504 :陣龍:2016/04/24(日) 12:38:13
日米蜜月(ユーラシア共産化)ルート考察擬き

大戦に置ける主要会戦記録 『第二次世界大戦~終演の序曲~』


『Battle of Europe ~史上最大の大空戦~』


ほぼ似たような時期にブリテン島と中東並びにスエズ運河周辺を制圧した枢軸軍による、一年以上と言う長い時間をかけて共産連合軍に仕掛けた戦略爆撃と航空撃滅戦に対して、共産連合軍も真っ向から立ち向かい、双方に幾多のエースが生まれた『史上最大の航空戦』。初期は共産連合軍も反撃で戦略爆撃をブリテン島南部やエジプト方面に対して決行するも、状況的にまともに日米の本国に打撃を与える事は不可能な上に、連合軍から見ると異常な性能と物量を持つ日米航空軍に欧州地方の工業地帯は次々と爆撃で壊滅状態に追いやられていき、中期以降は迎撃一本に絞ってもその連合軍の努力ごと叩き潰す戦力差が押し寄せ続ける絶望の始まりとなった戦い。余りの濃密かつ壮絶な空戦の為に、無数の戦場伝説や多数の美談逸話が発生した『戦史史上最後の英雄たちが生まれた場所』とも言われている。


アメリカ軍がブリテン島を制圧し、日本軍も中東を制圧し、航行妨害の為に大量の船舶を沈められたスエズ運河を奪取した頃になると、共産連合軍の戦略も流石に変化していた。第二次世界大戦も後期に入り、既に膨大な戦力差を付けられている事を無理矢理認識させられたトロツキー率いるソヴィエト革命政府は、現段階ですら日米と比べると大分短い航空パイロットの錬成期間の更なる短縮を決定。現場からは『素人ばかりを増やしても意味が無い』と上層部への意見具申が有ったが、トロツキーはこれを黙殺するどころか今までに無い強硬な態度と言葉で実行を命令。

本来革命家どまりの能力であり、国家元首としての政略的な能力はかなり低くは有ったものの、それでも穏やかな声色で語り掛けるスタイルのトロツキーに有るまじき奇行にソ連は動揺するも、それでもトロツキーの名声と権威は相変わらず凄まじい為にそのままにされていた。何故このような事になったのかと言えば、その原因は『ポーランド人によるトロツキー爆殺未遂事件』に依る物であった。苛烈なレジスタンス運動とそれに対応するソ連軍との間での苛烈な戦闘によって、ポーランドの大地は荒廃の一途を辿りつつあった。そこで、自身の神がかり的な演説でポーランドの民を自国側に引き込もうと画策したトロツキーがポーランドに入国。出迎えた欧州方面軍の総司令官であり、尚且つトロツキーが唯一無二の革命の同志でもある『ミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキー』元帥と共に、ポーランド人の前で演説しようとするも、ポーランド軍の工作により本来トロツキーが乗るはずだったソ連軍の軍用車に
仕掛けた爆弾が爆破される。だが偶然にもトゥハチェフスキー元帥が乗る車とトロツキーが乗る車をソ連軍が取り違えると言うアクシデントにより、トロツキーではなくトゥハチェフスキーが死亡した事件である。

唯一無二の親友であり革命の同志を、目の前で無惨な最期を迎えた事を直視したトロツキーは、暫くの間はある程度平静を保っていられたが、枢軸軍の大反抗とそれに連鎖して悪化し続ける戦況の前に重すぎるストレスを貯めていき、最終的にスペイン、イタリア、北欧、そしてドイツの裏切りを発火点として精神の均衡を完全に崩していくのだが、このころはまだ何とか誤魔化せていた状況だった。

