515: yukikaze :2017/02/11(土) 23:48:15
それでは投下します。

日清戦争史 第三章 黄海海戦

海軍とは何か?
この命題に対し、日本海軍の主張は首尾一貫していた。

「自国の商船が安全に航海できるようにする存在である」

後世、数多の海軍が、ややもすると「決戦」を主目的とする悪癖に捉われがちであったが、日本海軍においては「決戦」はあくまで「手段」であって「目的」ではなかった。
彼らの主目的はあくまで「自国商船の保護」であった。
故に彼らは巡洋艦の建造に熱心であった。
初の防護型巡洋艦というべき筑後型防護巡洋艦(史実新高型防護巡洋艦)の性能にほれ込んだ日本海軍は、破格と言っていい16隻もの量産を開始する。
当時の軍艦の常識からすれば、水面下に衝角も備えていなければ、大口径砲もなくかといって、速力も当時の巡洋艦としてはやや早いが、15センチ砲を積んだお蔭で雷撃能力がない為に、装甲艦相手には対抗手段がないという、「いったい何のために作ったんだ?」と、ジェーン年鑑から酷評を受けた代物ではあったが、速力とある程度の航洋性能、そして何より堅牢で実用的な面は、通商路防衛を重要視する日本海軍にとって必要不可欠な艦であった。
無論、万が一決戦を行うための巡洋艦整備も怠りなく、英国アームストロング社との技術協力も得て完成した富士型装甲巡洋艦2隻(史実浅間型)及び吉野型防護巡洋艦4隻(史実ハイフライヤー級防護巡洋艦)を実戦配備している。(どちらも水面下に衝角はなく、クリッパー型の艦首)
この富士型装甲巡洋艦については、むしろ英国から戦艦を購入すればいいのではという意見が強かったが海軍の実力者であった松岡磐吉中将が「英国が売ってくれればいいが、向こうも新鋭戦艦を売ってくれるとは限らんし、間に合わなければどうにもならん。それよりも英国が技術供与してくれて且つ今の自分らで出来る艦を作った方がええ。いざ戦争になって「英国の力がなければ修理できません」なんてなったら宝の持ち腐れじゃ」と、主張。
英国側が技術供与しても問題がないとみられ、且つ自国でも現時点で導入可能な技術な船に纏め上げた結果、英国をして「戦艦としては弱く、巡洋艦としては高価すぎる中途半端な艦」と評される艦となっている。
こうした評価から、清国側は「日本海軍は組しやすい」と、高をくくられることになるのだが、日本側はそんな評価に全く意を返さず、「税金の無駄遣い」と批判する新聞記者には「後で掌返しをするなよ」と、嫌味と皮肉で返し、豊富な石炭資源を背景に猛訓練に費やすことになる。

そして日本海軍の訓練風景も、ある意味異質であった。
当時の海軍の常識では、大口径砲の命中率向上と、衝角攻撃を行いやすいように、単横陣を主流とする考え方であったが、日本海軍は同陣形には見向きもせずに、徹頭徹尾、単縦陣による高速機動と、それに伴う砲撃訓練に時間を費やしている。
この時の日本側の単縦陣による高速機動訓練は凄まじく、「ミスター単縦陣」の異名を取った、坪井航三少将は、「艦隊は常に一本の線として動くべし。旗艦に追随できなければ何度でもやり直し」の言葉通り、少しでも旗艦の航跡から外れた艦がいると、即座に演習を中止して、最初からやり直しをさせるなど、『操艦の神様』と言われた松岡が「ありゃあ良い動きしているわ」と、太鼓判を押すほどの高速機動の運用を果たしている。

