394: yukikaze :2017/02/06(月) 22:15:58
それではネタスレで予告していました、大陸版日清戦争(アメリカ赤化世界)の再構築verを投下します。

1894年に行われた日清戦争は、清国の凋落を決定づけ、日本が華々しく近代世界史に躍り出た戦争であった。
これ以降、日本が坂の上の坂を上り続けるのに対し、中華大陸はどん底にまで没落していくことを見れば、まさに両大陸の命運を決した戦争であったとも言えた。
今回は、この戦争を俯瞰することにより、如何なる要因の元この戦争は生じ、そしてその影響がどう波及していったのか見ていきたいと思う。

日清戦争史 第一章 開戦前夜

日清戦争が起きた要因はいくつか考えられるが、その主因として挙げられるのは清国内部における権力闘争であった。
当時の清国で実権を握っていたのは、皇帝の光緒帝ではなく、伯母の西太后であり、彼女の寵臣であり、太平天国の乱で活躍した李鴻章であった。
実力や才能はともかくとして、責任感があったことだけは間違いのないこの皇帝にとって、現状はとても許せるものではなく、何とか実権を得ようと画策をしていた。
一方、西太后も李鴻章の北洋軍閥が必要以上に強大化している事実に対し、密かに危機感を抱いていた。
所謂同治の中興において、清国は表面上近代化を進めていたように見えたが、実際は清国ではなく北洋軍閥の近代化と言える代物であった。
この辺が日本の明治維新と違い、洋務運動への評価が著しく低くなることになるのだが、こうした北洋軍閥の強大化は、いかに寵臣の軍隊であったとはいえ、見過ごすわけにはいかなかった。

こうして、清国内において、北洋軍閥に対する風当たりは静かにしかし確実に強さを増そうとしていた。勿論、李鴻章もその流れをよくつかんでおり、清国の真の実力者である西太后の疑念を払拭するために努力をし、それは概ね成功するのだが、皇帝に対しての工作は捗々しくなく(李自身が西太后派なので当然なのだが)、不安定な立場へと置かれようとしていた。

そうした中、皇帝側近を中心にある一つの計画が持ちあがる。

『日本征討』

これまで歴代中華王朝が果たし得なかった壮挙を達成することで、国力増強と皇帝の威信を絶対化するという二つの目的を果たすという計画である。

395: yukikaze :2017/02/06(月) 22:16:44
後世の我々の目から見れば『血迷ったか』としか言えない代物であったが、宮廷内闘争はともかく、海外の事象に対して真剣に考察しない彼らにとって、日本は『東方の蛮族』程度の認識しかなかった。
同時期の日本において、明治天皇が、毎朝の習慣として、欧米列強の最新情報を必ず報告させるように(しかもクロスチェックをさせることを厳命していた)していたことと比べると、あまりもの落差に失笑すら浮かぶものであるが、問題はこの程度の認識しか持っていなかった者達が、皇帝の周囲を取り巻いていたという事である。
これでは皇帝が理性的な判断を下すことが出来なかったのも無理はないと言えるであろう。
そして皇帝やその取り巻き達の自信を補強する要因があったのも事態をややこしくさせることになった。

一つ目は清仏戦争の結果であった。
保護国であるベトナムを失う羽目になったこの戦争ではあったが、その内容は、フランス側を後一歩という所まで追い詰めた代物であり、少なくとも西洋列強に手も足も出なかったアヘン戦争やアロー号事件の時と比べると格段の差があった。
皇帝もその取り巻き達も、清仏戦争でベトナムを失ったのは、穏健派の面々が腰砕けになったからであり大清が本気を出せば、西洋相手にも勝てると判断したのである。

二つ目は、制圧先の日本の軍事能力が『表面上は』低い事であった。
皇帝達にとっては何とも理解しがたいことに、彼らはそのありあまる資源を、兵器購入等には費やさずに教育とインフラ整備、そして工業化等に全振りをしていたのである。
勿論、洋務運動で彼らも同じことをしていたのだが、日本側のそれはかなり徹底したものであり、明治新政府成立後には、横須賀や呉、佐世保、舞鶴、室蘭、大湊に、通称『六大鎮守府』が設定され、陸軍も、札幌、仙台、相模原、名古屋、小倉、大阪に、大規模な武器弾薬生産拠点を設営したが、それ以上に力を入れたのが、1872年に八幡に設立したのを皮切りに、鹿島、室蘭、釜石、神戸、和歌山、倉敷、大分に建造されはじめた大規模な一体型洋式製鉄所群である。
『鉄は産業の米である』と、発言したのは、同事業に心血を注ぎこんで尽力した小栗忠順であったが、彼や、大隈重信、伊藤博文が『この広大な国土を豊かにするには、内陸部にまで鉄道路を早急にめぐらさねばならぬ。色々な物資が早い時間で行き届くことこそ、産業を活性化するのだ』と、これまた全土における鉄道網構築の為に、莫大な資金を投入することによって、日本の鉄鋼産業は、加速度的に興隆することになる。
無論、幾ら豊富な鉱物資源のある日本とはいえ、その資金には当然限りがあり、軍事力については幕末において英国からライセンス生産されていたスナイドル銃のまま更新が中々されず、砲も七糎野砲、海軍についても、英国から筑後型防護巡洋艦(史実の新高型防護巡洋艦)を購入し、自国で生産を初めてはいるが、清国が誇る定遠級はもとより、超勇級や経遠級にも劣る豆鉄砲であった。