505 :陣龍:2016/04/24(日) 12:41:37

話がそれたが、兎に角陸上戦力以上に航空戦力の強化に走り出した共産連合軍だが、内実は相変わらず日米と比べるとお寒い物であった。ロシアと欧州全土、そして中華地方に存在する資源に加えてドイツ驚異の科学力と独ソの巨大な工業力によって合成ゴムなどが大量に生産されて居る為にある程度はどうにかなったものの、それでも技術力、生産力、資源不足で日米よりも足りない物は多数あった。この時期主に欧州の大地に配備されていたのは『Fw 190A』『スピットファイア Mk-14』『ラボーチキン La-7』と言った新鋭機だけで無く少数ながらも『ヤコブレフ Yak-9』『Fw 190D』と言った、終戦まで戦い続ける名機が出現していたが、ドイツが中東方面を守る為に『Fw 190D』だけで無く『Fw 190A』すらも根こそぎ注ぎ込んだ為にドイツ軍機は既にドイツ人自身からも二線級扱いされている『Bf 109G』や対爆撃機用の数的主力である『Bf 110』と順次機種転換が進んでいる『He219 ウーフー』しか欧州には残っておらず、フランス軍は最近活発化した反共レジスタンスとそれに対する弾圧、そして粛清の連鎖でせっかく再編されていた工業力が急速に落ち込み続けており、新型機開発はもちろんの事既存機の生産すらも滞り始めていた。しばらく後になればドイツ空軍の戦力が復活するのだが、実質にこの時点で大規模な防空軍を編成出来るのはソヴィエト空軍しかいなかった。

そして侵攻する側の日米両軍に関してだが、アメリカと日本の戦略爆撃の現場指揮官であるアメリカ陸軍航空隊所属『カーチス・ルメイ』中将と日本陸海軍合同航空隊指揮官の『大西瀧治郎』中将との間で衝突が発生していた。端的に言えば『市民を多数巻き込む徹底的無差別戦略爆撃』か『軍需関係に的を絞った精密戦略爆撃』での対立である。関係各所に加えて現場の尽力と幾つかの幸運によって結果的に未遂に終わったとはいえ、本土爆撃を受けかけた上に開戦初期に多数輸送船やタンカーを連合軍の通商破壊戦によって沈められたアメリカ軍にとっては『徹底的に殴り倒さないと気が済まない』と言うのは当然であり、また『手心を加えて自軍の被害が激増したら話にならない』と『Operation Enduring Freedom』での経験をもとに論陣を張った。

対する日本軍に関しても『無駄に市民を巻き込むことは我らの大義を汚す事になる』と言い、また『兵員の士気にも悪影響が及ぶ』とこちらも一歩も引かない状況だった。元々『サムライ・フォース』と称されるほどに戦争を『軍人だけで行うゲーム』と考える傾向が強い日本軍にとって、必要以上に民間人を巻き込む作戦は受け入れがたかった。しかもその論争中に日米両国の財務を預かる人間から『欧州復興に余計な金出したくないから可能な限り破壊しないで欲しい』と言う要請が入ってくるにおよび余計に論争はカオス化した。だが結局時間が押している事も有って『可能な限り軍需関係に絞っての戦略爆撃』と言う日本よりながらもやや中途半端な形で決着がついた。『カーチス・ルメイ』…と言うよりもその後ろに居るアメリカ陸軍航空隊司令長官の『ヘンリー・アーノルド』大将はこの決定に不満を漏らしていたが、少なくとも独断専行で命令違反をする気は毛頭なかった。『ヘンリー・アーノルド』は、ステイツ本土でちらほらと出現し始めた、日本の言い分も理解しない、出来ない程頑迷な差別主義者でも、情勢を無視して自身の考えを貫き通す様な石頭でも無かった。


そんな内部でのゴタゴタが有りつつも、殆ど関係なく最前線で出撃命令を待っていた蒼穹の猟犬たちの士気は極めて高かった。ブリテン島に多く展開していたアメリカ陸軍航空隊の面々は、戦略環境的に仕方が無かったとは言え余りそう多く連合軍機と空戦する機会は少なく、目の前に広がる『史上最大の航空戦』に対して鼻息荒く待機していた。今まで訓練漬けだったのがようやく実践の機会に逢えたのだ。しかも自らが操るのは『二ホンのクラサキ』とステイツの誇る航空
技術者がタッグを組んで生み出したアメリカ史上最上の機体である。士気が上がらない方がどうかしている。まあ半年も経ったら彼らに配備されている以上の性能を持つ『プロペラの無い機体』が配備されるのだが。

506 :陣龍:2016/04/24(日) 12:44:37
『P-48 ワールウィング』『B-29 スーパーフォートレス』の様な最新鋭機で統一し、予備の機体や部品も発動機も文字通り無数に存在するアメリカ軍らしい情景を見て、イギリス人は心の底から何かをボッキリと折られたりなんだりしている内に、現地軍と自由イギリス軍を再編して結成された新生イギリス空軍、自由フランス軍、自由オランダ軍を加えての枢軸軍と、ソヴィエト、フランス、ドイツ空軍主体で構成された連合軍による、ブリテン島と対岸のフランス、そしてドーバー海峡を血肉と鋼鉄で埋め尽くす大乱戦が開始する。

