855 :641,642:2015/10/06(火) 22:59:51
日米蜜月(ユーラシア共産化)ルート考察擬き

大戦に置ける主要会戦記録 『第二次世界大戦~連合軍の戦線整理と撤退~』


『ウラジオストック攻略戦』


連合軍と枢軸軍との全面戦争が勃発した後、日本海に於けるソ連海軍最大の海軍拠点であるウラジオストックを、海上からは日本帝国所属の海軍陸戦隊と就役直後の航空母艦『翔鶴』『瑞鶴』の航空隊、戦艦『扶桑』『山城』の艦砲射撃、陸上からは満州帝国陸軍と満州帝国航空隊、そして大韓帝国軍の総攻撃により、ウラジオを奪取した戦い。今会戦では、ソ連軍が既に最低限の兵力以外を撤退させていた為、激戦を予想していた枢軸国軍側が拍子抜けしても居る。

第二次世界大戦開幕後の最初期の戦闘は、基本的に『満州国境地帯』『カリブ海』『東南アジア』方面にて発生しており、開戦の原因となった一つの会戦である『黄海海戦』が発生した後は、日本海は戦前の通りの『エンペラーのバスタブ』の姿を取り戻していた。第二次世界大戦が勃発したと言うのに、『黄海海戦』以後全く日本海に敵潜水艦を認めないこの事態に、日本人は下は水兵や内地の一般人、上は天皇陛下を含む軍政官財それぞれの上層部が疑問を抱いていた。まさか『黄海海戦』が終結した時には、ウラジオストック方面に展開していた連合軍潜水艦隊が全滅していたとは露とも思っていなかったのである。その為に『連合軍は何かしらの反撃手段をウラジオストックで整えている最中』だと勝手に早合点し、満州帝国と大韓帝国にも援軍要請を行った上で、自軍は陸上部隊を支援する為に、連合艦隊から艦砲射撃用に戦艦『扶桑』『山城』に加えて、航空援護に就役したばかりの『翔鶴』『瑞鶴』の投入準備を整えた上で『ウラジオストック攻略作戦』を発動させた。

満州帝国軍からは対中、対ソ用に回さなければならない兵力が膨大である為に、動かせたのは精鋭の四個師団程度だったが、大韓帝国軍は連合国と国境を接しているのは、今から攻め込むウラジオストックのみで有る為、殆ど動かせる全軍を投入。日本帝国軍も上述の海上戦力に加えて、上陸戦に手慣れた日本版海兵隊の様な存在である海軍陸戦隊を動員。各方面からの陸空同時攻撃を敢行するも、既にウラジオストックに駐留していたソ連軍は、戦略的に孤立状態の場所での無意味な流血を望まなかったトロツキーの指示にて治安維持用の現地民兵を除いて全軍撤退状態であり、枢軸軍は『敵部隊』とでは無く『無数の地雷と機雷の群れ』と戦わされる羽目に合い、しかもウラジオストックを無血で放棄するとは想像の埒外にも有った為、暫くの間ウラジオストック攻略部隊は、存在しない『敵部隊』を血眼になって捜索すると言う笑うに笑えない事態にすら陥っていた。

856 :641,642:2015/10/06(火) 23:02:30

最終的に、経験の少なさが祟ってか、地雷原に数回大韓帝国軍が踏み入ったり、ソ連海軍が置き土産に放った機雷によって、連合艦隊の球磨型軽巡洋艦『木曽』綾波型駆逐艦『朝霧』朝潮型駆逐艦『霞』撃沈と言う損害こそ受けた物の、ウラジオストックの制圧には成功。領有権に関しては、歴史を遡れば元々満州人の土地であった為に、満州帝国の管理下へと移管された。部外者からは『満州と日韓との間で領土配分で揉めるのではないか』と言う話も出たりもしたが、日本帝国からしてみれば、民族気質からして大陸に広大な直轄領土を保有するのは国是にそぐわないし、大韓帝国側は自国領開発で手一杯な上元々領土欲はそこまで無かったし、実質自国軍はソ韓国境地帯より大して進軍出来ていなかった為に領土請求する資格等無いと考えられていた事も有り、特に異論が出る事も無かった。


『タスマン海海戦』


今までの『白豪主義』に基づく有色人種迫害政策の結果、政治的に枢軸国側に組する事が出来なくなっていた為に連合国側に所属していたオーストラリアを戦争から早期離脱させる為に、戦艦『長門』『陸奥』軽空母『祥鳳』『瑞鳳』『龍驤』重巡洋艦『青葉』『衣笠』を主軸とする艦隊が通商破壊戦を行いつつ侵攻し、迎撃に出たオーストラリア海軍を一戦で殲滅した戦い。余りにも一方的過ぎる戦闘の為に枢軸側はオーストラリアが戦争から離脱すると常識的に考えるも、当のオーストラリアからは出来もしない徹底抗戦が叫ばれると言う結果に終わってしまった。

