137 :弥次郎:2016/11/04(金) 00:00:17
大日本企業連合が史実世界にログインしたようです「国防は軍人の……」15 -狙撃手、かく語りき-




これが試作97式対物狙撃銃だ。いずれは制式採用となるだろう。
デカいだろう?12.7mm×99mmの弾丸を使用し、有効射程は2kmにも及ぶ。
重さは12㎏。これでも携行しやすいレベルだ。問題があるならより軽量な乙型を使うといい、乙型ならば10㎏くらいだ。
組み立てには慣れれば20秒もかからん。持ち運びもしやすいからな。

どれくらいの威力があるか?
撃たれると歩兵なら相手は死ぬ。
装甲車や駐機している航空機にも効果はあるし野戦砲なども吹っ飛ばすことができる。
多少頑丈な防壁だとか土嚢の影に隠れてもそれを丸ごと破壊できる。
12.7mmという口径は歩兵にとっては大きすぎる。信管も作動すれば爆発して、人体を消し飛ばす。
1.5km先の敵兵に命中しても身体を両断する程度には威力がある。間違いなく人を殺すには最適だ。

同じ銃でもこの特殊なHEIAPという弾丸を使えばさらに効果が期待できる。
なにしろ焼夷弾 徹甲弾 炸裂弾の3つの特性を備えている。標的の破壊はもってこいだな。
戦車に対してはグスタフ……ああ、対戦車無反動の方が有効だ。元々12.7mmなんてのは戦車にすれば豆鉄砲もいいところだ。
スイスのゾロターン S-18/100を研究して作っている銃があるらしいが、あれだとソ連の戦車には意味がないな。
精々ドアノッカーにしかならん。メリケンの戦車にも効果は低い。諦めろ。

ただ、コイツのマズルブレーキからの発砲煙はかなりのものだし、反動がそれなりにあるからな。
伏せて撃つか、しっかりと固定してから撃て。ああ、自信があるなら腰だめに構えて撃つのもいいだろう。
怪我するだろうから腰だめで撃つのは禁止だな。基本的に伏兵として隠れておいて不意打ちのように浴びせ、
反撃を食らう前に素早く陣地転換をするのが安全だ。それか、反撃されない距離をしっかり保っておけ。
はっきり言ってしまえば、これを使って撃ち合いになることを想定していない。撃ったら動け。見つかって殺される。
狙撃を行う際には、観測手(スポッター)がいればより命中率が期待できる。
スコープもあるとはいえ、命中させるには誰かの支援がいる。これを運搬することも考えれば合計で2名はいた方が良いかもな。

ん?こんな銃で撃つのは気が引ける?
気にするな。殺しているのだから、いずれは殺される。
野垂れ死にするか、嬲られながら死ぬか、拷問されて死ぬか、それとも飢え死にするか。
死は等しくやってくる。逃れられない。なら、どういう死に方をするかなぞ気にするな。
相手も自分も、いつかは死ぬ。殺されたくなけりゃ、さっさと軍を抜けてしまった方がましだ。
それか、相手をさっさと殺してしまえ。

狙撃手は特に碌な目に合わない。
常に死ぬ覚悟をしておくか、絶対に生きて帰る理由を作れ。いざというときに割り切れる。
中途半端なものだと絶対に駄目だ。その理由のために必死になれれば、窮地を切り抜けられる。

自分の生きる理由?
そうだな。それは、その、なんだ。
惚れた女のためだ。今も惚れてる。惚れ続けている。結婚してるが、それでも惚れる。
互いに年を食ったなんて愚痴ることもあるけどな、それでもどんどん綺麗に年を重ねているんだ。
だからな、死ねないんだよ。死にそうになった経験はたくさんある。その度に跳ね除けた。
お前たちも、それくらいはしておけよ。

(以下、惚気9割なので省略する)


          • とある実弾訓練における虎鶫の説明より抜粋

138 :弥次郎:2016/11/04(金) 00:01:52
ええ、教官のことはよく覚えていますよ。
虎鶫と、鳥の名前の符丁(コードネーム)しか教えていただけなかったので逆に記憶に残りました。
日企連から派遣されたということで緊張したり警戒したりしましたが、虎鶫教官は裏表のない良い人でした。
それに、見るからに歴戦という風格を漂わせておりました。伝え聞く乃木大将や秋山大将などもかくやというね。
お恥ずかしながら、自分は初めて顔を合わせたときに殺されされるんじゃないかとおびえてしまいましてな。
なんといいますかね、恐ろしいのですよ。一見すると優しいように見えますが、うまく言えませんが、銃弾が飛んできそうな予感がするのですよ。

(略)

教官の教えは生存と任務遂行を第一としておりましたね。
武器の扱いと並行して、教官は最初に野外調理の方法を教えたのですよ。
それも、道具がろくにない状態で食えるものを作る方法です。獲物を追いかけ、狩り、どのように調理するか。
如何に少ない食料で体調を維持し、いざというときに力を出すのか。精神論ではなく、技術として教えられました。