初期段階のブリテン島方面の戦線は互角であった。距離的に文字通りの目と鼻の先に互いの重要拠点が存在し、尚且つ枢軸軍の装備は連合軍よりも優秀では有ったが、連合軍の中でも多くを占めるソ連空軍は機体性能の差を物量でカバー。中央アジアなどの自国領から引き連れて来た兵士だけでなく、途中から東欧各国の兵力もつぎ込んでソ連軍機の『Il-4』『ラボーチキン La-7』ブリテン島から設計図等が移植されたフランスで生産が続けられている『スピットファイア Mk-14』『アブロ ランカスター』が主にブリテン島に向けて飛び立ち、対する枢軸軍も先述した『F6F ヘル
キャット』のエンジンを使用して開発された、アメリカ陸軍航空隊の自信作である『P-48 ワールウィング』やアメリカ版富嶽の『B-29 スーパーフォートレス』に加えてアメリカ海軍航空隊や海兵隊からも『F6F ヘルキャット』や『A-1 スカイレイダー』、太平洋を横断してブリテン島に来た日本軍等も参入し、こちらはブリテン島から欧州大陸へと大挙来襲。

通常の迎撃戦では、連合軍側の戦闘機は大型戦略爆撃機である筈の『B-29』を追い切れない等の珍事が発生するが、これに関しては事前に重量を減らす等した特注の戦闘機を多数空中に待機させたり、ブリテン島に存在する飛行場を強行爆撃すると言った文字通り数と力でのゴリ押しで対処。当然枢軸側も反撃でフランス全土の飛行場や軍需工場を集中的に爆撃。数回奇襲的に東欧方面にまで足を延ばして爆撃して連合軍側に余計な負担を掛けさせる等、双方の遠慮無用の爆撃合戦により、先の『Operation Enduring Freedom』で奇跡的に生き残ったブリテン島南部の工業地帯、そしてフランスの多くの土地の工業、そして農業地帯は瓦礫と不発弾、そして双方の撃墜、不時着機、パイロットの死体でコーティングされていった。日米側の喪失機自体は、規模の割にはかなり少なめに抑えられてはいたが、それ以外の連合軍側、そして特に枢軸側の新生イギリス空軍、自由フランス空軍の損害比率がかなり高かった。連合軍側は機体性能もさる事ながら、主力を務めるソ連空軍が中身の連度も数を揃える為か中央アジア等の僻地の人間を不十分な教育で戦場に突っ込んでいるのだから『ソ連軍機は10機落として初めてエース判定』と言われる位には連度不足で有り、新生イギリス空軍は故郷のブリテン島を守る為に体当たりも辞さない程度には血気盛んであり、自由フランス軍も目の前に母国が有る事からなのか同じく血気盛んであった。


だが、連合軍と枢軸軍のこの大空戦が互角だったのは、初期だけであった。元々枢軸軍の主力である日米両国の本土は欧州大陸から遥か彼方にあり、殆ど何の妨害も受けないままに各種新型機の生産や開発、そして新米パイロットの教練を余裕を持って進められていたのに対し、連合軍側は欧州本土の主要工業地帯に猛爆撃を受け、そして新米を育てられるだけの安全な空が日々急激に狭まりつつある状況である。ソヴィエト連邦のヨーロッパロシア方面は未だに爆撃を受けてはいないが、代わりにフランスやドイツ方面の輸送路や空港のインフラ、そして修理する為の工場が潰され始めていた。ドイツに関しては栄光あるルフトバッフェの死力を尽くした立て直しにより首の皮一枚で繋がったが、ブリテン島の目の前にあるフランスは手遅れだった。反共レジスタンスによる行動、そして目標地点にクレーターを作り続ける日米重爆撃部隊の猛攻に正確に対処できる能力は、もうこの時のフランス共産党政権には存在しなかった。事ここに至って内ゲバを始めた時点で、この政権の頭の出来が分かるものである。