第二次世界大戦が開幕する前より、オーストラリアは日米に対して一方的な敵意を抱いていた。日本に対しては、言わずもがなの『白豪主義』に基づく根拠の無い優越感からくる差別意識であり、米国に対しては『白人の誇りを忘れた恥知らず共』と言う勝手な言い掛かりからくる敵意であり、当然ながら日米両国も、理不尽かつ一方的な敵意を向けられているのにそれに反発を示さない訳は無く、日米とオーストラリアの溝は、開戦当時には殆ど国交断絶の5歩手前程度に悪化していた。連合国と日米で全面戦争が始りそうだと全世界に伝わった時、『世界で一番この戦争を喜んで迎い入れた』とすら言われていた程だった。

だがオーストラリア人全員が喜んでいた訳でもなく、日米と相対す軍隊の面々は皆一様に暗い顔で頭を抱えていた。当時のオーストラリアは大した工業力の無い農業国であり、必然的に高度な工業力と経済力を必要とする軍需産業は皆無であり、艦艇から重砲等の多くの兵器は基本的に全部宗主国のイギリスから購入、譲渡されている状態であり、そのような状態では自力で航空機や戦闘車両を大量に量産、開発出来る日米に対抗出来る事等不可能だった。何せ、当時のオーストラリアには対日米軍拡政策による無茶な軍拡のせいで、一定の修理や簡単な部品製造以外はマトモに期待出来ない様なレベルだったのだ。部品の輸入が途絶したら、現在のオーストラリア軍が保有する艦艇も戦闘車両も時間が経てば使用不能になる。こんな惨状で世界列強の筆頭格である日本帝国とアメリカ合衆国の両国と戦争になる事を喜べるような軍人は居なかった。少なくとも現状を直視できるように教育された、将官、佐官以上の高級将官に関しては。

857 :641,642:2015/10/06(火) 23:05:01
そして彼らオーストラリア軍人の憂鬱な感傷を知る由も無く、フィリピン在中のアメリカ東洋艦隊と一航戦と二航戦、そして金剛四姉妹はインドシナとインド洋方面の抑えに回され、戦艦『長門』を旗艦とする南遣艦隊が丁度進出を終えた為、今回のオーストラリアへの攻撃任務に就くように告げられ、出撃した。彼女たちは少し大回りをして珊瑚海に入り、ケアンズやタウンズビル等のオーストラリア北部の都市に存在する軍事基地を、『長門』と『陸奥』は沖合に待機して存在を隠蔽しつつ、『瑞鳳』『祥鳳』『龍驤』の艦載機と『青葉』『衣笠』の艦砲射撃で破壊し、オーストラリア海軍が釣り出されるのを待っていた。そしてその釣り出しは、枢軸国諜報組織とオーストラリア諜報部員の活躍により、オーストラリア政府がこの北部へ攻撃した連合艦隊の編成が『重巡と軽空母を中核とした通商破壊艦隊』と誤認識し、海軍に出撃を命令した事から、枢軸側の目論み通りに見事に釣り出す事に成功した。

オーストラリア海軍所属の、『ケント級』重巡洋艦の『オーストラリア』『キャンベラ』『シドニー』、『パース級軽巡洋艦』の『パース』『ホバート』『アデレート』、『トライバル級駆逐艦』合計六隻、『Q級駆逐艦』合計四隻…文字通りの全力出撃で、航空機の威力を封殺する為に夜間に連合艦隊の『重巡と軽空母を中核とした通商破壊艦隊』に突入するも、交戦距離に入る以前に彼らの搭乗する艦艇周囲には、明らかに重巡洋艦搭載の主砲では無い火力の砲撃が多数叩き込まれ、搭載していたレーダーや見張り員からの情報では、どう考えても相手には『戦艦』が存在しているとしか考えられず、出撃したオーストラリア艦隊はこの時点で『嵌められた』と悟るも、豪艦隊司令部より撤退命令が下された直後に、
旗艦の重巡『オーストラリア』に対して戦艦『陸奥』の41㎝砲弾が三発直撃し轟沈。オーストラリア艦隊は『撤退命令直後に旗艦轟沈』と言う事態に混乱し、三々五々に潰走を始め、日本艦隊は脇目も振らずに逃げ出すオーストラリア艦隊に容赦無く砲撃を続行。止めに夜明けと同時の黎明航空攻撃を敢行し、出撃したオーストラリア艦隊は『トライバル級駆逐艦』二隻、『Q級駆逐艦』一隻を除き浮揚修理など到底不可能な海域で撃沈された。


『タスマン海海戦』後、行きがけの駄賃とばかりに通り魔的にオーストラリア南部の諸都市を奇襲後、大した損害も無く作戦目標を達成した南遣艦隊は悠々と帰還。海軍が壊滅し、軍事基地も壊乱状態になったオーストラリアは対外軍事リアクションを取る事が一切不可能になり『勝負は決した』と常識的に判断した日米両政府より降伏勧告が出されるも、オーストラリア政府は之を即座に拒否。軍内部では国土全てを焦土としてでも戦おうとする過激な将校が、在来の将校を排除して主導的位置を奪取しており、政府や国民も恐怖と情報不足から枢軸国との徹底抗戦を支持。その為、枢軸国はオーストラリアを戦争から完全に脱落させる為には、この『世界最小の大陸』に陸上戦力を送り込まざる負えなくなる羽目になる。敵戦力は数える程度しか居ないとは言え、その『広さ』自体が枢軸軍に多大な負担を背負わせる事位、将校や下士官だけでは無く、歴史好きな一般兵辺りなら分かりきった事であった。因みに、この情報を知った某T氏とその眷属や仕事仲間は『大して意味の無い無駄な金使わせるな田舎者どもが…』と言った意味合いの言葉を口々に発していたそうである。


