を丸ごと入れ替えたのがよかったのか、今のところは高い士気を保っております。やはり連中を取り締まったのがよかったのでしょう。」

「大陸浪人どもか。」


日露戦争以降、満州から華北にかけては、日本本土に住処をなくしたごろつきどもが闊歩していた。
もちろん辛亥革命に協力して歴史を動かしたような者もいるし、尊敬を集める人物もいる。
だが、大半は戦勝国を鼻にかけて支那を侮蔑し、乱暴狼藉を働くような素行の悪い連中だった。
彼らを称して大陸浪人。
満州国建国に伴って確固たる本拠地を得た彼らは、あるいは特務機関に、あるいは企業に雇われて華北で暗躍。
当然ながら、在留邦人も同類とみられ、日本という地域覇権国家の評価をさらに落とすことになっていた。

だが、この現状は今年1月末に唐突に終わる。

まず満州の関東軍総司令部に輸送機4機に分乗した憲兵隊が到着すると、1週間もしないうちに総司令部の人員が全員交代。
続いて師団長クラスから大隊長クラスまで一気に人員が入れ替えられた。
いつのまにか支那駐屯軍では、前線部隊指揮官が司令部へ報告なしに挿げ替えられており、病に倒れていた司令官も本国へ後送された。

そして、廣田首相による第一次声明。
これにより、列強はもとより中華民国側も「日本が音を上げた」と判断。
在留邦人への襲撃や大陸浪人側の過激な行動が生じ――なかった。
まずもって、北平などに展開した憲兵隊は、それまで持ちつ持たれつだったはずの大陸浪人どもを捕縛。
その前科によって容赦なくこれに対処していたためである。
とりわけ、彼らを利用して私腹を肥やしていた軍人は即決軍法会議により処断され、銃殺。
これが公開されることによって大きな抑止効果を生んでいた。

おそるおそる密告された者も残らず処断されたことに、住民は歓喜の声を上げた。
だが、逆に、闇に潜む者たちは恐怖した。
何者かは知らぬが、大陸的には間抜けでお人よしで傲慢な日本人をこうまで徹底して苛烈にさせた存在に。

878 :ひゅうが:2016/07/14(木) 17:16:16
「ただ大日本だなんだと威張りたい連中は引っ張れ。ただし在留邦人に何かしようとしているという計画を聞いたら即座に報告せよ。
宋閣下にそのまま申し上げる。」

「わかっております。」

これが、事態のからくりだった。
宋としては、侵略者の日本人がどうなろうと当然などと返答するわけにはいかぬ。
そんなことを言えば、今度の日本人たちは馬鹿正直に北平の記者クラブでそれを発表しかねないからだ。

これは日本帝国主義の陰謀だとわめきたてたところで、それが実行に移される前にそういう情報があると発表されてしまっていれば本末転倒だ。
がせ情報だとしても、それに乗って日本人を襲撃するバカが出たら白い眼で見られる。

半ば無防備に見えても、日中双方の緩衝地帯という特殊な地勢と大都市であるがゆえの列強の「目」は抗日行動の過激化を封じてのける大きな武器となったのである。

何より喜劇的なのは、それまで抗日路線を鮮明にしていた中華民国側が慌てて日本人を護らざるを得なくなったことだった。
だが――


「いつまで持ちますかな。この平穏は。」

参謀長がいった。
今の現状は、帝国陸軍という強大な存在の後ろ盾と、まるで無防備であるかのような情報公開による砂上の楼閣に過ぎないことを彼は知っているからだ。

「さて…情報が確かなら、南京のファルケンハウゼンは、早期の対日局地戦勝利を進言したとのこと。だからこそ、この無手での居直りがきいてくる。
日支双方が軍を展開するこの地域で欧米列強が日本を悪と断じることがなければ、彼らはまだ全面戦争を起こして満州へ攻め込めないのだからな。」

極秘、と記された諜報情報は、橋本を慄然とさせていた。
それが確かなら、彼が今いる場所は発端の地。
日支間の泥沼の持久戦の引き金を引きかねないことは、これまで以上に彼を慎重にさせていた。


「ソヴィエトめ…我々はその手には乗らぬぞ。東方では日本が主敵。
日支が争い疲れたところで後ろから総取りするつもりらしいが…
だが…我々が引けばどうなるかな?」

あるいは支那と結んで満州へ怒涛の侵攻?
関東軍の混乱を見て?
それこそ、ロシア的強欲さを際立たせる行為でしかない。
唐突に平和路線を掲げた日本人への厳しい目以上に、ソヴィエトという体制自体が欧米列強の警戒を呼ぶことに、連中も気付いている。
いやまさか。

「さて。せっかくのお誘いだ。こちらも心づくしの贈り物を持って行かないとな。」

「経費がかかりますな。」

「言ってくれるな。きちんと監査は受ける。」

橋本は、脱線しかけた思考を強引に元へ戻した。
彼の今日の仕事は、宋からの招きに応じるにあたっての贈り物の価格をどのように本土へ言い訳するか頭を悩ませることだった。

879 :ひゅうが:2016/07/14(木) 17:18:11
【あとがき】――というわけで華北事情をひとつ。
艦娘のかの字も出ていないなw

タグ:

艦これ 神崎島
+ タグ編集
  • タグ:
  • 艦これ
  • 神崎島

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2023年11月05日 16:58