507 :陣龍:2016/04/24(日) 12:48:40
中期以降となるとフランス全土は、パリの様な政治的意図によって避けられた一部の工業都市や純正な民間都市、そして農業地帯を除いて、文字通り爆撃痕だらけの大地となった。第一次世界大戦時の物と合わせると、フランスの大地に降り注いだ爆薬の量は、強引に換算した場合初期型原爆数個分と言われる位である。その為、21世紀現在になっても時々フランスからは第一次、第二次世界大戦時双方の爆弾が発見されている。ドイツに関してはフランスよりもまだマシであったが、数字上や特に当事者にとっては殆ど程度問題だった。純正な民間都市や遺産の存在する都市は見過ごされていたが、逆に言えば軍需都市は問答無用で徹底的に根こそぎ爆撃されていたのだから。そしてフランスの抵抗力が激減するにつれて、今度はドイツを飛び越して東欧、そしてヨーロッパロシアにも『B-29』の爆撃行脚が開始される。一度『B-29』の性能を過信し過ぎたせいで、護衛機無しで東欧に爆撃に向かった際、中東戦線で栄光と挫折の辛酸を味わいつつも生還したドイツ空軍所属の『砂漠に輝く星』ハンス=ヨアヒム・マルセイユ少佐率いる対重爆戦闘機隊の迎撃で、5%程の完全損失機を出す失態を犯したりするも、それ以外では基本的に順当に性能差と中身の連度の差で連合軍側を押しつぶしていった。この頃よりソ連軍は女性兵士を動員し、徴兵年齢の拡大を始めるが、この時は未だ常識的範疇の動員だった。『国民を磨り潰している』と表現されるまでの破滅的光景が生まれるのは、ドイツが連合国から脱落してからの話である。



後期以降にもなると、最早『ブリテン島への戦略爆撃』等は夢物語以下の夢想劇にすらならなくなって来た。大雨でも降らない限り毎日昼夜を問わずに『B-29 スーパーフォートレス』『富嶽』が各地を爆撃し、迎撃に出る機体は護衛戦闘機の『P-48 ワールウィング』や『F6F ヘルキャット』『烈風』『烈風改』『隼』によって徹底的にシャットアウトを喰らって本命の爆撃機には辿りつけず、逆に連合軍側が蹴散らされる事例が多発し始めた。この状況でも連合軍側が
曲がりなりにも戦えているのは、枢軸軍が『お行儀よく』戦っているからである。軍需産業やインフラに爆撃を限定せずに無差別爆撃を行っていたら、第二次世界大戦は数か月早く終わっていたと推測するアメリカの学者も比較的多い。仮に無差別爆撃をやっていたら、瓦礫と借金と死体、そして枢軸側に対する深い憎しみを持つ欧州全土を抱え込む事になっていたのだから、現在では『やらなくて良かった』と言われているが。

だがその『曲がりなりにも』戦えていた大空の戦況がとうとう崩壊する。日本帝国が誇る『空狂いの技術者集団』倉崎企業が生み出した、人類史上初のジェット戦闘機『疾風』の実戦投入だ。連合軍側のジェット戦闘機開発状況は、爆撃を受けつつもドイツが何とか試作機を完成させるか否かの状況であり、しかもその試作機も『疾風』の『生まれる時代を10年は間違えている』と、『疾風』を初めて見た盟友のアメリカ人航空技術者にすら言われたほどの性能の高さの前では、月と鼈レベルにまであらゆる物が懸け離れていた。その『疾風』の鮮烈なデビューを飾ったのが『ブレスト軍港沖のカラス狩り』である。当時スエズを占拠したは良い物の、連合軍の置き土産とも言うべき運河に大量に沈められた軍艦や機雷の除去に手間取っていた日本軍は、極めて遠回りになるが喜望峰を回って大西洋側からブリテン島に増援を送っていた。編成としては日本陸軍がビルマにインドと中東を横断するフルマラソン中に大改装した結果『疾風』を運用可能になった翔鶴型空母の『翔鶴』『瑞鶴』、大鳳型装甲空母『戦鳳』『海鳳』と大鳳型の最終建造艦となった『炎鳳』『氷鳳』、
そして航空輸送の為の飛鷹型軽空母4隻、そして何時もの陽炎型駆逐艦と沙流型防空巡洋艦、追加でイギリスへの嫌味の積りなのか金剛型戦艦4隻である。
因みに我らが大和型はシンガポールで整備後スエズを頑張って乗り越えて地中海に残るクイーンエリザベス級戦艦を撃滅する予定であった。その筈だった。うん。