ええ、ええ。教官にやたらとかみつく将校などもいましたが、その将校もやがて折れましたよ。
何をしたか?簡単です、実践したのですよ。食料と水を限定した状態で競争をやったのですよ。
小笠原の孤島で、2週間にわたってね。将校が率いる部隊と、落ちこぼれとみなされていた連中が集まった部隊で行いました。
内容はごく単純にどちらが長く生き残れるかというものでした。同じ訓練内容が課され、同じ装備と同じ食料が配られました。

最初は不安でしたね。何しろクズだの馬鹿だの言われていた歩兵ばかりでしたから。
でも、教官は要領よく食料と水を確保して、陣地を形成して、見張りを用意して、我々を指揮してくれました。
その維持の方法を丁寧に教えてくれました。ええ、それはもう丁寧に。兵食でも文句一つ言わず、むしろ旨いものを食わせてもらいましたよ。
海水から塩を作って干物を作ったり、食べられる野草と食べてはいけない野草を詳しく教えられました。
そして演習が終わったころには教官の指揮していた、それまで落ちこぼれの部隊員はみんな立派な兵士になっていましたよ。
教官にかみついていた将校は早いと1週間でへばっていました。なんでわかったか?
夜のうちに照明弾が上がったのですよ。演習中に危険がせまったら使うように言われていた照明弾が空にポッと咲きまして。

後から聞きましたが、その将校が脱水症状で死にかけたらしいです。
随伴していた日企連の医師が危険だと判断したようで。
ええ、飲める水が確保できなくなったようです。
文字通り泥水をすすっていたようですが、やがて飲みたくないと水を断っていたようです。
今でこそ、訓練後の経口補水液は一般化していますが、当時日企連が言い出したことは奇天烈でしたからね。
我を張って飲まなかったのが祟ったようですよ。

139 :弥次郎:2016/11/04(金) 00:03:07
自分達ですか?
教官と一緒に即席で作ったろ過器によってきれいな水が飲めておりました。
教官が方法を教えてくれまして、初日にはもう完成していましたね。
降った雨をためて、それをろ過して3日ごとにお湯をあびることもできましてね。
あの時ほど風呂のありがたみを感じたことはありませんでしたよ。向こうの歩兵がこっそりやってきていたのは内緒ですが(笑
まあ、教官も見て見ぬふりをしてくれました。本当なら互いに干渉しあうのは無しとなっていたのですよ。

(略)

昔から自分は愚図だの鈍間など馬鹿にされていましたが、教官はむしろ褒めてくれましてね。
「どんな時でもいつも同じように動ける人間ほど軍人としての素質がある人間はいない」と。
今でこそ自分は射撃の名手だなんて言われていますが、そもそも引き抜いてくれたのは教官でしたからね。
それ以外あまりとりえのない自分が大成できたのもひとえに教官のおかげでした。

特に、ええ、自分は97式自動長銃を任されまして、教官が自ら指導をいただきました。
聞いたことがない?ああ、そうでした。諜報のために長銃と呼称されておりまして。
ええ、無反動砲も無反動砲とは言わず低反動砲だとか軽反動砲とか呼んでおりました。
今でこそカタカナを使っておりますが、当時は、少なくとも日企連の指導が入り始めたころには、
そういった横文字に慣れておりませんでしてね。教官も含めて何かと不便をかけておりました。

ともかく、その対物狙撃銃は自分に合致していたようで。
驚いたことに自分が教官の記録を塗り替えてしまいまして、ええ、師を超えることが弟子の務めだなんていいますが、
教官さえも驚いておりました。2kmくらいが有効射程なのに、それを800mも伸ばすとは何事かと。
教官は流石に2.6km前後で怪しくなるそうですが、自分はそれを少しばかり乗り越えてしまいました。
いや、その時は自分でも驚きました。職人芸だって言われましたが、誇らしく思いましたよ。
勲章ももらえましてね。ええ、黒い鳥の、八咫烏勲章をもらえましたよ。
同期でももらえた人間は船坂君などしかいないとか。なんでもらえたかは自分でもよくわからんです。

(オフレコ部分)

ええ、教官がネクストやVシリーズでそれ以上の距離を打ち抜いていたのは後から教えられました。
機密で口外できませんでした。ただ、教官の恐ろしさはそこにあったのかと、教えられた時は納得しました。
何しろ歩兵などとは異なる実戦を経験していらっしゃったんですから。

そりゃ、映像を見せられた時は驚きましたよ。
自分なんかとは全然違う世界を渡って来たのだとね。
浮世離れしたといいますか、どこか達観したようなところがありましたが、あんな経験をなされれば当然と思いました。

