706: yukikaze :2017/03/27(月) 00:47:30
遅くなりましたが投下します。

日露戦争史 第3章 第一次日本海海戦

この時代。水上艦艇による通商破壊作戦と言うものはごくありふれたものであった。
理由の第一は、索敵能力が未だ見張り員による目視が主流であったことから、よほどの数的劣勢が生じない限り、水上艦艇が敵海域内においても行動する自由が大きかったこと。
第二に、水上艦艇による攻撃を食い止めるには、最低でも同種艦艇でなければ困難であり、水上艦艇が暴れまわれるだけのハードルが低かったこと。
そして最後に、通商破壊用の艦艇が暴れまわれば暴れまわる程、敵の経済が混乱に陥り、敵側は主力艦艇を対策として使わざるを得ず、結果的に味方主力艦艇の行動の自由を増やしてくれるのである。
アレクセーエフが、装甲巡洋艦を主力とするウラジオ艦隊に対して通商破壊作戦を命じたのは、軍事的には当然の帰結であった。

そして日本海軍も、ロシア側の意図するところを十分に理解していた。
あくまで大陸を主戦場とする彼らにとって、大陸との間の兵站線構築は絶対条件であった。
そしてそれに失敗すればどうなるのか。
考えるまでもない。日本は国際社会から「ロシアに負けた」と見なされ、日清戦争後の清と同じ立場に立たされることになるであろう。
維新の生き残りというべき上層部からすれば「あの世であいつらにあわせる顔がない」心境であり、だからこそ、大久保や大隈と言った生き残りたちは「日本が独立を維持できるか奴隷になるかの分かれ道である」と、この戦争が、明治維新から続く苦難の最期の関門であると国民に訴えている。
一部のメディアが『大祖国戦争』と名付けたのも、そう的外れではなかったのだ。

もっとも・・・と、西郷小兵衛中将は、内心溜息を吐く。
権兵衛の言いたいことはよくわかるが、少しは現場の苦労も理解してはもらえんだろうかと。
そりゃあ自分だって『遠賀』事件の一件は我慢ができない。
あの一件で無残に殺された海軍の仲間達の敵を討ちたいという気持ちは人一倍強いし、ウラジオ艦隊を撃滅することで、世界から「日本侮りがたし」とアピールしないといけないことも分かる。
しかし・・・子供のお使いではあるまいし、「即刻沈めて来い」と言われて、さっさと沈められるのならば苦労はしないのだ。
確かに額面上で言えば、こちらの方が上である。
こちらは、主力戦艦と比べると砲の大きさはやや小ぶりではあるとはいえ、それでも装甲巡洋艦よりは強力な巡洋戦艦2隻と装甲巡洋艦2隻を有しているのに対して、向こうは装甲巡洋艦3隻に防護巡洋艦1隻である。
双方同じ技量で正面からぶつかれば、まあ負ける要素はない。

だが、問題は、その前提条件を達成するには、彼の率いる艦隊は力量不足であるということであった。
日清戦争以降の急激な軍備拡張により、確かに日本海軍の戦力は、ロシア太平洋艦隊とも互角に戦えるだけの戦力を構築することに成功していた。
しかし、こうした急激な艦隊拡張は、人員不足という厄介な問題を生み出すことになった。
たった10年で、艦隊の規模が日清戦争前の3倍近くなったということを考えれば、人事担当者が発狂寸前にまで追い詰められたことが理解できるであろう。
事実、陸海軍は、軍備拡大による士官不足に直面したことで、予備役将校訓練課程を帝大や私大に設立し後方部門を彼らに任せることで兵科将校を確保しようと躍起になっていた。(実際にはそれですら不足で予備役将校訓練課程を受けたものが、即席教育で兵科将校になるパターンもあった。海軍の場合は、海軍予備員制度の発展解消であったおかげで、まだ混乱は少なかったものの、陸軍においては「どうしろというのだ」と、頭を抱えることになる)

707: yukikaze :2017/03/27(月) 00:48:13
こうした事態に、陸軍は、史実のヒットラーユーゲント方式を使うことによって、迅速な戦力化を図ることと、各部隊に大火力を保持させることで「多少の用兵の硬直化なんか、大火力で相手を吹き飛ばせば何とかなるんだよ」という、実に漢らしい回答でねじ伏せてはいた(無論、日清戦争に従軍した面子から言わせれば「あの時の練達した面子がいればまだ苦労はなかったのに」であったが)が、技術職と言っていい海軍においてはそうもいかなかった。
結果的に海軍は、主力部隊である第一艦隊と第二艦隊においては、実戦にも対応できるだけの人材を確保するのことが間に合ったのだが、戦時急造艦隊と言っていい第三艦隊においては、新兵と予備役兵の混在という、技量で言えば一段下の状況であった。
特に、「ロシアに編入されてはかなわん」ということで、大枚をはたいてチリから購入した『筑波』『生駒』(史実スィフトシェア級)については、英国から回航して直に艦隊に編入されるという状況であり、艦の乗組員ですら、艦を動かすのに精いっぱいという有様であった。