つまり、皇帝達からみれば、日本は、自分達に食われる為にオードブルを用意する愚者でしかなかったのだ。
取り巻きの中には『大清国皇帝陛下の旗と、忠勇なる兵士が100人もいれば、倭奴は恐れ平伏し、泣いて命乞いをするでありましょう』と、皇帝の前で物真似をし、爆笑の渦であったとされるが、これら2つの要因を受けて、光緒帝は日本征討に大きく関心を持つようになる。
そしてこの皇帝の意思をさらに後押ししたのが朝鮮王国であった。
これ以降も日本の疫病神として度々顔をだし、最終的には徹底的に潰される運命をたどるこの半島国家は、清国皇帝の周囲の空気を敏感に察知し、自らも日本征討に加わることによって、報酬のおこぼれを獲得することと、既に破綻と言ってもよい国家運営を清国に丸投げすることによって、自らの生き残りを図ろうとしたのである。
寄生虫根性もここまで来ると清々しいものがあるが、彼らにしてみれば、秀吉の大明出兵以降、完全に没交渉になっている(家康にしても、大陸国家と組んで度々ちょっかいを出してくる半島国家なんぞに配慮してやる気など更々なかった)日本なんぞよりも、大清の関心を買うことこそが重要であり、上手くすれば、忌々しい倭奴を奴隷としてこき使うことで、大清の直近の弟としての体裁を整えようと、いつものように斜め上の未来を描いていたのである。

396: yukikaze :2017/02/06(月) 22:17:15
こうした状況に、李鴻章は心底呆れていた。
成る程確かに、日本側の軍備は、表面上は低調であったと言える。
だが、もし軍備に何の関心も持たないのならば、何故彼らは、大規模な工廠を含んだ鎮守府を作り、武器弾薬生産拠点を作ったというのか。
また、各諸侯が持っていた陸軍を吸収し再編するといった手間をかけたというのだ。
李も日本の動向を調べていたが、既に彼らは西洋の編制基準で、18個師団の編制が終了していることが判明している。旧式兵器が主体とはいえ、北洋軍閥の全軍よりも数ははるかに多いのである。
李にしてみれば、皇帝はのんきなことを言っていればいいのだろうが、その矢面に立たされる自分にしてみれば、むざむざと消耗してやる気になどなれなかった。
その為、彼は西太后に泣きついて、「無用な出師は止めるように」と運動したが、西太后も、皇帝と李鴻章のバランサーとなることで、政権における自分の存在理由を見せつける利を考えていたため「まあここは皇帝に恩を売るか」と、消極的姿勢に終始。
結果的に、李は、自らの武威を見せることで皇帝に対して優位を見せるしかないと判断することになる。
本来挙国一致で執り行わなければならない戦争であるにもかかわらず、清国上層部の認識とはこの程度であった。

もっとも、彼らが、日本の『本当の』実力を見れば、この楽観は瞬時に消え失せていたであろう。
確かにこの時期において、夢幻会の関与は未だ限定的ではあった。
だが、限定的であったとはいっても、それは国家運営等の問題であって、個々人の業務の範囲内
においては、成果を上げようとしていた。時代の都合から装薬こそ原型よりも低かったが、却って反動が許容範囲に収まり、威力も必要条件を満たしていた7.62x51mm NATO弾の開発採用。
習作として採用され、大量配備が急速にされている二十二年式速射砲。(史実有坂砲(三十一年式速射砲))
歩兵部隊の面制圧兵器としての期待が高い8cm迫撃砲(原型は史実82mm迫撃砲BM-37)
マキシム機関銃を上記弾薬に適合させたもののライセンス生産及び新型小銃(史実99式類似品)を配備
海軍はと言えば、戦艦には見向きもせず、英国アームストロング社との技術協力も得て完成した富士型装甲巡洋艦2隻(史実浅間型)及び吉野型防護巡洋艦4隻(史実ハイフライヤー級防護巡洋艦)を実戦配備するなど、これまでの経験と技術投資の成果を発揮しだしたのであった。
日本人は誠に日本人らしく、将来の仮想敵国を油断させるために、可能な限り装備の改編情報を流出させることを防ぎ、彼らに対して精神的な奇襲を与えようとしていたのである。

清と朝鮮はこの時の特大のツケを否というほど払わされることになる。

397: yukikaze :2017/02/06(月) 22:18:13
1894年5月。威儀を正した清国全権使節がもたらした書簡は、日本の朝野を憤激させた。
清国皇帝による説諭として出された文書では、まず日本がこれまで清国皇帝に挨拶をせず、さらに皇という文字を使い続ける非礼を責めると共に、慈悲深い清国皇帝は、愚かな日王が前非を悔いて以下の詫びをするならば、大いなる広い心で許してやろうとするものであった。