391 :641,642:2015/10/15(木) 20:06:21
『セイロン島沖海戦』


指揮官として塚原二三四大将が率いる航空母艦『赤城』『加賀』『飛龍』『蒼龍』『翔鶴』『瑞鶴』戦艦『金剛』『比叡』『榛名』『霧島』を主戦力とする大艦隊がインド洋に駐留する連合国の海空戦力に打撃を与えるべく出撃し、諜報や情報分析にてこの出撃を察知した連合国がセイロン島にまで引き寄せての撃滅戦を企図するも、日本艦隊からの反撃で物の見事に連合国側の戦力が消し飛んだ戦い。連合国側の喪失戦力は主に航空戦力だったが、唯一ソ連海軍のみが、イギリス海軍の航空母艦『アークロイヤル』を参照して戦前より建造されたソ連海軍航空母艦『スヴェルドロフスク』『ミンクス』の内『スヴェルドロフスク』を航空戦で喪失し、残る『ミンクス』も『伊 58』に轟沈させられる散々な結果に終わった。

『第三次カリブ海海戦(対潜哨戒)』にて多数の潜水艦を撃沈して、独ソ海軍潜水艦隊を一時半身不随に近い状態に追いやった後、カリブ海に存在する連合国側植民地、そしてその植民地に補給に向かう艦船に対して、陸上施設にはアメリカ陸軍航空隊が誇る『蒼穹の要塞』B-17が、連合軍船舶には新鋭潜水艦である『ガトー級』が虱潰しに打撃を与え、連合国側に多少の揚陸成功の引き換えに多数の船舶や物資の喪失と言う地味に精神的、物理的に損害を与え続けていた頃、日本本土からは未来の連合艦隊司令長官と一部では噂されている英才『塚原二三四大将』率いる、正規空母6隻、高速戦艦4隻を艦隊の基幹に据えられた『第一機動艦隊』が、一路インド洋に向けて出港していた。目標は、インド洋に進出して来た事が暗号解読等で判明したイギリス、ソ連空母部隊である。『翔鶴』『瑞鶴』は就役後に『ウラジオストック攻略戦』に参戦し、実戦経験が一応有るとは言え、流石に無理があると言われていたが、塚原大将は『『翔鶴』『瑞鶴』の乗員や航空隊は、既に必要十分な連度を保有している』として、之を退けていた。

一方『第一機動艦隊』の標的となったインド洋に存在する連合国海軍は、ソ連海軍の新鋭空母『スヴェルドロフスク』『ミンクス』を増援として迎え入れてはいたが、それ以外ではイギリス海軍のイラストリアス級空母『イラストリアス』『フォーミダブル』『ヴィクトリアス』の装甲空母三隻しか、インド洋には航空母艦は存在しておらず、それに加えて艦載機に関しても、未だに『シーハリケーン』や『ソードフィッシュ』等の御馴染みかつ性能不足が判明している既存機体のままであり、一部『シーファイア』が追加された以外は今まで通りだった。現在、連合国は必死に新型機の開発を推進しているも、連合国の主要国家であるドイツ、ソ連、フランスは陸軍国であり、艦載機の開発は不得手であるどころか、ドイツは自らが課した軍備制限のせいで空母は現在『グラーフ・ツェッペリン』を壁に幾度もぶち当たりながら建造中の『初心者』であり、ソ連海軍は機材は兎も角中身は日本海海戦と赤化のダメージが響き、イギリス海軍と比べると『素人』であった。フランス海軍が一番この三カ国内ではマシではあったが、フランス国内の工業力が英独仏と比べて未だに『不合理』『未熟』である為に一部技術的アドバイス以外で新型艦載機開発でイギリスに手を貸せるレベルには無く、実質イギリス一国での艦載機開発を賄う羽目にあっていた。それでいてイギリス海軍は新型艦載機開発に失敗し続けて陸戦機を艦載機に改造して何とかしている状態でもあり、何時もの皮肉も忘れて『陸上戦闘機と互角以上に戦える艦載戦闘機』を開発、運用している日米海軍を本気で羨ましがっていた。

392 :641,642:2015/10/15(木) 20:09:27
だが無い物を強請っても天から降ってくる訳も無く、インド洋連合国海軍は手持ちの艦載機部隊と基地航空隊で日本海軍の『第一機動艦隊』を『撃退』する事を余儀なくされる。仮に日本艦隊がインド洋を蹂躙するのを傍観して居れば、確実に好機と見たインド人が蜂起すると見られていたし、『インド』を失えば、連合国、特にイギリスの戦力補充能力は激減する為、絶対にこの艦隊を撃退する必要が有った。その為、喧々諤々の大論争の結果『質の不利は数で補うべし』との事にて、各種欺瞞工作によって『第一機動艦隊』をセイロン島まで誘き寄せ、総力を持って袋叩きにすると言う作戦案が通り、各種無電やイギリスの諜報力を総動員して日本艦隊の誘因に連合国は奔走する。最初から放棄が決まっていた『アンダマンニコバル諸島』に『満足に機密書類を処理出来ないまま慌てて逃走した』様に見せかける工作を施したのがその代表例であった。その後、日本艦隊は『アンダマンニコバル諸島』を無血占領後、『第一機動艦隊』が既存機をマレー半島から飛来した機体と入れ替えた事が暗号解読、無線傍受にて分かり、セイロン島に向けて一路進撃しているのを偵察に出ていたドイツ海軍の潜水艦UボートⅨC型『U-129』が発見。この情報を入手した連合国は仕掛けた罠に嵌った日本海軍を嘲笑いつつ、セイロン島基地航空隊と空母艦載機隊に対して出撃を命令し、命令に従い出撃した連合国航空機部隊は日本側より盛大な反撃を受け、壊滅する事になる。

