270: ooi :2017/03/20(月) 12:45:30
タルテソス夢幻会3
1492年10月12日、史実通りにコロンブスがサンサルバドル島に上陸している。
コロンブスはタルテソス王国の開拓団との出会いを果たすが、交流を続けると同時にお互いの考えが違い過ぎる故に意見の対立が顕著となっていった。
出会いから2週間が経つと、コロンブスの意見に従えないと約40名がタルテソス王国開拓団へ入団する事となる。
此れに危機感を抱いたコロンブスは決起し、命令に従った乗組員約50人を引き連れて開拓団と戦闘を起こしたが速攻で全滅する事となる。
元々、小銃を使い慣れた軍人50名が配備されていたので、ただでさえ乗組員の開拓団入団で人数が減っていたコロンブス+乗組員約50名が勝てる可能性はまず無かったが。

なお、開拓団に入団した乗組員たちはタルテソス王国の技術力や生活の豊さに驚いている。
コロンブスが決起した際にはタルテソス王国の旧式小銃を持って出撃しているが、タルテソス王国の旧式小銃でさえも自分たちが知る小銃より遥かに高性能であったし、大砲に至っても小さいながら射程と命中率が桁違いに良いのである。
食文化においても、開拓中に獲得乃至栽培した限られた食材でも多彩な美味しい料理を頂け、更に缶詰を使えば長期間の航海でも安全な食事が出来る等の驚くべき経験が満載であった。
宗教については、キリスト教の教義とはかけ離れていたのでキリスト教徒として悩む事は有ったが、時期的にカトリックの地位が揺らいでいた事も有ったので「これだけの豊かで便利な生活を送れるのであれば細かい事は気にしないでおこう。」と開き直っている。

コロンブスの反乱鎮圧から1週間が経った時、開拓団に入団した乗組員たちは故郷に残してきた家族の事が心配になって来ていた。
彼らは、これまでの生活からカスティリャ王国からタルテソス王国に移住して暮らした方が良いと感じていた。
その為、一度カスティリャ王国に帰国して家族を連れて行く事を決めた。
また、タルテソス王国の文物を輸出すれば大儲け出来ると確信していたので家族を連れて帰るついでに貿易事業の開拓を行いたいと具申した。
開拓団隊長は、流石に国家間貿易は自分の裁量を超えると判断して「先ずは家族を連れて帰り、タルテソス王国での生活基盤と貿易商会の創設準備を整えてからの方が良いだろう。」と乗組員たちにアドバイスしている。
此れと同時に、タルテソス王国政府にも上記の報告を行って判断を仰いでいる。
この為、乗組員たちも準備を整えてからの方が良いと徐々に考えを改めていき、開拓団(タルテソス王国)の意向からアトランティス大陸(アメリカ大陸)の存在は伏せて、帰国後の航海でタルテソス王国との国家間貿易の具申を行う事とした。

こうして、1493年にはカスティリャ王国へと帰国するに至る。
帰国に際しては、航海が楽になるように保存食としてタルテソス王国で作られた缶詰と缶切り(※1)を積載している。
缶詰の中には壊血病予防としてドライりんご(※2)を入れた物も有り、壊血病にならない可能性が増える事を交流で知っていた乗組員たちの顔は明るかった。
(ちなみに、当時の船乗りが最も恐れていたのは海賊ではなく壊血病である)
特に、タルテソス王国の缶詰入り保存食料は保存性と味の両方が保障されており、乗組員たちは航海中に美味しい物を安全に食べられる事に感謝している。


帰国した乗組員たちは「コロンブスは時化で遭難して私たちは何とか助かりました。また、人の住める様な島は有りませんでした。」と語っており、カスティリャ王国のカトリック両王は同情したのか1人ずつにフローリン金貨1枚を送っている。

王家への拝謁を済ませた後、乗組員たちは家族の下へ向かってタルテソス王国へ移住しようと説得に入った。
家族の方はと云うと、始めは夫または父親、兄弟の変わり様に困惑していたがタルテソス王国の製品等を見ると徐々に「移住した方が良いんじゃね?」と意見を転換させていった。
この結果、1~2ヶ月後にはカスティリャ王国に有った財産を売り払ってタルテソス王国への移住準備を整えている。
1493年7月の深夜、乗組員とその家族たち約300人は小型ボートで沖合に停泊していた蒸気船5隻に分乗してカスティリャ王国よりタルテソス王国へと移住した。
夜が明けると、乗組員の家族たちは自分たちが乗っている船がどの様な物であるか知って腰を抜かす等の反応を示していた。
元コロンブス船団の乗組員たちは「自分たちも最初はあんな感じだったなぁ…。」と思いつつ家族が蒸気船に驚いている光景を眺めていた。

