222: yukikaze :2017/02/11(土) 00:45:35
日清戦争史 第二幕の修正が完了しましたので投下しますね。

日清戦争史 第二章 戦争計画

驚くべきことではあるが、日清戦争が勃発した時、日清両国においては軍事戦略は固まってはいなかった。
と・・・言っても、その内実はだいぶ異なる。

まず清国側であるが、皇帝とその取り巻き達は、清国軍の精強さに幻想を抱いていたせいか、日本は無条件で自分達の条件を受け入れると、半ば本気で考えていた。
そうであるが故に、日本が戦端を開くというのは予想の範囲外であったし、仮に戦端を開いたとしても「鎧袖一触だろう」という根拠のない楽観論しか口からは出なかった。
その為、彼らからまともな戦略が出ることは戦争中一度もなかった。
彼らが口に出すのは「蛮夷の国を早く征伐しろ」の一点だけだった。
無知であるが故に彼らは好戦的であり、そしてその根拠のない自信が叩き潰されたことで極めて見苦しい態度を後に示すのであるが、少なくともこの時の彼らには、そういった未来は考慮の外であった。

勿論、皇帝やその取り巻きとは違い、李鴻章は現実的であった。
彼は、皇帝たちが安易に開戦を選んだことに内心罵倒をしていたが、彼がそう思うのも無理はなかった。
皇帝たちは日本を簡単に占領できると考えていたのだが、その兵士たちを運ぶ輸送船が絶対的に足りず、また遠征軍の重要な補給地である朝鮮半島は、李王朝の統治能力の低さから、大軍が駐屯するだけの余力などどこにもない事が、袁世凱の報告で明らかになると、ますます皇帝たちの楽観論に嫌気を覚えることになる。
正直、李としては、こんなバカな戦争に関わることなど願い下げであったのだが、既に皇帝が高らかに宣戦を布告した以上はどうしようもなく、嫌々ながら関わることになる。

さて・・・李の考えた戦略だが、残念ながら彼に与えられた選択肢は非常に少なかった。
彼としては、日本側が朝鮮半島から北上しても、あるいは黄海から一気に渤海を突っ切り直隷決戦を行うにしても対応できるように、錦州府付近に主力軍を駐屯させ、朝鮮半島から北上した場合は、焦土戦術で日本軍を疲弊させつつ、主力軍で迎撃。
直隷決戦の場合でも、持久戦を取りつつ、日本の海上兵站線を痛撃して、彼らの疲弊を待つという戦略を取りたかった。
彼の力の源泉が、彼の子飼いである北洋軍閥であることを考えるならば、わざわざこんな戦で疲弊して馬鹿を見るよりは、とにかく相手を疲弊させて楽に勝った方が遥かに得なのである。

もっとも、政治的状況が、彼にそのような手段を取ることを許さなかった。
皇帝とその取り巻きが望んでいるのは、速やかなる日本占領(且つ北洋軍閥の消耗)であり李の戦略は「退嬰的」として一蹴されるのがオチであったし、また上記戦略を採用した場合、国土が戦場になる可能性が強く、国土が悲惨な目に合うこと確定の朝鮮側も飲める話ではなかった。
事実、朝鮮側は「偉大なる清国皇帝陛下が有する世界最強の艦隊が出撃すれば、倭奴の泥船は波を受けるだけで溶けて崩れ、倭奴の首魁の住むあばら家を火の海にするでしょう」と、徹底的に北洋水師を持ち上げることによって、清側が日本大陸に侵攻することを煽りに煽っていた。
彼らにとっては、農民や浮民が何人死のうが知った事ではないが、自分達が不利益になることだけは敏感だったのだ。

