335: yukikaze :2017/02/26(日) 21:33:15
『日本とロシアとの間で戦争が起きますか?』

仮にこの質問を1880年代にした時は、両国の人間は笑って『そんなわきゃないだろ』と答えたであろう。
開戦直前である1904年においても、ロシアの人間は『正気か?』と答えたであろう。
ロシアにとって、日本との戦争など、想像の範囲外であったのだ。

故に・・・ロシアの必敗は、約束されたものであった。
『戦争など起きる筈はない。何故ならロシアは世界最強の陸軍国家であり、日本もそれを知っているから当然譲歩する筈だ』と、胡坐をかいていた人間が、対ロシア戦を遂行する為に、必死の思いで努力し続け進化し続けていた人間相手にどうなるか。しかも日本側が努力する前の時点での国家の基礎体力が、ほぼ互角であったという状況においてだ。

ロシア人はこの傲慢さのツケを、満州の大地で嫌と言うほど払わされることになる。


日露戦争史 第1章 開戦への道 


さて、日露戦争史を語る前に、それまでの日露関係を少しおさらいしたいと思う。
実のところ、1880年代までは日露の関係は、悪いどころか良好と言っていい関係であった。
これは、ロシア側がクリミア戦争の敗北のショックで、国内の改革に目を向けざるを得ず、日本も明治維新という一大改革を行う関係上、つまらない争いなど起こしたくもなかったのだ。

それを示すのが、1870年に結ばれた『千島・樺太条約』であり、日露混在の地であった樺太については『ロシアは、樺太が日本領であることを認め、日本は樺太でのロシア人の資産を保護し、彼らが産業活動に勤しむことを認める。なお、日本はロシアの樺太の資産売却の求めに応じ、純金15t支払う』『ロシアは、千島が日本領であることを認め、日本は、千島列島の諸海峡において、国際法の認める範囲において、ロシア船の通行を阻害しない』と、どちらもwin-winな妥結(日本は北方の国境を、日本が従来主張していた線で固め、ロシアは、英1500ポンド金貨に匹敵する純金と、国際法に基づく航路通過権を獲得しているために実利は確保している。そもそも売却した資産など、英ポンド金貨で換算すると、500もないレベルであった)をしている。
そして、オホーツク海で漁業や捕鯨を営むロシアの漁民は、魚介類の一大消費地である日本において、大いに懐を温めることになり、ペトロパブロフスク=カムチャッキー市は、貧しい辺境の地どころか、大いに繁栄を極めるまでになっていた。

だが、この日露の蜜月は、アレクサンドル3世の即位と共に終わりを告げることになる。
誤解しないでほしいのは、アレクサンドル自身は反日家でも何でもなく、そもそも極東で何かを起こそうとする意図も意思も持ってはいなかった。
だが彼は、ロシアを強大にすることに多大な努力を傾けてはいたものの、その結果、周辺諸国に無用な摩擦が発生しないように注意を払うということには無頓着であった。
更に、クリミア戦争後の改革の結果、ロシア国内に導入されたフランス資本による産業革命の進展と国家の発展が本格化されると、ロシア政界においては、ロシアの悲願とも言うべき『不凍港の確保』という機運が上昇し、中央アジア及び極東への侵出を企てるようになる。
それでも、ニコライ皇太子の訪日並びにその答礼として行われた伏見宮貞愛親王の訪露(皇太子はまだ13才であり、ロシア側も病弱な皇太子に万が一のことがあっては後々問題なので、皇族筆頭扱いの伏見宮の答礼に納得していた)などで、日露関係はまだ比較的良好な状態が続いたりもしたのだが、日清戦争の結果が全てを狂わせることになる。

336: yukikaze :2017/02/26(日) 21:34:50
1894年の日清戦争により、清の弱体化は全世界に知れ渡ることになった。
この敗戦を機に、列強は中国侵出を一層強めることになるのだが、その中でも特に貪欲だったのがロシアであった。
中央アジアでの侵出も頭打ちになりつつあった当時、極東での清の弱体化は、ロシアにとっては、新たなフロンティアが突然現れたかのような感覚に陥っていた。
外交面では穏健派であったウィッテですら、満州への経済的侵出及び植民地化には積極的であったという事実を見れば、彼らが日清戦争後の清の弱体化に如何に狂喜していたか見て取れよう。
実際、日清戦争終結後半年もたたない状態であるのに、ロシア側は多額の借款と引き換えに、遼東半島の租借を強引に推し進め、日本側の憤激を買うことを平然と行っている。