にも拘らず、彼らがウラジオ艦隊追跡に派遣されたのは、ひとえに『遠賀』事件の影響であった。
この事件により、ロシアの無法ぶりが全世界に宣伝されたのは良かったのだが、同時にウラジオ艦隊は『情け容赦のない海賊集団』というイメージが喧伝されてしまい、政府や海軍に対して『一刻も早く沈めろ』という圧力が、世論から沸き起こったいたのだ。
政府や海軍もそれを無視するわけにはいかず、直ちに討伐艦隊を編成することになったのだが、彼らを確実に沈めるには、それこそ第一艦隊や第二艦隊で網を張る必要があり、そしてそれは太平洋艦隊をフリーハンドにすることに繋がるために不可能であった。
故に海軍としては、第二艦隊から装甲巡洋艦2隻を臨時的に第三艦隊に貸与すると共に、練度未熟であること承知の上で、筑波型2隻を加えることで、ウラジオ艦隊に圧力をかけさせ、彼らをウラジオに封じ込めようと考えていたのであった。

もっとも、西郷にしてみれば、この海軍上層部の見積もりは、いささか楽観的すぎると思っていた。
あの偉大な大兄や大久保さんですら「大衆というのは、ないごて『理』がわからんとか」と、本気で嘆いたように、大衆の、ややもすると感情的に動きがちな部分は、とにかく厄介なものである。
目論み通りウラジオ艦隊をウラジオに封鎖しても、今度は「それだけの兵力があるのなら何故とっとと沈めない」という風に暴走するのが目に見えていた。
更に言えば、ウラジオ艦隊がすごすごと逃げてくれればいいが、活発に動いてこちらを翻弄した場合、それこそどう暴発するかわからない。
自分の家に投石がある位ならばかわいいものだが、無責任に煽り立てることで、政府の戦争指導にまで影響が及ぶことになったら目も当てられない。

まったく・・・権兵衛に平八郎の奴、太平洋艦隊の勢力に捉われすぎているんじゃねえのか。
確かに戦艦7隻、装甲巡洋艦1隻、防護巡洋艦8隻というのは、なかなかの勢力だが、こっちは第一艦隊に戦艦8隻、第二艦隊にも装甲巡洋艦8隻、防護巡洋艦も、吉野型が第一と第二を併せて8隻、石狩型も6隻筑後型も船団護衛除いても6隻いるのだ。
つまり、こちらが求めていた、第二艦隊の装甲巡洋艦4隻を差し引いたところで何の影響もないはずなのである。にも拘らず、海軍の決定は、装甲巡洋艦2隻と筑波型巡洋戦艦の2隻であった。
畜生。どこの馬鹿野郎が仕組んだのか知らないが、それを抑えられなかった権兵衛達も情けない。
海軍幕僚部の中には「第三艦隊の連中も塩気を浴びれば背筋も伸びるでしょう」なんて発言しやがった野郎もいるようだからな。軽薄な小笠原辺りが言っていそうだな。
糞。急拡大したことのツケか。最近ではあんなお調子者ですら「猫の手も借りたい」台所事情のせいでそれなりの職につけざるを得ないんだが。
どこかでかきちんと整理しないと、ロシアの連中を笑えんくなるぞ。