これだけでも「喧嘩を売っているのか?」という中身だったのだが、それ以上だったのが「詫び」の中身であった。
天皇の称号を使わないのは序の口で、各種鉱物資源等を年間決まった量だけ上納することや、沖縄や奄美大島などの割譲、更には有事の際には日本軍の提供まで義務付けるという、およそ外交的常識をどこかに置き忘れたような内容であった。
つまり、それだけ光緒帝とその取り巻き達の外交認識が低かったともいえる。
(流石に李鴻章は、この文書を読んで絶句し、取り巻き達の無能さを呪ったとされる)

この文書は、日頃温和な明治天皇も激怒したとされるが、悪いことにこの全権大使は皇帝に対する忠誠心は高いものの、外交的な素養は全くのゼロで、更に日頃高慢な態度でひんしゅくを買うことの多い男であった。
その為、研究家においては、清国は元々交渉するつもりはなく、相手を挑発させて戦争を吹っ掛ける気であったという意見が主流であるのだが、それを示すように、大使は、終始傲慢な態度を崩さず、事あるごとに日本を見下すような発言を連発していた。
当然、日本側も彼の発言に態度を硬化することになるのだが、それを更に助長させたのが半ば強引に清の使節に随行していた朝鮮王国役人の態度であった。
彼らは、清国大使の傍若無人な態度を見て、自分達も日本に傲慢に振る舞ってよいと錯覚し、清国大使に輪をかけて傲慢に振る舞っていた。
その態度は、清国随行員側からも「あれでは清国の威信にかかわる」と苦言を述べられる程であったが、大使は「傍若無人に振る舞う朝鮮人でも、我が大清には奴隷のように従順ではないか」と、意にも介そうともせず、却って助長させてもいた。

399: yukikaze :2017/02/06(月) 22:31:48
こうした態度に遂に日本も堪忍袋の緒が切れたのだが、彼らに対する日本人の報復は辛辣という言葉すら生ぬるい代物であった。
日本人達は「親睦パーティー」の席上、清と朝鮮の代表に対し、儒学の極めて高度な問いかけを延々と行い、彼らが口ごもると「おや。儒の国と言われているので、この程度の事はご存じかと思われたのですが」と、辛辣な皮肉を浴びせ続けたのである。
清国にしろ朝鮮にしろ、儒学は未だ高等教養として必須なのだが、よりにもよって蛮夷である日本人に劣っていると馬鹿にされるのは、これ以上ない程の屈辱であった。
無論、清国および朝鮮使節の自業自得ではあるのだが、それで自制するようならばそもそも彼らはこのような態度は最初からとってはいない。

しかも日本側の辛辣な対応はこれだけに留まらず、朝鮮の使節随行員が、商店から品物を盗む姿を激写したものをマスメディアにトップ記事で報道させ「泥棒を使節随行員に任命する朝鮮王と、それを見過ごす清国皇帝」を徹底的にコケにした風刺画を国内外に向けて発信するわ、前述の儒学の問いかけに全く答えられない2人をディフォルメした絵に「こんなことなら真面目に科挙を受ければよかった。皇帝に賄賂を渡せば官吏になれたんだがなあ」と、コメントを載せたものを出し、顔を赤らめて抗議すれば、今度は真っ赤な茹蛸の姿で「本当のことを書きやがってどうしてくれる!!」という絵を出すなど、徹底的におちょくり、遂には「貴様ら如き未開の国など我が大清の手にかかれば一夜にして奴隷にしてやる。戦争をして奪えば簡単なんだ」と叫ばせ、清国の国際的立場を「無法者の強盗」扱いする格好の宣伝材料に仕立て上げることに成功する。

腹いせ交じりに朝鮮の使節を殴りつけながら退場する清国の使節に対して、大久保を始めとする日本の首脳部は冷笑を浮かべてこう呟いたとされる。

「未だに東洋の盟主気取りか? バカが。貴様らは『日、没する国』だろうが。
せいぜい落日を楽しむがいい。今度は太閤のように寿命による時間切れはないぞ」

400: yukikaze :2017/02/06(月) 22:38:19
これにて第一話投下終了。前回の『開戦前夜』と『開戦』を統合し、加筆しています。

まあ清国使節もここまでおちょくられれば、そりゃあ頭に血が上って軽はずみな発言はしますわなと。
まあ海外からは「清国は相変わらず外交的常識も知らんのか?」と、呆れられてはいますが、日本と清国の争いが長引けば長引くほど、利益が転がると予想して舌なめずりしている所でもあります。

ちなみに清国がアロー号事件以降も海外からちょっかい出されているのに、日本は殆どなかった最大の理由は、「商売上、日本はお得意さまで、日本を制圧するなんてした瞬間他の列強が確実に介入するだろうし、そもそも四方を海で囲まれているんで、大軍を連れてくるのもコスト的に割が合わん」という、商売上の要因と地理的要因が大きかったでした。

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最終更新:2017年02月13日 21:12