そしてこの動きをさらに加速させたのが、日清戦争の結果、独立した大韓帝国であった。
戦争を焚き付けたはいいが、そのお蔭で国内は自壊してしまい、気付いた時には、清の庇護を失い、日本から戦争責任を突きつけられていた韓国政府は、一旦は日本に屈服したものの、その内心は不平たらたらであった。
彼らにしてみれば『自分達は清国の被害者であるのに、なぜ自分達が酷い目に合わなければならないのだ』という思いに満ち溢れており、日本側の行動は大変理不尽なものであると結論付けていたのである。
『お前・・・自分達がやらかした行動見てなおそれ言えんの?』と、日本人が聞いたら呆れること間違いない思考なのだが、半島の人間にとっては大真面目な考えであった。
百歩譲って、済州島などの未開の蛮地だけならまだ我慢できたかもしれないが、釜山から平壌までの鉄道敷設権とその周辺地域への警察権、鉱山の優先的採掘権については、明らかに『増長』でしかなかった。
現実逃避もここまで来ると清々しいが、ある意味当然のことながら、彼らはそうした主張を、自国の力だけで成し遂げようという意志など更々なかった。
彼らにとっては、外交とは『夷を以て夷を制する』でしかなく、そしてその結果、更に面倒事が発生すればそれこそ別の『夷』を使えばよい程度のことでしかなかった。
無論、いつまでも学習しないこうした考えが、最終的には彼らを悲惨な道へと進ませるのだが、ここでは置いておくとしよう。
もっとも、この時の韓国側が取った手段は、まともな国家ならば絶対に取らないであろう、斜め上の行動であったのだが。

1896年1月。
日本との条約発行前日の夜、高宗及び閔妃一族は、一斉に宮殿を抜け出すと、一目散にロシア公使館に移動して、ロシア皇帝の保護を求めることになる。
史実と違い、ロシア側にとっても寝耳に水の行動であったのだが、彼らが口々に「日本は横暴だ」「ロシア皇帝は極東の平和と安定を保つ責任がある」と叫び続け、ロシア公使館の一室で政務を取り始めたことに、当時のロシア公使は「居候ですらもう少し賃借人に気を使う所だ」と思いつつ、思いがけない鴨が来たことを、ロシア本国に至急連絡をすることになる。
ロシア政府にしても「え・・・? 誰か工作した?」という風に大いに戸惑ったとされるが、この時点で極東の勢力圏を一気に拡大させようとする強硬派と、満州を得ることに注力すべきで、それ以外については手を出さない方が良いと考える穏健派の間で意見が対立。
しかも、ロシア特有ともいうべき独立性の高い各総督府や地方政府がこの問題に介入しだして以降は、どこから手を付けていいか分からない状況になっていた。

当然のことながら、ロシア公使館に逃げるや否や「条約は無効」と言い出した韓国皇帝に対する日本側の激怒は凄まじく、伊藤外相はロシアの首都に訪問するや「これはロシア側が言い出させたことか」と詰問し、列強各国も、あまりに鮮やかなロシアと韓国の行動を見て「絶対に裏で手を組んでいる」と、判断する始末であった。
ロシアにしてみれば「おれは無実なんだよ」と言いたい所ではあるが、強硬派が言う所の「間抜けな王が皇帝に国を献上しに来た」点を捨てるには反対意見が強く、結果的にgdgdと事態を引き延ばすという判断をすることになる。