223: yukikaze :2017/02/11(土) 00:46:23
こうした現状に、李はますますやる気を失っていくのだが、皇帝の指示通りに半島に大軍を集結させた場合、こちらの方が兵站の貧弱さで困窮する可能性が高いことから、次善の策として北洋水師を積極的に動かすことによって、日本近辺の制海権を奪取しようと考えたのである。
李の所にもたらされた情報でも、日本海軍の保有する艦船は、巡洋艦が大小合わせて20隻近く保有されていたが、そのどれもが15センチ程度の主砲であり、最新鋭且つ最大の巡洋艦でもある富士型巡洋艦ですら20センチ程度であった。
李にしてみれば「日本は何で15センチ砲を大量に積んだ船なんか作るんだ? 商船には有効かも知れんが軍艦には通用せんだろ」と、心底理解できない気分であったとされるが、これは李が海軍に疎いのではなく、リッサ沖海戦の戦訓等を見れば、むしろ常識的な判断ではあった。
この時代において艦艇の主兵装と言えば、衝角か、命中率は悪いが当たれば強力な少数の大口径砲であり、そのどちらも有さない日本の艦艇はあまりにも異端すぎた。
そしてそうであるが故に、李は当時の常識から判断して「日本海軍の戦闘能力は低い」と判断しまともにぶつかればこちらが優位であると判断していた。(逆に李が恐れていたのは、日本が数の差を活かして、自国の沿岸で海賊行為をする事であった。軍船には通用しなくても、商船相手には15センチ程度の砲でも十分であるし、更に衝角も必要ないからだ。これは李だけでなく北洋水師に雇われていた独英等の海軍軍人も同一意見であった)

ここにおいて、李の戦略は、北洋水師による艦隊決戦を第一義とし、艦隊決戦勝利後、制海権を奪取したことでの、通商破壊作戦及び日本本土上陸作戦を上奏することになる。
皇帝自身は、なおも早期の日本本土進攻に拘ってはいたものの、彼自慢の艦隊が大活躍することへの誘惑と、李が報告した朝鮮側の準備が何もできていないことを知って、かなり恩ぎせがましく李の戦略を許可している。
勿論、彼は、李に対して重ねて早期の日本本土進攻を命じると共に、征東行省を設立。
先に日本に全権使節として派遣し、日本からおちょくられて帰国した男を「功によって恥をすすげ」と、ソウルに派遣し、征東行省長官に指名。彼を通じ、李氏朝鮮に対し、日本侵攻の為の軍需物資や兵を集めるように厳命を下している。
件の男も、恥をかかせた日本への恨みを晴らすことに異存はなく、朝鮮国王以下に対して、極めて高圧的に命令を下し、同時に、日本の新聞雑誌におちょくられた朝鮮側の使節全員を捕えると問答無用で首をはね「我が大清の威信を汚した者の末路はこのようになる」と宣言。
こうなると、朝鮮上層部も、己の命の惜しさと、目の前の実質的な半島の王への媚から、情け容赦のない収奪を行い、ただでさえ疲弊している朝鮮は、文字通りの飢餓地獄へと変貌していた。
無論、各地で反乱が勃発することになるのだが、件の男は「大清に逆らう逆徒」として、蜂起した面々を徹底的に武力で鎮圧してのけ、ますます恐怖政治を推進することになる。
なお、状況を聞いた李は「あの愚か者が・・・」と、天を仰いだとされるが、李にした所で、ある程度の物資を確保した以上は、半島に対する役割は、もはや北進するであろう日本軍の足を引っ張るだけのものでしかなく、この事実上の焦土作戦を黙認することになる。

翻って日本側はどうであったか。
彼らは清国との戦争については、清国側と違い、常日頃から真面目に考察をしていたのだが、その戦略で対立が生じていた。

224: yukikaze :2017/02/11(土) 00:46:55
まず第1案としては、史実と同様、朝鮮半島に攻め込み、同地を制圧した後、遼東半島に上陸した別働隊と合流し、最終的には直隷決戦により清国を屈服させるというものであった。
敵の策源地である朝鮮半島を制圧することで、本土防衛を確かなものにした上で直隷決戦の根拠地として旅順を占領し、第1軍と第2軍を併せて、決戦を行うという戦略は、堅実な詰将棋というものであり、軍の大多数が賛意を示していた。