508 :陣龍:2016/04/24(日) 12:52:36

航海は極めて順調だった。連合軍側の潜水艦も物理的に大西洋に出て来られない状況でもあり、艦長の航海日誌に『本当に戦争中なのか甚だ疑問に思ってしまう』とすら書かれた程度には平和であった。連合軍側のアフリカ領もマトモに有力な兵力を配備していないと言うより出来ない状況なのだから、当然の結果であったが。そんな平和が失われたのは、フランスのブレスト軍港沖合のケルト海を航行中であった。先行偵察艦、アメリカで言うピケット艦任務に就いていた陽炎型駆逐艦『谷風』が装備する電探が、フランス本土から多数飛来する機体を探知。既にブリテン島に駐在する枢軸軍によって撃滅されている筈のフランスから多数の敵機が襲来すると言う想定外の事態に驚きつつも、丁度翔鶴型二隻と大鳳型四隻には最新鋭戦闘機の『疾風』を搭載して居た為にこれを優先的に出撃させた。そして『疾風』が多数大空に舞い上がり、日本海軍の誇る『坂井三郎』や『岩本徹三』『杉田庄一』等の大エースが今か今かと待ち受ける中に、不幸にもフランス共産軍の最後の有力な戦力である『Fw190A(フランス生産型)』『バラクーダ(仏生産型)』『アブロ ランカスター(仏生産型+元イギリス軍機含む)』が殴り掛かり、真正面から張り倒された。当たり前である。どうやってこの旧来機群で『後ろに目が有る』等と称される程に経験を積み上げたSクラス、若しくはA++クラスのエース達が操る『疾風』に勝てるのだろうか。因みにこの『カラス狩り』は思っていたよりも広範囲に影響を及ぼした。主に情報漏洩や爆撃漏れが有ったと思われた為の調査に関してでは有るが。

尚この『疾風』に関してだが、日本の盟友であるアメリカ軍は本土の人間が現場の意見を聞かずに『今度と言う今度ばかりは独自生産だ!ステイツは日本に頼り切りであってはならない!』と鼻息荒くジェット機開発を命令したのだが、満を持して開発した試作機が初飛行時に総撃墜機数30機に上るベテランテストパイロットごと爆発四散してしまい、この拭い様のない大失態に関係した高官の多くの首が連座含めて飛んだ末、一時ジェット機開発は中断し、今戦争中は『疾風』のライセンスと倉崎との共同研究に止める政治的決定が出てしまって居た為、アメリカ軍もここ暫くは日本軍の『疾風』のアメリカ仕様を扱う事になってしまった。それでも終戦後、そしてしばらくして発生した『テキサス・カリフォルニア暴動』と言う惨事にもへこたれずにジェット機や新技術開発を続け、現在では日米共に新技術開発では同等の地位でしのぎを削り合う立場になっているのだから、アメリカ人の天性のリカバリー能力は相変わらず凄まじいの一言である。



話が逸れたが、枢軸軍によるブリテン島制圧後に始まった欧州大航空戦『Battle of Europe』は、結果的に地上戦によって多数が破壊されたブリテン島に残された貴重な南部の工業地帯が壊滅し、それと同様に欧州の多くの工業地帯が爆撃で灰燼に帰した結果になる。各国の遺産が有る地域や民間都市、そして一部の工業地帯が政治的判断で残されたとは言え、それでも欧州本土の人間に厭戦気分を齎すには十分だった。枢軸軍は爆弾だけでなくビラ、そして時には食糧すらもばら撒いていたのだから、悪辣である。だがフランスやソ連の共産党政権は未だに交戦意欲を全く失っておらず、既に心が折れつつあるドイツや東欧諸国もソ連の軍隊を駐屯する物理的説得によって『講和』等とは言い出せる状況に無く、爆撃だけで終わらないかと淡い期待を抱いていた一部の人間に頭を抱えさせられる状況となった。この不毛な欧州爆撃から状況が切り替わるのは『詳細不明な現地ソ連軍の戦闘によるイタリア参戦』と『クイーンエリザベス級戦艦が殲滅されたシチリア島沖海戦』そして『スペイン参戦』『枢軸軍による欧州大侵攻』が発生してからである。

欧州の人民の血、涙、そして肉が枯れ果てるのが先か、それとも枢軸による殴り込みが間に合うのかは、この時は未だ誰も知らなかった。

509 :陣龍:2016/04/24(日) 12:54:32
はい、以上になりまするー。

…昼食べてないのでちょっと食べて来ます。取り敢えず次は多分イタリアの(超不本意な)参戦と(大和大号泣の)シチリア島沖海戦になるんじゃないかなと思います(曖昧)

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最終更新:2016年10月13日 22:12