『第一機動艦隊』が『アンダマンニコバル諸島』制圧後に入手した『機密書類』や無線傍受、本土から送られてくる諜報情報が『インドから撤退』『セイロン島に撤退する為の物資集積所有り』等と言う物であり、一見すると不自然な所は見られなかったが、空母『加賀』に乗り込んでいた参謀『神 重徳』がこの情報に疑問を投げかけた事から、連合国側の思惑はアッサリとあらぬ方向へと捻じ曲がって行った。既に連合国の機動部隊と交戦したアメリカからの情報で『敵艦載戦闘機の性能はF4F≒九七式戦闘機以下』と言う事が伝わっている為『艦隊保全主義に則り撤退したのだろう』と、連合国の艦艇供給能力的に楽観的に捉えた参謀や高級将官が多かったのだが、神大佐と数名のみが罠の可能性を強硬に主張し、これを受け入れた塚原大将が、マレー半島を経由して簡易とは言え飛行場が設立されたコタバル諸島に来ていた九七式艦上戦闘機を追加で一部入れ替え、露天駐機も行って戦闘機の数を増やし、セイロン島に突入したのであった。

作戦の前提として『情報工作に引っ掛かった日本艦隊は、攻撃力強化の為に戦闘機を減らして爆撃機主体で来る』と言う物だった為に、セイロン島の基地航空隊からは『ブレニム Mk. IV』『アミオ 354』『DB-3(後の『Il-4』)』が、増漕を着けても護衛戦闘機の航続距離が全く足りなかった事も有り、爆撃機部隊のみで九七式艦上戦闘機の群れと交戦。イギリス軍の『ブレニム Mk. IV』は兎も角、フランス軍の『アミオ 354』、ソ連軍の『DB-3』は日本艦隊との交戦以前に、訓練は積んでいても対艦攻撃の実戦経験が皆無であり、重い魚雷や爆弾を抱えて鈍い動きしか出来ず、銃座からの反撃も海上戦闘に手慣れて機敏に飛び回る九七式の前では精細を欠き、最終的に空母艦載機部隊より先行して『第一機動艦隊』に突入した連合国基地航空部隊は輪形陣の一番外側の陽炎型駆逐艦の壁すら飛び越える事も出来ずに多数が叩き落され、敗走。

393 :641,642:2015/10/15(木) 20:13:52
イギリス海軍『イラストリアス』『フォーミダブル』『ヴィクトリアス』の艦載機部隊は基地航空隊が敗走する直前に戦場に到着し、敗走する味方機を無視して突撃するも、輪形陣の外側を攻撃して防空網に穴をあける等の工夫を取らずに一直線に空母目がけて突撃して来た為に、少し前の巡洋艦並みの艦体を持ち、対空対艦問わない汎用性に優れた新型両用砲や各種新型の電探やソナー、爆雷、そして日本海軍が誇る61㎝5連装酸素魚雷発射管を備えた『今大戦最高の艦隊決戦型駆逐艦』と自画自賛する新鋭の『陽炎型駆逐艦』による対空砲火で編隊が掻き乱されて少なくない数が被弾、撃墜され、
『陽炎型』の輪を突破しても、元々高かった対空火力が改装で更に強化された『最上型重巡洋艦』、そして建造が急加速しての就役後初の実戦参加で気合の入っている最新鋭の『沙流型防空巡洋艦』が放つ大量の対空砲弾相手では、布張り複葉機と言う特殊な構造によって生まれた高い耐弾性を頼りに、さまざまな幸運の元で活躍して来た『ソードフィッシュ』を筆頭とした連合国艦載機部隊は、完全に自らの機材が時代遅れであると連合国海軍に思い知らされる被撃墜数と、自爆機一機による陽炎型駆逐艦『不知火』の中破、最上型重巡洋艦『三隈』に魚雷命中一本による小破、空母『蒼龍』に爆撃の至近弾一発と言う過小戦果で終わるしかなかった。