516: yukikaze :2017/02/11(土) 23:48:55
一方、砲戦については、連合艦隊参謀である島村速雄が「一発当たって沈まんのならば、千発当ててボロボロにしてやれ」と、単位時間当たりの投射量増強を厳命。
15センチ砲だけでなく、12センチ砲も有効な射程距離となる4,000mでの砲撃戦での戦技向上を中心とした訓練を重視することになる。
無論、当時の技術力を考えれば、命中率は個人の技能に左右されており、しかも高速機動での砲撃戦なので実際の命中率も推して図るべしであったが、島村も連合艦隊司令長官の伊東もまるで気にしていなかった。
そう。彼らは艦隊を「ユニット」として捉えており、艦隊を如何に有機的に運用できるかを重視していたのであった。
確かに1艦1艦は、命中率は頭打ちかもしれないが、艦隊全体で見た場合は、それこそ敵艦隊に対して無視しえないレベルで当てているのである。
鎮遠や定遠が撃沈できるか不安な明治天皇に対し、伊東はあっけらかんと返答したという。

「陛下。この世に不沈艦はありません。弾が当たれば壊れます。治せなければそれは鉄屑です」

これと対極的なのが清国海軍であった。
確かに彼らは、当時アジアで最大の艦である定遠級を2隻配備することに成功したが、彼らは定遠級の強大さに幻惑され、「定遠級さえあれば無敵」という誤った価値観を信仰することになる。
結果的に彼らは、定遠級の幻想に胡坐をかき、「ユニット」としての海軍戦力の維持発展を取りやめてしまったため、日清戦争開戦時には、艦隊の実戦力において、日本海軍に大きく後塵を拝することになっていた。
もっとも、彼らは、前述したイギリスの評価等を見ては「日本海軍恐れるに足らず」という慢心感を有しており、数的に劣勢であっても「奴らの船なんぞ定遠の衝角で引き裂いてくれる」と、意気軒昂であった。(唯一、定遠級に対抗できると予想されていた富士型も、主砲口径が定遠よりも小さいのと衝角がないことで、「ただでかいだけの巡洋艦」「ウドの大木」扱いされていた)
勿論、一部には「うちの軍艦には勝てんだろうが、流石に商船には勝てるだろ。うちの輸送船を狙われたら、かなり面倒だぞ」と、指摘している者もあり、李も、日本海軍が通商破壊作戦による清国経済への打撃を狙うことを懸念し、北洋水師に対しては、広東水師から増援部隊を加えるとともに、北洋水師司令長官である丁汝昌に出撃命令を出すことになる。

1894年9月17日。北洋水師が旅順港を出撃したとの報を受けた伊東連合艦隊司令長官は、前線基地となっていた佐世保港から出撃をする。
この時北洋水師は、14隻の総出撃であったのに対し、日本側は、偵察や海上護衛の問題もあり、富士型2隻、吉野型4隻、筑後型10隻と、数的な優位性を獲得できたかは微妙な所でもあったのだが、伊東は、全艦集結を待つべきではという参謀の意見に「せっかく連中が出てきたのに、道草を食っては逃げるだけ」と、構わず北洋水師との決戦を行うべく、北上を開始する。

同月18日午前10時過ぎ。両国海軍は、互いの煙を確認することで、双方の存在を知ることになり、お互いに合戦準備を命令することになる。
この時、北洋水師は、もっとも戦闘力のある定遠級を艦隊中央部に置き、衝角先鋒が取りやすいようにする単横陣であったのに対し、日本側は、富士型2隻と筑後型6隻のグループと、吉野型4隻と筑後型4隻のグループに分かれた、複縦陣の陣形を組んでいた。
同陣形を見た丁やお雇い外国人たちは「リッサ沖海戦の戦訓も知らんとは」と、苦笑をしていたとされるがそれも開始15分までで終わっていた。
何故なら、北洋水師は連合艦隊本隊に対して衝角戦に持ち込むべく接近を試みるが、速力で勝る日本海軍に取り付くことが出来ず、逆に本体と遊撃隊それぞれの単縦陣に分離した日本海軍に、機動力で徹底的に翻弄されることになるのである。
何しろ日本海軍はどちらとも、艦隊速度を20ノット近くで統一されているのに対し、清側は定遠級の速度に合わせざるを得ない為、14ノット強が限界であり、しかも北洋水師の予算問題から、艦隊運動はそれほど高くはなく、おまけに本隊にいた「広甲」は、元々広東水師所属であり、北洋水師との連携など取った事もなく、艦隊運動をさらに混乱させる要因になってしまうほどであった。