337: yukikaze :2017/02/26(日) 21:35:34
こうした事実に、遂に日本も腹をくくることになる。
1897年に帝国議会で成立した『明治30年帝国国防方針』において、現有兵力の25個師団体制からあくまで戦時においてという但し書きではあるが、3個方面軍36個師団編制に。艦隊についても戦艦8隻、装甲巡洋艦8隻の『八八艦隊計画』を10年で達成するという方針を決定。
成立直後に、英国をして『マジでやる気だわあいつら・・・』と、絶句させるように、アームストロング社以下3社に対して、一括で、相模型戦艦4隻(史実敷島型)を発注。
しかも、アームストロング・ホイットワースに大金を支払い、設計図面の購入や関連技術のライセンスを購入するなどして、1898年には、準弩級戦艦と言うべき讃岐型戦艦4隻(史実鞍馬型武装)を国内で一斉に起工するという荒業をしている。(海軍内では弩級戦艦建造を求める声も出ていたが、安定した方位盤射撃指揮装置の開発の目途が立っていなかったことから、間に合わないとみて断念された)
勿論、装甲巡洋艦についても整備を推し進めており、各国に対して富士型装甲巡洋艦の準同型艦である春日型装甲巡洋艦6隻の発注(史実出雲型と同じ)をするとともに、開戦前夜には、チリが売却を決定したコンスティトゥシオン級戦艦(史実スウィフトシュア級戦艦)2隻と、アルゼンチン海軍が売却した「リヴァダヴィア」と「モレノ」(史実春日型)も購入するという、なりふり構わない拡張をしている。

陸軍もそれに負けるつもりは更々なかった。
彼らは師団数こそ最低限レベルの増強に抑えていたが、その代わりに砲兵部隊と兵站部隊の強化に勤めていた。
一例をあげると、フランスのシュナイダー社に概念を渡すことにより完成した30年式野砲(史実95式野砲の重量増ver。砲身等が技術面の理由で重たくなった)であり、砲兵師団用の32式10糎加農砲(史実三八式十糎加農砲)や、32式24糎榴弾砲(史実四五式二十四糎榴弾砲)を導入するなど、師団以上の砲火力の増大に邁進している。
勿論、前回の戦いで大戦果を挙げている機関銃や臼砲の強化にも怠りはなく、また、重砲輸送の為に世界に先駆けて履帯式トラクターの開発をしている。(開発元は三菱。なお特許及び商標を取得したことで、三菱は大儲けすることになる)

こうした軍拡は、当然、国家財政は火の車になるのだが、ロシア側の傍若無人な態度と、それに阿る大韓帝国及び北京条約での制約をあっさり破った清に対する怒りが全てを押し通した。
当初は、街道や鉄道、都市部へのインフラに使われる予定であった、違約金1億両が、満場一致で臨時軍事費に使われたという事実が、日本国民の怒りを物語っていた。
そして日本のこの軍拡は、ロシアの強硬派にとっては格好のネタになり「日本は東亜の秩序を破壊しようとしている」と、自らの満州領有を正当化するだけでなく、半島への影響力も増大させている。
実際、半島においては、1896年以降、韓国皇帝はロシア公使館を借宮殿として指定し、ロシア側の求めに対して印鑑を押すだけの仕事をするなど、事実上、ロシアの保護国としての立場に走っており、日本側も我慢の限界を超えていた。

そうした中、1902年に日本の外交史上最大の勝利と言われる日英同盟が結ばれることになる。
当初は、日露両国の対立のバランスを取りながら利益を得ようと画策していたイギリスであったがロシア側のあまりにも露骨な極東での侵出行為に、対露世論の悪化が日増しに高まっていた。
それに止めを刺したのが北清事変であり、この時日本軍一個師団は、北京に籠城した在外公使やその家族の救援を第一義にしたのに対し、ロシア側は略奪及び満州への保障占領のみを
重視したことで、英米を中心に「日本人は誇り高きサムライの子孫だが、ロシア人は単なる盗賊だ」という声が圧倒的になり、イギリスも遂に極東での自国の権益維持の観点から日本との間に同盟を結ぶことを閣議決定する。
この同盟が、イギリスにとっても最大の外交的勝利とされるのは、21世紀になっても日英同盟が維持され続けている点を見れば明らかではあるが、『栄光ある孤立』をイギリスが捨て去り、そしてその戦略パートナーに日本を選んだという事実は、ロシアに衝撃を迎えることになる。