『第一機動艦隊』に伝統の『見敵必殺』精神の元、全力出撃で差し向けた艦載機が一撃で壊滅した事に動揺し、全力で遁走したイギリス機動部隊を脅威では無くなったと判断した日本艦隊はコレを放置し、既にこの海域に来ているとの情報を入手していたソ連海軍航空母艦『スヴェルドロフスク』『ミンクス』、アメリカ人通称『ブラッディ・ロシアンロイヤルズ』の捜索へと移行していた。当時の『第一機動艦隊』の面々は、本来なら先のイギリス軍と基地航空隊の攻勢に併せて攻撃して来る筈と想定していたのに、結局来なかったこの二空母が一体どこに居るのかが検討も付いていなかった。コタバル諸島に遠路奇襲を仕掛けに行っている等の突拍子も無い話が作戦会議で出たりもしていたが、合理的な一流海軍国出身の彼らの常識では『艦載機部隊が進撃路を間違えて迷子になって交戦出来なかった挙句、『進撃』か『撤退』かで揉めてインド洋を未だに彷徨っている』等と言う事態は全く想定出来なかった。ある意味彼らは『先年漸く再建が始まった共産主義国家の海軍』の事を知識としては知っていても余り理解出来ておらず、それ故に過大評価し過ぎていたのかもしれない。
その為、偵察機がソ連機動部隊がインド洋に居るのを発見した際、少しばかりの間『何故コイツラはこんな所にいる?!』と混乱したりもしている。

一方のソ連艦隊だが、初陣の艦載機部隊が航法を間違えて明後日の方に進撃して『第一機動部隊』との交戦に失敗し、帰投後の着艦時に二機がオーバーランして海没、三機が脚部を甲板に叩き付けて圧し折り使用不能になると言うアカ嫌いで有名な某アメリカ陸軍将軍抱腹絶倒物の大惨事を前に『撤退』を主張するソ連艦隊司令部と『進撃』を主張する政治士官と言う、共産系国家ではある種日常的に見られる御馴染みの対立が発生していた。方や
艦隊司令部は『既に機は逸した』と考えて艦隊保全の方向に思考が傾いており、方や『アレだけの連合軍機の攻撃で無傷でいられる筈は無い』とする政治士官との議論の溝は深まるばかりであり、最終的に艦隊司令部は何とか政治士官の説得に成功するも、説得に成功するまでにかなりの時間を費やしてしまっており、その為、艦載機部隊が帰投後即座に退避して居れば逃走に成功した可能性を自ら潰して『第一機動艦隊』の偵察機に発見される事態を招いてしまっていた。だがこの時のソ連艦隊は、戦争の女神の気紛れか、若しくは初陣者に時折与えられる幸運に中途半端に恵まれており、被発見時の時刻は午後であり、時間的に『第一機動艦隊』からの航空攻撃は一回目が終わって直ぐに日没する状況の為『一撃凌げば』撤退可能とソ連艦隊司令部は目算を立てた。線香花火の様な儚い希望では有ったが、すがる物が何もないよりは遥かにマシだった。

394 :641,642:2015/10/15(木) 20:17:52
偵察機に発見されたソ連艦隊が、何とか修得していた輪形陣にて『スヴェルドロフスク』『ミンクス』から戦闘機を発艦させている頃、『第一機動艦隊』からは大急ぎで多数発艦させた攻撃隊が艦隊上空で速やかに編隊を編成して最大速度でソ連艦隊に向けて突撃を開始していた。事前の予想に基づいて行っていた偵察が、ソ連艦隊が彷徨っていたせいでことごとく外れて最終的に発見した時には午後、夕刻より前程度の時間帯であり、時間的に一回薄暮攻撃をするのが限界であり、下手を打って戦闘が長時間長引けば、最悪夜間帰投の可能性も少なからずある為に、日本軍パイロットは熟練や中堅、新人問わずに『早くソ連艦隊を沈めて帰ろう』と言う思いが強かった。元々お国柄なのか、職人芸や熟練の技を持つ人間を軍民問わずに育成したがる日本人の軍隊らしく、特に艦載機パイロットの技量は全世界の海軍航空隊の中でも抜きんでいてはいたが、そんな彼らでも『夜間発着艦』と言うのは至難の業、と言うよりも、当時の各種機材の技術的限界から流石に無理であった。着艦する空母とその周囲を煌煌と明かりを灯せば可能と言えば可能ではあったが、それでも事故が発生する可能性は高かったし、それにそんな事をすれば連合国の潜水艦が喜び勇んで襲撃する為に『夜間戦闘』の選択肢はとれる筈も無かった。

そんな日本側の心情はさて置き、綺麗に組み上げられた編隊を殆ど崩す事無くソ連機動部隊に辿り着いた日本軍攻撃隊の護衛機は、先ずセオリー通りに突入して来たソ連機動部隊艦上戦闘機部隊に向けて飛び出し、交戦を開始するも短期間で決着がついた。当然、日本側の圧勝と言う形で。日本の『第一機動艦隊』側は、殆ど圧勝状態でとあるエースパイロットからは『演習の方がよっぽど大変だ』と言われるレベルではあったが、日本側は既にマレー半島で実戦経験を積んでいたのに対して、ソ連側は実戦経験は無い上に、彼らが操る機体もイギリス海軍航空隊と同じく、陸上機を改造して使用している為に不具合が多発している上に、それ以前の問題として新鋭機である『ラボ-チキン LaGG-3』は優先的に極東軍に配備されており、結果艦載用戦闘機としてソヴィエト海軍に多数宛がわれたのはまさかの『I-16』であった。この事を知ったソヴィエト海軍総司令官は複数回確認をしつこく行った末に絶望の余り気絶しており、又同盟国海軍の艦載機、つまりイギリス海軍の艦載機を購入しようにも、イギリスの工業力では自国分の生産に加えてソ連艦隊の機体も調達するのは難しい為に、結局一部『シーハリケーン』を購入、譲渡して貰ったのと如何にか一定数確保出来た『LaGG-3』以外は搭載機数の内、『I-16』を幾らかを艦載戦闘機にせざる負えず、『物量』『連度』『経験』『機材』。士気以外の全てにおいて日本側に劣っていたソ連軍が勝てる道理は何処にも無かった。