517: yukikaze :2017/02/11(土) 23:49:28
無論、そんな動きを見逃すほど日本側は甘くはなかった。
最初から戦策として提示されていた距離4,000mからの間断なき砲撃は、清国海軍水兵から『鉄の暴風』と呼ばれる程の弾量を同艦隊に叩きつけることになる。
事実、砲撃開始5分後には、北洋水師の両翼にいた「揚威」と「広甲」が、本隊および遊撃艦隊の一斉砲撃を受けて、碌な反撃も許されずに大火災が発生してそのまま沈没。別働隊として布陣し、慌てて加わろうとした「平遠」以下4隻も、返す刀で十字砲火を浴びせて、黄海に沈めさせることになる。
慌てた丁は、一斉回頭して、自らの後方に突っ切った日本海軍に正対すると共に、定遠と鎮遠とで艦隊を二分し、それぞれを旗艦とし、突撃をさせるように命じるのだが、これは自殺行為といってよい命令であった。

前述したように、北洋水師の予算問題から、艦隊運動はそれほど高くはなく、おまけに本隊にいた「広甲」は、元々広東水師所属であり、北洋水師と緊密な連携を取ることは不可能であった。
そんな中での艦隊分派行動であり、丁がリッサ沖海戦のベルサーノのように「余計なことをして艦隊を混乱させた」と、批判を受けることになるのだが、中央部から艦隊がゆっくりと左右に開いていく姿に、伊東や坪井は「統率がとれておらん」と、評すると、急な命令で混乱しながらも単横陣でこちらの前を抑えようとする彼らをあざ笑うかのように、艦を増速させ、北洋水師の両翼の艦に対して更なる砲撃を加えることになる。
北洋水師も必死になって食らいついていくのだが、日本側の高速機動に翻弄され続け、また敵弾を躱そうと咄嗟の回避行動をしたことが祟って、「広甲」が「経遠」にぶつかり、ともに大破(後、両方とも自沈)「致遠」が大火災を起こし、清側の左翼部隊は「定遠」を除いて壊滅状態になる。

対する右翼部隊はまだマシと言えたが、旗艦の状況を察知した「鎮遠」艦長が、「定遠」と合流する命令を発したのだが、その時「鎮遠」艦橋に「吉野」の15cm砲が直撃して、「鎮遠」首脳部は全滅してしまい、右翼部隊は統一した指揮を執ることができず、「鎮遠」を護衛する「来遠」と、最初に出された命令を守ろうとした「靖遠」とで戦力を二分するという状況に陥ることになる。
事ここに至って、丁もどうにもならない事を理解し、旅順への逃走を図るのだが、優速な日本海軍がそれを許すはずもなく砲弾を集中。ようやく「定遠」の主砲が、旗艦の意地を見せて「富士」に一撃を与えるが、「富士」と「浅間」の20cm砲弾が、それぞれ主砲部と機関部に直撃して、船足を停止し大火災を起こし(この時、丁は戦死したとされている)「鎮遠」も「吉野」以下の集中砲撃を受けて、主要部こそ貫けなかったものの大火災を起こすことで、継戦続行不可能となる。
この状況に、「来遠」と「靖遠」は、単艦での強行突破を図り、伊東も弾薬及び燃料が残り少なくなっていることから、追撃は困難であると判断し、「定遠」及び「鎮遠」に降伏勧告をだし、降伏を拒否した「定遠」を雷撃処分にし、降伏を受け入れた「鎮遠」を接収している。

