546 :ひゅうが:2016/08/22(月) 17:14:59

 艦こ○ 神崎島ネタSS――「第二次上海事変」その3.5



――1937(昭和12)年7月1日 午前9時 東シナ海 上海沖合200浬


「見えたぞ。ジャップ…いや日本艦隊だ。」

空母「サラトガ」艦上でウィリアム・ハルゼー少将は短くいった。
急な昇進、そして太平洋艦隊からアジア艦隊への増派、ついで上海への出動という慌ただしい日程をこなしたため、少し疲れてはいたが、新任の第1空母群指揮官としてはまずまずの満足をもって彼はこの極東へ来ていた。
そのため、差別的な言葉も自重している。

「ナガトにムツ、そしてイセにヒュウガですね…戦艦4隻。堂々たる大艦隊です。」

ジョン・H・タワーズ艦長も双眼鏡で簡単にそれを判別しつつ返答した。

「だが空母はいないな。」

「日本艦隊からの情報によると、先行してカガとホウショウがシャンハイ沖に達しているそうです。」

「いいね。そうこなくては。空母というのは前衛で戦ってなんぼのもんだ。
指揮官は?」

「キヨシ・ハセガワ。ナガトに座乗しているアドミラル・ヨナイの2年後輩です。
ほら、コンバインド・エア・フリート(連合航空艦隊)のアドミラル・ヤマモトと同期だそうですよ。」

「どこも似たようなものか。」

「ええ。」

ハルゼーとタワーズは、この「サラトガ」の先代艦長と当代艦長という間柄だった。
彼らは、海軍航空局長であるウィリアム・モフェット中将の後釜を巡って繰り広げられたアーネスト・キング提督との争いに巻き込まれていた。
それを揶揄したのだった。

「我々もシャンハイへ直行できたらよかったのだが…」

「仕方がありません。これもまた政治ですよ。」

「アジア艦隊主力が先行し、我々は3時間遅れで日本艦隊とともに現場へ突入か。この時間差が――いや、何もいうまい。」

ハルゼーは漠然とした不安の中、会同する日本艦隊に対してすぐ上海へ直行しようと提案することにした。

「来年あたりと思っていた昇進を前倒ししてくれた日本人には一応感謝しておかないとな。
それに恐慌で落ち込んだ本国に海軍ここにありと示す絶好の任務でもある。
せいぜいエスコートしてのけるさ。」

「ですね。」

政治的な要求から、第一次上海事変以来租界の警備を行っていた日本軍が撤収する場に日米の艦隊を位置させたいという本国からの要求は、アジア艦隊に対してせっかく合流させた空母2隻とその護衛艦艇を別行動させる結果を生んでいた。
それは、フィリピン軍元帥マッカーサーと彼の率いる1万名の米比軍をアジア艦隊主力とともに先行させるという時間的な余裕を作り出す。
また、この当時推定されていた上海周辺の航空兵力に対抗するには、先行展開した日本海軍の「加賀」「鳳翔」だけで十分すぎると判定されたのもまた事実であった。

それに、平和裏に租界から気に入らない日本人が撤収するのだから中国兵もおとなしくするだろう――とワシントンのスタッフをはじめ、英領香港総督もまたこれに同意していたのだった。

そしてこの時刻、アメリカ政府はラジオ演説で「上海における秩序維持のために『その能力を超えた日本軍にかわって』国際社会が協力する」との声明を発表。
日本側からも、「租界住民の安全確保のため」に各国と協力して行動し、かつ「日本一国が負担をしていた租界警備を再びあるべき形に戻す」ために租界警備権の合衆国への返還、そして英米軍との協調を発表。
これを国賊だとののしることもできた新聞各社は、ゾルゲ事件で尻尾を握られており概ねこれに賛意を示して報道を開始する。
その頃には、軍に手配された航空便で東港へ飛んだ特派員たちが記した緊迫の上海の様子と、概ね脱出が順調に進んでいることも報道されはじめていた。

だが、その報道を読んだのは、日本人やアメリカ人だけではない。
軍事的かつ物理的な解決策を模索する中華民国の一派もまたこの情報に接し――そして決断することになるのである。

547 :ひゅうが:2016/08/22(月) 17:15:43
【あとがき】――ちょっと追加
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最終更新:2023年11月23日 13:22