短期間でソ連海軍防空戦闘機隊は日本戦闘機隊に殲滅され、攻撃隊は自軍やアメリカ軍と比べたら『小雨より多少はマシ…?』程度の対空砲火を難無く突破しての猛攻を展開するも、日没までに帰投するまでの制限時間がかなり短く、またソ連艦隊も『ツシマ沖海戦』の二の舞を避けるべく、せめて空母だけでも守ろうと必死の回避運動を展開した事も有り、『スヴェルドロフスク』撃沈、『ミンクス』中破。護衛として随伴していた三隻の巡洋艦『マクシム・ゴーリキー』『カリーニン』『リャピヂェーフスキイ』が纏めて轟沈し、駆逐艦も五隻撃沈されると言う大惨敗を喫するも、何とか日没まで『ミンクス』は逃げ回る事に成功。即時連合国勢力圏内に向けて一直線に全力で逃げ出すも、通信からソ連艦隊の情報を入手し、予測針路上に潜伏していた『伊 58』の放った新開発かつ先行量産型の『磁気感知信管搭載酸素魚雷』の雷撃により竜骨を叩き折られ、轟沈。何年もかけて必死に復活途上であった艦艇と水兵を多数インド洋で喪失する、ソ連にとって『藪を突いて剣虎兵を出す』最悪の結果に終わってしまった。

395 :641,642:2015/10/15(木) 20:21:35
連合軍の基地航空隊と『イラストリアス』『フォーミダブル』『ヴィクトリアス』艦載機隊の壊滅、そしてソ連機動艦隊の駆逐艦数隻を除く撃沈と言う損害に対する日本艦隊の損害は、ソ連艦隊壊滅の報に意気揚々と帰投中にドイツ潜水艦の雷撃で小破した空母『瑞鶴』駆逐艦『時津風』程度でしか無かった。


尚余談ではあるが、この『セイロン島沖海戦』でソ連海軍の至宝である『スヴェルドロフスク』『ミンクス』の撃沈報告を受けたソヴィエト社会主義共和国連邦の共産党書記長である『レフ・トロツキー』は、始めに『スヴェルドロフスク』が撃沈したとの報告を受けた時には一時茫然自失となるも何とか平静を保てたが、『ミンクス』が潜水艦に撃沈されたとの報告を受けた時には二度目の衝撃の余りに奇声を上げた後に卒倒したと一説には言われており、後にこの逸話を知った日本海軍の広報部や慰問部では『弓道着を着た複数人の女性が某書記長風ロシア人に大量の矢を撃ち込む姿』絵や『学生用水着を着た少女が某書記長風ロシア人の鳩尾に笑顔で魚雷を捻じ込む姿』絵が作られ、発刊されたり、『第一機動艦隊』の艦内新聞での戦果報告の末尾に『レフ・トロツキー 精神的中破』、『伊 58』の艦内での戦果報告では『レフ・トロツキー 精神的大破』と洒落で語られたりもしている。


『第二次満州防衛戦(満州理会戦)』


極東ソ連陸軍と、政治的要因として援軍に来た中華軍、日米満州駐留軍とその両国が鍛え上げた満州陸軍が満を持して激突した、極東戦線で最大規模の陸上会戦。空戦では枢軸側が数の不利を覆して勝利するも。陸上ではソ連軍の鋼鉄の津波と暴風、中華軍の無数の肉弾攻撃により連合軍側が一時優位に戦況を展開する『陸軍超大国』の名に恥じない会戦でもあった為に、枢軸側は陸上兵器、連合側は航空兵器の開発が更に加速する原因ともなった。


カリブ海やマレー半島、オーストラリアにインド洋で様々な戦闘が繰り広げられている頃、この第二次世界大戦における一番始めの戦煙が立ち昇った満州では、序盤の対中華軍を殲滅した『第一次満州防衛戦』と、戦線整理で撤退していたのを攻略した『ウラジオストック攻略戦』を除くと、満ソ国境地帯では不気味な沈黙が漂っていた。勿論、国境地帯に配備されていた多数の要塞から放たれる、『扶桑型戦艦』や『伊勢型戦艦』に採用されている主砲を転用した36.5㎝砲は目に付く目標を砲撃し続けていたが、ソ連軍からの反応は余り芳しくなく、小競り合いの域を出ていなかった。

一方、確りと隠蔽されているソ連軍陣地内では、本国から『連合国の結束を見せる為』と称して送られてきた中華兵の事で悩んでいた。司令部は一応本国の政治的要求の意味を理解していたが、それでもこの『精鋭』である筈の中華兵が、確かに中華での対軍閥戦での戦闘経験は有れど、そして一般的な常識や規律を持った中華兵もそれなりに居はしたのだが、それ以外が想像以上に期待外れの面々が多すぎて『こんなお荷物抱えて如何やって常識的に戦えと』と頭を抱えており、主に規律維持を担当する政治士官も多数の中華兵が素で巻き起こす『アヘン喫煙』『物資横流し』等の多数の問題に振り回されて、中華との外交も考慮しなければならない事も有って心労の余りノイローゼにすらなった者も出てくる始末で、基本対立する事の多かった政治士官と前線部隊との関係がこの極東方面に限り、割と良好な関係を築けていると言う皮肉な状況も現れていた。主に政治士官に対する同情心からであったが。