708: yukikaze :2017/03/27(月) 00:48:51
西郷のこの推測は当たらずと言えども遠からずであった。
海軍上層部としては、ロシア太平洋艦隊を確実に抑える為には、第一艦隊と第二艦隊を以て対応するのが確実であり、これらの兵力を他所に転用するのを極度に嫌っていた。
故に、山本としても、そうした声を無視することは不可能であり、「西郷の力量に賭ける」と、半ば自分を無理矢理納得させつつ、第三艦隊による対応を決定したのであった。
後に『山本も東郷も、西郷の権威を恐れて冷遇した』と、言われる羽目になるのだが、少なくとも彼ら両名は、西郷に対して隔意を抱いたことは一度もない。
もっとも、西郷の「兵や下士官には慈父の如き存在だが、士官に対しては厳しい」態度に対して、隔意を抱いている士官が一定数いるのも事実であったのだが。(西郷が連合艦隊司令長官に選ばれなかったのも、こうした点が要因になったのと、もう一つは『参謀いらず』と言うほど、作戦立案能力を有しており参謀層が『西郷中将が司令長官になったら、自分達は単なる補佐役』という事態を嫌っていたというのも根底にあった。あくまで全体の和を重視した山本は、それこそ土下座してまで西郷に了解を得たのだが反面、「そんなバカどもの我儘に捉われて、一番戦の上手い小兵衛どんを登用せんとは、おはんは戦を舐めているのか」と、大久保の逆鱗に触れ、相当の不興を買う羽目になっていた)

まあいい・・・。西郷は、双眼鏡を下しながら一人ごちた。
幕僚部の若手連中が進めていた『護送船団方式』とやらを採用できたのは不幸中の幸いだった。
当初は『そんなの採算は取れない』と不平満々だった商人連中も、ウラジオ艦隊の無法ぶりを聞いて、一も二もなく受け入れることになったからな。
石狩型1隻に、筑後型3隻の3個護衛隊だったか。一部の連中は『商船護衛などに』と湧き上がっていたが、商船が安全に運航できるようにするのが海軍の役目なんだ。
ネルソンのトラファルガーを夢見るのは勝手だが、海軍国家だったオランダがイギリスに負けて没落したのは、やつらの大商船団がイギリス海軍の妨害によって、まともに運行できなくなったからだ。
マハンに影響を受けるのは結構だが、艦隊決戦は『手段に過ぎない』ことを言い聞かせんとな。

西郷が、そう思いながらも、今後の対応を協議しようと、船内に入ろうとした刹那、見張り員から、耳を疑うような報告を聞くことになる。

――右舷に艦影見ゆ。ウラジオ艦隊です

その瞬間、西郷は思わずこう呟いたとされる。

「あいつら、何を考えているんだ?」


西郷から「何を考えているんだ?」という言葉が聞こえたならば、彼は嘲笑してこう答えたであろう。

「猿の艦隊を翻弄する以外何があるのだ?」

それ位、ウラジオ艦隊の『臨時』司令長官である、セミョーノフ大佐は、やる気満々であった。
もっとも、やる気があったのは、セミョーノフと一部の士官位で、大多数は「どうしてこうなった」と自分の運命を呪っていたのだが。

ではなぜこうなったのか、かいつまんで説明しよう。
まず、セミョーノフが指揮を執っている理由である。
これは簡単で、本来の司令長官であるイェーセン少将が旅順に留まっていたからであり、そして彼が留まっていたのは、極東総督府において、イェーセンが果たして自分達の謀略に賛同するか自信が持てず、それよりも野心溢れるウラジオ艦隊の参謀長のセミョーノフの方が確実であると判断されたからであった。
事実、『遠賀』事件の真相を知らされたイェーセンは、自分の艦隊が謀略の一端に加担させられたことに本気で腹を立て、太平洋艦隊司令長官であるマカロフ共々、総督府に怒鳴り込みに行ったがもはや後の祭りであった。

709: yukikaze :2017/03/27(月) 00:49:21
では「通商破壊作戦を命じられたのになぜ日本の追撃艦隊に接近しているのか?」である。
常識的に考えれば愚行と断じられても仕方がない。
相手は、戦艦2隻、装甲巡洋艦2隻、防護巡洋艦3隻であり、数の上ではロシア側が劣勢なのである。
実際、ロシア側においても、この接敵を無謀として諌めた士官もいた。
だが、セミョーノフは敢えて『会戦』という選択肢を選んでいる。
ロシアの戦史公刊では『セミョーノフの無謀な功名心故』と罵倒されることになるこの決心は、しかしながら、セミョーノフからすれば十分以上に勝ち目のあるものであった。

何故か? 彼は、日本海軍の練度は、自分達以下であると判断していたからである。
もっともそれは、白人優位説とかそういったものではない。純粋に、艦隊の急拡大に練度が追いついていないという推測から算出したものであった。
彼にしてみれば、日本海軍は「身なりは整っているが、実際には、剣も碌に震えぬ訓練不足の徴収兵」でしかなく、練度充分な自分達ならば、相手を翻弄することも困難ではないと考えていた。
更に言えば、セミョーノフが重視したのは『数的劣勢の自分達が数的優勢の敵艦隊を翻弄した』という事実であった。極論からすれば敵艦の撃沈すら不要であった。
ロシアのウラジオ艦隊の精強さを敵に見せつけることで、敵の戦意を大幅低下し、こちらの士気を上げる。
その上で通商破壊作戦を行えば、さらに効率的に戦争を遂行することが可能になる。