338: yukikaze :2017/02/26(日) 21:36:08
結果的に、極東総督に任命されたアレクセーエフ海軍大将は、その権能が政治・軍事問わず極東に関するあらゆる問題を管轄する役職であることを最大限に利用し、日本に対する予防戦争を主張。地主貴族との政治的な争いを繰り広げていたプレーヴェ内務大臣の後押しを受けることにより、戦争の流れが急加速することになる。

この状況に、日本およびロシアの穏健派も黙っていた訳ではなく、ペテルブルクにおいては首相のウィッテと、全権代表となっていた伊藤との間で、何とか妥協の道はないかのギリギリの交渉が続いていたのだが、それをあざ笑うかのように、ウラジオストク艦隊の「ロシア」及び「リューリク」が、仁川沖に停泊していた、日本の防護巡洋艦「遠賀」に対して、「韓国政府の要請により退去を求める。退去しない場合は砲撃を加える」と一方的に通告。
あまりにも一方的な通告に、仁川沖にいた他国の船が一斉に抗議をするも、「遠賀」艦長は「ここにいれば皆さんに迷惑がかかります」と、砲身を上げ、敵対しない旨の信号を送って退去したのだが、彼らが仁川沖にまで達した時、「ロシア」の砲撃を受けて轟沈する事件が発生する。
ロシア極東総督府は「日本が攻撃してきたのでやむなく自衛のために戦った」と声明を出したがアメリカ軍艦に乗っていた「ニューヨークタイムズ」の記者が一部始終を取っていた映像が公開されたことで、「ロシア側の海賊行為」「仁川沖の虐殺」と、全世界からの批判を浴びることになる。

だが、ロシア極東総督府は、そのような批判など知らぬと言わんばかりに「韓国皇帝の要請の元ロシアは韓国の平和を守るために、兵を駐屯させる」と、2個師団の兵をソウルに駐屯。
併せてウラジオストックの艦隊を仁川沖に集結させることで、半島を完全に制圧すべく行動に移すことになる。

日本にとって『元寇』以来の国難が押し寄せようとしていた。

339: yukikaze :2017/02/26(日) 21:54:44
投下終了。史実以上に韓国がgdgdでロシアが好戦的になっています。

史実での韓国のgdgdは、まあ日本側にも多大なる問題があるのですがこの世界では「日本にナチュラルに喧嘩を売ったという事実への恐怖とそこからの現実逃避」という非常に頭の痛い理由でのgdgdというのが。

ネタバレになりますが、韓国については日清及び日露のやらかしで「疫病神」「味方に付いたら碌なことしない」が国際的常識になります。
何でこんな面子を自陣営に引き入れようとしたんだ、赤化アメリカは・・・

史実よりもロシア側の動きが速いですが、これは日本の図体がでかい為に日本よりも先に取らんと拙いという危機感もありました。
まあ彼らにしてみれば、韓国皇帝と言うどうしようもないのが、鴨葱になってきましたんで、余計に好戦的になってしまうと。

弩級戦艦を出すか非常に迷いましたが、大陸日本のこの段階ではまだ厳しいかなと。
技術的な開発速度は、第一次大戦時までは、憂鬱本編に準ずる形で進めようと考えていますので、
ご了承いただければと思います。(つまり豊臣家verではその枷がありません)なお、野砲関係については、改造三八式を頑丈にしたのにしようかで悩みましたが、ここでシュナイダー社と縁を作っておくのもいいかと思い、シュナイダー社に技術面の譲渡する代わりに史実95式の重量増verを配備することになりました。
ほんと・・・この時期の砲兵師団に配備される野砲って、飛距離足りなくて悲惨なんすよねえ。
信じがたいかもしれませんがこの時期の100mm~155mm系列の榴弾砲って、7000m程度ですから。

ああ。ちなみに、日本陸軍では史実四五式十五糎加農砲も、ぎりぎり間に合わせています。
ただ開戦時は1個方面軍に属する砲兵師団が完全充足。もう1個方面軍が改編中。
(戦争中に何とか3個方面軍全部隊に配備される)

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最終更新:2017年03月01日 20:38