271: ooi :2017/03/20(月) 12:52:04
タルテソス夢幻会3
~補足事項~
※1
タルテソス夢幻会と古代アトランティス人のチートを合体させて早期実装に至った。
ちなみに、ふしぎの海のナディアのアフリカ篇で登場していたタルテソス王国の缶詰は少なくとも14年間は食べられる状態を維持しているので非常に工作精度が高いと推測されている。
種類も豊富であり、主食、主菜、飲料、嗜好品と可能な範囲での多彩な種類を取り繕っている。
少なくとも、ふしぎの海のナディアに登場しているものは揃っているだろう。

主食・主菜だけでなく嗜好品も作られている辺りは転生者の希望が詰まっていると云えるだろう。
また、戦地や食べる物が限られる船乗りが毎日同じものを食べても飽きない為でも有る。
やはり、毎日同じ食事だと辛いのは大半の方が感じるだろうから。

飲料については缶詰と云うよりは我々にはお馴染みの飲料缶やボトル缶である。
此方は賞味期限が長くても1年程度と食料品缶詰の賞味期限(3~5年)より短くなっている。
ワインと云った酒類は瓶等に入れられている。

航海・軍需用缶詰
主食:乾パン+氷砂糖(通常)、乾パン+金平糖(若干高価)
主菜:肉料理、魚料理、野菜料理…etc
飲料:水、お茶…etc
嗜好品:ドライフルーツ、フルーツ(シロップ漬け)、スナック菓子…etc

乗組員に渡した缶切りについては、コルク栓抜きが付属しているタイプの物である。
なお、タルテソス王国で作られている缶切りについては上記の物から十徳ナイフみたいな軍隊御用達の物に至るまでの豊富な品ぞろえとなっている。

こちらも、西欧との交易が始まってからは缶詰と並ぶ重要な輸出品となっている。
特に、十徳ナイフレベルの物になると庶民が数年間慎ましく暮らせる位の金額が付くのも有った。

※2
ドライりんごは保存食である缶詰の中では唯一ビタミンCを必要量補給可能な食材である。

ビタミンCが不足する事で起きる恐ろしいものとすれば本編でも触れている様に壊血病が挙げられ、最悪の場合には死に至る。
医療水準の低さやビタミンが確認されていない時代なので壊血病は船乗りにとって海賊よりも恐れるレベルであった事からも窺える。

この為、西欧とタルテソス王国で貿易が始めってからはドライりんごの缶詰は高値で取引される事となる。
船乗りにとっては壊血病予防が出来る事は非常に重要であり、更にドライりんご自体が美味しい事も有って一流の船乗りは挙って求めている。
ヨーロッパでドライりんごの缶詰が模倣されてからも技術的問題による保存性の低さから、タルテソス王国産の物は憧れの商品で有り続けた。

また、ヨーロッパ諸国も自国の長期保存可能な軍需物資(特に海軍)として備蓄に励んでおり「タルテソス王国産の缶詰と銃砲弾薬を大量に持つ国が欧州を制す。」とまで言われるほどであった。

ビタミンCについて
ビタミンCには“還元型”と“酸化型”が存在し、一般的に知られているみかんと云った果物のビタミンCは還元型である。
還元型ビタミンCは熱に弱いので缶詰製造時の加熱殺菌や太陽熱によるドライフルーツではフレッシュ時の凡そ8~9割は失われてしまう。
対して、りんごのビタミンCは酸化型であるのでドライフルーツにするとビタミンCの量が大幅に増加する。
フレッシュりんごと比較した場合、フレッシュりんごに含まれるビタミンCは4mg/100gに留まるのだが、ドライりんごにすると214mg/100gと実に53.5倍にまで増加する。

ビタミンCの1日の推奨摂取量は成人男性、女性ともに100mgとの事なので、ドライりんご約47gで推奨摂取量に到達する計算となる。
その為、500gのドライりんご缶詰が1つ有れば10人の船乗りが1日分のビタミンCを摂取出来る計算となる。

ちなみに、ドライりんご以外でビタミンCを多く含むドライフルーツはキウイが83mg/100g、マンゴーが60mg/100gとなっている。

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最終更新:2017年04月28日 23:29