セミョーノフのこの主張には、懐疑的だった面々も反論できないものがあった。
少なくともこの臨時司令長官の論理に反対するには、それを上回るだけの材料を以てついでに言えば、『遠賀』事件で、少なくない数の将兵が、艦隊司令部に不信感を抱いているという事実を払しょくさせるには、こうしたアピールを行う必要があるのも事実であった。
無論、その納得は積極的なものではなく、しぶしぶながらのものであったのだが。

それでも、会戦から15分後まではセミョーノフの思い通りであった。
功名心は強いが同時に馬鹿でもないこの指揮官は、命中率がそうでもない7,000m付近を保ちながら、敵艦隊の鼻づらを抑えつつ、砲撃を加えたのである。
それに対し、日本海軍はウラジオ艦隊の機動に全くついていくことができず(『富士』と『浅間』はともかく、他の艦が艦隊としての連携を取るのに精いっぱいの練度でしかなかった)、一方的に撃たれるがままであった。
当初はセミョーノフに懐疑的だった面々も、自分達の目の前で日本艦隊が翻弄され、おまけに二番艦の砲撃が、敵戦艦の艦橋に直撃して、敵戦艦が迷走しだした光景を見れば、士気が一気に高揚するのも無理はなく、艦隊のあちこちで『ウラー』の叫び声が木霊することになる。

一方、日本側の士気は加速度的に落ちていた。
何しろ一方的に撃たれるままの状態であり、2番艦の『生駒』が直撃弾を受けて、艦隊から離脱。
『筑波』も、左舷中間砲に砲弾を受けて爆発するなど、完全に劣勢であったからだ。
それでも西郷は、終始無言であり、避退を具申する参謀を無言で黙らせると、見張り員に対して「あの一番艦の動きを知らせよ」と、命じることになる。

後に西郷曰く『人生でこれ以上ない程分の悪い賭け』と言わしめることになる賭けが始まるのは会戦が開始されて20分後のことであった。
敵が高速機動で反航戦に持ち込もうとする刹那、日本側は強引に右舷への回頭を開始。
旗艦である『筑波』が集中砲火を浴びる危険性を無視して、強引に6,000mにまで近づいての同航戦に持ち込んだのである。
西郷にとって『分の悪い賭け』なのは、旗艦に敵弾が集中するのもさることながら、敵将が逃げ出した場合、こちらの判定負けに終わることであった。
実際、西郷は、敵将がいつ進路を東から北へと変針するか気が気ではなかったとされる。

710: yukikaze :2017/03/27(月) 00:49:54
もっとも、この時の西郷の賭けは、皮肉にもセミョーノフの成功によって勝つことになる。
セミョーノフ自身は、西郷の意図を理解し、適当なところで砲撃を切り上げて、ウラジオへの帰還を考えていたのだが、なまじ上手くいきすぎていたために、周囲の士気高揚が想像以上に高まっておりセミョーノフとしても、切り上げるタイミングを失してしまったのである。
そして『筑波』に砲撃を集中させてしまったが故に、彼女を中破に追い込むも、フリーになった『富士』や『浅間』、それに吉野型防護巡洋艦である『吉野』『淀』の猛射を受け、『グロモボーイ』『リューリク』『ボガトィーリ』が次々に被弾。『ボガトィーリ』は火災により炎上するなど、砲撃を切り上げるどころか、完全な殴り合いに持ち込まれる羽目になったのである。

それでもロシア側は、『筑波』が中破し、砲撃も衰えていた事で、残りの装甲巡洋艦2隻を片付けて勝利に導こうとしたのだが、それも艦橋からの被弾にようやく立ち直り、後方から猛烈な勢いで戦線に復帰した『生駒』の砲弾が、『リューリク』に直撃するまでであった。(『ボガトィーリ』は既に避退)
この『リューリク』の大破により、流れは一気に日本側に傾き、『富士』中破と引き換えに、『富士』と『浅間』は共同で『グロモボーイ』を撃沈。それを見た『ロシア』も逃走を図ろうとするも、既に5,000mを切った段階での『筑波』との殴り合いによって機関室を破壊され、最後の意地で『筑波』の前部主砲塔を歪ませるも、自沈のやむなきに至ることになる。