一方、もう1案は極めて野心的なものであった。
同案では朝鮮半島の貧弱なインフラや軍備の劣悪さから、同方面の戦力は、案山子以上の何物でもなく、清側の渡海戦力も考えるならば、無視しても構わないと割り切る一方で、旅順及び清国海軍根拠地である威海衛を占領することで、渤海の制海権を完全に掌握し併せて、主力部隊を天津に上陸させて、北京を一気に制圧するというものであった。
一気に敵首都を制圧するというこのプランは、成功すれば戦争を短期で終結させ且つ被害も僅少になるというメリットはあるものの、失敗すれば、主戦力を北京近郊で消耗させるだけでなく、がら空きになった本土を敵の戦力に蹂躙されかねない危険性を有していたのだが、同問題をややこしくしていたのが、このプランを推進していたのが日本で唯一の元帥であった西郷隆盛であったという事であった。

戊辰戦争で、江戸や奥州、北海道を無血開城させた立役者であり、その縁から旧幕府関係者との関係も深く、実直且つ真っ直ぐな性根から、明治天皇から絶大な信頼を得ているこの男は、明治天皇から特に請われて現役復帰し(それ以前は皇太子御養育掛兼枢密院顧問官兼学習院院長。皇太子の養育係については、明治天皇が特にそれを望み、西郷も「臣下にとってこれほどの栄誉なし」と、全力を尽くしている。老齢で人物もかなり丸くなったせいか、礼儀や人倫の道には厳しかったものの、それ以外では鷹揚だった西郷の教育は、大正天皇にもあっていたようで、大正天皇からも「先生」と呼ばれていた。)侍従武官長として、天皇の軍事上の相談役になっていたのだが、この事実に、兵部省大臣である大山巌、統帥本部長山田顕義は、心底慌てて、西郷の元に駆け込むことになる。
2人にしてみれば心血注ぎ込んで作り上げた戦略をひっくり返されかねないことに、慌てるなという方が無理な話ではあるが、同時に大山にとっては西郷は従兄弟であり、山田も西郷が目をかけ「あいは戦上手やっで、おいに免じて、陸軍におさせっくいやい」と、山田と仲が良くなかった山縣に対して深々と頭を下げ、西郷のお蔭で首がつながっていた山縣も、「西郷閣下が言われるならば」と、山田を主に軍の法務関係につけさせて昇進させていたので、これまた西郷の行動を言下に撥ね付けられるなど、とてもではないが不可能であった。

さて、血相を変えた2人を出迎えた西郷は、2人が来るのを予想していたのか、いつもの紋付袴ではなく陸軍元帥服で出迎えたのだが、彼ら2人の意見を云々と頷きながら聞くと、徐にこう答えた。

「おまんさあらの戦略は分かりもした。ところで、この戦はどいくらいで終りもすか」

その言葉に、2人は「まあ長くても1年は見ております」と、答えたのだが、西郷から帰ってきたのは失望の溜息であった。

「おまんさあらは、そげんなあまか見積もりで戦をかんがえちょっとな」

並みの人間が言えば反発を覚えるであろうが、目の前の人間は、戊辰の役を完勝に導いた立役者でありまず間違いなくこの国でも有数の戦略家でもあるのだ。
自分達に見えない何かが見えているのかもしれないのだ。

「おまんさあらの戦略でも確かに勝てるじゃろ。清国兵でも骨があっとは北洋軍だけじゃっでな。
そやつらをうったおせば、後は有象無象じゃ」

そう言って西郷は、2人の戦略が間違っていないことは認めてはいた。
だが、そこから後はある意味辛辣であった。

225: yukikaze :2017/02/11(土) 00:47:27
曰く、朝鮮半島から進撃するとあるが、重装備の我らが、道路の貧弱な半島を縦断するのにどれだけ時間がかかるか。
曰く、清朝に忠誠を誓う朝鮮は、我らの兵がいるときは大人しいが、いなくなるとすぐに騒ぐ。
曰く、我らが清軍を追っている間に、兵站線を朝鮮に脅かされる可能性大。重装備且つ大軍の我らにとって兵站線を断たれるのは死活問題。
曰く、それらを抑えるには、それなりの兵力をはりつけざるをえず、決戦兵力が目減りする。
曰く、そうなると朝鮮国境沿いで膠着状態か、首尾よく決戦して勝っても、どこまで完勝できるか不明。
曰く、更に言えば皇帝が、北京から脱出して中国の奥地で抗戦を叫んだ時はどうするのか。
曰く、ここまで来ると完全に列強が介入する。特にロシア。