396 :641,642:2015/10/15(木) 20:25:58
結局同盟国への援護部隊と言う名目で変な事をしない様に督戦部隊擬きを中華部隊の後方に就けて監視し、モスクワに中華兵の現状を報告する事でこの場を乗り切る事にした極東軍総司令官の『ゲオルギー・ジューコフ』大将は、各部隊に戦闘配置命令を出し、現状欧州方面の連合軍の練成強化に当っている『ミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキー』元帥が編み出した『縦深作戦理論』を、枢軸国軍に全力で叩き付けた。勝算は有った。極東軍に対して優先的に配備されていた『T-34 中戦車』『Ar-2 双発急降下爆撃機』『LaGG-3 戦闘機』又先行量産型として極少数では有ったが『イリューシン Il-2 攻撃機』といった強力な兵器の存在と、後方では面倒事ばかり起こすが、戦場では割と使えなくも無い中華軍の存在だった。後者に関しては、幾ら使い潰しても自らの懐が痛む訳では無いし、中華軍側からも戦果を求める声が強く上がっていた為に、激戦区に投入しても何も言われないアリバイも作れていた為でもあった。

そして一方、ソ連中華連合軍の攻勢を受ける日本、アメリカ、満州陸軍では、日本が開発した『九七式中戦車 チハ』と、その高性能から米国では自国風に改良して採用されている『M4 シャーマン』を主軸に据えられた機甲師団。機械化に優れているアメリカと、ロシアレベルの火力狂いの日本が多数持ち込んだ各種重砲、自走砲。現状対連合国戦でその性能で幾多の活躍を見せる『九七式戦闘機』『P-42 サンダーランス』、ロールアウトからそう間の無い最新鋭対地攻撃機『九八式襲撃機 天龍』『B-26 レッドストーム』、そして訓練を十分に積んだ多数の日米満の兵士達。事前に重厚な防御要塞を建築しており、既に亡命ロシア人、ロシア系アメリカ人、東北出身の白人の血が濃く容姿に表れている日本人で編成された特殊部隊が敵陣に潜入して情報収集や妨害工作を実行しており、天気予報も航空戦には絶好の快晴。日本かぶれのとあるアメリカ軍人曰く『天、地、人。全てが我らに味方』していると、特にロシア人の脅威を身を持って知っている訳では無いステイツ出身の兵士は考えている者がそれなりに居た。すぐ脇には長年訓練を共に積んだ日満兵が多数いるのだから、教科書でしかロシアの事を知らないアメリカ本国兵がその様な感想を抱いても致し方が無かったのだろう。いくら日満人に口酸っぱく繰り返し言われても、人間直接見なければ良く理解できない物なのだから。

早朝より始まったソ連軍の重砲部隊からの『万単位』の重砲から放たれる砲弾が枢軸軍陣地の多くに叩き込まれ続けるも、既に潜入していた特殊部隊から情報を入手していた枢軸軍は、最前列のトラップ満載の欺瞞陣地から撤退を完了しており、そうとは知らずに無駄に砲弾を使いまくるソ連軍だったが、ソ連軍独特の陸戦ドクトリンである『縦深作戦理論』に基づき、ソ連軍を何処か侮っていたアメリカ兵が蒼白になる程の常識外れな猛攻を、極東軍全ての戦力による『無停止進撃』を開始した。最終目標は、枢軸国満州方面軍の脳髄に相当する都市、満州国の首都である『奉天』だ。

397 :641,642:2015/10/15(木) 20:29:46
枢軸側の初期の防衛は想定の範囲内だった。巧妙に擬装され、工夫を凝らした『おもてなし』準備済みの場所に無造作に入り込んだソ連軍は、戦車、装甲車、歩兵、トラック等兵種を問わずに手榴弾や地雷による爆発で吹き飛んだり、ピアノ線でキャタピラを損傷するなどにより、日米満の工兵隊の『おもてなし』をソ連軍が
満身を持って受け取っているのが、本命の防御陣地に籠る兵士達にも見て取れていた。問題は、ソ連軍が『一切進撃速度を緩める事無く、負傷兵や損傷車両、戦死者を踏み越えて』自陣に向けて突撃を継続している事だった。無論、枢軸側も要塞からの砲撃に重砲の弾幕射撃や機甲部隊による反撃、更には歩兵部隊からの機銃攻撃等を盛大に行っていたが、そもそも想定以上に大量の敵戦力が突っ込んで来ている上に、前述の通りに損害に一切構う事無く進撃し続けるソ連軍の前では、それこそ途中から『狙わなくとも撃てば何かに当たる』状態になる程に、枢軸陸軍の対処能力を圧倒する飽和攻撃の前では焼石に水であった。
第一次防衛ラインはソ連軍と枢軸軍の血と鉄で埋まり、第二次防衛ラインにも複数の部分で深く食い込まれた上に一部では突破され、第三次防衛ラインにも一部の敵が取りつき始めており、仮にこの状態が継続して居れば、連合軍、枢軸軍共に膨大な流血の果てに、満ソ国境は突破されるかに思われた。