こうして、後に『第一次日本海海戦』と名付けられる海戦により、日本海軍はウラジオ艦隊を早期に撃滅することに成功するが、その一方で『筑波』『生駒』『富士』が中破(『筑波』は人によっては大破)という大損害を受け、第三艦隊は半年以上使えないという状況に追い込まれることになる。
海軍幕僚部や連合艦隊においては『西郷中将は戦力を消耗させたか』と、批判の声が上がることになり、ロシアでも『ウラジオ艦隊壊滅は問題だが、それでも数の上で優勢な敵の艦隊を消耗させたから、こちらの
勝利だ』という声が沸き起こったものの、伊東や東郷はそう言った声に対して「おはんらが指揮していれば負けちょったが」と、言下に切り捨て、明治天皇やマスコミにも「これで日本の船は、堂々と日本海を渡れることになりました」と、日本海の安全を宣言している。

実際、主力を失ったウラジオ艦隊は、残っているのは補助巡洋艦のレーナと水雷艇だけであり、これ以降全くと言っていいほど活動はしておらず、日本海軍はその宣言通りに、博多及び舞鶴からの大船団を出撃させ、各国マスコミに喧伝することになる。
日本海軍は、第三艦隊を半壊させる損害を払いながらも、大陸への兵站線構築に成功したのであった。

なお、最後に一つのエピソードを付け加えよう。
海に投げ出されたウラジオ艦隊の将兵達に対し、西郷が命じたのは『海の男の誇りを以て救助せよ』であった。各艦から異論反論が殺到するものの、西郷は『我らは誇り高き海の男である。その誇りを自ら汚すことなかれ。あの男達のように惨めになりたいか』という厳命の元に、悔し涙を流しつつ救助することになる。
当初は、戦々恐々だったウラジオ艦隊の乗組員も、自分達が『遠賀』乗組員と違い、虐殺されず、救助されたことに安堵の表情を浮かべることになるのだが、一部の士官はこの事に「白人だから当たり前」と、増長する態度をとった。
怒りに震える日本海軍の将兵に、不穏な空気を悟ったロシア海軍の将兵も身構える中、西郷は、増長した士官に対し『我々は海の男だ。肌の色も関係なく海の男の仁義を守る。だが貴様らは海の男ではない。
ただの盗賊だ。忘れるな。貴様らは海の男の誇りを自らの手で汚したのだ。貴様らは一生海の男を名乗れん』
と、言うや否や、士官の襟章をむしり取って投げ捨てている。
襟章を投げ捨てられた士官は、自らがどのように見られているかを今更ながらに悟って茫然と座り込み、殺気立っていたロシアの将兵も、肩を落とし泣きだす者も出ることになる。

この出来事は世界中に宣伝されることになり『サムライの誇り』として、日本軍の好意を高めることになる。

711: yukikaze :2017/03/27(月) 01:01:17
投下終了。史実よりも大分早くウラジオ艦隊追撃戦を行っています。

作中にもあるように『普通なら第二艦隊の装甲巡洋艦部隊出すだろ』なのですが、練度不十分な第三艦隊を出さざるをえなかったのは、それだけロシア太平洋艦隊に恐れを抱いていたからでもありました。
その点では、ウラジオ艦隊の通商破壊作戦というプランは、軍事的には妥当なプランでした。

東郷よりもわずかに年長な西郷が、連合艦隊司令長官ではなく第三艦隊司令長官という理由は、本文のとおり。大多数からは好かれているんですけど、士官としての役目を果たしていない面子には非常に厳しかったので、一定数の士官からは嫌われていたんですわ。
しかもそう言うのに限って、海軍の急拡大の影響で中堅どころに居座る羽目になる有様。
何ともめんどくさい話です。

ついでにいえば、第三艦隊を早期に戦力化するには、闘志とカリスマのある西郷じゃなきゃ無理という点と、国際法においては東郷が一日の長があり、列強との戦争である以上、国際法上微妙な問題が発生した時、東郷なら現場で対応できると、山本が判断した点があります。
(実際、西郷が何の異論も示さずに受け入れたのは、当人も自覚していたから)

もっとも、山本も東郷も、大久保から「何を考えているのか」と不興を蒙り(史実でも東郷は大久保に留学を頼むも「平八郎はおしゃべりだから」と拒絶され、西郷に頼んで留学しています)
史実よりも彼ら二人は政治的権能を有することはありませんでした。

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最終更新:2017年03月27日 14:40