この西郷の質問に、2人はぐうの音も出なかった。
無論、彼らは兵站を軽視している訳ではなく、朝鮮王室を実質的に抑えることによって、彼らの反抗の芽を断とうと計画していたのだが、西郷は「そもそもそれが甘すぎる」と、見なしたのである。
そして西郷の戦略は、大量の輸送船が必要になるとはいえ、北洋水師さえ撃滅すれば、少なくとも天津までは海上輸送によって賄われ、朝鮮半島からの兵站ルートよりも、天津からの方が、格段に北京に近く、兵站面での距離の問題は、まだマシになるという事。
更に言えば、天津からの強襲で混乱している敵首都を陥落させ、皇帝を城下の盟に引きずり出せば、短期間で終わることで、列強の介入も恐れることはないという点が、彼らの戦略の問題点を十分にリカバリーしているのである。
当初、何とかして西郷に自説をひっこめさせようと考えていた2人は、気付いたら「元帥閣下の案を持ち帰り現計画との問題点の解消に役立てます」と、引き下がる有様であった。
勿論、現計画を進めていた兵部省や統帥本部の担当者は、両名の行動に激怒することになるのだが、西郷の理路整然とした意見を目にした瞬間、彼らもまた自身のプライドを粉々にされるだけであった。
(なお一部の人間は、西郷の行動を止めてもらおうと、首相であり西郷の親友である大久保利通の元に駆け込んだが、「おまんさあらも軍人なら、吉之助さあの軍略の問題点を挙げ、その改善点を数字で示してから、吉之助さあに言わんか。吉之助さあは筋を通しているのに、おまんさあらはないをしよっか」と、一喝を食らい、這う這うの体で逃げることになる。)

結果的に、兵部省及び統帥本部は、現行案の修正をせざるを得なくなる訳だが、西郷の推すプランをそのまま採用するには、修正の度合いがあまりにも大きすぎた。
明治維新以降、鉄道路だけでなく、海運においても積極的に従来の帆船から、蒸気機関を備えた輸送船の代替を進めていたのだが、西郷が望むような大軍の兵站を賄うためだけの規模の商船部隊は、流石にこの時期の日本には存在しなかった。(総ざらいすればできなくもないが、確実に日本経済にダメージが来る)
西郷自身は「船がなければ雇えばよかわいよ」と、海外の商船に対して、時期を区切っての傭船契約をすることで、問題の解決策を提示してはいたものの、海外の商船会社は二の足を踏むか、法外な費用を求めるかの二択であり、簡単にできるものではなかった。
その為、日本側は、まずは黄海の制海権を確保する必要があるとして、連合艦隊を出撃させ、北洋水師を撃滅することで、日本有利を世界に向けてアピールすると共に、上陸する地の選択肢を増やそうと考えたのである。

かくして艦隊決戦の舞台は整った。決戦場は黄海。

228: yukikaze :2017/02/11(土) 01:03:07
これにて投下終了。

何このgdgdとみられるかもしれませんが、ここら辺は「急速に進んでいる大陸日本のインフラをベースにしがちな現役の面々」に対して「インフラがあまり進んでいない時代を理解しているが故に、その危険性を指摘した老将」
という立ち位置の違いですね。
ぶっちゃけ、ここら辺の一件は、次の日露戦争の為の教訓として繋げていきたい側面がありましたので、敢えて指摘させてもいます。

何気に「兵部省」「統帥本部」としていますが、ここら辺は、日露前にいた夢幻会の一員が山縣なんかに「合理的に軍備を整えるのならば、今は陸海軍の行政対立なんかするよりも、一つの組織で対応した方が遥かにマシ」と吹き込んだことや、大久保に対しては「軍令と軍政が並立した場合、仮に軍令と軍政が対立した時には、どうにもならなくなる」と、国家運営の観点から、史実のような状況を防いだりしています。

ただまあ、夢幻会の介入がなければ、史実みたいな形になっていたでしょうねえ・・・
しかも国力がある分「陸海の対立? 国力でカバーできるじゃん」と、致命的な問題点が改善されないまま何とか乗り越えてしまって、失敗した時のダメージがとんでもないレベルになるおまけつきで。

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最終更新:2017年02月13日 21:55