この状況に最初に変化をもたらしたのは、枢軸軍航空部隊だった。物量ではソ連側に分が有った物の、『LaGG-3 戦闘機』と『九七式戦闘機』『P-42 サンダーランス』との性能差に加え、日米ではとても戦場に出せる様な練度では無いパイロットすら投入していたソ連空軍との練度差によって、スペイン内戦に参戦した熟練パイロットもそれなりに混ざっていた為にかなり手古摺りはした物の、比較的早期に制空権の奪取に成功。陸上部隊の危機を前に一部見切り発車で出撃していた対地攻撃部隊が前線の戦車や歩兵部隊に対して手当たり次第に銃爆撃を開始。後方で屯していた4発重爆撃機の『連山』『B-17』も、一部の部隊が輸送部隊や輸送路の破壊だけで無く陸上部隊への攻撃を開始した事からソ連側の攻勢は鈍りだした。例え進撃したくとも燃料や損耗した車両への修理部品が無ければ戦車もトラックも動きようが無いし、食料や水、医薬品が無ければ、いかなる勇壮な革命戦士と言えども戦えないし動けない。極一部の兵士や部隊は、枢軸軍の補給物資や装備品を奪取して戦闘を継続するような例外的な者も居たが、そういった優秀な部隊でも自軍補給路の壊滅による軍全般に最終的に下された後退命令によって引き上げざる負えなかった。

そして、撤収して行くソ連軍を追撃するべく、日米の精鋭機甲師団が迂回してソ連軍後方に突撃し始めたのが、この会戦の分岐点であった。それぞれの車両に、刀や騎兵銃、剣虎や軍馬等のパーソナルマークが描かれたこの現代に蘇りし騎兵隊は、目の前に立ちふさがった赤い旗を掲げたロシア人が操る戦車を多数撃破して、ソ連戦車乗員に現世の空虚な『楽園』から『天国』へと向かう片道切符を笑顔で贈与した上で、この大軍勢を支えるソ連軍補給部隊を、その大火力と機動力を生かして徹底的に蹂躙。前線から撤退し切れて居なかった一部のソ連軍主要部隊に対して、燃料や部品不足による車両放棄や、物資欠乏による降伏を強要。更に止めとして枢軸軍の一部から『痛い子大隊連合軍』等と称されている『カラフルな髪の色をした少女』や『女性に擬人化された可愛い動物』の絵が描かれた襲撃機が、未だに抵抗を目論むソ連兵を丁寧に一つずつ潰して行き、この美しい『ヴァルキュリア』と『ルシファー』の活躍が、この『第二次満州防衛戦』、若しくは『満州理会戦』と呼ばれた戦史に残る大激戦のフィナーレを飾る事となった。

398 :641,642:2015/10/15(木) 20:31:46

この会戦の結果を見ると、最終的に共産連合軍の突破を許さなかった日米満軍の枢軸軍側の戦略的勝利、枢軸軍に多大な損害を与えたソ連、中華連合軍の戦術的勝利と言う評価が、後世の歴史家からは下されている。ソ連、中華連合軍側も数的には大打撃を受けてはいるのだが、枢軸軍側は基本的に年単位か、そうで無くともそれなりに時間を掛けて兵士を教育して戦地に投入するのが絶対的であるのに対して、共産連合軍、特に中華とソ連では大して教育せずに戦地に投入するのが極普通、日常的に行われている為に、所謂『兵士一人一人の価値』に、ソ連、中華側と日米満側には多大なズレが生じていた。又無教養で有るが故に、戦地で地獄を見ても『こんな物か』と比較的受け入れる事が出来た者が、特に中華出身者に多かった共産軍側に対して、文化的な生活を営み、列強兵士として恥ずかしくない教育を受けた日米満出身の兵士達にとって、『未だ息の有る戦友を踏み付け、轢き殺してでも突撃し、白旗を掲げても容赦なく生き地獄を味合わせられた末に殺される』軍隊の存在は衝撃的であり、心理的衝撃から後方に送られた兵士も多数存在した。それに付け加え、連合軍の猛攻で予想以上に各種車両や武器弾薬を消耗し、その優秀さから満州方面軍の兵站、補給関係を一手に握る、と言うより押し付けられた形の日本陸軍出身の『久野村 桃代少将』が、一応最悪の場合の想定の範囲内だったとは言えども、日米両超大国と陸軍強国の満州軍が大量消費した膨大な備蓄物資量に泡を吹き掛けながら物資の追加再集積に当る一幕も見られていた。

399 :641,642:2015/10/15(木) 20:35:48
以上になりまする―。さて、犬の散歩に行かねば


因みに第二次防衛ラインでは、宮崎 繁三郎閣下が敗走した日米満部隊を糾合して臨時軍を編成して必死の防戦を継続して、ソ連軍の後方に突き刺さった短刀となり、枢軸軍の反撃に合わせて包囲戦を展開する活躍を見せた…と只今脳内設定にて決定しました(オイ)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2016年10月13日 11:15