そういえば教官を訪ねて変な人が来たこともありましたね。
教官以上に浮世離れしていましたよ。何といいますか、とらえどころがないというか、
でも自分はその人が教官以上に恐ろしいと感じましたね。理由は何とも分かりませんが。

(オフレコ部分終了)

140 :弥次郎:2016/11/04(金) 00:04:17
その後は自分は実戦をいくらか経た後に一兵卒から教官と同じく人に教えてやる立場となりました。
ええ。優秀すぎる兵士だから死んでは困るという判断だったそうです。
おかげで士官学校に入る羽目になりまして、同期に手伝ってもらって何とか卒業しました。
あの時ほど勉強をした時期はありませんでした。いやというほど教本を読みふけりましたよ。
教官ほど機微に飛んでいるわけではありませんが、それでも教官から習ったことを教えておりますよ。
生きて帰って、家族に顔を見せてやること。それが一番の仕事だと、それだけはきっちり伝えております。

それに、教官は無駄な死を選ぶなと何度も言い聞かせていました。
AR演習やVR演習で銃剣突撃をやった指揮官などにも厳しい叱責をしておりましたよ。
突撃をしたところで、何ら情勢は変化しない。自己満足のために死ぬなと、耳に胼胝ができるほど言われました。
ええ。銃剣突撃は今はもう銃剣道やいざというときの技術にまで抑えられておりますが、それもしょうがないかなと。
機関銃の弾幕をVRで経験させられましたが、それはもう酷いものでした。何度も何度も”戦死”したり”玉砕”したりしまして。
気の弱い兵では泣きだしてしまう有様でして。でも、それが実戦でなくてよかったと思いますよ。
実戦ならみんな死んどりますから。そしてみんなが理解したんですよ。教官の言っていたことが重要だとね。
そして、自分も家族に会って、もう、泣いてしまったのですよ。お恥ずかしいことです。

(略)

ただまぁ、狙撃手というのは悲惨な光景も見る羽目になるものでしてね。
自分は何とかなりましたが、何人かは転属していきました。
人に、ただの歩兵に12.7mmもの銃弾をぶつけることがどういうことかと、実戦で理解させられたのですから。

自分のスコアは狙撃銃だけじゃなく、短機関銃(サブマシンガン)や拳銃でもありますが、それだけ命を奪いました。
自分は家族を養ってやるために軍に入りましたが、この切った張ったなどもうこりごりだと思いましたよ。
何時だったか教官が言っておりましたが「戦争なんてのは何を使おうが馬鹿らしい」と。自分はこれに同感です。
殺す相手にだって家族がいる。誰もかれもが必死に生き抜こうとしている。それを殺すのが狙撃手です。
碌でもない仕事だと思いましたよ。だから、今度生まれてくる孫にはのびのびと生きてもらいたいもんです。



              • 日企連詳報 野比陸軍少佐(最終階級 陸軍大佐)へのインタビューより抜粋


試作97式対物狙撃銃甲型
全長:1430mm
重量:12140g
装弾数;10+1発
作動機構:ショートリコイル
モチーフ:バレットM82

試作97式対物狙撃銃乙型
全長:1145mm
重量:10500g
装弾数:5発
作動機構:ボルトアクション
モチーフ:バレットM95

概要:
日企連が史実帝国陸軍に提供した対物狙撃銃(アンチマテリアルライフル)。
バレットM82をベースに、サイズの縮小と低反動化を行っている。
使用する弾丸は12.7mm×99mmNATO弾で、同時期に日企連から提供されていた銃火器などと共通化を図っている。
対物狙撃銃という名前を隠匿するために97式自動長銃などと書類上は書かれていた。特に乙型は携行しやすいと前線の
狙撃手からは好評であり、乙型が多く生産され、前線において活用され、ロングセラーとなった。
同ライフルの配備と日企連の情報から帝国陸軍は対戦車ライフルの開発をほぼストップし、代わりに対物ライフルの研究を開始した。
また、対戦車ドクトリンの一環としてカールグスタフ相当の無反動砲の研究にも力を注ぐようになった。



えっ?97式自動砲?ああ、あいつはいいやつだったよ(遠い目

141 :弥次郎:2016/11/04(金) 00:05:06
以上となります。wiki転載はご自由に。

ここに登場した人物はあくまで同位体です。同じ名前の全くの別人ですのであしからず。
彼の孫の机からタイムマシンを使って青い狸がやってくることはないわけでありまして、そこら辺はよろしくお願いいたします。
戦後夢幻会ネタを読んでいたら、この人を出すしかないと思いました。

虎鶫に会いに来たのは何を隠そうUnKnownです。
イレギュラーはおらんかーと探していたそうですw
八咫烏勲章=日企連からのリアルチート軍人認定だったりします。

日企連製クーゲルパンツァーネタも早く投下したいなぁ…

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最終更新:2016年11月07日 11:00