なお、旅順に逃げ延びた両艦ではあるが、損傷を受けていた「来遠」は旅順沖で座礁。「靖遠」も損害を治すには旅順港の設備は貧弱であり、結果的に放棄されることになり、事実上、北洋水師は一戦で消滅することになる。

518: yukikaze :2017/02/11(土) 23:50:03
最後に、この海戦のあるエピソードを紹介することで、この章を終わりにしたいと思う。
「鎮遠」の鹵獲は、日本において大々的に報道され、日本国中は万歳三唱一色になっていた。
日本海軍は直ちに同艦を調査することによって多くの知見を得ることになるのだが、「同艦を編入しては」という問いに対し、伊東は「敵国の艦とはいえ、鹵獲されただけでも屈辱なのに、更にその艦が自国の兵に向けて砲撃を加えるというのは、この艦にとっては屈辱である」として、同艦を解体するとともに、その資材を民生利用するよう進言している。
その後、同艦は伊東の進言通り解体され、その資材は屑鉄として処理され、商船に産まれ変わることになるのだが、その前夜、伊東がのんびり道を歩いていた時に、一人の清国の女性が彼の元を来訪し「温情ありがとうございます。同砲を傷つけずに済みました」と、深く頭を下げ、「それは御丁寧に」と、伊東も慌てて頭を下げ、頭を上げると、そこには既に女性の姿はなく、代わりに『鎮』と刺繍されたハンカチが置かれていた。
「変わった事があるもんじゃ」と、頭を振りながらハンカチを取り、家に帰って詳細を告げると、「この近辺には清国の人は住んでいない」と告げられ、「じゃあ他の所から来たんじゃろ。タダで貰うのも気が引けるから、礼状を送らんと」といって、翌日、駅長や人力車及び馬車を扱う店に「こういう人なんじゃが見らんかったか」と聞いても、「いや・・・見ませんでした」と返答されこりゃますます不思議じゃ、と、頭をひねりながら、ふと新聞を見ると、小さな記事で「鎮遠解体」の文字に気付くことになる。

「まっこて義理堅い事じゃ」と、伊東は、何かに気付くと、「もう送り主は分かったで探さんでよか」とだけ告げると、横須賀の工廠に秘蔵の酒を送って「鎮遠に飲ませっくいやい。ハンカチのお礼じゃ」と述べ、仕事に戻ったという。
なお、伊東は「あん時の顔をちゃんと見らんかったのはおいの不覚じゃった。まあよかろ。こいはこいで風情がある」と、破顔大笑し、「鎮遠」の資材で作られた商船の写真を楽しげに見ていたという。

519: yukikaze :2017/02/11(土) 23:55:48
投下終了。最初に投下した第四章の改訂版ですね。
あの話では、定遠級は「あんなもの」扱いされての沈没でしたがここでは宣伝行為と最後のエピの為に一隻は残すことになりました。

まあそれでも解体は免れないのですが、ただ日本海軍の運用考えると、定遠級は極めて使いづらく、維持コスト考えると、廃棄した方がマシなんですよねえ。
史実は「戦力が足りない」故の運用でしたし。

史実と異なり、この一戦で北洋水師が壊滅したことで、清国の防衛ラインは一気に拡大することになり、同時に李鴻章の政治生命にも打撃を与えることになります。
つまり、イケイケドンドンな皇帝派が戦略の主導権を握ってしまう訳で、清の戦争指導はこれ以降ますます刹那的になります。

889: yukikaze :2017/02/16(木) 23:31:31
第五章作っている間に、第三章で思いっきり間違い発見したので、すいません、中の人修正をお願いします。

誤→おまけに本隊にいた「済遠」は、元々広東水師所属であり、
正→おまけに本隊にいた「広甲」は、元々広東水師所属であり、

誤→北洋水師の両翼にいた「揚威」と「広甲」
正→北洋水師の両翼にいた「揚威」と「済遠」

修正していたと思っていたのですが、修正しきれていませんでした。すみませんでした。

誤字修正

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2017年02月20日 11:03